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興味と謎

 夜十時。神崎は自宅のモニターの前でキーを叩いていた。

「おお。少しは強化したみたいだな」

 さっきとは違うスクリプトを試す神崎。

「オッケー、オッケー。やっぱ、まだここは甘いな」

 キーを叩きながら不敵な笑いがにじむ。

 神崎の興味は午前中に見たグラフィックカードだ。敵のハッカーが使っていたPCの中にあったグラフィックカード。見たことがない型番。それが、神崎の興味を強烈に引いていた。

 それを製造する大手の会社。グラフィックチップのシェアの六割を占める大企業。mVIDIA。神崎はいま、その大企業にハッキングを仕掛けていた。

 ターゲットの所在地はシアトル。時差は十七時間。

 向こうは朝の五時頃か。まあ、セキュリティに時間は関係ないけど、この時間は人間は少ないだろうな。

 そんなことを思いながら、エンターキーを叩いた。

「よーし。ルーターは超えた。後は……」

 次に向かうべきところを物色する神崎。次々に表示されるサーバーを見ると、彼の興奮が更に高まっていく。

「ひやー。さすがにサーバーだけでも、すげー数だなあ」

 目に付いたサーバーを片っ端から覗いていく。

「でも、三年前と随分ずいぶん構成が変わった感じがするな……」

 神崎は以前にも一度、この会社をハッキングしていた。当時の次期グラフィックカードの情報を誰よりも早く見てみたいと、必死にその極秘ファイルを探し回った思い出がよみがえってきていた。




 ――当時、初めてこの会社のルーターにハッキングを仕掛けていた時だった。

 やはり、ルーターは大手メーカーの製品だった。

「ふん。やっぱChiscoかよ。……あれ?」

 何かおかしいと感じた神崎は一旦ハッキングをやめ、その会社の上位のISPを監視した。

 すると、神崎の他にもその会社にハッキングを仕掛けていたPCヤツを発見した。注意深く見ていたが、やり方が幼稚ようちで明らかに腕のいいハッカーには見えなった。

 その日のハッキングはあきらめ、翌日、改めてハッキングを仕掛けた。

「今日こそ見せてもらうぜ、mVIDIAよ」

 神崎が再びハッキングを仕掛け、ターゲットルーターを突破した時、突然、昨日のハッカーがメッセージを送ってきた。

 神崎のPCのハッキングは無理と判断したそのハッカーは、そのとき使っていた神崎の中継サーバーをハッキングして、それを通してメッセージを寄越よこしたのだ。

「ちっ。ふざけやがって」

 自分の中継サーバーをハッキングされ、頭にきていた神崎はそのメッセージを無視し続けた。

 神崎が狙っているものが次期グラフィックカードの情報だと知ったそのハッカーは、なんとその情報を売ってくれと持ちかけてきた。

 それでも無視していると、みるみるその値段が釣り上がっていった。

 結局、神崎がその極秘データを取得するまでハッカーからのメッセージは続いたが、最後まで神崎は無視し続けた。

 前からハッキングで取得した情報を売って欲しいと持ちかけられたことは何度かあったが、神崎はその全てに返事をしなかった。欲が無いわけでは無かったが、情報を売ることに対する何となく感じる後ろめたさと、ハッカーとしてのプライドがそうさせなかったからだ。

 神崎としては、自分の知識欲さえ満足すれば、後はどうでもよかったのだ。




「よし! 見つけたっ!」

 神崎は叫んだ。

 やっと見つけた目当ての極秘ファイル。敵のハッカーが使っていたグラフィックチップとそれをせた次期グラフィックカードの情報。

「でも、何でこんなに資料が少ないんだ?」

 本来、チップの技術情報はこれの三倍はあるはずだが、なぜかこの新型チップに関しては異常に少ない。

「なにっ!」

 中身を見て神崎は驚いた。そして、資料の少ない原因がわかったのだ。

 開発が中止されていたからだった。

 資料には試作段階までの情報しか載っていなかった。試作といっても製品の形にまでなっており、その写真まで載っていた。

 何か不具合でもあったのだろうか。あと少しのように見えるんだが……。

 多少不審感はあったが、残念と思う気持ちの方が強かった。

 資料をプリンターへ送った。

「性能はモンスタークラス。幻のグラフィックカードか……」

 印刷された資料を掴んだ。

 がっかりして椅子の背にもたれかかり、タバコに火をつけて窓の外を眺めた。

 カーテンはあるが、ほとんど閉めない。狭い室内がより狭く感じるからだ。

 名ばかりの高級マンション。八畳あるといっても本棚やクローゼットを置くと実質半分程度に感じる。隣の部屋も大きなベッドを置くと、それだけで圧迫感があった。こんな部屋に給料の半分も持っていかれているので、彼のふところはいつもさみしかった。

