第八話
食事中の方はご注意ください。
【一ターン進みました】
王双部隊を出陣。
ついで、郭図部隊・劉禅部隊も出陣させる。
城兵は負傷兵の回復もあって、1100。大将のいない城兵の攻撃と防御力は皆無に近くなるが、やはり騎兵部隊の攻撃では減らすのは難しくなる。
作戦を遂行するまでの間は、余裕で保つ。
【一ターン進みました】
――よし。
まずはOKだ。
戦闘系特技が発動する時は必ず最初のターン。郭図・劉禅の部隊の撃破はこのターンでは起こらなくなった。
俺は、郭図の【計略】コマンドを選び、【虚報】に合わせた。
ゆっくりと太陽が西に沈んでいくのが見える。
ここからは、歩いて【交趾】まで行く。現在時刻は午後六時くらいか?
ここから朝六時までが、夜のターン。
――ここからは、歩いていかねばならない。
一ターン進ませてしまうと、いきなり敵のど真ん中になるからだ。なす術もなく殺されてしまう可能性があった。
平原が真っ赤に染まっていく中、俺は歩いていく。目標は分かっている。
すでに、【交趾】の建物は目視できていた。
それほど、時間はかからないように見えた。
――が。
「はあ……はあ……はあ……」
俺はしばらく歩いて、膝に手をついた。
足痛い。
息が苦しい。
頭痛い。
運動不足が祟っているのだ。
というか、体内時間でもう丸一日寝てないんじゃないのか? つっても、この状況ですやすや眠れるほど神経が太くない――昔の人は、それでも眠る時は眠っていたんだろうけど。俺は、根っからの現代人なのだ。
「くそっ」
悪態をついてから、俺は再び歩き出す。
少し休憩しても、良いのではないかと頭の中で思ったが――でも、やっぱり休んでいられない。
「!?」
俺は身をかがめた。周りが草の丈が長いので、それだけで身を隠すことが出来た。
今、視界の端に、黒っぽい何が映ったのだ。
心臓が早鐘を打つ。
敵兵? 情報ウィンドウ上では、まだ接敵していないはずだ。
息を殺し、そろりと上体を上げる。
――何も見えない。
「カー!」
「!」
慌ててまた身をかがめた。
何だ?
何の声だ? まるで動物の鳴き声だが。
「アホー!」
「カー! カー!」
「……」
胸の辺りを摩って、俺はほーっと息をついた。
カラスだ。カラスが鳴いているのだ。
驚かすなよ、頼むから……
俺は起き上がり、そして、目を疑った。
夕日に照らされている草原。その真っ赤な風景の中に、点々と人が死んでいた。
カラスたちは、その死体を貪り食っていたのだ。眼球をほじくり出し、その身を啄んでいる。カラスばかりではない。野犬もそれに加わり、そのご馳走を食べるために、先を争って牙を立てている。
ぶーん。
「ひっ……」
頬っぺたに何かが触れて、俺は頭を押さえて突っ伏した。
何かと思ったら、蠅で――俺の手の甲に止まり前脚をしきりに摩っている。その二つの複眼が、俺を見つめている。
「……おえっ」
腹からすっぱいものが逆流してきて、その場に吐き出してしまった。
分かっていたことだった。
ここはゲームの世界の決まりがあるけれど、生命は生きている。
刺されりゃ死ぬ。殺されればもう動かない。
そういうことだ。
分かっていたのに、俺は見て見ぬふりをしていた。
「俺が、殺した」
動物たちがどちらの兵を食べているのかは知らないが、俺が決断した末に彼らは命を絶たれたという事実。
それが、重く肩にのしかかってくる。
「どうしようもないことじゃないか……!」
言葉に出していってみる。
こちらの宣戦布告から戦端が開いたけど、どちらにせよ袁術が攻めてくるのは目に見えて分かったことだ。
やられる前にやらなければ、生き残れない。
俺は生き残りたい。
だから、殺す。
犠牲になってもらう。
――頭の中では分かっている。だが、心は全く整理がついていない。
俺は頭をぶんぶんと振った。
その考えを、追い出す。
立ち上がり、歩く。一歩、一歩。屍山血河となっているその風景に、目を反らしながら。
【交趾】の城塞がもう目前に迫った所で、俺は体をかがめて前進する。
都合よく、辺りはとっぷりと暮れている。このまま身を隠しながら、近づけそうである。
「ワアアアアアア……」
いくつもの声が聞こえる。悲鳴。叫び声。泣き声。罵倒する声。阿鼻叫喚のるつぼと化した戦場の声だ。
来た。
どうやら、すぐ近く。暗くなっているので、死体の振りをして体を突っ伏し、もぞもぞと匍匐前進しながら、宵闇の中目を凝らしてじっと辺りを伺う。
情報ウィンドウ上では、どの軍も微動だにしていない。
が、目の前に起こっているのは、当然のようにリアルタイムだ。
俺は、自分の部隊の状態を確認。
交戦状態――にはなってない。
もっと近づいて――戦わないとやっぱり駄目か?
