秋・椿 1-2
秋国王都椿、その中心にある王宮白焼宮の回廊を、夏国王名代の使者暁亮は歩き行く。冬の最中の夕暮れ、曇天の寒々しい日々が続く中に気まぐれに現れた茜空が、白焼宮回廊の窓の外高くを彩っている。暁亮は、十八という年齢の割には、夏・秋・冬の三国にとどまらずあちこちを訪れた経験があるが、さすがに秋国王宮白焼宮に入るのは初めてのことであり、そこから眺める外の風景も見たことがなかった。
自国の緑多い夏国清水宮とは異なり、外壁まで敷地がある分遠くはあるが、白壁の建物が多い王都椿の街並みが見える。その白壁も今は空と同じく茜に染まり燃えるように輝いている。
(まるで生命の輝きのよう)
(その中心で、恐らくこの白焼宮こそが最も輝いているのだろうな)
夕暮れに照り映えるその景色はきっと美しくまばゆい。その王宮が燃え輝く光景を秋国王都椿の市民は毎日のように目にし、国の豊かさを感じるのだろう。
ふいに、前を歩く周藍の足が止まった。知らず少し離れていた暁亮が己のところまで並ぶのを待っている。
自分よりも頭一つ分背の高い青年周藍を、暁亮は控えめながら観察する。黒髪は短く切られ、肩幅は広く、足はすらりと長い。衣服の上から鍛えられた体つきが見て取れるいかにも武官といった風情で、整然と整った顔つきが精悍な鷹のようにも思える。灰色の瞳の眼光は鋭く、だが奇矯にも右側だけ前髪が長く、右目は見えない。
(周藍、字は子規)
(名門周家の当代とは言え、わずか十九歳にして、紀の河を統べる秋水軍を指揮する将軍)
予めの知識と目の前の青年を照合し、その人となりが如何なものか暁亮は警戒を高めつつも、表面上は穏やかな笑みを浮かべる。
「お待たせして申し訳ありません。わたくしの落ち着き先はまだ先でしょうか?」
「もうすぐ着く。使者殿。お疲れか」
灰色の左眼が暁亮を見下ろす。不自然なまでに凪いだ視線に、暁亮は、周藍もまた自分を警戒していると感じる。
(当然か。和平調印の最後の局面での使者が、こんな若造だし)
若いだけではなく。
魔性のように美しい、人智を超えた造形美に、おまえの中身も理解できないと、暁亮は夏国でよく評された。
自分の面の皮一枚が良くも悪くも他人に刺激を与えるのは、暁亮は何度も経験している。ましてや、この国へは一国の王の名代として赴いた。
(警戒されるのは当然なのだろうな)
(私の顔の美醜を差して、その裏で何を企んでいるのだと問われ)
(その顔のおかげで不当な寵愛を受けているのだろうと勘繰られる)
いつものことだと受け止めようとし、だがこの秋国の青年の態度は、暁亮の知る夏国の面々とはいささか趣きが異なっていることに気づいた。
(‥戸惑っている?‥)
「‥疲れているから、という訳ではありませんが。なにせこの白焼宮は初めて歩く場所ですから、何もかも珍しく、勝手もわかりませんし」
「夏国王宮は開放的なつくりと聞く。それ程に違いが?」
「そうですね‥。窓の大きさと灯りの配置が異なるのが、大きく印象を変えているのではないでしょうか。建築様式はそれ程変わりませんが‥冬国の紫霜宮と共に、夏国清水宮も秋国白焼宮も、同時期に手入れされた宮殿でしょうから」
「三国が成った時にか。それはそうだな」
内面のさざなみはともかく、にこやかな表情を崩さずに答える暁亮を、周藍もまた観察していた。
(線が細く華奢な奴)
(腕を掴んでひねってしまえば、そこらの女人のように簡単に折れてしまいそうだ)
(背も男にしては低く小柄。しかしこれは成長が遅いためかもしれない。実際、私自身よりも年下に見える。このなりで王代理を務め、夏国から秋国へと渡る使者となるなど信じがたい程だ。しかも単騎で)