 外の夜景にはビルの窓の明かりが見え、中で働く人がよく見えた。

「こんな時間までご苦労さん」

 そう言って、マグカップのコーヒーをすすりながら資料に視線を落とした。




 次の日、出社すると小室が神崎の机の前で待ち構えていた。

「おはようございます、小室課長」

「おはよう。持って来てくれたか?」

 小室は両手を差し出した。

「はい」

 神崎は鞄からDVDを三枚取り出して、小室に差し出す。

「これです」

「おお! ありがとう。じゃ」

 小室はひったくるように受け取ると、早足で去って行った。

 隣の開発課長の菊池が神崎の方を向いた。少し苦笑くしょうしたような表情で、

「随分早くから待ってたみたいだぞ、小室君」

 そう言って、ふんと鼻を鳴らした。菊池はあまり笑わない男だった。

「おはようございます。課長。そうなんですか」

 神崎は自分の椅子に腰掛けながら言った。


 自分の机のノートPCで資料をあさる神崎だったが、今日になって何か心に引っ掛かる感じを覚えていた。

 なんだろう。と首をひねる。

 少し考えてもわからない。しかし、すぐに自分の世界に入り資料を読みあさるが、ふとした拍子に考えてしまう。それでも、しばらくすると忘れてしまうのだった。

 突然、神崎は思い出したように立ち上がった。そのまま部長室まで向かった。

 神崎の居るフロアのエレベーターホールの反対側に部長室がある。来客がシステム部のフロアを通らずに部長室まで行ける配慮はいりょだろう。豪腕ごうわんの黒岩部長には、とにかく来客が多かった。

 扉の前でノックをし、名を名乗った。

「どうぞ」

 中から透き通るような女性の声がした。

 扉を開けると、そこは部長室の前にある秘書室だ。

 高級感のある大きな漆黒しっこくの机。その奥に座る部長秘書の藤沢ふじさわ美由紀みゆきが、満面の笑みを神崎に向けていた。

「うふふ。いらっしゃい。どうかしたの?」

 ミス日本でも通用する美麗びれいで色白な丸い小顔。薄く完璧に仕上げてある化粧。薄茶色に染めた髪を今日は大きめに巻き、その毛先は本人自慢の八十七センチFカップの胸のほんの少し上まである。社内では圧倒的人気ナンバーワンの可愛い系美人でありながら、釣り上がり気味の黒縁メガネだけは、どうしてもいただけない神崎だった。

 彼女はシステム管理課の伊藤と同じ年だが早生まれのため、現在二十四歳。この会社は男女共大卒しか採用しないが、秘書課だけは短大からも採用する。彼女も短大からの入社で、秘書課ではもう五年目のベテランだ。部長からの信頼も厚く、当然だが部長への取次ぎは全てこの藤沢を通さなければならない。

 会釈無しで軽く手を上げた神崎は、扉を閉めて中へ入った。

 机に近づくと、藤沢が立ち上がった。本人曰く、身長百六十七センチに八センチヒール。藤沢が立つと目線が神崎のすぐ下まで迫る。

「ちょっと、頼まれてくれる?」と、神崎。

「はいはーい。なになに?」

 上下そろいのグレーのスーツの藤沢。ウエストが極限まで締まったタイトミニから出る太股を、机の天板の角に押し付けて身を乗り出して言った。

 神崎は内ポケットから紙切れを出し、それを藤沢に手渡した。

 藤沢はスーツの七分(そで)から出る白く細い腕で受け取ると、その紙切れを見た。

「ん? 車のナンバー?」

 藤沢は首をかしげて神崎を見た。メガネの奥の切れ長の大きな瞳が神崎を見つめる。

「ああ。わるいんだけど、調べてくれる?」

 表情を変えずに話す神崎。

 こういうことは、ハッキングで調べるより大企業の看板かんばんで表から調べたほうが安全確実だ。グループ企業に四菱自動車があるのは、こういった車関係の調査には便利だった。

