ネットの中の会話
藤沢からの連絡は翌日には来ると思っていたが、二日経ってもまだ来なかった。メッセージを送ったが返事が素っ気ない。どうも怒っている感じがするが、神崎には何故なのかわからなかった。
自宅に帰った神崎は、コーヒーをすすりながらP2Pの流れるスレッドをぼんやりと眺めていた。
インターネットのアングラな世界。非合法な仕事。裏の情報。絶対に身元はバレない。相手が誰かもわからない世界。様々な人間達が秘密のスレッドの中で会話を楽しんでいる。
その中のひとつに神崎は興味を引かれ、そのスレッドだけを表示させて眺めていた。
ほとんどが英語のスラングで書き込まれるので、すぐに理解できるわけではない。ただ眺めているだけなのだが、徐々にそれが神崎の興味を引いていった。
初めはGESSANという単語が何度か書き込まれていた。すると、YOTSUBISHIという単語が登場した。日本の会社の名前が書き込まれるのはいつものことだった。最も神崎の興味を引いたのは、その次にKANZAKIという単語が登場した時だった。
「ん? 俺のこと?」
真剣に読もうとそのスレッドを注視した。
書き込んでいるのは五、六人。その中で、中心の人物が一人。アクティブに話をしているのは、おもに中心人物ともう一人だった。
神崎の名や月産、四菱といった社名を出したのも、その中心人物だった。その人物は自分のことをCBと名乗っていた。
そのCBが言った。
――だから私は、もうこの件から身を引くんだ
もう一人が発言する。
――いい稼ぎになるんだろうな。次の機会には声をかけてくれよ
CBがそれにこたえる。
――この件が終わったら、私はしばらくバカンスだ
――うらやましいぜ
神崎は迷った。
この会話に入ってみるべきか否か。
会話は続いていた。
――俺もハッキングはできるぜ
それにCBがこたえる。
――上には上がいるんだよ。
――そのKANZAKIってヤツか?
と、もう一人が聞く。
――YES。彼は神だ。
神崎は決心した。
キーボードを叩き、会話に入ることにした。
――Hi。俺はKR。楽しそうな話だな。
――ようこそKR。
と、CB。
――ようこそ、ハッカーの世界へ。ははは。
と、もう一人。
――バカンスなんてうらやましいな。
と、神崎が切り出した。
外人と会話をする時、相手を褒めるとよく喋ってくれる。とにかく自分大好きで、自分が一番ではないと気が済まない彼らの世界では、相手から褒められることなどほとんど無いからだ。神崎はとにかく褒めまくる作戦にでた。
――ああ、楽しみなんだ。
と、CB。
――大金でも入ったのか?
――まだ。これからだ。
――どうすれば大金が入るんだ? 俺にも教えてくれないか?
と、神崎。
――私はブローカーだ。情報専門のな。
――すごいな。それで、どんなことをしたんだ?
――ある車メーカーから情報を取得して、別の車メーカーに売ったのさ。
と、CB。
――面白そうだな。詳しく教えてくれないか?
――OK。
そう言って、CBが話を始めた。
――私は半年前に日本の車メーカーの合併のニュースを知った。それで思いついたんだ。合併したメーカーから情報を盗れば、一度に二つのメーカーの情報が盗れるんじゃないかとね。なぜなら、一社がエンジンを、もう一社がシャーシを作ると発表したからだ。そして、その情報を一番欲しがっているヤツも知っている。中国の車メーカーだ。ヤツらには欧米の合弁会社しかなく、独自の車が作れない。日本車は世界で一番信頼されている。そして世界で売りまくってる。ヤツらからしたら、喉から手が出るほど欲しい情報だろう?
――そうだな。と、神崎。
――そこで私は取引相手として、中国のある車メーカーに接触した。リスクは最小がいい。私のモットーだ。情報を盗む前に取引に応じるかどうかを確かめるためにね。
――どうだった?
――OKだったよ。金額は情報を確かめてからという条件でね。これは私達の中ではルールなんだ。
――すごいな。それで?
