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闇からの誘い

 事件は一段落し、黒岩から内示をもらい、神崎は充実した日々を過ごしていた。

「ああ、とうとう兵器開発に行けるんだなあ」

 会社の自席に座り、ノートPCを前にして自分の夢を思い描く日々が続いていた。

 あの日から三日が経っていた。

「神崎君」

 隣の菊池課長が声をかけてきた。

 大会議室以来、菊池は元気が無かった。

「はい。何でしょう」

 神崎は笑顔を向けた。

「ちょっと、いいかな……」

 そう言って、元気のない顔を神崎に向けてくる。

「すまないが、いま会議室は空きがないんだ。君の対策室で話がしたいんだが、いいかな」

 対策室とは、フロアの隅にパーティションで区切られた小さな部屋で、対策班がいろいろな障害の再現などに使っている部屋だ。普段はほとんど使われないため、臨時の会議などにも利用されている。

 神崎はパーティションが上半分透明の対策室を見た。

「ええ。いまは空いてますから、行きましょうか」

 二人で対策室に向かったが、菊池の足取りは重そうだった。


 対策室に入り、菊池に椅子を勧めて神崎も座る。

「どういった話ですか?」神崎が切り出した。

「実はな……。次の対策会議に提出するレポートのことなんだ……」

 神崎はすぐに理解した。

「この間のハッキング事件のやつですか?」

「そうなんだ。前回提出したレポートは取締役から突っ返されてね……」

「大変ですね」

「ああ、ほとほと困ったよ……。そこで、君の意見というか……、考えでもいいんだ。何かアドバイス的なことはないか?」

「ああ……。あっ、そうだ。俺、あの時以来ちょっと思うことがありまして、それを書いたものがあるんですよ。黒岩部長に提出しようと思ってたんですけど、それをちょっと手直ししてお渡ししますよ。それを課長の名で提出したらどうでしょうか」

「本当かっ? でもいいのか? そんなことして。君はどうするんだ」

「仕事じゃないやつですよ。ただ、この間のハッカーの攻撃でセキュリティのちょっとした脆弱ぜいじゃくなところがあったんで、改善点をまとめて部長に出そうかなって思ってただけですから」