「いいわよ。どこで見たの?」

 藤沢は紙切れを自身のシステム手帳にはさみながら尋ねた。

「会社の玄関の正面に停まってた」

「産業スパイ?」

 少し赤味が強いピンクの口角を上げる藤沢。

「わからない。調べれば何かわかるかもな」

「ふーん。後は? なにかある?」

「ないよ。あ、昨日はどうも。メッセージ」

 神崎は二本指で短く敬礼けいれいした。

「うふふ。役に立った?」

 微笑みながら目を開く藤沢。綺麗な二重の上に薄く塗られたアイシャドーのラメと、整った細い眉も同時に上がった。

「ああ。すごくな」

「よかった。うふふ」

 藤沢は目を細めて微笑んだ。

「やっぱり小室課長、すぐに部長に知らせたんだな」と、神崎が言った。

「ええ。とってもあわててたわよ。内線だったけど、声震えてたもん」

「そうか。で、部長は、なんか指示だしたのか?」

「いいえ。ただ、神崎さんに知らせろってだけ」

「そうか」

「もう、知らせちゃってたけど、『かしこまりました』って言ったら、『うむ、急げ』だって。うふふふ」

 再び微笑む藤沢。

「ふーん。じゃあな」

 そう言って、手を上げる神崎。

「あ、もう? はい。おつかれさまです」

 一度微笑んでから、その顔が見えなくなる程度に綺麗にお辞儀をする藤沢。

「おつかれ」

 振り返って、神崎は部長秘書室を出た。



 終業間際、神崎は考えていた。

 心にあった違和感が徐々にはっきりしてきていた。

 やはり、昨日のハッキング事件に関することだ。

 まず、相手の場所だ。香港からだった。なぜ香港だったのか。過去何度かハッキングされた時は、大陸の中国からだった。もちろん、アメリカからのもあった。しかし、香港からは初めてだ。特に香港からの方が大陸からより有利なわけではない。いまは大陸にも太い海底ケーブルが引かれているからだ。確かに、インターネット創成期そうせいきならば香港が有利だったろう。しかし、ハッキングが増えたのは、明らかに大陸へのケーブル設置以降だ。いまなら大陸から直接ハックしたほうが、万が一の追跡も逃れやすいはずなのに、どうして香港からだったのか。これが、第一点目だ。

 次に敵が狙った場所だが、Webサーバーだった。初めに見た時は単なる愉快犯ゆかいはんだと思った。よくあるWebサーバーを書き換えてホームーぺージに国旗やメッセージなどを表示させるあれだ。ところが、ルーターの攻撃を見ていて、そうじゃないことがわかった。敵は明らかにWebサーバーを越えようとしていた。越えた先にはいろいろな設定ファイルがあるが、敵がそこまで到達できなかったので、結局何を狙っていたのかは不明のままだ。しかし、これで単なる愉快犯の線は消えた。

 そして最後。夕べ、中継サーバーからダウンロードした敵のデータ。俺は興味がないので単にデータの確認だけに留めたが、あのデータの中に車の開発データがあった。それも他社のデータ、月産自動車の小型車のエンジンの設計図だ。すでに発売されている車種だったが、あんなものがなぜ敵のPCの中にあったのか。愉快犯ではないとすると、中国の車メーカーがらみと考えるのが妥当だとうだろう。

 これは蛇足だそくかもしれないが、敵のPCのグラフィックカードだ。なぜ開発中止になったカードが敵のPCに挿さっていたのか。それもちゃんと動作していたし、正規のドライバーも動いていた。システムの中のドライバー情報を見たが、mDIVIAの正規のデジタル署名がされたプロトタイプのドライバーだった。デジタル署名があるということは、インストールを前提ぜんていとして作られたものだ。個人でドライバーを作る場合はそんなものは必要ない。敵はどこからあのカードを入手したのだろう。開発が中止になり、発売もされていないカードなのにだ。

 関係性はまだ不明だが、あの車の男達だ。しかし、これは藤沢からの結果次第だろう。


 ここまで考えてもまだ、神崎のもやもやした気持ちが晴れることは無かった。考えれば考えるほど、謎が深まる感じがするのだった。

 そうこうしているうちに終業のベルが鳴った。特に仕事も残っていなかったため、神崎は帰り支度をしていると、伊藤からメッセージが届いた。

 暇なら飲みに行きましょうとの誘いだった。

 オッケーと返事をし、神崎は出口に向かった。



 少し繁華街はんかがいから外れた、伊藤とは何度か来たことがある居酒屋で飲んでいた。

 カウンター席なのだが、さほどうるさくなく、いい感じで飲める所だ。

 いつもはいているのだが、今日は少し混んでいた。

 伊藤と並んでカウンター席に座り、伊藤はビールからサワーに、神崎は日本酒を飲んでいた。

 プリペイドカードの話しになり、神崎はその仕組みを伊藤に説明した。

 いつの間にか神崎の隣の客が変わったようで、伊藤に向いていた神崎の後ろ側から声をかけられた。

 見た目の年は神崎と同程度に感じたその男は、どう見てもチンピラだった。

「へへへ。兄さん。随分と詳しそうですね。ちょっと話、聞かせてくださいよ」

 有無を言わさない雰囲気を出し、神崎に身を寄せてきた。


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