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喫茶店での謎解き

 翌日、友達の美恵子を通じて篠原とのアポを取ろうとしていた藤沢だったが、気難しい篠原はなかなかいい返事を寄越さないでいた。ましてや、四菱自動車社内で会うなどとんでもないと言われたらしい。

 翌々日になって、たまたま外出していた篠原が、外でなら会ってもいいとの連絡が入った。

 篠原は四菱自動車のシステム管理課主任。実質の責任者。藤沢からの情報だと三十四歳、独身、痩せ型、身長は神崎と同程度。神崎が四菱自動車のハッキングについての話を聞こうとしていた相手だ。


 神崎は会社を飛び出し、向こうが指定した待ち合わせの場所までタクシーを走らせた。

 タクシーを降りたのは銀座のど真ん中、周りには有名ブランドの店舗が軒を連ねる大通り。神崎はスマホを片手に大通りを歩いていた。スマホには地図が表示され、目的地にピンが刺さっている。

「相手がメールにゴーグルマップを貼り付けてくれて助かったぜ。銀座なんて数えるほどしか来たことなからな」

 大通りの店舗の二階に、待ち合わせ場所の喫茶店があった。神崎は大理石の階段を上がり、その喫茶店に入って行った。

 相手の名前は知っているが顔は見たことがなかったが、見ればすぐ分かると藤沢に言われていた。

 喫茶店に入り、席を見渡した神崎は、窓辺の席で外を正面に眺めて座るオールバックの髪型をした人物を見つけた。その人物の横に歩み寄って声をかけた。

「すみません。篠原主任ですか?」

 振り返って見上げたその男は銀縁メガネを押し上げてこたえた。

「そうだ。君が神崎君かい?」

「はい、神崎と申します。お忙しい中、お呼びだて致しまして、誠に申し訳ありません」

 初めの礼だけは尽くそうと、慣れない敬語を発する神崎。

「ああ。座りたまえ」

 向かいの窓際の席を指示された。

「失礼します」

 一礼した神崎は、篠原の向かいの席に腰掛けた。

 誰が見てもインテリ風勉強できます系の顔よ。藤沢は篠原のことをそう言っていた。

 目の前に座る篠原を見ていると、まさにそんな感じだった。色白で釣りあがった目に銀縁メガネ、短めの髪をオールバックにしている。神崎のような甘い感じのつり目ではなく、人を見下すような鋭い目つきを作り出すつり目だった。それでも、この篠原の印象に神崎はなんとなく親近感を抱いたのだった。