「だが、それをおれが出しても大丈夫なのか?」

「ええ。俺が書いたのはセキュリティの部分だけなんですけど、それを今後の対策も含めてちょこちょこっと手直ししておきますよ。それでどうでしょう?」

「ありがとう。助かるよ」

「じゃあ、午後まで仕上げておきます。できたら、課長のところに送っておきますよ」

「すまない。本当に助かるよ。ありがとう」



 午前中に手直ししたそのレポートを菊池のフォルダに送り、神崎は食堂に伊藤たちと来ていた。

「お前のウイルスは優しすぎなんだよ」神崎が白石に言った。

「神崎さんのが酷すぎるんですよ」白石が眉をしかめて笑った。

「攻撃用なんだから、しょっぱなで相手を止めないとダメだろう」

「まあ、そうですけど……」

 それを聞いていた伊藤が入ってきた。

「いいなあ。二人共アセンブラ()組めて」

「伊藤も勉強すればいいだろう。教えてやろうか?」

 神崎が伊藤に向かって言った。

「もういいですよ、勉強なんて。仕事だけでたくさんです」

 嫌そうな顔でこたえる伊藤。

「あ、そうだ。白石。また、プログラム同士で戦いしないか?」と、カレーを食べるのをやめて、神崎が嬉しそうに白石に提案した。

「え、まあ、いいですけど。どうせ僕が即効でやられるんでしょ?」

 白石はうどんを頬張りながらこたえた。

「ああ、それって、前やってたICEっていう機械使って対戦見るやつですか?」

 焼き魚定食を食べながら言う伊藤。

「そうそう」と、神崎。

「面白いじゃんあれ。白石、やれよ」伊藤が白石に向かって言った。

「やりますけど……」

 うどんを食べながらこたえる白石。

「よし、来週の金曜日、対策室でやろうぜ」

 神崎は楽しそうに言った。

 そこに、トレイを持った千葉がやって来た。千葉はシステム管理室以外では大人しいのだ。

「何の話してるんだ?」

「ああ、主任。お疲れ様です」白石が挨拶した。

「来週、神崎主任と白石がプログラム同士で戦うんですよ」と、伊藤が千葉に向かって説明した。

「ふーん。またウイルスで遊ぶのか。まあ、仕事に支障がなきゃ別にいいけどな」

 そう言って、千葉は日替わり定食の載ったトレイをテーブルに置いた。

「一瞬で勝負がついちゃいますよ……」

 白石が呟いた。

「よし。じゃあ来週の金曜日な、白石。石は前回と同じ68000な。大きさは、百kバイト以下で」と、神崎が環境と条件を提示する。

「はい……」と、うなずく白石。

 68000とはモトローラ製のCPUの種類、百kはプログラムの大きさのことだ。

「白石が俺に勝ったら、何ほしい?」

 と、神崎が尋ねた。

「え……」

 白石はうつむいた。

「ああ、わかったよ。また、エロ動画やるよ」と、神崎。

「あっ、神崎さん。それ、他人に言わないでくださいよ?」

 あわてて顔を上げた白石が言った。

「え? ダメなの?」少し驚く神崎。

「ダメですよ。この間、藤沢さんにからかわれちゃいましたよ」

 と、白石が小さな声で言った。

 そこに、千葉が声を挟んだ。

「ああ、えっちな動画ばっかり見ちゃダメよ。ってあれか」

「あーそうそう。そういえば藤沢さんに言われたな、この間」と、伊藤。

「うぅぅ……」白石は嗚咽した。

「すまない。もういいのかと思って喋っちゃったよ」神崎は片目を瞑って指で頭を掻いた。

「うぅぅ……うぅぅ……」白石の嗚咽が続く。



 午後になると、隣で真剣に神崎の書いたレポートを読んでいた菊池が話しかけてきた。

「神崎君。これ、凄いじゃないか。いいのか? こんなのをおれに寄越して」

「いいっすよ。それで大丈夫そうですか?」

 ノートPCから顔を菊池に向けて神崎が言った。

「バッチリだよ。それより、おれが書いたと思ってくれるかどうかが心配になってくるよ」

 モニターのレポートを見ながら菊池は言った。

「じゃあ、所々課長の書き方に変えちゃえばいいじゃないですか」

「いやいや、書き方じゃなくて内容のことだよ」一瞬神崎を見た菊池は、再びモニターのレポートを見つめた。

 神崎は微笑した。

「それにしても、よくこんなことを考えつくな、神崎君は。それに、前半の技術的なところより、後半の書き加えたところの方がボリュームがあるじゃないか。これさっき書いたのか?」

