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コールセンターの女

 出社して一時間半。十時半過ぎに内線で呼ばれ、神崎はシステム部の会議室に居た。

 再び、システム課のコールセンターでトラブルが起こったらしい。バイトの女二人が髪をつかみ合って喧嘩したと知らされた。

 会議室のパイプ椅子に座る神崎。長テーブルを挟んだ向かいには女が一人で座っている。喧嘩の相手は神崎の部下が別の場所で面接中だ。

 神崎は女を観察した。

 女は中肉中背。顔も特筆するところもなく普通。悪くも無い。いたってどこにでも居る感じの女。強いてあげれば、何の特徴もないところが特徴の女。印象に残る感じでもない。

 女の同僚から話を聞いて、神崎はやっと理解できたところだった。

 向かいに座る女は日本語を話すが、いまいち要領を得ない。

 この女は中国人だった。

 コールセンターに勤める同僚達の証言によると、この女は二週間前からうちのコールセンターでバイトをしているということだった。普段は物静かでトラブルを起こしたことはない。それどころか、他のバイトとほとんど話もしなかったという。

 しかし、今日の喧嘩の相手から、いつも嫌がらせを受けていたという。それでも、今日までは相手にせず、波風たてずに耐えていたらしい。たまたま今日は髪に飾りをつけてきて、それを相手の女につかみ取られ、とうとうつかみ合いの喧嘩に発展したと――。

「うーん。どうしたもんかなあ……」

 神崎は唸った。確かにシステム課のコールセンターのトラブルだが、こんなのをどう処理しろというのだ。部長からの直接命令なので仕方がないが、自分が対処する問題なのかと、はなはだ疑問を持つ神崎だった。