周藍が強弓とすれば暁亮は細身の宝剣。刃を当てれば切れはしても、打ち合えばすぐさま折れる、装飾剣のような体格。
その面の天人の如き美しさがまた、かえって暁亮のもろさを引き立てている。
(この藍色の瞳にきらめく意志の強い輝きがなければ、内面からあふれる凛とした強さが垣間見えなければ、私は単純にこの暁亮を侮っていただろう)
しげしげと眺めると、つくづく麗人である。
夜の川のように流れる漆黒の長い髪を頭上で青い細布で結い上げ、左耳には紅玉をあしらった三日月形の金の耳飾り。
(夏国人がよくやっている)
(親しい人と片方ずつ分けて、あるいは願かけのために、わざと片方しか着けない耳飾り)
互いを観察する暁亮と周藍の視線が交錯する。
吸い込まれそうになる暁亮の藍色の瞳は、何度見ても星の瞬く夜空のように深遠をはらみ美しかった。
「‥桂淋殿は、何歳なのだ?」
しばらく暁亮を見つめ、周藍は尋ねる。
「唐突ですね。別に隠すようなことではありませんが、まず自らの年齢を告げるべきでは?」
「私は十九だが」
周藍の年齢など知っていながらおくびにも出さず敢えて尋ねた暁亮に、周藍はいささかむっとした様子で答える。相手の不機嫌など構わず、暁亮は若干投げやりに返す。
「十八です」
「十八? もう少し下かと思った。だが十八でも十分若い。若ずぎる」
「確かに貴方よりかは一歳若くありますが、それが何か」
「その年で、桂淋殿は王の名代に? 一体どのような才をお持ちか」
「才、とは。王のお考えは私如きが慮る範疇にはなく。ただ身に余る光栄に感じています」
驚いた様子も露わな周藍に暁亮は答えると、そのはぐらかすような返事に周藍はかちんと来た。
「このような大事な場に使者として来させるのだ。理由がわからぬということはないだろう。それとも、‥私とは話すまでもない、というつもりか」
「‥いえ、そのようなことは」
何と返事をしたものか迷いつつ答えた暁亮だが、かえって周藍は本当に腹を立ててしまったたらしい。思わず、暁亮はしげしげと見返す。
「和平の使者というものはもっと愛想のいいものではないのか? つれないな。秋と友好を結びたいのは公けの場でだけなのか? それ程美しい顔をしているのに、中身は随分と冷たいものだ」
「‥」
気まずい沈黙が落ちる。
暁亮ははあっとため息をつきたくなるのを堪え、平坦な心で臨むのを念じつつ次の台詞を吐いた。
「‥わたくしの態度で気分を害してしまったのなら、不徳の至りです。‥成程、私は確かに疲れているようですね。すぐにでも休みたいのですが、いい加減寝所に案内してもらえますか」
(ここでもか)
(どこまで行っても、私は私でしかなくて)
(これ程すぐに嫌われるなんて、余程醜い心根の人間なんだな、私は‥)
暁亮が自己嫌悪に陥るのを知ってか知らずか、周藍はしばらく無言だったが、やがて足音を響かせるようにずんずんと歩き出し、暁亮と周藍が立ち止まっていた場所からいくつか先の扉を開けた。
「ここだ。自由に使って欲しいとのことだ。内鍵もかかる。‥明朝、侍女がこの部屋まで食事をお出しする。夕食は如何なされる」
「不要です。早く眠ろうかと思いますので」
「了解した。それでは私はこれで」
友好的な雰囲気など欠片もなく、ひどく事務的に暁亮と周藍は互いに頷く。暁亮は指し示された部屋に入り扉を閉めた。
内鍵をかけ、周藍の立ち去る足音が消えるのを見計らってから、暁亮は閉めた扉の内側で息をついた。
「‥‥疲れた‥‥」
暁亮は肩の力を抜き、呟く。
しばらくして、暁亮は外套を脱ぎ手近な椅子の背にかけ、靴は脱がずに掛け布に触れないようにだけ気をつけて、寝台に寝転がる。
