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白石という男

「ほれ」

「あざーす。ひひひ」

 神崎から渡されたカードを、伊藤はひらひらとあおぐようにしてからテーブルに置いた。

 空になったうどんとカレーの器の手前に肘をついて、伊藤が笑っている。

 午前中のハッキング事件の後、神崎に誘われた伊藤と白石の三人が、社員食堂で昼飯を食べている最中さいちゅうだった。

 白石が隣の伊藤の前に置かれたカードを覗き込んだ。

「何ですか? それ」

 不敵ふてきな笑いをする伊藤が、もったいぶるように、

「プリペイドカード」と、こたえた。

「それは、見ればわかりますよ」白石は三杯目の蕎麦そばをかき込みながら言った。

 伊藤は向かいの神崎を上目遣うわめづかいいに覗いた。

「言っちゃっていいすか?」

「ああ、構わない」腕組みしている神崎がこたえた。

 伊藤は横の白石に笑顔を向けた。

「にっひっひ。実はさあ。この中身、神崎先輩が入れてくれたんだよ」

「へー。いくら?」と、白石。

「一万円」

「ふーん。神崎さんって、そんなに金持ちだったかなあ」

 白石は伊藤の真意しんいが理解できないようだった。まあ、普通に考えれば当然だろう。

「ん? わかんない?」伊藤がニヤケながら問う。

「え? 何ですか?」と、言った後、さらに蕎麦をかき込む白石。

「これさあ。入れてもらうのに、俺、千円払ったんだよ」

「へー。じゃあ、九千円得しましたね」

「お前! にぶすぎなんだよ」とうとう伊藤がキレた。

「あ、え? どうして怒るんですか? 伊藤先輩」

「はあ……」頭を抱える伊藤。

 その間に白石は三杯目の蕎麦を食べ終わった。

「ごちそうさまでした」

 白石が手を合わせた。

 頃合ころあいを見計らって伊藤が口を開いた。

「だからさあ。神崎先輩は、自分のお金を入れたんじゃないの。自宅で、PCから入れてくれたの。わかる?」

「えっ? それってもしかして……」

「偽造だよ」と、神崎が言った。

「え――!」

 目を丸くする白石。

「やっとかよ……」

 伊藤がひたいに手を当て、あきれた。

「神崎さん! 犯罪じゃないですか! ヤバいですよ。他の人は知ってるんですか?」

 あわてた様子の白石。

「いいや。伊藤だけだ。あ、いまからお前もだな」

 さらっと言う神崎。

「ええ……」

 白石の表情が曇る。

「まあ、派手にやってるわけじゃない。ちまちま伊藤など、知り合いに渡してるだけだ」

「そうなんですか……」

「なんだよ。良心りょうしん呵責かしゃくに耐えられないのか?」

 神崎は薄笑いを浮かべた。

「いえ……そういうわけじゃあ……」

 うつむく白石。

「なんだよ白石。お前、気が小さすぎるんだよ」

 伊藤が白石の肩を叩いた。

「そういう問題ですか?」

 横目で伊藤を見る。

「何ならお前もチャージしてもらえよ」

 その言葉に白石は激しく首を振った。

「俺はいいです」

「ふーん。つまんねーの」

 伊藤は前を向いて口をすぼめた。

 神崎は白石を見つめていた。白石はハッキングのみならず、いろいろな才能があるのに、この気の小ささのために実力を発揮できないでいる。反対に伊藤は大らかだが、いかんせん知識が無さ過ぎる。二人共、足して二で割ればちょうどいいんだけどな。などと考える神崎だった。


