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夢を持った青年

 モニターの明かりと、卓上(たくじょう)スタンドの明かりしかない。

 部屋の中は、テーブルの手元だけが明るく照らしだされている。


 その前に座る――――ひとりの男。


 モニターの横に置かれた小さな箱は、男が作ったカードライターだ。

 男はカードライターにカードを()し込む。

 すると、モニターのコマンドラインに数字が表示された。

 男はバックスペースキーでその数字を消し、新たな数字を入力する。

 「1」と「0」が四つ。

 最後にエンターキーを叩くと、コマンドライン・インタプリタが実行された。

 新たなコマンドラインに「10000」と表示され、カーソルが改行(かいぎょう)する。

 カードライターのイジェクトボタンを押し、カードを抜いてテーブルに(なら)べる男。

 これが最後の一枚。

 男の目の前には、三枚のカードが並んでいる。

「よし……、完了だ」

 男はその三枚のカードをかさねて持ち、壁にかけてある黒いスーツの内ポケットに丁寧に仕舞った。


 男の名は、神崎(かんざき)(れい)、年齢二十七歳。独身。

 ここは神崎の住む1LDKのマンションの八畳のリビング。

 部屋の真ん中に置かれた、たたみ一畳分の大きなテーブルにはPC(パソコン)とモニターが三枚ならべられ、サイドテーブルにはオシロスコープや半田(はんだ)ごてなどが並び、あたりには所狭(ところせま)しとパソコンの部品が散乱(さんらん)している。

 左右の壁には専門書がびっしりと()まった本棚が並び、その下に置かれたダンボールにも、ガラクタのような部品が箱から(あふ)れんばかりに詰め込まれている。

 男の一人暮らし。神崎の城である。

 テーブルからタバコの箱をつかんで窓辺(まどべ)へと歩く。

 二間分(けんぶん)の広い窓。カーテンは開け放たれ、息苦しい都会の夜景が広がっている。

 神埼は窓を真ん中から左右に開け放つ。

 眼前(がんぜん)に広がる巨大な高層ビル郡。深夜零時だというのにビルの窓にはたくさんの光りが満ちていた。

 ここはマンションの二十四階。それでも遠くの景色は見えず、視界に映るのは高層ビルだけだ。

 開けた窓のへりに寄りかかり、タバコに火をつける。

「ふ――――」

 白い煙がビルの景色に消えてゆく。

 見慣れた夜景を、ぼんやりとしばらくのあいだ眺めてみる。

 テーブルにもどり、タバコをもみ消す。

「はぁーあ……ふう……。そろそろ寝るか……」

 あくびをした神崎は隣のベッドルームに入って行った。



 この神崎という男――――実は、ハッカーである。



 翌日、神崎が出社したビルは、日本の旧財閥(ざいばつ)から分社化された四菱重工本社ビル。

 神崎の部署ぶしょがある十二階のシステム部の巨大フロア。大量の机が整然と並ぶ中を颯爽さっそうと歩いていく。百七十八センチの割と高めな身長と、せ型の体型、端整たんせいな顔つきと少し長めな髪が女子社員の注目を集める。

 部署ごとにかたまった机の島から少し離れている、窓を背にした席へと着いた彼は、スーツを脱ぐことなく肘掛ひじか椅子いすに座った。

 本来なら課長以上が座る席だが、彼の役職やくしょくである主任が座るのは彼だけである。

 隣のシステム部システム製品開発課課長、菊池きくち挨拶あいさつしてきた。

「おはよう、神崎君」

「おはようございます。課長」

 神崎も笑顔で挨拶を返した。


 神崎の部署は、システム部システム障害対策課、対策班である。役職は主任であり、同時に対策班班長でもある。

 この日本を代表する大企業において、二十七歳の若さで主任になれるのは優秀な人材だけであり、彼もその一人だった。

 神崎は自分の夢を実現するために、この企業に入社した。日本で彼の夢を叶えられるのは、唯一この企業一社しかないからである。

 大学で機械工学と電気工学を学び、大いに夢を抱いて入社したのだった。

 しかし、希望する部署に配属はいぞくされるためには、超がつくエリートの中でもよりすぐりの超スーパーエリートでなければならず、彼の実力では難しいという現実が待ちかまえていた。それでも、彼の得意とするコンピューターシステム関連の部署に配属となり、夢はあきらめず、出世の機会を狙い、少しでも自分の希望する部署に近づこうと心にちかっていた。