 一瞬神崎を見る菊池。

「ええ。そうですよ。課長になった気で書いたんですよ。はははは」

「いや、参ったなあ。あ、それと……、この前半のEMP爆弾のところだけど、こんなの書いちゃって大丈夫なものなのか? 社内で使うんだろう?」

 菊池は神崎を不安げに見た。

「あっ、その項目は削ってください。ハイになって書いてたところなんでマズいです。もし、部長に見られると怒られるかもしれません」眉を下げて神崎は言った。

「ははは。わかった、ここは削っておくよ。それにしても、本当にありがとう、神崎君。恩に着るよ」菊池は小さく頭を下げた。

「ははは。あ、じゃあ今度、ヤキトリとビール奢ってくださいよ」

 神崎は笑った。

「なにセコイこと言ってるんだ。おっパブ連れてってやるよ!」

 菊池が満面の笑みに変わった。

「マジっすか! へへへ、楽しみにしてます、マジで」

「ああ、任せろ! ははは」

 菊池の満足げな笑顔を見るのは久しぶりだと感じる神崎だった。



 自宅に帰った神崎はP2Pのスレッドを眺めていた。

 何となく、そして、ぼんやりとCBを探していた。

 流れてゆくスレッドにCBはもちろん居ない。

 立ち寄りそうなところをまわり、いくつかにKRの名で書き込んでみた。

「こんなことしてる場合じゃないかのかもな……」

 そう呟いてスレッドを閉じた。

 窓辺にたたずんで夜景を眺めた。椅子を持って来て座り、タバコに火をつけた。

「早く作ってみてーなー、ミサイル」

 自分の作ったミサイルが大空を真っ直ぐに飛んでゆく風景を思い浮かべ、目を閉じるのだった。




 チンピラに会う日になり、神崎は居酒屋で待っていた。

 神崎は決めていた。もうチンピラと関わるのを辞めにすると。

 あんなのと関わってると、俺の夢が叶わないかもしれないからな。

 そう心で思っていると、チンピラが居酒屋に入ってきた。いつもと様子が違う。前を歩く男の後ろに隠れるように歩いている。

 前を歩く男。どう見てもカタギじゃない。仕立てなど神崎にはわからないが、いい生地を使っているスーツなのはすぐにわかった。

「神崎さんだね」

 その男に名前を呼ばれた。

「なぜ、名前を知っている」

 神崎は質問する。

「外で話しましょうや」

 穏やかな口調とは裏腹に、雰囲気は威圧感しか感じない。

「いいだろう」

 店を出る男の後について、神崎も店を出た。


 人通りが少ない狭い路地に入った男は、立ち止まって振り向いた。

「初めまして、神崎さん。オレは権道ごんどうと言うものだ」

 権道と名乗った男が鋭い目線を向けてくる。

「うちの金田がお世話になってるようで」

「なぜ、名前を知っている。何の用だ」

 神崎は質問した。

「知ってるのは名前だけじゃないんですよ、四菱重工の神崎零さん」

「ああ、そういうことかよ。裏の人間ってことだろ? 俺に何の用なんだ」

 凄んでくる権道に負けじと意地を張る神崎だが、向こうからすればビビってるのはバレているようだった。

「この金田に聞いたんですがね。アンタ、ITに詳しいんですよね?」

「だからどうした」

 神崎はまだ突っ張っていた。

「そんなに硬くならないで、神崎さん。アンタに簡単な仕事の依頼をしに来たんですよ」

「簡単なら自分でやったらどうなんだ」

「そうですけどね。オレにとっては難しいんですよ。アンタがやれば多分簡単だ」

「俺はヤクザもんの仕事はけない」

 神崎はきっぱりと言った。

「この金田だってちゃんとしたヤクザなんですがね」と、権道はニヤケて見せた。

「ふん。そうかよ」と、神崎。

「まあ、話を聞いてくださいよ、神崎さん」

「断る」

「アンタは断れない。わかってると思いますがね」

「いいや、断る」

「簡単ですよ。携帯番号から、いま住んでる住所を探して欲しい。ただそれだけですよ」

「なに? そんなのお前らの得意分野じゃねえか。自分でやれよ」

「まあ、普通はそうなんですがね。いまはちょっと難しいこともあるんですよ」

「どういうことだ」

「そんなことは関係ない。アンタにはこの仕事を請けてもらう。いいな」

「断る」

「アンタ。これから希望するところに行けるっていうのに、そいつを棒に振るのかい?」

「なにっ!」

「悪いことは言わない。請ければ、それでオーケーだ。金は百万払う。前金でもいい」

 自分の大事な時期にこんなヤツに邪魔されたくない。やっと希望が叶ったんだ。それなら……。


 一回だけならいいか……。ついそんな考えが頭をよぎる。

「どうやって探せばいいんだ」

「それはアンタに任せる」

「誰を探せばいいんだ」

「人数は百人」

「百人だと?」

「ああ、アンタなら簡単だ」

「簡単じゃねえだろう」

「まあ聞け。リストがある。そこに携帯の電話番号が書いてある。そいつは全部一つのキャリアのものだ。だから調べれば一気にわかるはずだ。だろ?」

「知らねえよ」

「リストはこれだ」

 権道は一枚の紙を差し出した。神崎はそれを奪い取る。

「名前と携帯番号が書いてある。そいつらの現住所を調べてくれ。期間は一週間」

「一週間?」

「そうだ、アンタには簡単なはずだ」

「足元見やがって……」

 神崎は権道を睨んだ。

「一週間後、あの店で。いいな」

「ああ……」

 覚悟を決めた神崎は小さく頷き、そして、宣言した。

「お前の依頼は一回だけ請けてやる。だが、そっちの金田のプリペイドカードはもうやらない。いいな」

 権道の影から金田が踊りで出てきた。

「うえっ。何言ってんだよ、テメー」驚きと怒りで金田の顔が歪んだ。

「構わない。そんなチンケなシノギより、オレの仕事の方が大事だ」

 神崎を視線で捕らえながら話す権道。

「いいか。これっきりだ。これが終わったらお前達とは関わらない。二度とだ。それ以降、俺に付きまとってきたら、俺にも考えがある。いいな」

 二人を見据え、そう警告した神崎。

「ああ、わかったよ」

 権道は頷いた。

「よし」

「じゃあな、神崎零さん」

 そういい残して権道は去って行った。狭い路地を奥へと歩いていく。金田は途中で振り返り、神崎を睨みつけていた。



 自宅に帰った神崎は、リストに載った携帯番号をスマホのツールに打ち込んでいた。

 ソフトキーボードは面倒なので、普通のキーボードをつなぎ、それから打ち込んでいる。

「畜生。面倒だな。なんで俺がこんなことやらなきゃいけねえんだよ」

 ぶつぶつと文句を言いながら番号を打ち込んでいく神崎。

 それでも、神崎はこれからやるこの非合法の仕事に少し期待していた。

 ハッカーの血が騒いでいるのを、いやうでも感じる神崎だった。






 [用語説明]


※アセンブラ(コンピュータのプログラム言語のひとつで、最も低級な言語。低級とはコンピュータにわかりやすく人間にわかりにくいという意味のこと。コンピュータが理解できる命令に一対一で対応している。機械語、マシン語とも呼ばれる)



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