 長テーブルの上にはこの女の履歴書が置いてある。特に変わったところもなく、内容にも不審な点は見当たらない。

「君。字がきれいだね」

 何も聞くことがなく、神崎は履歴書を眺めた感想を言った。

「ありがとうございます」

 髪が滅茶苦茶になり、それを直そうともしない女。

「……」

 次に言うことがない。神崎はまた考え込むのだった。

 女の年齢は三十二歳。独身。日本の私立大に留学して、二十七歳で卒業と書いてある。

 職歴はひとつだけ。うちに来るすぐ前まで、四菱自動車のコールセンターでバイトをしたと書いてある。期間は約一ヶ月。

「ねえ。四菱自動車のコールセンターの前は、何してたの?」

 神崎は何となく質問した。特に理由はない。

「なにもしていません。家にいました」

「そっか……」

 これ以上何も聞けない。バイトとはいえ人事部の面接を受けているのだ。神崎が聞いたところで、何の意味も無いのだ。バイトに関し、神崎は一切の人事権がない。

「じゃあ、明日からは、こういったトラブルは起こさないでくださいね」

 これぐらいしか言えないのだ。

「はい。すみませんでした」

 頭を下げる女。ぐちゃぐちゃの髪がれ下がった。

「では、仕事に戻ってください。おつかれさまでした」

「おつかれさまです」

 もう一度礼をした女は会議室を出て行った。

「ふううう……」

 ため息をついた神崎も履歴書を持って部長室に向かった。


 部長秘書室で取次ぎがなされ、神崎は部長室の扉の前まで歩み寄った。

「入れっ!」

 中から大声で呼ばれた。

 神崎は横を見た。漆黒の机の奥に座る藤沢が、笑顔で小さく手を振っていた。

「失礼します」

 大きな声で返事をした神崎は部長室に入って行った。


 部長室は広い。神崎の自宅よりも広い。その奥に黒岩部長が座って書類に目を通していた。

「そこに座れ」書類を見ながら黒岩が言う。

 再び失礼しますと言って、神崎は革張りの応接セットの長椅子に座った。皮のすれる音が大きく部屋に響いた。

 書類を置き、恰幅かっぷくのいい大きな身体を起こして立ち上がった黒岩が、机上のタバコをがっちりとつかんで応接セットの一人掛けに近づいてくる。まるで熊のような男。

 椅子の前に立つと、ひざを曲げその身を椅子に沈み込ませる。一段と大きな皮の音が響く。

「ご苦労だったな」

 そう言って、タバコを一本出し火をつけた。

「いいえ」

 神崎は会釈と共に言った。

 煙を吐きつつ神崎の顔を見る黒岩。

「どう思う」

 黒岩が静かに尋ねた。

 神崎は困惑こんわくした。黒岩の言ってる意味がわからない。

「どうと言われますと」

 神崎の返事で全てを悟った様子の黒岩が大声で笑い出した。

 唖然あぜんとする神崎。

 その様子を見た黒岩が自分のタバコを差し出した。神崎にも吸えという仕草だ。

「いえ。自分のがありますから」

 そう言って、神崎は断った。

 つかんでいたタバコをテーブルに投げた黒岩が、灰皿に灰を一回落としてから神崎を見た。

「お前は人を見る目がないなあ」

 そう言って、微笑する黒岩。

「はい……」

 思わず小さな声になる神崎。

「どうして、あの女の面接を任せたか、わからんようだな」

 背中で背もたれを押す黒岩。ギュゥゥと音が鳴る。

「すいません……」

「俺はあの女、ひと目見てピーンときたぞ」

 灰を落とす黒岩。そして、神崎を見る。

「と言いますと」

「あの女。スパイだな」

 ニヤっと笑う黒岩。

「はあっ?」

 あまりのも突飛とっぴな発言に、思わず大声を出す神崎。

「わっはっはっは」

 上を向いて笑う黒岩。

「本当ですか?」

 信じられない神崎は真意を確かめた。

「まあ、それは冗談だ。しかし――」

 そう言って、黒岩は灰を一回落とし、神崎を見て言った。

「ただ者じゃないことだけは確かだ」

「はい……」

 神崎は呆気にとられて気の抜けた返事を返すのだった。


「ところで、神崎」

 黒岩の声が落ち着きを持った。

「はい」神崎は姿勢を正した。

「お前、やはり向こうに行きたいのか」

 黒岩の鋭い眼光が神崎に向けられる。

「はい」

「どうしても作りたいのか、兵器を」

 黒岩が物事を決定する時の感情にとらわれない表情だった。

「はい。夢ですから」

 神崎は真っ直ぐ黒岩を見つめた。

「なぜ、ミサイルにこだわるんだ」

 指の間のタバコの煙がらいだ。

「それは、やはり究極の兵器だからです」

 心の信じる想いを発する神崎。

「うむ。そうかもしれんが……」

 珍しく考え込む黒岩。

「わかった。俺を信じろとは言えん」黒岩はそう言って、神崎にいつになく鋭い視線を向けた。「いますぐとはいかんが、俺も努力してみるつもりだ」

 黒岩の決意を感じた。多くの政治家と太いパイプを持ち、数々のプロジェクトを全て成功させてきた黒岩の目に、それを感じた。神崎を引き上げようとする決意を。

「ありがとうございます。黒岩部長」

 神崎は深々と頭を下げた。そして、その黒岩の威圧感に神崎は正直震え上がる思いがした。

「よし。もういいぞ」

 黒岩は前に屈み、熊のような大きな手でタバコをもみ消した。半分以上残っていたタバコが、紙くずのように小さく折れ曲がった。

「はい。失礼します」

 神崎は立ち上がって一礼した。

「うむ」

 両手で膝を押し、大きな身体を押し上げながら黒岩は唸った。


 自席に戻った神崎に内線が掛かってきた。藤沢だった。部長秘書室に来いと言われ、再び秘書室に向かった。

 藤沢に手をあげて部屋に入ると、藤沢が鉛筆を指で挟みもてあそびながら待っていた。

「ごめんなさい。何度も呼んじゃって」

「ああ。それはいいが、なんだ」

 藤沢の机に歩み寄る神崎。

「あのね。さっきの女の件で、部長から調べろって言われて、とりあえず、四菱自動車に電話したのね」

 胸の下を机の天板の角に押し付けて、藤沢が話し始めた。

「ああ、それで?」

