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取引

 地元の警察署に連行されるのだろうと思っていたら、警視庁に連行された。

 地下の留置場に入れられた。

 すぐに取り調べが始まるものと思ったが、警官が来たのは相当後になってからだった。

 手錠とひもにつながれたまま、廊下やエレベータに乗せられた。

 そして、連れて来られたのは、公安だった。

「そこに座れ」

 一人の男が言った。

 この部屋にいる二人は警察官には見えなかった。ここはドラマなどでよく見る取調室のようなところではなく、小さな会議室のようなところだった。部屋に入ると手錠ははずされた。

 長テーブルが四角にならべられ、周りにパイプ椅子が並んでいる。

 神崎は指定された一番奥のテーブルの角の席に座った。

 相手は角をはさんで向かいに座る。ガラの悪そうな男だった。

「お前、いろいろやってくたなあ、オイ」

 その男が威嚇いかくしてきた。まるでチンピラだ。

「罪は全部認めますよ。刑務所でもブタ箱でも入れてください」

 観念し虚脱きょだつしている神崎はテーブルに視線を落として言った。

「刑務所とブタ箱は同じだ、バーカ。あのな、お前。警察おちょくってんの? 日本の警察ナメんなよ、オイ」

 顔を上げてチンピラ男をよく見ると、年は神崎より少し上ぐらいに見えた。

 チンピラ男の後ろに座るもう一人の男は四十前後だろうか、神崎の一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくを観察するような目つきを向けている。

「……俺の罪ってなんになるんですか?」

 チンピラ男に質問した。

「お前さあ。警察のサーバーに入ったろ? 捜査資料改竄したよな?」

 神崎は返事をしなかった。チンピラ男の顔を見ていた。

 こんな男が警察官なのか。こんなチンピラみたいな男が。そんなことを思う。

「お前終わりだぞ。大企業に勤めてんのによ、せっかくのキャリアがパアだな」

 神崎が返事をしないと、チンピラ男も何も言わなくなった。

 しばらく腹の探り合いのような沈黙が続いた。


 突然、ノックとともに扉が開いた。

 スーツを着た五十ぐらいの男と、なんと黒岩が入ってきた。

 その五十男が二人の男に言った。

「お前たち、しばらく出ろ。二人だけにしてやれ」

「ちっ」

 舌打ちしたチンピラ男と四十男が連れ立って部屋を出て行った。

 それを見送った五十男が黒岩に向き直って言った。

「少しの時間しかあげられませんよ」

 頷く黒岩。

 五十男はしかめ面を残して、扉を閉めて出て行った。

 黒岩がチンピラ男が座っていた椅子に急ぐように腰をおろした。

「神崎。いいか、よく聞け」

 いつもより抑え気味の声で諭すように話を続けた。

「時間があまりない。俺がここに来れたのは何人もの政治家を使ったからだ。何度も使える手じゃない。いいか。だからよく聞け。過去は考えるな。これから先のことだけを考えろ。もし、裁判沙汰(ざた)になってお前の罪が確定したら、お前のキャリアは終わってしまう。いくら優秀なお前でも前科ぜんかがついたら上にはあがれない。それはわかるな。お前は将来、うちを背負ってたつ人間なんだ。俺がお前を引き上げてやる。どこまでも上にあげてやる。お前には才能がある。お前を見てきた俺にはわかる。いいか。だから、いまは我慢するんだ。我慢をして戻ってくるんだ。よく聞け神崎。あいつらはお前に条件を出すはずだ。俺からは言うなと言われた。だから、十年我慢しろ。いや、五年だ。絶対に五年で俺がどうにかしてやる。五年たったらお前を引き抜く。そしてまた四菱重工に戻してやる。だから五年だけ我慢しろ。お前ならできるはずだ。いいな神崎」

 黒岩の目にいつもの豪腕さはなかった。ただ、神崎を納得させようとする意思だけを感じた。

「部長」

 神崎は呼んだ。

「なんだ」

「藤沢には辞令でたんですか?」

「馬鹿野郎、なにを心配してるんだ神崎。ああ、出たぞ。あいつは今日、真っ赤なスーツを着てきやがった。嬉しそうにしてたぞ。だが、お前が発令式に出ないから俺にしつこく聞いてきた。すごく心配してたぞ。カゼでもひいたんだろうと、いまは誤魔化してきた。俺はその後すぐに政治家のところに行ったからな」

 神崎は微笑して、少し考えて言った。

「部長。さっきの話、まったく理解できませんが、話の内容は覚えておきます」

「いいか。過去は考えるな。やってしまったことも忘れろ。将来のことだけを考えるんだ。お前の夢のことだけを考えろ。絶対にお前にはできる。俺はお前を信じている。いいな神崎」