 五月のみきった晴れの今日。出社した神崎の一日が始まる。

「主任。先週の件ですが、書類できましたから、お願いします」

 対策班の部下が報告してきた。

「おう。どこにある?」

 神崎は机のノートパソコンを立ち上げて、部下に聞いた。

「REP0418フォルダです」

「わかった」

 神崎は書類に目を通し始める。

「主任。部長、喜んでましたよ。主任が買っちゃった大量のディスクも、問題ないって言ってました」

「そうか。それはよかった」そう言って、神崎は笑った。


 彼の運が良かったのは、早くから上司に認められたことだった。現にこのシステム障害対策課というのは、神崎が入社した年にもうけられた課なのだ。それまでシステム障害には、システム管理課が対応していたが、システム部長の肝入(きもい)りでこの課が創設そうせつされたのだ。ようは、部長直属(ちょくぞく)実働じつどう部隊といったところだ。

 始めの数ヶ月は部長が直々(じきじき)に指揮をっていたが、すぐに神崎の実力を見抜いた部長が、彼をリーダーにえ、その全てをまかせてくれたのだった。神崎もその期待に応えるように、同僚どうりょうや部下を育て、ひとつにまとめ上げていった。そして去年、入社五年目の神崎がスピード出世して初代の主任にいたのだった。

 しかしながら、彼にとってこの部署は大いに不満だった。なぜなら、このシステム障害対策の業務内容が、とどのつまり、何でも屋(・・・・)であったからだ。

 システムとは名ばかりで、障害と名が付くものは全て対応しなければならず、人手が足りないとの理由だけで、工場のライン障害まで狩り出され、挙句あげくてにはコールセンターのバイトの喧嘩けんか仲裁ちゅうさいまでもやらされる始末。

 ウンザリすることもあったが、ひとつだけいいことがあった。それは、大いにひまな部署であることだった。

 神崎が出動しなければならない障害などはまれであり、そのほとんどの処理は部下によって行われていたからだ。従って神崎の仕事といえば部下の管理と査定さてい、書類の整理ぐらいであり、それ以外の時間は自由にできるのだ。

 彼はそのありあまる時間を障害対策パトロールとしょうし、社内外を自由に歩き回ることができたのだった。


 書類に目を通し終わった神崎は、部下の方を向いた。

「いいできだな。綺麗きれいにまとまっているよ。原因を見つけたお前の名前が書いてないから、俺が一言書いといた。お前の手柄だからな。後はデジタル署名しょめいして部長に送信する。おつかれ!」

「はい! ありがとうございます」そう言って、部下は笑顔になった。 

 ひと仕事終えた神崎は、自分の興味きょうみのある情報を読みあさる。

 少し釣り目がちの切れ長のひとみを輝かせて、好きな情報を探す神崎。仕事ができ、美形びけいな神崎の姿を、大勢の女子社員達が、胸をときめかせながら、今もその視界内に入れていた。


 それにしても、なぜ神崎が課長クラスが座るべき場所に机を構えられるのかというと、彼の直属の上司が不在だからである。実際にはシステム部部長の黒岩くろいわという男が上司なのだが、黒岩は取締役であり、当然個室が与えられている。システム部の中に多くの課が存在するが、神崎が所属するシステム障害対策課だけが課長職が居ない。それは取りも直さず、神崎を課長に据えたいが、彼の若い年齢ゆえ会社側が保留ほりゅうしているということに他ならなかった。現在流行の能力主義であれば、年齢に関係なく役職にけるべきなのだろうが、旧財閥という巨大組織ではおいそれとは変化は望めないのである。

