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守るもののために

 目的のビルの下調べを終えた神崎は、会社に戻り計画を確認していた。

 ノートPCで必要な情報を探り、必要ならそれをスマホにダウンロードした。

 三日掛けて情報を念入りに調べた神崎は、計画の実行を明日と決めた。

 夕方、電車を降りて帰路についた神崎のスマホが着信を知らせた。

 スマホに出るとチンピラの金田からだった。

『よお、兄さん』

「お前。なんで掛けてきた」

『おい、テメー。あの借りは必ず返してもらう。わかってるよな』

「借りもくそもない。電話してくんな」

『うるせー。いいか、借りは返してもらう。取れなった金は返してもらうんだよ』

「なに言ってんだ」

『お前の連れてた女。藤沢っていうんだろ? あいつに払ってもらうよ。ひっひっひ』

「おい、貴様!」

『黙れ! あの女は必ずいただく。どんな手を使ってもな。まあ、(さら)うのは簡単だけどな。で、フロで稼いでもらうさ。ひっひっひ。きっといい稼ぎになるよな。じゃあな』

 通話が切れた。

「あのやろー!」

 神崎は走った。玄関を開け部屋に飛び込んだ神崎はすぐにPCを起動した。

「くそっ! チンピラ野郎がーっ! チンピラ風情にナメられてたまるかってんだよ」

 藤沢をいただくという言葉に神崎は理性を失っていた。

 PCが立ち上がると、神崎はキーを叩き始めた。

 薄いパンタグラフのキーボードが軋む。

 お構い無しにキーを叩く神崎。

「あの野郎、抹殺してやる……」

 無意識にそう呟きながら、神崎はハッキングを仕掛けていた。

 いまだかつてハックしたことがない場所。禁断の場所だった。日本の公権力が集中する場所――

 ――警視庁。

「畜生が! まさか警察にハック仕掛けるとは思ってもみなかったぜ」

 悔しさと怒りを滲ませ、キーを叩き続ける神崎。

 心が引き裂かれそうになったとき、藤沢の顔が浮かんだ。

「金田の野郎ー! 許さねえ」

 キーを打ち続けて、最後の命令まできた。

 このコマンドを実行すればルーターが抜ける。神崎は迷わずエンターキーを叩いた。

「よし。ルーターは抜けた。後はサーバーだが」

 いままで見たことがない警察関係のサーバー郡。どこに何があるのかもわからない。

「仕方ねえ。ウイルス使うか……」

 そう呟きコマンドラインにウイルス名を打ち込む神崎。

 腕を上げて、神崎は言った。


「すまない。ウイルス発動…………するしかねーんだよ」


 腕を振り下ろしエンターキーを叩く。

 神崎のウイルスがサーバーに送られた。静かに侵入したウイルスが一つのサーバーに展開された。そこから無限に増殖ぞうしょくしていくウイルス。ウイルスがウイルス自身をコピーしてそれを他のサーバーに送り込む。それを警察ネットワーク全てにつながるサーバーに送り続ける。そして、送られた先のサーバーに展開し、そこから神崎の中継サーバーに情報が送られていく。神崎はそれに合わせて、データ受信をするためのプログラムを実行する。

 コマンドラインにそのプログラム名を打ち込みエンターキーを押した。

 コマンドライン・インタプリタによってそのプログラムが実行され、神崎の目の前の三面モニターに警察の全サーバーが視覚化された状態で表示された。

 驚くべき数だった。

 視覚化されたことにより目的のサーバーがすぐに見つかった。犯罪の捜査状況が入っているサーバーだ。

 目的のサーバーを見つけた神崎は、他のサーバー情報を全て消した。

 そして、最後にウイルスを消去しなければならない。

 コマンドラインにアンチウイルス名を打ち込む神崎。

 即座にエンターキーを押した。

 コマンドライン・インタプリタで実行され、先ほどのウイルス本体に向かっていくアンチウイルス。

 別メモリに展開したアンチウイルスはウイルス本体の実行メモリを消去していく。それが完了すると、アンチウイルス自ら自分の実行メモリをNULL(ヌル※)で埋めていく。自分で自分を消していくようにプログラムされたアンチウイルス。最後の一命令だけを残し、ウイルス本体もアンチウイルスも消滅した。


 神崎は目的のサーバーに入り、そこから絞込み検索を掛ける。

 入力欄に、思いつく項目を入れていく。

 現在未解決で捜査中であり、容疑者が暴力団関係者で、それがほぼ特定され逮捕状請求待ちの事件。

 何度か繰り返すうちに条件に合った事件がでてきた。

 ――風俗嬢ふうぞくじょう殺人事件。

 次に金田の情報がないので、それを調べることにした。

 犯罪履歴データベースにアクセスする。

 金田の苗字みょうじしか知らないので、おおよその身長、体重、年齢、顔の特徴などを入力していくと、三十人ほどに絞られた。顔写真付きで表示されたデータを一人ひとり見ていくと金田が見つかった。