「あ、そうだ。伊藤。午前中、敵からダウンロードしたデータな。明日、会社に持って来るって小室課長に伝えといてくれ」

「了解です」

「神崎さん。あのデータって、どこに落としたんですか?」

 白石が尋ねた。

「俺の中継サーバー」

「ああ、そうだったんですか」

 横から伊藤が、

「そりゃそうだよ。会社のPCにダウンロードなんてできないだろう」

「ええ。それはわかってるんです。だから、神崎さんの自宅とかかなあって、勝手に思ってたんです」

「さすがに、自宅にハッカーからのデータはちょくには落とせねーよ」と、神崎は言った。

「そうですよね」と、白石はうなずいた。

「まあ、対処はできるが、リスキー過ぎるな。俺んちだって鉄壁の守りじゃないんだよ」

「はあ……でも、俺はやられちゃいましたから……」

 と、白石はうつむき加減で言う。

「あっ。なになに? やられちゃったって何なの?」伊藤が聞いた。

「あ、いえ……なんでも……」

 白石はしょげ返るように神崎を見た。

「もう、言ってもいいんじゃねーの?」

 神崎は、少し呆れたように白石をうながした。

「はあ……」と、白石。

 突然、神崎が手を叩いた。驚いて顔をあげる二人。

「あ、ちょっと待て。タバコ吸いたいから外行こうぜ。な」と、言って、神崎は立ち上がった。

「いいっすね」伊藤も立ち上がる。

「はい」白石も同意した。

 食器を返却して、三人でビルの外に出た。


「ふあ――」

 ビルの玄関を出ると、神崎は背伸びをした。

 おもむろにタバコを出して火をつけた。

「あーあー。先輩。ここタバコ禁止っすよ」

 手をバタつかせ、あわてて周りを見る伊藤。白石は元気がない。

「いいんだよ。かたいこと言うなよ」

 そう言って、神崎は歩き出した。

 神崎の視界に黒塗りの高級セダンが見えていた。ビルを出たときからその車に違和感を覚えた神崎は、そっと横目で観察していた。

 ここはオフィス街。黒い車などいくらでも停まっている。しかし、運転席と助手席にスーツ姿の男が二人乗っている。その二人は、四菱重工の正面玄関を監視しているように見えたのだった。神崎は気づかれないうちに車のナンバーを記憶し、その場から歩き去った。


「ここ、入ろうぜ」

 そう言って、神崎はくわえタバコのままルノワールに入った。


 三人の注文が終わり、伊藤が言った。

「で? 何の話しか教えてよ」

 時間が経ったせいか、もじもじしていた白石がやっと重い口を開いた。

「……昔、僕が高一の頃なんですけど、PCのゲームにハマってる時期があったんです」

「ゲームって、エロゲ?」

「違いますよ。FPSです」

「あー。会社で千葉主任がやってるヤツ?」

「はい。もっと古いヤツですけど。当時、すごくハマってて、いろんな人と対戦してました。で、当時からハッキングとかにも興味があって、対戦してる人のPCとかをのぞいたりしてたんです」