「向こうのシステム部長の秘書って、私の大学の友達なの」

 腕を机に立てて指で鉛筆を挟む藤沢。

「ほー」

「でね、美恵子みえこに聞いたんだけど。あ、美恵子っていうの、私の友達。でね。あの女、四菱自動車の前にバイトしてたところって月産だったの。同じコールセンターで」

「え? 本当か?」

 神崎の目が見開いた。

「ええ、確かよ。美恵子も月産に電話で確認したんだって。そうしたら本当だったって」

 笑顔を絶やさずに話す藤沢。

「どういうことなんだ?」

「うーん。私もわからない。でもこの間、大会議室で神崎さんが言っていたことと、あの女のここ一ヶ月の職場って、なんか同じだなあって思って」

「ああ、そうだけど。でも、どうつながるんだ?」

 藤沢の前には中国女の履歴書が広げてあった。神崎はその中国女の顔写真を見つめた。

「それはわかんないけど……」

 藤沢も神崎の目線を追って、中国女の顔写真を見た。

「部長には報告したのか?」藤沢に視線を移して、神崎が聞いた。

「ええ、したわ。そうしたら、神崎さんにも知らせとけって」

 微笑んで神崎を見る藤沢。

「そうか。ありがとう」お礼を言って振り向こうとする神崎。

「へ?」と、藤沢。

「なに」振り向きをやめる神崎。

「い、いえ。どういたしまして」

 立てていた両手を机に重ねて置いて、藤沢は礼をした。

 神崎からありがとうと初めて言われて、藤沢の心は躍っていた。


「じゃあ」

 手を上げて帰ろうとする神崎に向かって、藤沢が呼んだ。

「あ、神崎さん」

「何?」

 神崎は扉の前で振り向いた。

「私、バーにハマっちゃったみたい」

 藤沢は身を少し乗り出して言った。

「ふーん。じゃ」

 そう言って、神崎は扉の取っ手を握った。

「あっ。神崎さん」

「なんだ」

 再び振り向く神崎。

「ちょっと……」

 藤沢が小さく手招きをした。

「ん? なんだよ」

 面倒そうに取っ手を離し、藤沢に歩み寄る。

 神崎が机の前に来ると、藤沢は身を神崎の方に大きく乗り出した。

「あ、あのね……」

 藤沢は部長室を一瞬伺うようにした後、更に身を乗り出した。

「部長からはまだ言うなって言われてるんだけど……」

「ん?」神崎は藤沢に耳を向けた。

 すると、藤沢は小声で、

「あのね、四菱自動車も、やっぱり、ハッキングされてたらしいわよ」

「なにっ?」藤沢に顔を向けて神崎は叫んだ。

「あわわわわ。か、神崎さん、声大きいわよ」

 あわてて両手を振る藤沢。

「ああ、すまない……」

 神崎も藤沢に少し顔を近づけて小声で聞いた。

「確かなのか?」

「ええ」うなずく藤沢。

「でも、何で部長は秘密にするんだ?」

 顔を離して神崎は言った。

「お互い外部に漏らさない、っていうことになったみたい」小声の藤沢。

「どういうことだ?」

 再び部長室を警戒してから神崎に顔を向け、藤沢が言った。

「部長から直接聞いたわけじゃないけど、部長の言葉の端々からわかるのは、四菱自動車もうちも、お互いこのことは一切話題に出さないっていうことに決まったみたいよ。だからまだ、神崎さんにも言えないんじゃないかしら」

「そうか。まあ、お互い社の恥だしなあ」

 顎に手をやり考える神崎。

「ええ、そうよね」

「話し合ったところで、特に解決する問題でもないしな。それにうちは被害がないし」

「ええ。四菱自動車も被害がなかったみたいよ」

「そうか。そいつはよかったよな」藤沢に顔を向けて神崎が言った。

「ええ」うなずく藤沢。

「後は、何かあるのか?」

「はっ! そうだわ。例の車の件だけど、忘れてたわ。ごめんなさい」

 あわててマウスを操作する藤沢。机の端のモニターに資料を表示させて、神崎の方に向けた。

「何かわかったのか」

 向けられたモニターを見つめながら神崎は尋ねた。

「ええ。車の所有者は個人だったから、行き詰ってたんだけど、その所有者の勤め先を調べてみたら、不動産会社だったの。それでね、その不動産会社もついでに調べてみたら、なんと、ペーパー会社だったの。これね」

 モニターの資料を鉛筆でさし示して、藤沢が説明した。

「ほー」その資料を見て神崎が唸った。

「この書類、今朝届いて見てたんだけど、喧嘩騒ぎがあって、途中で見れなくなったんだけど。神崎さんが部長室から帰ってから見てたのね。そうしたら、あの女の名前が載ってたのよ。ほら、ここ見て。名前同じでしょう?」名前のところを鉛筆でさす藤沢。

「どういうことだ?」

 眉をしかめてモニターを凝視する神崎。

「三年前の書類もあって……。あ、これなんだけど。こっちにも載ってるのよ。随分前から勤めてることになってるけど、履歴書には書いてなかったわよね。美恵子にも聞いたけど、あっちの履歴書にも書いて無かったって。私にはよくわからないけど、神崎さんなら何かわかるんじゃない?」

「んん、俺にもまだわからないが……」顎をでながら考える神崎。しばらく考えてから姿勢を戻し、藤沢に向き直った。

「でも、ありがとう」神崎が言った。

「はい」

 微笑む藤沢。

「じゃ」

 そう言って、神崎は扉に近づく。

「あ……、はい。お疲れ様です」

 藤沢は微笑んで言った。

 神崎は振り返る事無く、「ああ、お疲れ」と、言って、秘書室を出た。

 藤沢の顔が悲しそうにゆがんだ。


 秘書室の扉が閉まる寸前、それを押し開けて神崎が勢いよく上半身を覗かせた。

「藤沢っ」

「はい」藤沢の顔が明るくなった。

「あの女の面接日とバイト開始日。それと、四菱自動車での面接日とバイト開始日と辞めた日を調べてくれ、よろしく。あああっと、それと、四菱自動車がハッキングされた日。多分無理かもしれないが、それも調べてくれ、よろしく」

 早口で喋った神崎は、そのまま扉から消えた。

「ああん。もう」

 今度は藤沢の顔が怒りで歪んだ。



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