 一年前の傷害事件で執行猶予がついて、その時の住所が載っていた。

 殺人現場と金田の住所が近いことを確認し、神崎は先ほど見つけた殺人事件の容疑者の情報を全て金田の情報で書き換えていった。

 最後に裁判所への逮捕令状請求予定日に明日の日付を書き込んでおいた。

 担当者ならデータが改竄かいざんされたのはわかるはずだが、前のデータは全て消去しておいた。

 改竄の事実を知りながら、金田を逮捕しなければならいはずだ。

 こんな手に日本の警察が引っ掛かるのか疑問だったが、もしダメだった場合の次の手を考えた。次は本当に銀行をハックして、大金を金田名義の口座に振り込む。それで逮捕されないなら、ヤクザの口座から金田の口座に全額振り込んで、ヤクザにタレ込む。

 そんなことを考えながら、神崎はタバコに火をつけた。



 翌日、夕食も取らずに帰宅した神崎は、早速機材が入ったリュックを背負い目的地に出発した。


 ここは都内の大きな高層ビル。権道が寄越したリストのキャリアに一番近いビルだ。

 最上階まで来た神崎は屋上に出るドアの前にいた。

 ポケットから手術用の手袋を出し両手にはめた。

 ドアに鍵穴ななく、代わりに電子ロックがついている。ドアノブの上の方に八桁の液晶がついて、テンキーパッドが下に埋め込んである。暗証番号を入れると解錠かいじょうされる物だ。

 神崎は威力の一番低いEMP爆弾とアルミホイルをリュックから出した。

 電子ロックとEMP爆弾をくっつけて、アルミホイルを何重にもかさねたものを被せてガムテープでとめる。最後に隙間が無いように四辺に慎重にガムテープを貼った。

 リュックを十メートル以上離れて置き、戻ってくると四角に貼ったガムテープから一本出ているリード線付きのスイッチを手に持った。

 よし、やるぞ……。

 スイッチを押した。バチバチと音がする。

 アルミホイルを破ると、電子ロックがオール0になり、ドアノブを回すと解錠されていた。

 慎重にアルミホイルとガムテープを剥がす。

 床にアルミホイルの欠片がないかどうかを確かめ、丸めたアルミホイルとEMP爆弾を手に持ちリュックへと向かう。

 リュックにそれらを入れ、背負って屋上に出た。


 塔屋とうやから屋上に出ると、巨大なアンテナが視界に入った。

 ここは、キャリアの基地局の電波塔があるビルなのだ。ここから携帯電話の電波の送受信がされている。

 電波塔の下に小さな四角いコンクリートでできた小屋のような建物があり鉄のドアがついている。

 ここは鍵がついておらず、すぐに開けられた。

 一辺が二メートルほどの中に入ると、配電盤のようなものが壁一面についていた。

 左端の一箇所にソケットがついており、そこに用意した部品を挿し込んだ。ソケットの上のLEDが緑に点灯し、これで準備が整った。

 実はこのキャリアでは、顧客情報の入ったサーバーはインターネットにつながっていないのだ。

 自社の電波を使って全国と結んでいる。本社は警備が厳重なので、神崎は近くの中継基地局をターゲットに選んだ。このビルは他社のビルで、キャリアはビルの屋上だけを借りて、電波塔を建てている。なので、ここはほとんど警備員がいなのだ。

 携帯の電波に乗っている通信に割り込めれば、本社の顧客情報にはアクセスできる。神崎の狙いはそこだった。しかし、外を飛び交う電波に簡単に割り込まれないように、電子キーが必要なのだ。本来はメンテナンス用で、電波でのデータ通信を診断するために電子キーが使われる。その電子キーは他社が作って販売しているものなので、その電子キー内部の暗号コードはインターネットからハッキングで取得できた。その暗号コードを組み込んだキーを先ほどのソケットに挿し込んだのだ。