「何で覗いたの?」

「PCのゲームって、チートツールが簡単に使えるんです。動きはヘタなのに、やたらキル数だけ多い人がいるんですよ」

「キル数って、殺した数ってこと?」

「そうです。だから、キャラクターを動かすのは自分でやって、AIMエイムはツールを使ってるんじゃないかって思ったんです」

「AIMって?」

「武器の狙いのことで、マウスで動かすんです。一般的には、その武器を発射することまで含めます」

「ふーん。そう言えば、主任もよくマウスをグリグリやって、エイムがあああって叫んでるよな」

「ええ。主任のあれ、ちょっとうるさいですよね」

「それで?」

「はい。そんなことを何度かしてるときに、偶然、神崎さんのPCを覗いちゃったんです」

「え――! じゃあ、お前のPC、オジャン?」

「いえ。その時は神崎さんなんて知らなかったんで、今まで通り覗いていたんです。神崎さん、気付いてるのに何も言ってくれなくて」

「おいおい。なんか、俺が悪いみたいじゃねーか」

 神崎はタバコを吹かしながら、半笑いで突っ込んだ。

「あ、いえ。そんなつもりじゃなくて。なんて言うか、神崎さんは始めから僕のハッキングなんて全部お見通しだったんです。それなのに、何も言ってくれなくて……」

「昔から神レベルだったのか、先輩は」

「それはもう。後から知ったんですけど、その頃はもう世界のハッカーとやり合ってたって聞きました」

「それで、ハッカーの神のPCを覗いて、どうなったんだよ」

「ええっと……」

「なんだよ。ここまでしゃべって口篭くちごもんなよ」

 伊藤が声を荒げた。

「すいません……。えっと、それで、いつもはしないんですけど……、その時、神崎さんのPCのドライブを……、たまたま覗いちゃったんです」

「たまたまって、本当は毎回他人のドライブ覗いてたんだろう?」

 ニヤけ顔の伊藤が聞いた。

「いえ! 本当に初めて覗いちゃったんです」

 白石は真顔でこたえた。

「ふーん。まあいいや。で?」

「はい。そうしたら、たくさんのドライブがあったんです。で、その中に……」

 うつむく白石。

「またかよ。ちゃんと言えって」再び伊藤。

「はい……。あの……、エロ動画がたくさんあったんです」

「そりゃあ、神でもエロ動画ぐらい持ってるだろう」

「ええ、でも、その量が凄かったんです。それで……好きなのを見つけちゃって、ダウンロードしちゃったんです」

「はあああっ! お前、それだって犯罪じゃねーかよ。さっきは人のことえらそうに言ってたくせによ」

 伊藤がのけぞって言った。

「すいません……でも、僕のは出来心だったんで……」

「ハッハッハッハ」

 突然、神崎が笑った。

 驚いた二人は神崎を見たが、白石はすぐにうつむいた。

「おい! で?」

 と、伊藤が急かした。

「いままでハッキングしても、だ、ダウンロードしても、見つかったことなんて無かったんです。バレないようにうまくやっていたんです。それが自慢だったんです」

 一気に早口で白状した白石。顔色が目まぐるしく変わった。

「やっぱり毎回やってたんじゃねーかよ。ハハハ」

 伊藤は大声で笑った。

 うつむいて口をつぐむ白石。

 笑いがおさまって、伊藤が再び聞いた。

「で、それからどうなったんだよ。神崎さんのPCハッキングして、エロ動画ダウンロードして、それで終わりってわけじゃないだろう?」

「はい……。それで、ダウンロードしてる最中に、突然、僕のモニターに神崎さんからのメッセージが表示されたんです」

「チャットで?」

「いえ。違います。チャットとかメッセージソフトとか、そういうレベルじゃないのは一瞬でわかりました。ゲームもOSの画面も全部消えて、真っ黒の画面の真ん中に白い大きな字で書いてあったんです」

「なに? どういうこと? お前のPCが落ちたの?」

「違いますよ。知らないうちに、僕のPCがハッキングされてて、メモリ上のOSかグラフィックドライバ()かが書き換えられたってことです」

「で? で? 何て書いてあったの?」

「もう、ビックリしたなんてもんじゃなかったんです。だってその後、三十分ぐらいは椅子から立てなかったですから。で、メッセージは、『俺のエロ動画全部やるから取りに来い』でした。その後すぐ、携帯に電話が着たんです。神崎さんから」

「ひょえー! 電話はこえーなー」

「はい。でも、メールに書いてあったからって」

 それを聞いていた神崎が説明した。

「ああ、それはな。白石のPCを逆ハックしてあさってた時に、メールソフトがあったんだよ。で、そいつに電話番号検索をかけてみた。そしたら相当昔のメールに書いてあったのが引っ掛かってさ。そこに電話したら、たまたま白石の携帯だったってだけだ」

「はい。昔、PCも携帯も買いたての頃のメールが残ってたんです。友達と初めてメール交換した時に、自分で書いた携帯番号が残ってたんです」

「そっか。ハッキングでバレたのかと思って、びっくりしたよ。で? 電話では何て?」

「はい。悪いことしたのに、神崎さん全然怒ってなくて、外で会わないかって言われました」

「うわー。何かそれも怖いよ。初めての電話で会うとか」

「ええ。でも、話してると、物凄くハッキングのこととかゲームのこともくわしくて、警察に言わないから会おうって言われて」

「おい。なんか、いろいろ抜けてんなあ」

 神崎はニヤニヤしながら、新しいタバコに火をつけた。

「あ……、はい……」

「え? なんだよ、白石。ちゃんと言えよ」

「うぅぅ……」白石の嗚咽おえつが始まった。

「まあ、じゃあ、俺から言うぞ。いいよな、白石」

 神崎が助け舟を出した。

「うぅぅ……はい」

「白石さあ、俺からメッセージを表示された時、その場でションベン漏らしたんだってよ。で、俺と会う決心がついたのは、警察とかじゃなくて、俺の持つエロ動画二十テラ分やるっつった時らしい」

「なんだってー! アッハッハッハッハ」

 伊藤の笑い声がルノワール中に響いた。

「うぅぅ……」


 当時、大学一年だった神崎が三歳年下の白石と初めて会った時、この白石のネットワーク知識とハッキングテクニックが、世界でも通用すると確信したのだった。それからというもの、白石を気に入った神崎が、彼の方から白石に連絡をするようになり、チャットなどでよく話をするような仲になっていった。それ以来、白石は神崎のことを『神崎さん』と呼んでいるのだ。白石が神崎の会社を受けたのも、神崎が強くすすめたからだった。

 白石が入社した時も、神崎は部長の黒岩に、白石を自分と同じ課にしてくれと強く頼んだほどなのだ。しかし、部長の力でも人事部には勝てず、同じシステム部にねじ込むのが精一杯だと告げられたのだった。

 過去、実際に白石と組んでハッキングをしたことは無かったが、先程、食堂で話をした限りでは、やはり白石は相手のハッキング手法を見破っていた。先輩の伊藤を立てるためにあえて言わず、自分は防御ぼうぎょしていたようだ。防御しつつも敵の偽装サーバーを神崎の次にやれた実力は、相当高いといえた。なにせ、白石の使っていた回線は通常であり、PCも業務用の最小限のPCだったのだ。対して、神崎は最高の環境で戦っていたのだ。それを考えると、白石の実力は神崎に迫るものあるように思えてならなかった。本気を出した白石を見てみたい。本気のこいつと戦ってみたい。そう思わせるほどの潜在能力を持っているヤツだと、神崎は常々(つねづね)思っていたのだった。






 [用語説明]


FPS【ファースト・パーソン・シューター】(一人称のシューティングゲームの総称)


※グラフィックドライバ(OSが画面に表示するためのドライバのこと)



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