 ウェイトレスに注文をし、コーヒーが運ばれるまで二人の沈黙が続いた。


「神崎君。君のことは知っているよ」

 初めに口を開いたのは篠原だった。

「どうしてですか?」

 置かれたコーヒーに砂糖を入れる神崎。

「うちの部長秘書が君の話をしてくれてね。私なりに調べてみたんだ」

「はあ、そうですか」

 スプーンでコーヒーをかき回す神崎。

「君、有名なハッカーらしいね」

 そう言った篠原は、ブラックコーヒーを一口飲んだ。

「隠せませんね」

 苦笑してカップを持つ神崎も、一口飲んだ。

「会社ではそれを知る者は居ないのかい?」

 神崎の肩越しにある窓を見る篠原。明るい外には大通りの向かいのビルが立ち並んでいる。

「いいえ。居ますよ。少しですけどね」

「ほー。誰だい?」

「隠しても無駄みたいですね。うちのシステム部長と秘書。それに、システム管理課の四人です。俺の対策班の連中は知りません。もちろん、システム部の他の社員達もです」

「なるほど。君から言ったのか」

「部長には入社してから言いました。他の一人は前からの知合いですが、後はバレちゃったと言うか。そんなとこです」

「黒岩部長は知っているのか……」

 そう呟いた篠原は、ブラックをすすった。


「とこで、何を知りたいんだ」

 篠原が切り出してきた。

「ずばり、ハッキングを受けた時のことを教えてもらえませんか?」

 神崎も単刀直入に聞く。

「無理だな」

 篠原は神崎を一瞥いちべつし、持っていたカップを口に付けた。

「気持ちはわかりますが、そこをなんとか」テーブルに手をついて神崎は頼んだ。

「駄目だ。それに、この件は口外しないと、そちらとも話がついてると聞いた」

 外を見て話す篠原。

「はい。そのようですが……」

「なら、なおさら言えんな」

 篠原はカップを皿の上に置いた。

「わかりました。こちらも情報を出さないで教えてくれとは、虫が良すぎますよね」

 テーブルから太股に拳を置いた神崎が、気合いを入れて言った。

「どういうことだ。何か知ってるのか?」

 やっと篠原は神崎の顔の方をまともに向いた。

「ええ。言える範囲でお教えします」

「いいだろう……」

 篠原はネクタイを一瞬つかみ、手をテーブルの上で組んだ。


「実はこの事件の黒幕は、四菱自動車にハッキングを仕掛けたヤツじゃないんですよ」

「なにっ!」

 篠原は驚いて身を浮かせた。

「俺が潰したハッカーのPCの中に月産のデータがあったんです。どういうことかわかりますか?」

「ヤツは月産にもハッキングしたと言うのか?」

 腕に力を込めて、身を乗り出す篠原。

「そうです。黒幕と黒幕に雇われたハッカー。計二人での犯行です。初めに黒幕とハッカーの二人で月産のデータをったんです。そして、次に雇われたハッカーが単独で四菱自動車にハッキングを仕掛けた。そして、失敗した。次にハッカーはうちを通して四菱自動車に入ろうと、うちをハッキングしたんです。上位の権限者は入れますよね、お互いのサーバーに。それを利用しようとしたんです」

「ちょっと待て! うちと君のところを狙ったのは知っている。しかし、月産の件は知らなかった。月産が破られたというのか。あの鉄壁の月産が」

「ええ、そうです」

 背もたれに身を預けて、篠原は考え込んだ。

 しばらくして顔を上げた篠原は神崎に尋ねた。「なぜ、うちを狙ったんだ?」

 神崎は合併話をにおわすように言った。「月産は小型車のデータを盗られたんですよ。もっと言うとそのエンジンのデータです」

「なに! まさか、じゃあ……」篠原は理解した。

「そういうことです」

 神崎は静かにうなずいた。

「くっそー。なんてことだ……。なら、合併の裏話も相手にバレてるっていうのか……」

 声を押し殺して拳を握り込む篠原。

「まあ、それはいいんじゃないですか? この業界では公然の秘密ですから」神崎がねぎらう。

「まあ、そうだが……」肩を落とした篠原は、ゆっくりとカップをつかむと、何かを思い込むようにコーヒーを見つめた。「あの月産がな……だが、二度目はうちも危なかったからな……」

「え? 二度って」神崎は驚いて篠原に詰め寄った。「二度ハッキングされたんですか?」

 神崎を見た篠原は、「ああ……。まあいい。君にも少しだけ話そう」と、カップを置いて話し始めた。

「先月の初め頃にうちはハッキングを受けた。どんな攻撃だったかは話せない。そして、二度目は内部から侵入しようとしたヤツがいた。例の君が調べていた中国人の女だ。そいつはうちのシステムにUSBメモリーを挿してバックドアを仕掛けようとしていた。ある方法でね。これも言えないが。しかし、すんでのところで阻止できた。ほとんど運だったがな。たまたま見つけたと言っていい。だからすぐに対処できたんだよ」

「敵が一度ハッキングに失敗したから、スパイを使ったんですか?」神崎が尋ねた。

「そうとしか考えられないだろう」

 メガネを押し上げる篠原。

「でも、それだと、黒幕の話と矛盾むじゅんするんですよ」

「なに! 君は黒幕と話をしたのか?」

 神崎の顔を見る篠原。

「ええ、まあ。ネットでチャットしただけですけどね」

 神崎は苦笑いを浮かべた。

「チャットか……で、どう矛盾するんだ」

「黒幕はスパイを使っていない、って言ってるんですよ。そいつもハッカーなんですよ。で、そいつのプライドとしてスパイなんて使わないって言ったんですよ」

「そんなヤツのプライドなんて信用できるのか?」

「俺は信じますね。一応俺もハッカーなんで、へへ」

 神崎は頭に手をやって笑った。

「しかし、君の話が本当だとすると、私の調査と矛盾するんだ」篠原はカップを見つめて言った。

「どういうことですか?」

 と、神崎が尋ねた。

「いいかい。君はそこまで話をしてくれた。私を信用してのことだろう。だからというわけではないが、私もひとつだけ教えよう。これは、私の自費でしたことだから、多少は言い逃れできることだからな」

「はい。お願いします」と、神崎。

 篠原は神崎の目を見据みすえた。

「あの中国人の女の正体は、中国の車メーカーのスパイだ」

「ええっ! 本当ですか?」

 神崎は驚いて叫んだ。

「ああ、嘘じゃない。興信所を使って調べた。私の自費でな」

「車メーカーのスパイ……」

 神崎は思った。ただの雇われ実行犯ではなくスパイ。部長は見破っていたのか……。

「そうだ。そして、あの女スパイがうちで勤務する間、社の周りに仲間が車で待機していたよ。大勢な」

「車……黒のセダンとかですか?」

「そうとは限らなかった。たくさん居たよ。車種も色もまちまちだった」

「そうですか……でも、どうして私費なんですか?」

 篠原は神崎から目をそらした。「まあ、会社は事を荒立てたくない。とだけ言っておくよ」

 神崎もこれ以上は聞かなかった。


「なあ。君の話が本当だとすると、こうは考えられないか? 犯人は二つのグループ。君の言う黒幕と中国の車メーカーの二つだ」

「どういうことですか?」

 神崎が尋ねた。

「まず、スパイを使わないハッカーがうちにハックした。失敗したから、そいつは君のところをハックした。なぜなら、スパイは使わない主義だからこそ、四菱重工からうちに来ようとしたんだろ? スパイを使えば君のところを狙う必要はないはずだ。次にスパイを使う中国の車メーカーがうちを狙った。USBメモリーでバックドアを仕掛けてね。どうだ?」

