極悪非道のウイルス発動
「ところで、白石。Webサーバー以降には入られてないだろうな」
少し表情を引き締めた神崎が語気を強めた。
「はい。大丈夫です。それと、対策班の未使用ディスクを使わせてもらってます」
白石もその神崎に呼応する。
「よし、その調子で頼む。あ、そういえばお前、偽装サーバーをいくつか潰したろ」
「はい。さっき神崎さんから偽装だって聞いたんで、いくつかやっときました」
「いいねー。仕事がはえーなー」と、笑顔をつくる神崎。
「へへへ。ありがとうございます」
白石も笑顔で笑った。室内に少し余裕の雰囲気が出てきた。
「オイ神崎! 俺もひとつ潰したぞ!」と、千葉が叫んできた。
「はい、わかってます。ありがとうございます」神崎がこたえる。
「よし。わかってればいいんだよ」
吐き捨てるように千葉が言った。
「先輩。ずっと見てるんですけど、わかりそうで、わからないんですけど……」
伊藤が辛そうに言った。
「そうか。すまないが、いまは答えを教えてる時間がもったいない。そろそろこっちのターンだからな」
「えっ! もうやれるんですか?」
伊藤が驚いた顔で神崎の方を振り返った。
「ああ。敵が新たな偽装サーバーを作っても、こっちは見つけ次第潰せる。それに、今度は国内の光につながっているPCの幾つかにウイルス仕込んで、俺の手駒にして敵本体を攻撃してるからな。敵にしたら日本の光専用回線からの攻撃は相当きついだろう。なにせ光ファイバーは日本の発明だし、現在の日本の光ファイバーは世界最高密度の一級品だからな。回線数と速度が違うんだよ。ネットで日本をなめるハッカーがいたら、俺が許さない。俺の全ての力と日本の回線を使って必ず潰す。おっと、そろそろいけるぞ」
「お願いしますよ、先輩。やっちゃってくださーい」
神崎は白石の後ろで立っている小室の方に顔を向けた。
「課長。ターゲットロックオン完了しました。クラッキング仕掛けていいすか?」
「よし。やってくれ。あっ、その前に神崎!」と、小室が叫んだ。
「はい? 何でしょう」
「敵のPCを壊す前に、何とかデータを抜き取れないか?」
「できますよ」
あっさりこたえる神崎。
「そうか。なら、すぐに抜けるところまでで構わないから、できるだけ抜いてくれ」
「了解です。じゃあ、ハッキングに切り替えます」
モニターに向き直り、コマンドラインにハッキング用のウイルスプログラム名を打ち込む神崎。
「頼んます、神崎先輩!」と、伊藤。
「やっぱり仕留めるんですね、神崎さん」と、白石。
「まあ、好きにしろよ」と、主任の千葉。
右手をモニターの上まであげ、左の口角がギュっと釣り上がり、いままでにない異常に怪しい歓喜の眼差しで、コマンドラインを見つめる神崎。
そして、息を吸い込んだ。
「問答無用のウイルス発動…………するしかねーな」
あげていた手を振り下ろし、その勢いのまま中指でエンターキーを叩いた。
コマンドラインに表示されていたウイルスプログラムが、コマンドライン・インタプリタによって実行され、世界中に散らばる千台の中継サーバーにウイルスデータが送られた。
中継サーバーを通ったデータが敵のPCに向かって一斉に送信されてゆく。一台のPCに千台からのデータ送信。敵の帯域を目一杯使いデータが押し寄せる。一台では処理しきれない通信量に、たちまちオーバーフローを起こしていく。それでも矢継ぎ早に送られるデータが、PCのメモリを侵食していった。
時間にして数秒。データは再構成され、新たな最強のウイルスに変容して、瞬く間に敵のPCの実行メモリに展開された。ウイルスによりOSのカーネルが書き換えられ、次にディスクIOドライバが書き換えられた。それによって、システムディスクのブートの書き換えも完了した。
OSの最も重要な部分のカーネル、ディスクに対して読み書きするために必要なディスクIOドライバ、システムディスクの始めに読み込まれる部分のブートセクター。この三つの書き換えが完了したということは、敵のPCは完全に乗っ取られたことを意味する。
コマンドラインにOKが表示され、改行したカーソルがブリンクした。
それを見た神崎が報告する。
「敵のPCは一分後に強制再起動します。再起動して立ち上がってきたら、遠隔リモート完了です」
「やったぜー! 先輩!」
歓喜の表情で拳を振り上げる伊藤。
「恐ろしすぎますよ、神崎さん」と、白石。
「まあ、犯罪のハッキング能力だけは高いからな、お前は」
と、千葉も薄笑いを浮かべた。
「立ち上がってきたら、構成が丸見えになるんで、データの量がわかります。抜き取る量にもよりますが、おおよその時間が計算できますよ」
小室に向かって神崎が報告した。
「おお、そうだな……」
小室はそわそわしながらも嬉しそうにしている。もし成功すれば、システム部の中でも相当株が上がるだろうとの期待感がありありと伺えた。
「あっ。敵のアタック、消えました」と、白石が言った。
「再起動かかったな」神崎が言った。「立ち上がったら、すぐにわかりますよ」
「頼むぞ、神崎」
両手の拳を硬く握り、それを唇に運ぶ小室。
「あ、きたきた」
神崎がニヤリと笑った。
「やったか」と、小室。
「はい。えーっと、ちょっと待って下さい……」神崎がキーを叩きながら言った。「ああ。以外に少ないですね」
