神崎零
「うわ――! 瞬殺だ――!」
伊藤が叫んだ。
白石がうな垂れた。
神崎と白石は自ら作ったプログラムを対策室で戦わせていた。
戦いが終わって、それぞれ作ったプログラムのリストを交換して見ていた。
「神崎さん。こういう命令つかうの卑怯ですよ。これだと十倍ぐらい早くなっちゃうじゃないですか」
神崎のリストを見ていた白石が涙目で訴えた。
「そんなことないぞ。白石も使えばいい」
神崎は笑顔で白石に言った。
「だけど、組んでる時に思いつかないんですよ、こういう組み方って」
「もっと人のプログラム見てたくさん組めば、思いつくようになるよ」
「こんな風に値を十六倍する時に四シフトとか考えられませんよ。僕なら素直に十六掛けちゃいますよ」
「それは意識して組まないとダメだぞ。加減算ならまだいいが、掛け割りはできれば使わないようにしないとな。あとはレジスターは最大限使え。めっちゃ早くなるから。白石はメモリで計算するから遅いんだよ。面倒でも一旦レジスターに入れてから計算すればかなり改善するぞ」
「神崎さんみたいにプログラム組む時にクロックとか気にして組めないですよ」
「スピード命で組めばいいんだよ。ははは。それにワンクロックでも早ければ勝てる時もあるからな」
神崎はそう言いながら白石のリストを見て驚いた。
「おい白石。最初にこのMOVE命令で俺の先頭番地に書き込もうとしたのか?」
「はい。でもダメでした」
ダメではない。白石の始めのMOVE命令で神崎のプログラムはやられていた。MOVE命令とはメモリに直接値を書き込む命令だ。
もし、うまくいっていれば、神崎のプログラムの先頭の命令が書き換えられて、全てのプログラムが滅茶苦茶にされるところだった。たまたま神崎が先行だったため不発に終わっただけだった。
初めに入れたメモリ直書きのMOVE命令に神崎は正直驚愕していた。
しかし、対策がないわけでもない。神崎の最初の命令がNOP命令なら生きれるのだ。NOP命令とは何もしない命令。CPUはNOP命令があると何もせずにポインターを次に進めるだけだ。従って、NOP命令の次の命令が実行され、神崎のプログラムは被害が無く、白石の攻撃がかわせるわけだ。
それでも、一番最初の命令で神崎を殺しに来た白石の度胸と底知れぬ冷徹さを神崎は見たような思いだった。
やっぱり、お前とはガチでやってみたいな、白石。
「よし。今度はICEでブレークポイントはって一命令づつ見てみようぜ」
神崎が嬉しそうに言った。
「うぅぅ。これで見られると僕の失敗したところを見られちゃう」
「それが面白いんじゃないか、白石。ははは」
「うぅぅぅ……」
自分の席に戻ると、菊池課長が笑顔で話しかけてきた。
「神崎君!」
「はい。なんか嬉しそうですね」
神崎も笑顔を返した。
「ああ。あのレポート。大成功だったよ。あのまま採用すると言われたんだよ」
満面の笑みで報告する菊池。
「よかったですね」
「君のおかげだよ。お、そうだ。おっパブいつ行く? ん? 今日行っちゃうかー? 神崎君!」
神崎は思った。いつもはほとんど笑わない菊池が満面の笑みで笑っている。
神崎のおかげではないのだ。いつも、素晴らしいシステム商品を開発している菊池だからこそ、今回の神崎のレポートも採用されたのだ。
この会社の顧客はコンシューマではない。企業であり、国であり、自衛隊なのだ。顧客相手はプロ中のプロなのだ。そのプロ相手に常に納得できる商品を開発してきた菊池だからこそなのだ。
神崎はこの菊池の隣で、多くの新商品の開発を見てきた。神崎が考えられない商品を次々に提案するこの菊池こそが、このシステム商品開発課の要の人物なのだ。命をかけて戦う戦闘のプロが使っても満足できる商品をこれからも開発し続けるであろうこの菊池。この人あってのシステム開発課なのだ。
神崎は部長秘書室に来ていた。
漆黒の机に向かう藤沢は、新しい上品なワンボタンの黒いスーツで身を包み、微笑みをたたえてタブレットを操作していた。
「一体何着スーツ買ったんだよ」
神崎は笑顔で質問した。
「五着よ」
顔を上げてこたえる藤沢。
「そんなに買ってどうするんだよ」
「だってこれからいろいろあるでしょ?」
「何が?」
「辞令交付式でしょ? その後の秘書課での祝賀会でしょ? 打ち上げでしょ? それから、取引先でもいろいろあるでしょ?」
宙を見て指折り数える藤沢。
「そんなにあるのか」
神崎は目を丸くした。
「そうよ。だってこの年で主任なんて普通ありえないもん。先方に行ったら絶対に何か言われるわ。それに私のこと、きっと優秀な人なんだって思うはずでしょ? うふふふ。その時やっぱりいいスーツ着てたいじゃない?」
誇らしげに話す藤沢。
「まあ、そうかもな」
自らのことを話す藤原が可愛く見える神崎だった。
「あ、そうそう。美恵子に言われたんだけどね。篠原主任が神崎さんに何かお礼したいって」
「お礼? なんで?」
「知らないわよ。自分で聞いたら?」
「げっ。それはパスだな。親近感はあるんだけど、やっぱちょっと怖いしな、あの人」
「うふふふ。言っちゃおーっと」
「ばか。絶対やめろよな、そういうの」
「うふふふ」
神崎は笑う藤沢を見つめた。
「なあ、藤沢」
「なに?」
神崎を見る藤沢。
「今度二人で栄転祝いでもするか?」
「へ?」
藤沢は動きを止めた。