長い髪がばさりと広がるのを感じ、切ってしまったらどれ程楽だろうと考えた。
(駄目か。長い髪にも使い道があるし‥男性は長髪も短髪もありだけれど、女性は長髪がほとんどだしな)
(切ってしまうと困る。‥面倒だな)
夏国を出立して秋国へ渡り、騎乗して王都椿を目指し。白焼宮に入って、王名代の使者とは言え和平成るまでは敵地の中、一人秋国の王の前へ参上した道程をくるくると思い出す。
身体がだるく、眠気がひどい。秋国王陽斎の前では、それでもしっかりとしていたつもりだったが、王の御前から下がると、やはり疲労が表に出ていたようだ。
(子規殿の前で大人げない態度を取ってしまったな)
(噂では、水軍指揮の手腕は鋭いが、人当たりは比較的温厚な人物とのことだったが)
(いや、やはり私の性格が原因かな‥)
眠気で混濁した意識の中、自嘲の笑みが漏れた。
(冷たいだなんて、言われ慣れている筈なのに)
(‥本当は、驚きと共に、自分と近い年齢の私に、親しみを感じてくれていたのかな)
つれないな、という言葉に、さまざまなふくらみが潜んでいたのではないか。
親しみを感じていたからこそ、逆上しかかったのではないか。
(‥仕方ない。今更。ここは夏国ではない。彼は、私と同じ国の人間ではないのだから)
周藍とても、いくら和平が成ったとはいえ、所詮他国の暁亮に、それ程真剣に好意を持っている訳でもないだろう。
(それよりも、とにかく疲れを癒さなくては)
(明王が到着する前に‥)
暁亮にはやるべきことがある。秋国人間関係の情報収集。政治状況。飛び込んでみなくては知りえない内部事情の数々。
『月のようだな、おまえは。名から暁の光に喩える者もいるが、私は真実、月のようだと思うぞ』
夏国王明理の茶目っ気あふれる声を暁亮は思い出していた。
(掛け布を被らなきゃ‥風邪なんてひいている場合じゃない)
(でも少しだけ‥眠い‥)
異国の地で、故国夏を思い出しながら暁亮は眠りに就いた。
目が覚めたのは深夜である。短い睡眠だったが疲労感はない。何とか掛け布に潜り込んだおかげで寒気を感じることもなく体調はほぼ万全。
夕食を断り、早々に睡眠をとる旨を宣言したため、誰も暁亮の居室を訪れる者はいなかった。内鍵が確かにかかっていることを確認し、暁亮はあらかじめ運び込まれたいくつかの荷物に手をかけた。
寝乱れながらも結ったままだった髪を下ろし、櫛で梳く。腰程までもある艶やかな黒髪を新たに結いなおす。ほどんどは下ろしたまま、両脇だけねじって髪飾りで留める。髪飾りは秋国風に小さい花と実をあしらった金細工のものとした。
体に当てた服は手配通り秋国王宮白焼宮の侍女服。三日月に紅玉の耳飾りは左耳から外し、代わりに小さい菱形の金の一対を身に着ける。脱いだ服は手早く丸め、寝台に押し込んで人型を作る。
手鏡と紅を取り出し、薄化粧する。美しくというよりも、逆に目立たなくするため、線は曖昧にぼかすように。
‥しばらくして、月光の差し込む部屋に現れたのは、まぎれもない一人の美しい少女だった。
女装した暁亮は、銀色の月光の中微笑んでみる。
手鏡には完璧にととのった白焼宮の侍女がいる。
(隙がなさすぎだろうか?)
(まあ、灯りはそう多くない。夜闇がうまく誤魔化してくれる筈)
「まずは‥」
呟いた声は夜の帳に紛れていく。
暁亮は窓を開け、辺りにだれもいないことを確かめると、入室までに歩いた道のりと白焼宮の外観から宮殿内の地図を思い描き、その場を離れた。
書き直すと枚数が増えます。
当然なんですが‥
〇年前のまま出せる訳もないまずい文章なんですが‥
楽しみでもあり、苦しみでもあり。