「……」
息をつく。
一瞬で良い、はずだ。
手には、死体から拾って来た槍をもってきていた。
――行こう。
行くんだ。
突っ伏したまま、俺は心の中で叫ぶ。
あの、弓矢が飛び交い、斬り合いをし、殺し合いをしているところへ!
怖い。
怖い怖い怖い怖い怖い!
でも――
あの物言わぬ死体たちのことを思い出す。
やらなきゃ、やられるんだ。やらなきゃ……
「ああああああああああああああああああああ!」
叫んだ。力の限り。
立ち上がり、全力で駆けだす。
「あああああああああああああああああああ!」
完全に狂人のそれだ。
何事かと近くにいた兵士が、驚きすくんでいる。
俺の部隊が、交戦状態になっているのを確認。
計略【虚報】を発動。
「ワアアアア……!」
戦場の至る所で、声がする。
「小田裕也軍に援軍が現れたぞ!」
「その数一万!」
「既に紀霊将軍は討たれてしもうた!」
「援軍だ、援軍だ! 退却じゃー!」
【虚報により、紀霊の部隊はかく乱状態になりました】
やった。作戦は成功だ。
よし、これで――ターンを回す。
【一ターン進みました】
朝。柔らかな日差しが戦場を照らす。
5000あった紀霊の部隊が、3500に減っている。一夜にして、1500人が戦闘不能に陥ったということだ。
まだ紀霊の部隊の攪乱は解けていない。かく乱状態は、一ターンごとに部隊にいる全ての武将の統率と知略の値を参照して、元に戻るかどうかを判定する。
もしくは、計略【鼓舞】か【治療】を使用すれば、かく乱状態は解ける。程銀と紀霊は、どちらも持ってはいなかった。
よし、まだまだ!
【一ターン進みました】
3500から1500に。こちらの損害は0なので、数的に優位ならば、その消耗度は加速していく。いける。
目の前では怯える顔の兵士が見える――はたと俺は気が付いた。
ああ、そうだ!
何をやってるんだ。俺は。
かく乱状態が解ければ、即座に俺は殺される。なんだってこの戦場でターンを送っているんだ!
とんでもない大ボケだ。
すぐさま、俺の行軍目標を【交趾】に設定。
まだ紀霊の部隊はかく乱状態になっているので、無傷で入れるはずだ。
【一ターン進みました】
紀霊の部隊はわずか150ほどに。かく乱状態は、ようやく解けた。
こうなったら、彼らの部隊も殲滅させてもらう。これで、その負傷兵もこちらに頂けるということになる。俺は、各部隊に逃げていく紀霊の部隊の追撃を命じた。
「太守様のお帰りじゃぞ!」
突然声がして、俺はビビった。
俺がいるのは、城門のすぐ近くなのだが、何故だかそこには町民、兵士などが出迎えてくれている。
「よくぞ生きて帰ってくれましたですじゃ!」
「さあさ! どうぞこちらへ……誰か、馬を! 太守様をお乗せするのだ」
――なんだか嫌に歓待されているな。
俺は愛想笑いを浮かべつつ、適当に頭を下げている。
「いや、しかし太守様の剣技は素晴らしいものがありました」
「そうじゃそうじゃ。全く……敵兵共がまるで子ども扱いじゃ」
え?
剣技?
ちょっと待て。えっと、どういうこと?
「全く、太守様こそ、天下無双、真の豪傑じゃ」
「まさかお一人で、あれほどの兵を倒すとはのう」
さっと何か冷たいものが首から背中にかけて走った。
今俺が持っているのは、剣だ。槍ではない。
よく見ると、俺のTシャツもジーパンも血まみれで、髪から血がぽたぽた垂れている。顔をぬぐってみると、べったりと血が掌に張り付いている。まるで、血のシャワーを浴びたみたいだ。
――つまり、こういうことだ。
かく乱状態を受けている部隊は、部隊攻撃力が0になる。
兵力1の俺であっても、戦場にいる限りは、敵兵を攻撃し続けていることになる。
息が、詰まった。
俺は、今、どれだけ戦場でターンを送った? この帰って来た時と合わせて、丸一日だったはずだ。
丸一日――俺は、人を、殺し続けた……?
この剣は、おそらく、敵兵から奪った物ではないのか。
「太守様……?」
意識がブラックアウトしていく。
慌てる町民の声を聞きながら、俺は意識を深い闇の中に沈めた。