「いいか?」
「は、はい」
藤沢は動きをとめたまま返事をした。
「よし、じゃあ、どっかのレストランでも予約入れておいてくれよ。俺が奢るからさ」
「り、了解です」
突然、敬礼をした。
「なんか、急に硬くなったな」
神崎は笑って藤沢に言う。
「べ、べ、別にっ。ふ、普通よ」
横を向いてこたえる藤沢。
「なあ……、藤沢」
神崎は改まって藤沢を見つめて、静かに呼んだ。
「は、はい」
横を向いたまま返事をする藤沢。
「俺が彼氏になったらさ……、そのおっぱい揉めるのか?」
神崎は微笑んで藤沢に聞いた。
「えっ!」
驚いて神崎に顔を向ける藤沢。そして、頬を染めた。
「おっ……、う、うん。ももも、揉めます。いっぱい」
「そっか、楽しみだな」
神崎はいままで一番の微笑みを藤沢に返した。
「は、はい。わわ、私も、た、た、楽しみです」
その時、部長室の扉が開き、黒岩が出てきた。
「お、神崎。いい時に来たな」
「はい部長。お疲れ様です。お邪魔してました」
「うむ。神崎! 藤沢! 来週、いいスーツ着て来い。わかったな」
「はい。ありがとうございます。部長」
神崎は礼をして言った。
「わかりましたあ」
藤沢は飛び上がって言った。
「よし。二人共、俺に恥かかすなよ。藤沢、タブレット持ってこっち来い」
そう言って、黒岩は部長室に戻った。
「はい。部長」
藤沢は飛び跳ねるようにしてタブレットを胸に抱いて神崎の方を向いた。
そして、いままでで一番のウインクを神崎に投げかけて、可愛い微笑みを見せるのだった。
日曜の深夜零時。
モニターに流れる文字を神崎は見つめていた。
その中にCBという文字が見えた。
神崎はキーボードを叩いた。
――CBか?
――やあ、KR。元気か?
CBだった。
――元気だ。
神崎がこたえる。
――何してたんだ?
CBが聞いた。
――お前を探してたんだ。CB。
――そうか。光栄だよ。KANZAKI。
――知ってたのか?
――初めは、わからなかった。しかし、最後でわかったよ。
――どういう意味だ?
――スパイの話をした時さ。
――なぜ、わかった。
――頭のいい君は最後にミスを犯した。バックドアの為に、と聞いてきた。あれはミスだったね。私は気付いてしまった。君が神崎だとね。君はハッキングは知らないと言った。しかし、スパイを使ってバックドアを仕掛けるハッカーの手口を知っていた。ハッカーではない君に、その質問はありえない。それに、KANZAKIの名に興味がないのもおかしいと思っていた。世界中でKANZAKIの名に興味がないのは本人だけだからね。
――そうか。うかつだった。
――ははは。君らしくなかったな。KANZAKI。
――俺のことはKRと呼んでくれ。CB。
――OK。敬意を込めて呼ばせてもらうよ。KR。
――ありがとう。CB。
――三年ぶりに君と話せて光栄だよ。KR。
――俺もだ。
――私は君のおかげで成長できた。お礼を言うよ。ありがとう。KR。
――成長したお前と話せて嬉しいんだ。どうだろう、今度、俺と戦ってみないか?
――ははは。冗談はよしてくれ。KR。私は君を尊敬している。戦えるはずがないだろう。
――俺は強くなったお前と戦いたいんだ。頼む。CB
――NO。もう私は三年前の私ではない。ビジネスマンなんだ。金にならないことはしないよ。
――わかった。残念だ。だが、いつかどこかで会えるかもしれないな。CB。
――だといいな。KR。
――そういえば、ドイツとの取引は終わったのか?
――もちろんだ。大金が入ったよ。私はこれからバカンスなんだ。
――なるほど。正体がバレた俺の立場で、おめでとうは言えない。
――気にしないでくれ。KR。私は君に自分の成功を言えるだけで幸せなんだ。
――そうか。いつか日本に来たら、会えるかもしれないな。
――その時は連絡するよ。KR。
――ああ、そうしてくれ。CB。
――KR。妻が帰ってきたようだ。楽しかったよ。ありがとう。
――俺もだ。楽しかった。CB。
神崎はタバコを吸った。いつもの窓辺で。椅子に座って夜景を見ながら。
夜景は変わらなかった。いつも、窓の外に見えていた。
明日は新しいスーツを着ないとな。
壁にかけてある買ったばかりのスーツを見ながらそう思った。
朝の五時にインターフォンが鳴った。
眠い目を擦りながらインターフォンに出ると、荷物の配達だという。
神崎はオートロックを開け、玄関の鍵を開けて待った。
しばらくすると、玄関の呼び鈴が鳴る。神崎は玄関を開けた――
「神崎零だな。警察だ。君を逮捕する」
大勢の警官が神崎の部屋になだれ込んできた。
なにかの紙を読み上げられ、手錠を掛けられた。
「君を連行する」
神崎は大人しく従った。恐怖は感じたが、自分では驚くほど冷静だった。
手錠を掛けられた瞬間、腹を括った。仕方が無いさ……。
突然押し寄せる罪悪感。いままでやってきた数々の行い。
俺の罪は深いんだろうなあ……。そう思った。
両脇を抱えられ、外に出た神崎の見た五月の澄みきった青空は、いままで見た空の中で最高に綺麗で、そして、最高に澄みきった青空だった。
きれいなそらだなあ…………。そう思った。
[用語説明]
ブレークポイント(プログラムの実行を一時的に止める場所のこと。ICEを利用すると止めた場所でレジスターの値やメモリの値を見ることができる)