「はい」

 神崎が返事をすると扉が開いて、さっきの四十男とチンピラ男が入ってきた。

 扉の向こうには五十男が立っていて、黒岩を呼んだ。黒岩は神崎の目を見た後、出て行った。

 今度はチンピラ男は扉の近くに座り、四十男が神崎の向かいに座った。小脇に書類を挟んでいる。

 鋭い視線を向けてくる四十男。

 ゆっくり口を開き、息を吸い込んだ。

「なあ神崎。お前にひとつ条件をやる。どうだ?」

 神崎は四十男を見つめた。

「条件? どんな」

「もし、我々に協力するなら、今回の罪は見逃してやる。どうだ」

 この四十男はほとんど動かず表情も変えずに話す。不気味な男だった。

「どうだって、何を協力するんですか」

「お前のハッカーとしての能力を借りたい」

「どういうことですか」

「お前、日本のために働かないか」

「日本のためって何ですか」

「公安に入らないかってことだ。もちろん警察官としてじゃない。ハッカーとしてだ」

「ハッカーとしてって、公安ってハッキングもするんですか」

 四十男はしばらく黙って神崎を見た後、再び口を開いた。

「なあ。いまの時代、スパイはなに使ってると思う。無線機だと思ってるのか?」

「わかりませんよ」神崎は吐き捨てるようにこたえた。

「便利な時代になったよな。だからだろうが、いまは全てがコンピュータだ。ヤツらが使うのも全部がそうだ。何から何までIT技術。それもローテクから最先端まであらゆるものだ」

「そうなんですか」

 神崎は興味なさげに言った。

「ハッキングなんてもんじゃない。こいつはもう戦争なんだよ」

 四十男は初めて語気を強めた。

「戦争?」

「ああそうだ。どうだ。条件をのむか」

「俺は……」

 と、言って神崎は考えた。さっきの黒岩の言葉を。

「もし断ったら、お前は一生刑務所だ。いいな。何せ俺たちに喧嘩うったんだからな。こっちも総力をあげてお前を抹殺しないといけない。メンツがあるからな」

「メンツのためですか……」

「当たり前だ。メンツが大事だからな。この警察ってやつは」

「そんなもんなんですか」

「お前も入ってみればわかるよ」

「ふーん」

 いつものくせでつい生返事をした神崎。

「どうするか決めろ」

 男は脇に挟んであった書類をテーブルの上で開いた。

「決めたら、これに署名と拇印ぼいんを押してもらう」

「なんですか? これ」

 そう言って、神崎はその書類を覗き込んだ。

「お前の供述調書だ」

「俺、供述なんてしてませんけど」

 神崎は顔を上げて四十男を見た。

「こっちで作ったんだよ。お前と同じだ。これで起訴すればお前は一生刑務所だ」

 それを聞いた神崎は、全身の力をぬいて背もたれに背中を叩きつけた。

「そういうことっすか」

 神崎はそう言葉を吐き、四十男をさげすんだ。

 後ろのチンピラ男は鼻で笑った。

 四十男は初めて薄く笑った。

「どうする。神崎」










「あーああ、あじーなあ……」

 真上から照りつける太陽に焼かれて、手で目にひさしを作った。

 あの日から三ヶ月が経った。

 乗ってきたタクシーが陽炎かげろうの中を走り去っていく。

 ふたりの男たちが歩き出した。


「お前は容赦しねえなあ。あいつら国に帰ったら粛清しゅくせいされるかもしれねえなあ。まあ、せっかく苦労して盗んだ日本の国家機密のデータ、全部消されたんだから仕方ねえけどな……。それにしても、あのときのお前の目、生き生きしてたなあ。怖いぐらいにな……」

 男は咥えていたタバコを地面に落とし、靴で踏み潰した。そして、再び歩き出した。

「随分と時代も変わったと思わねえか。十年前までハッカーなんて社会のゴミだと思われてた。それが現在はどうだ。国がハッカーを高給で雇い、相手の国を探るようになっちまった。スパイだってそうだ。各国のスパイにハッカーが相当数居るようになっちまってる。軍隊に至ってはサイバー軍なんてのもできちまった。米軍だと二万人規模だ。今年からはその倍にするって話だ。人民軍なんて三万人とも五万人とも言われてやがる。自衛隊も先ごろやっと百六十人体制でのサイバー部隊が発足した。現在インターネット上で各国のサイバー軍がハッキングで電子戦を戦っている。銃を使わないってだけで、まさに戦争だ。いまは第三次世界大戦の真っ只中なんだよ。もう、この世の中、ハッカー無しじゃやっていけなくなっちまった。俺の若い頃なんてインターネットもなかったんだぜ。あってもせいぜいパソコン通信だ。インターネットが一般公開されたのが1995年。みんなUnixでやってたもんだ。当時のWindowsなんてネットにつなげねえからな。本当に時代は変わった。社会のゴミといわれていたハッカーが、いまや高給で雇われる時代なんだからな。中には年間数億稼ぐヤツなんてのもいる。あの頃だれが想像したよ、ハッカーが億稼げるなんてよ。欧米なんかじゃハッカーは憧れの職業になっちまってる。それも尊敬される職業だってよ。笑わせるぜ。ハッカーが立派な職業なんだからな。でもよ、日本でも前よりはずっとハッカーの地位は上がったもんだよな。なんてったって、社会が俺たちを必要としてくれてんだからな。まったく世の中ってのは、どうなるかわかんねもんだな」

 横断歩道で立ち止まり、男は手を上げ、先に戻ると言って左に折れた。


 国会議事堂の前。タバコを出して火をつけた。

「君!」

 警官が近づいてくる。

 内ポケットから黒い手帳を出して警官に見せた。それを見た警官は途端に立ち止まり敬礼をする。

「ご苦労さまです!」


「ああ、おつかれ……」


 気だるい返事をした神崎は、炎天下の中を歩き出した。



―――― 完 ――――



最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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