 あとは、電波に乗っている通信に割り込みをかけるだけだ。

 神崎はリュックからノートPCを出して起動した。

 通信機器と変換機器もリュックから出して、その二つをつなぎPCに挿し込んだ。

「よし、これでいけるはずだ」

 神崎はPCで通信ネットワークアプリを立ち上げた。

 信号は良好だった。

 これで、いつも使っているインターネットと同じ環境が整った。

「通信プロトコルは違うが、三日掛けて勉強したからな。全部頭に入っている。さあ、いくぜ」

 神崎はキーを叩き始めた。

 インターネットを使わずに秘密の電子キーと電波を使っているという安心感なのか、ネットワーク上のセキュリティは驚くほど脆弱だった。

「なんだこれ? 簡単すぎるだろう」

 顧客情報サーバーに侵入した神崎は、以前入力しておいたスマホのデータを呼び出し、そのサーバーに照会をかけ始めた。

 初めの電話番号のデータがモニターに表示された。

「お、きたきた」

 すると、次の電話番号のデータが表示される。

 一件照会するのに約三秒かかっている。高速通信ではないので仕方が無かった。

「遅いけど、後は自動で見つけてくれてるな」

 PCが照会する間、暇なので屋上に出てみた。


 一服しながら、周りの風景を見渡した。

 夜景が綺麗だ。ビルの明かりが宝石のように光っている。

「やっぱり、日本はいい国だなあ……」

 ここで、思いっきり大声を出してみたかったが、ハッキング中なので控える神崎だった。

 証拠を残すことを恐れ、携帯灰皿に吸殻すいがらを入れた神崎は小屋の中に戻って行った。

 照会は全て終わっていた。

「よし。完了だな」

 機器をリュックにつめて、神崎はビルを後にした。



 家の近くまで帰ってきた神崎は夕食を食べていないことに気付き、近くのラーメン屋に入っていった。

 席に座って食事が出てくるまで、今日のことを考えていた。

「拍子抜けするほど、簡単だったなあ……」

 ネットワークでもっと苦労すると考えていた神崎は、そこが一番簡単だったことに落胆していた。

 本来なら簡単には破られないセキュリティなのだが、神崎にとっては容易に感じたのだった。

「あんなに簡単でいいのかなあ。俺だったらもっと複雑にするけどなあ……」

 と、他社の心配をする神崎だった。



 翌日、会社の廊下を歩いていると、藤沢とすれ違った。最近、新しいスーツを買ったようで、以前にもまして女に磨きが掛かったように感じた。

 部長から内示を受けてからの藤沢は、神崎に会うと嬉しそうに親指を小さくたてるポーズをするようになっていた。

 今日もすれ違った時に、親指を立ててウインクしていた。嬉しそうな藤沢を見ると、神崎もなぜか嬉しかった。そして、自分の栄転のことを思い出し、頬がゆるむのだった。



 そして、権道との約束の日がやってきて、先に着いた神崎はカウンター席でビールを飲んでいた。

 しばらくすると、権道が神崎の隣に座った。

「やれたか?」

 権道は前回と打って変わって、言葉に凄みを効かしてきた。

「ああ」

 神崎は鞄からUSBメモリー出して、カウンターに置いた。

「随分、小さいな」

 それをつまみ上げながら凝視している権道。

「この中に全部入ってんのか?」

「そうだ。百人分な」

 神崎は権道を見ずに前を見てビールを飲んだ。

「ほー……」

 繁々とUSBメモリーを見ている権道。

「どうやって見るんだ? コイツは」

「PCにでも挿せば見れる」

「アンタ。いま持ってるか?」

「ちっ」

 神崎は鞄からタブレットを出して、変換アダプタを通してUSBメモリーを挿した。タブレットに表示されたファイルを開いて権道に見せた。

「ほー。すげーな」

 権道はそれをニヤついて眺める。

「もういいだろう」

 神崎はUSBメモリーを抜いて権道に渡し、タブレットを鞄に突っ込んだ。

 権道はスーツの内ポケットから封筒を出してカウンターに置いた。

「金だ」

 神崎は黙って封筒を鞄に入れた。

「確かめねえのか?」

「ああ」

 神崎は鞄を閉めて、ビールを飲み干して帰ろうとした。

「ところでアンタ。随分怖いことするんだな」

 引き止めるように権道が話しかけてきた。

「何のことだ」神崎は持ち上げた鞄を隣の椅子に置いて返事をした。

「うちの金田な。警察に逮捕されたよ」

「へー。何で?」

 神崎は権道を見ずに前を向いて聞いた。

とぼけるなよ。アンタってこえーな」権道はタバコを胸ポケットから出し、それを咥えて火をつけた。深呼吸のように大きく吸って、最後まで吐き出した後、「でも、あんまりヤクザなめてると、痛い目あうぞ」

 神崎を睨みつけて凄んでみせた。

 神崎は鞄を持って立ち上がった。

 そして、藤沢の顔を頭に浮かべた後、全身から殺気さっきをみなぎらせて権道を睨み返して言い放った。

「俺の仲間に近づいたら許さない。お前らも、あんまりハッカーなめんなよ。じゃあ、これっきりだ」

 権道に自分の敵意を思いっきりぶつけた神崎は、硬い意思を示すように前を向いて権道を背にした。






 [用語説明]


※NULL(0のこと。コンピュータ用語では何も無いこと、または何も示さないことを意味する)



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