――仕事をするにあたり、私は一人のハッカーを雇った。何せ相手はあの日本の車メーカーの巨人だ。私一人ではリスク管理が難しい。私たちは月産にハッキングで侵入した。なぜなら、月産の工場に四菱自動車が入ると発表されたからだ。月産に入れば二社のデータが盗めるはずだった。しかし、そこには四菱自動車のデータはなかったんだ。
――発表と違ったのか?
――そのようだ。次の仕事が控えていた私は、中国のメーカーに月産のデータのみでの取引を持ちかけた。答えはNOだったよ。二社のデータがそろわないうちは取引に応じないと断られた。残念だがその時、別の大口の取引が入ってしまってね。三つの仕事を掛け持ちはできない。仕方なく、私はそのハッカーに追加の報酬と引き換えに、単独で四菱自動車からデータを盗んでもらおうと考えたんだ。月産のハッキングで腕はよかったから信用したよ。彼は大学生なんだよ。それに報酬が意外な物でよかったからね。
――意外な物とは?
――グラフィックカードだ。私がmVIDIAの開発チームの一人から横流ししてもらった物で、市場には出回らない物だったんだ。彼はそれが欲しいと言った。だからそれを報酬としたんだ。月産のハッキングが成功した時点で彼に渡したよ。私には価値が無い物だからね。ああいう物をコレクションしている金持ちの大学生にでも売れば五千ドルぐらいにはなるだろうけどね。ははは。
――そいつは、俺も欲しいな。
――あんな物が欲しいのか? KR。君は大学生か?
――いや、違う。
――彼は香港からの留学生だったよ。
――留学生?
――YES。丁度帰国するところだったので、グラフィックカードも持って帰ったと言っていた。仲間に自慢するためにね。帰国してから四菱自動車の仕事をしたんだよ。
――なるほど。お前の計画は完璧だな。
――しかし、彼は仕事に失敗した。私に泣き言を言ってきた。私は、君には荷が重すぎたようだ、と言うと、彼はもう一度チャンスをくれと言ってきたんた。だから私は二度目のチャンスを彼に与えた。しかし、彼はまた失敗した。そのことを私に報告してきた時に、彼からKANZAKIの名が出たんだ。私は驚いたよ。もし本物のKANZAKIなら、君がどうあがこうが勝てない、と言って彼を解雇したんだ。もちろん追加の報酬とした一万ドルは無しだ。余談だが、彼はその後、仲間とKANZAKIの自宅にクラッキングを仕掛けて、返り討ちに合って仲間を失ったと聞いたよ。
――馬鹿なヤツだ。
――当たり前だ。彼ごときがKANZAKIに敵うはずも無い。
――まだ四菱自動車のデータは盗めてないようだが、これからはお前自身がハッキングするのか?
――いや。もうしないだろう。
――なぜ?
――月産のデータを欲しいと言って来たメーカーがあるんだ。
――どこのメーカーだ?
――それは言えない。いくらここでも取引先の名は出せないよ。
――そうだな。聞いてすまない。
――だが、それでは君がつまらないよな。ヨーロッパのメーカーとだけ教えてやろう。
――ヨーロッパも欲しがってたのか。
――当然だ。日本車のデータなど、世界中が欲しがる。ただ中国はより高値でも売れるだけだ。なぜなら、ヤツらはバカだからだ。
――そうだな。ヤツらはバカだ。ところで、本当にもう四菱は狙わないのか?
――君には特別にいいことを教えてやろう。君と話していたら気分がよくなった。実はもうドイツの取引相手からは金が半分振り込まれているんだ。データの半分と引き換えにね。だから、残り半分を取引して終わりだ。以前にも取引した相手だから裏切らないだろう。
――ドイツ? そうだったのか。うらやましいな。俺も大金稼ぎたいぜ。
――手が勝手に動いたようだ。まあ、ドイツまでなら大丈夫だろう。ははは。ところで君はKANZAKIに興味はないのか?
――なぜだ?
――他のヤツらはKANZAKIの名を出せば、途端に質問してくるからだ。
――有名なのか?
――この世界では有名だ。なぜなら、彼は神だからだ。
――俺はハッキングのことは知らないが、ハッカーのことは知りたいと思っている。お前はそのKANZAKIと知り合いなのか?