「それですよ!」

 神崎の中で全容が見えた気がした。

「しかし、どうして二つのグループは同じような時期にうちに仕掛けたのかがわからない」

 篠原は額に手をやり考え込んだ。

 神崎の中ではわかっていた。それは、中国の車メーカーが取引に応じなかったからだ。つまり、中国の車メーカーはデータを見ていない。ただそういう内部情報を聞いていただけだ。CBから聞いた、『いまなら月産に侵入すれば二社のデータを盗れる』という情報だけだ。そして、中国の車メーカー自らが月産からデータをった。しかし、CBと同じでエンジンのデータしか盗れなかった。だから、四菱自動車に車体のデータを盗りにきたんだ。あえてCBの取引を突っぱねて、自ら二社のデータを盗ろうとしたんだ。

 これを篠原に話すかどうか迷ったが、話すことで何かの利益につながればと、神崎は考えた。

「篠原主任」

 神崎はこのことを篠原に伝えた――――。


「なるほど、そういうことか。それだと辻褄つじつまが合うな」

 篠原は拳に顎を乗せて頭の整理をしているようだった。


 篠原から話を聞いた神崎には、ある懸念が浮かび出していた。CBはこの件からは身を引くと言っていた。それは、彼が月産のデータをドイツのメーカーに売ることが決まっているからだ。しかし、中国の車メーカーは違う。どうしても、四菱自動車のデータが欲しいはずだ。四菱重工でスパイ工作が失敗したとなると、敵は再び四菱自動車を狙うかもしれないからだ。

 神崎のその懸念は、的中しそうになっていた。


「篠原主任」

 神崎は篠原に顔を近づけて小声で呼びかけた。

「ん?」

 拳から顎を上げた篠原が神崎の顔を見た。

「あれ。見てください。あ、静かに……」

 神崎たちの座る席から離れた、壁際のテーブルを小さく指さした。

 無言でその方向を向く篠原。

 そのテーブルには女スパイが座っていた。

 向かいには同世代の別の女が座っている。顔を突き合わせるように二人で話す姿を、篠原は見つめた。

「向かいの女。篠原主任、知ってますか?」

 神崎の方に向き直った篠原が言った。

「どこかで見た顔だ」

 もう一度女達を確認する篠原。

 そして、思い出したように神崎に真剣な視線を向けた。

「思い出したよ。向かいの女も、うちのコールセンターで働いているヤツだ」

「本当ですか?」

「ああ、間違いない」

「また、やる気ですかね」

 その時、女スパイがバッグから何かを取り出し、手で隠すようにテーブルに置いた。それを向かいの女が受け取る。

「見ました? 篠原主任」

「ああ。見えたさ。USBメモリーだ」

「ヤツら、またやる気ですね」

「畜生!」

 怒りで立ち上がろうとする篠原の肩を神崎が止めた。

「離せ!」

「待って下さい。いま捕まえても内部で手引きするヤツは捕まえられませんよ?」

「なんだとっ?」

「まあ、落ち着きましょう」

 神崎は篠原の肩を強く押した。

「おい、君。何で知ってるんだ」神崎にうながされ、席に座り直した篠原が怪訝そうに言った。

「それは、わかりますよ。バイトの女が単独でセキュリティのど真ん中にあるPCにUSBメモリーを挿すんでしょう? それは無理ですよね。近づくことすらできないはずです。だから、必ず内部に手引きする人間が必要です。それも権限が高い人物のね」

「……やはり、わかってしまうよな。同じネットワーク関係者なら」

 篠原は力なく肩を落とした。

 その篠原に向かって神崎が言う。

「別に誰にも言いませんよ。四菱グループの恥じですし。それに、俺にとっては興味すら無いことですから。それより俺が頭に来たのは、ヤツらにナメめられてるってことですよ。二度も同じ手で来るって、ナメ切ってますよね。どう思います? 俺はハッキングで来ると思ってた。だから、あなたに頼んででもその場に居たかった。ヤツらのハッキング手法を見たかったんですよ。それを、またUSBメモリーでバックドアって……。あ、すいません。俺ってそれしか興味ないんです」

 身をすくめて神崎は笑った。

「ふん。そうみたいだな。だが、どうする気だ」

「ええ、俺にいい考えがあります」

 そう言って、神崎は篠原に計画を話した。篠原は渋々だがその話に乗った。

 喫茶店から出た神崎は、会社に戻ることなく、秋葉原の電気街に向かった。



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