「どのぐらいだ?」
「えー、システムに使っているのはSSDです。百二十八ギガをワンドライブ仕様ですね。データドライブもSSDで、こっちは五一二です。それと、USBメモリーが六十四ギガ……。おお、いいグラフィックカード積んでるなあ。あれ? でもこのグラフィックカードの型番は見たことないなあ……」
次々に敵のPCの構成を伝える神崎。
「おお、そうか。それなら全部いけそうだな」と、喜ぶ小室。
「あ、ひとつやっかいなのが……、HDDがあります。二テラっすね」
「うぅん、くそ……」
「こいつだけ中身見てみますね」
コマンドラインにコマンドを入力し実行する神崎。画面にいくつかのディレクトリとファイル名が表示された。
「あ、大丈夫ですよ。中身はほとんど空です。コイツからはファイルだけ頂いちゃいますね」
「そうか、よし!」
小室の表情が明るくなった。
キーを叩き続ける神崎。全員が神崎の姿を見つめていた。
手を止めた神崎が、モニターから顔を上げて言った。
「よーし。データ、全部頂きました」
「よくやった神崎」
神崎の後ろに来ていた小室が神崎の肩を叩いた。そして、腕時計を見ていった。
「時間も丁度十分だな」
「じゃあ、やっちゃっていいっすか?」
神崎が小室に確認する。
「ああ、好きにしていいぞ」と、小室が笑顔でこたえた。
「了解」
「先輩。へへへ、どうするんですか?」
神崎のもとにやってきた伊藤が、なぜか嬉しそうに聞いてきた。
「んー。とりあえず、セオリーどおり、システムとデータのSSDは物理フォーマットだな。USBメモリーもな。HDDはファームを書き換えてアクセスできないようにしておく。すぐにバレないようにBIOSの先頭に再帰処理を仕込んでおけば、まあ、大丈夫だろう」と、神崎がこたえた。
「うわー。容赦なさ過ぎで、笑っちゃいますね。ハハハ」
伊藤は大げさに笑った。
「なんかちょっと可哀想ですね」
白石が眉をさげた。
「うちのシステムにハッキングかけたんだ。そのぐらい当然だろう」と、千葉が腕組みして言った。
小室は自分の椅子に深々と腰掛けて、みんなの様子を見ながら満足げに微笑んでいた。この笑顔は、自分の手柄への喜びなのだろうと、神崎は思った。
「ほんじゃあ、俺のスペシャルプログラム使うかあ」
笑顔の神崎はキーを叩いた。
コマンドラインにはフォーマットプログラムが入力待ちで停止していた。下の行に入力待ちを示すカーソルがブリンクしている。
「これは何ですか?」
伊藤が尋ねてきた。
「ここに入力した文字列でフォーマットするんだよ。何でもいいんだ。打ち込んだ文字列で先頭から最終セクターまで埋められる、それも全トラックな」
「へー、面白いっすね。普通は『0000』とか『0F0F』とかですよね」
「ああ、普通はそうだ。コイツは大昔にフロッピーのテスト用に俺が作ったんだよ。それを高速化してディスクにも対応させたやつだ」
そう言いながら、神崎は文字を打ち込んだ。
それを見ていた伊藤が再び聞いてきた。
「え? KANZAKIって?」
「俺の名前だよ。これでSSDの中を埋めてやる」
神崎がニヤリと笑った。
「うひゃー! ディスクがぜーんぶ、神崎先輩の名前で埋まるんすかー。ちょっと引きますね。ハッハハハ」
伊藤が笑った。
「自分のディスクがそんなになったら、お祓いしてから捨てるかも……」
白石が恐怖の表情で呟いた。
「ほんじゃまあ……ポチっとな」
掛け声と同時に、神崎はエンターキーを押し込んだ。
「あーあ。やっちゃったー。アッハハハハ」
室内に伊藤の笑い声が響き渡った。
敵のPCは静かに死を迎えた。現在はメモリー上のOSで正常に動いているが、電源を落としたら最後、BIOSに書き込まれた再帰処理のため、再び立ち上がることが出来なくなっていた。ROMを代え、なんとかBIOSが立ち上がっても、システムディスクとデータディスクは神崎の名でフォーマットされてしまっている。HDDはデータは辛うじて生きているが、それを読み出すファームウェアが死んでいる。
前回まで普通に使えていたOSのSSDもデータSSDも、復旧はかなり難しいだろう。
神崎は獲物を仕留めた喜びを、その瞳の奥の怪しい輝きに変えていた。陶酔に似たこの感覚を、久しぶりに味わう神崎だった。
[用語説明]
フォーマット(初期化すること。単にフォーマットといった場合は一般的に使える状態にすることを示すが、物理フォーマットの場合は完全な初期化のことを示す)
※再帰処理【さいきしょり】(元は、C言語の用語。ある関数が自分自身を呼び出す処理のこと。自分で自分を呼んでいるので、通常は処理の途中に自分から抜け出す命令を書かなければならない。作中で使った再帰処理は、その抜け出す命令なしのものを指す。従って、コンピュータは永遠に同じ処理を繰り返すことになり、そこから先の処理ができなくなってしまう。人間から見るとコンピュータが何も受け付けなくなり、止まっているように見える。BIOSにそのような処理があると、BIOSロムを交換しなければならなくなる)
HDD【ハード・ディスク・ドライブ略】(大容量の記録装置)
SSD【ソリッド・ステート・ドライブの略】(HDDより高速な記録装置)