――NO。だが、三年前から彼を知っている。
――三年前?
――YES。三年前、私がブローカーを始めたばかりの頃の仕事で、mVIDIAの情報が欲しいという依頼があってね。私がハッキングで苦労していた時に彼が現れたんだ。あっという間にハックした彼はサーバーの中に入って行ったよ。悔しいが、私は見ているしかなかった。その時の彼の手法は私のバイブルになったよ。それから彼の手法をいろいろと真似るうち、私の技術は飛躍的に向上した。そのおかげで私は大金を得ることができるようになったんだ。神というのも日本の言い方であって、アメリカ風に言えばワールドナンバーワンのハッカーだ。
――お前は日本の事情も知ってるようだが、日本語もできるのか?
――もちろんだ。私は英語、日本語、ロシア語、中国語ができる。君は?
――俺は日本語だけだ。英語は読み書きだけで話せない。
――君は日本人なのか?
――そうだ。
――素晴らしいな。
――なぜ?
――日本は素晴らしい国だ。
――日本に来たことがあるのか?
――もちろんだ。何度も行っている。去年も行った。日本を知れば知るほど好きになったよ。本当にいい国だ。さすが、世界一の大国だ。私はいつか日本に住みたいと思っているんだ。
――そうなのか。お前はアメリカ人だろ?
――そうだ。もう生まれてから三十年もここに住んでいる。
――アメリカはいい国だろ?
――なに言ってるんだ。クソだ。
――そうか?
――ああ、クソだ。この国はクソだ。なにがクソって全てがクソでできているからだ。
――そうか? ネットはいいだろう。アメリカには休眠サーバーがたくさんあるじゃないか。うらやましいよ。日本にはほとんどないんだぞ。
――休眠サーバーだって? 笑わせるな。数が多いだけで全部クソなんだぞ。だから私達はサーバーを探してクソを踏まなければならないんだ。何度もクソを踏み続けてやっとまともなクソを探すんだ。
――でも、無いよりはマシだよ。
――クソがマシだって? クソはクソだ。私はクソが大嫌いなんだ。アメリカは全てがクソでできてるんだ。
――お前は日本が大国と言ったが、アメリカだって大国じゃないか。
――大国だって? 笑わせるな。世界一の金持ちの国は日本じゃないか。アメリカ政府なんていまでは資産がほとんどないんだぞ。それに、アメリカの国債は誰が買ってるんだ? 日本じゃないか。日本がアメリカの国債を買ってくれるから、アメリカは生きていけるんだ。もし、日本が国債を買ってくれなければアメリカは破産だ。それを国民に隠して、ただ大国ズラしてるだけなんだ。
――おいおい、CB。大丈夫か? タイプミスが多くなってるぞ。
――すまない、KR。興奮してしまった。
――お前は情報のプロなんだ、CB。落ち着いてくれ。
――ありがとう、落ち着いたよ。ところで、私は何人かの日本人を知っているんだ。
――アメリカに住んでいる日本人か?
――NO、そうではない。
――日本にいる日本人?
――本当のことを言おう。以前、私は何度か日本人のハッカーを雇ったことがあるんだ。
――なるほど。それで?
――彼らは優秀だったよ。非常にね。素晴らしい仕事をしてくれた。だが、扱いづらかった。
――なぜ?
――彼らはお金を欲しがらない。
――では、何を欲しがるんだ?
――名誉だ。彼らはプライドが高い。
――名誉? それで仕事するのか?
――YES。もちろん報酬は受け取る。だが仕事の追加を頼む時、ほとんどのハッカーは報酬を上げればOKするが、日本人はOKしない。仕事に対する正当な評価をしろと言う。自分の仕事は正確だった、美しく成功させた、最小限度の被害に抑えたなど、それを評価しろと言う。決して報酬の額で評価するなと言うんだ。
――そうか。なんとなくわかるよ。
――日本人は変わってるな。
――ところで、聞きたいことがあるんだ。いいか?
――なんだ?
――お前はブローカーと言ったが、仕事にスパイを雇ったりするのか? バックドアのためとかで。
――NO。私はブローカーだが、ハッカーとしてのプライドがある。スパイを使って内部からバックドアを仕掛けるなんて低レベルなことはしない主義だ。なぜそんなことを聞くんだ?