 神崎もそのことは重々承知(じゅうじゅうしょうち)しており、彼自身、西洋かぶれ(・・・・・)の能力主義には反対の立場で、年功序列ねんこうじょれつこそが日本企業のあるべき姿だと標榜ひょうぼうしていた。

 そうであるから、一般的に見て能力が低いと思われる先輩であっても尊重し、部下を育て、会社がひとつになって飛躍ひやくすべく努力しようとしていた。

 その神崎の思いとは裏腹うらはらに、彼の対人関係はあまり良好りょうこうとはいえないのだった。男性社員からは彼の印象からくる冷たさと、彼の素養そようがあまりウケがよくなかったからだ。女性社員にしても、クールでハンサムに見える神崎は、社内で彼氏にしたいナンバーワンではあるが、彼の女性に対する冷たい態度にれてしまうと、それが落胆らくたんに変わるのだった。

 しかし、彼のそういう印象や態度に左右されない会社側は、彼の能力を高く評価しており、彼にいろいろな経験をませるのだった。

 特に、黒岩の神崎に対する評価ひょうかはすこぶる高く、神崎の判断や意見を全面的に支持してくれるのだった。



 新しいPCパソコン部品の技術情報を読んでいた神崎のスマホが、スーツのポケット中で振動しんどうした。

 指紋認証しもんにんしょうで画面を開けると、メッセージが届いていた。

 それを見た神崎の動きが一瞬止まった。

「なに? 侵入された?」

 周りにさとられない程度に、神崎は小さくつぶやいた。

 何も言わずに立ち上がり、そのまま出口へ向かおうとすると、部下の一人から声をかけられた。

「主任、どちらへ」

「ああ、管理課。すぐ戻るから」

「了解です」

 うなずく部下を残し、エレベーターで四階へ下りた神崎は、システム管理課へと向かった。


 長い廊下の先にそれがある。神崎はそのドアの前で立ち止まった。

 『システム管理室』と書かれてある鋼鉄こうてつ製のドアに取っ手はなく、その代わり、横の壁に電子ロックが設置せっちしてある。社員証のパスカードスキャン、二十四時間ごとに自動変更される十六桁の暗証あんしょう番号入力。それに、先週から新たに設置された網膜もうまくスキャンの三つを行わないとロックが解除かいじょされない。この電子ロックのクラッキングには最低二時間はかかるという、システム管理課ご自慢のセキュリティシステムだ。

 神崎はポケットからスマホを取り出し、ツールを呼び出した。神崎が組んだスペシャルプログラムだ。

 ツールを起動した一秒後、ピーという電子音と共にLEDが赤から緑に変わり、ガシャンと電子ロックが解除された。

 神崎は肩でドアを押し開けながら中に入って行った。






 [用語説明]


PC【パーソナル・コンピュータの略】(一般的なパソコンのこと)


コマンドライン(GUI グラフィック・ユーザー・インターフェースを持たない、コマンド入力部分。コンピュータに命令を実行させるために人間が入力する場所のこと)


コマンドライン・インタプリタ(コンピュータのコマンドラインに入力された命令を一行単位で実行すること。厳密には命令を解釈して引数などと共にOSに渡し、OSが実行すること)


OS【オペレーティング・システム】(代表的なものとしてスマホのAndroid、Windows、MacのiOSなど。人間がコンピュータを使うときに使いやすくするためのもの。コンピュータのハードウエアを扱うときに、簡単に扱えるようにする手段を提供したものの総称。例えば『画面に文字を書く』『文書を印刷する』などをコンピュータにさせるときは複雑な命令を組み合わせないと出来ないが、それをひとつにまとめて『画面に文字を書け』『文書を印刷しろ』などの命令ひとつで出来るように提供されているもの)



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