――スパイにも興味があるんだ。お前の話しを聞いていたら、スパイ映画のように聞えたからだ。
――なるほど、そう聞えるかもな。
――すまない、CB。妻が帰ってきたようだ。また、どこかで会おう。
――わかった、KR。楽しかった。
そう書き込んで、スレッドを閉じた。
神崎はガチ英語のマジ打ちに少々疲れて、新しいコーヒーを淹れて窓辺の椅子に腰掛けた。
夜景を眺めながらタバコをくわえ、いまの話を考えた。
ヤツはCBと名乗った。CBが黒幕なのか? だが、大学生ハッカーが四菱重工と俺の家にクラッキングを仕掛けてきたことは、本人以外なら黒幕しか知らないことだ。俺が推理していたことと大体同じだったが、違う点もある。整理するとこんな感じだ。
ブローカーであるCBが、月産と四菱自動車の合併のニュースを知る。二社のデータを一回で盗めるチャンスだと思い立ち、実行に当たって中国の車メーカーに取引を持ちかけた。
中国の車メーカーは承諾し、報酬額はデータを確かめてからという条件で取引に応じた。それは、CBがハッキングを成功させ、盗んだデータと引き換えに報酬を払うと約束したということだ。
自身もハッカーであるCBが留学中の大学生ハッカーを雇い、合併したはずの月産に二人でハッキングで侵入しデータを盗むことに成功する。しかし、そこに四菱自動車のデータは無かった。
俺は産業スパイ崩れと思っていたが、ただの大学生ハッカーだったようだ。その報酬が幻のグラフィックカードだったというわけだ。
次の仕事が控えていたCBは、月産のデータだけで中国の車メーカーに取引を持ちかけたが、中国の車メーカーは二社のデータがそろっていないとの理由で取引に応じなかった。
再び自ら四菱自動車に侵入しようとしていたCBだったが、彼に新たな大口の取引が入り、それができなくなってしまった。
そこで追加の報酬と引き換えに、大学生ハッカーに単独で四菱自動車からデータを盗んで欲しいと依頼した。
大学生ハッカーは四菱自動車にハッキングを仕掛けるも失敗する。
今度は四菱重工にターゲットを移しハッキングを仕掛けてきた。これが今回のうちのハッキング事件だ。ただ、うちにターゲットを移動することはCBの依頼なのか大学生ハッカーの考えなのかはわからない。
失敗した大学生ハッカーはCBに報告して解雇された。
逆恨みした大学生ハッカーは仲間と俺の家にクラッキングを仕掛けて、俺と白石に返り討ちにあって逃走。仲間のPCはオシャカ。
こんなところか。
ひとつわからないのは、うちの会社の玄関を見張っていた二人の男と中国女の存在だ。あの女はCBに雇われたと睨んでいたが、CBは否定した。だとすると、あの女は一体誰の指示で月産と四菱自動車とうちに来たんだ? 第一、女の目的は何なんだ?
藤沢から女の情報を聞けば何かのヒントになるかもしないが、その藤沢の態度がどうなることやらわからない。とにかく、これからの情報次第だ。四菱自動車のハッキング日時は無理かもしれないが、女の職歴情報はすぐにわかると思うのだが……。
安心できることもある。CBはこの件から手を引くと始めに言っていた。俺にも四菱自動車にハッキングはしないだろうとこたえていた。大学生ハッカーは逃走したが、もう一度、四菱の両社を狙うとは考えにくい。だとすると、当面四菱の両社にはハッキングは無いと見るべきだろう。
それにしても、CBが三年前に俺が盗ったmVIDIAの次期グラフィックカードの情報を売ってくれと、しつこく言ってきたヤツだったとはなあ。あいつが月産をハッキングできるまでになってたってことかあ……。恐ろしく成長したな、あの野郎。
そんなことを考えながら、窓辺の椅子に座ってタバコの煙を吐き出した。
[用語説明]
休眠サーバー(以前使われていたサーバーがなんらかの理由で使われなくなり、そのまま放置されているサーバーのこと。個人でたてたサーバーに多い)




