第九話
月が代わり八月となった。
「何か理由があるのですか?」
産業値を上昇させる【商業】の仕事を終えた郭図が、俺に尋ねてきた。
「何か、ってなんだ?」
「せっかくお召しになった料理に、手をつけないとか?」
先ほどの話ではある。
あの袁術軍の戦い以来、ずっとご飯を食べていない俺は、料理を運んでくるように兵士に言ったのだ。
運ばれてきたものは、贅を尽くされたもので、「是非とも太守様に召し上がっていただきたい」と料理人が腕を振るった物だった。。
それを、俺は、何一つ食べれなかった。
料理人には、ひどく悪いことをしてしまった。
「言っておくが、時々、食べているからな?」
「頬がこけ、顔色が悪すぎます。そうは見えません」
はあ、と俺はため息。
体内時間では、もう二日も胃の中に固形物を入れていない。水か、温かいお湯のみだ。
食べようとすれば、あの血の匂いが、獣たちが肉をむさぼる光景が、蠅の複眼を思い出してしまうのである。
「腹は減っているが、食べる気がしないんだ」
「どうしてまた?」
「言ってもわからないと思う」
「殿。士は、己を知る者の為に死ぬと言います」
郭図は眼鏡をくいっと上げてから、続けた。
「わたくしは、自身を一番高く買った殿の力になりたいのです。どうか、お話しください」
――そういう風にみられているとは、なんだか意外だ。
俺はため息をつき、郭図に話した。
「郭図は、人を殺したことがあるか?」
「間接的には、十日前に」
「嫌になったことはないか?」
「何故です? 殿の言う言葉とは思えませぬが」
まあ、そうか。
俺が殺した人間は、ゆうに百人は下らないということらしい。
剣が使い物にならなくなれば、敵の物を奪い、城兵からの弓矢などものともせず、混乱している敵をばったばったと斬り倒したらしかった。
まったく覚えがないが。
だからこそ、性質が悪いのかもしれない。
「君は、平気なのか?」
「相手が殺そうとしているのに、殺さない理屈はございません――そもそも、だからこそ袁術軍に宣戦布告したのでは?」
この戦は俺が仕掛けたものだ。
俺の発言は、矛盾しているといえる。
殺したくないのならば、攻めに行かなければいい。
「劉禅殿の言う通りですね」
はあ、と郭図はため息をついた。
「劉禅が何を言ったんだ?」
「わたくしをこの国に誘った時の台詞です『裕也は凄いぞ~、優しいし、凄まじく仕事するしのう。とにかく凄いぞ~』」
と、身振り手振りで劉禅の物まねをする郭図。あの真面目な郭図がやるものだから、思わず俺は噴き出してしまった。
「いや、すまなかった」
郭図が睨んで、俺はここは笑ってはいけなかったのか、と理不尽な思いをしながら謝罪する。
「――いえ。ともかく、その言葉は真実だったということです。殿は、凄くて、優しい。人を殺すのに、罪悪感を感じておられる」
「……」
「今や、殿の力を頼みにしている者がおります」
【交趾】の街の住人だ。
俺が目を覚ましてみると、【民心】の値が57に上昇していた。そのほかにも――データを引っ張り出す。
【交趾】
民心 57/100
産業 24/64
収穫 4/30
耐久値 35/100
兵力 25800人
将 4人
現在このようなことになっている。
通常、内政データは将が仕事をしないと上昇しないのだが、情報ウィンドウ上の過去ログを見てみると、イベントが起こって、【民心】【耐久値】【兵力】が上昇したとある。実際に、この街の住民は、城門を何も言ってないのに修復をしてくれて、義勇兵として兵に加わってくれた。
俺の活躍に、胸をうたれたということだろう。
確かに敗北間近の大ピンチの時に、突如として現れ、憎い敵兵をばったばったと斬り倒していく。
英雄だ。ヒーローだ。【交趾】の街の住民には、そう見えたことだろう。
そんなイベント、このゲームにはない。
――どうにも、ここはただのゲームの世界ではないみたいだ。
劉禅や郭図の時もそうだが、実際にゲームにはなかったイベントが起こる。
一度、何故そういうことが起こるのか、実験して確かめた方が良いかもしれない。
……この時、その実験のお陰で自分に大いなる災いが起こることを、この時の俺は知る由もなかった。
「俺のお陰で【交趾】が助かったというのは、誤解だ。郭図のお陰だぞ。本当は」
「いえ。わたくしなどは、最後にほんの少しこの才を発揮しただけです。この【交趾】を守ったのは、殿の絵図のおかげでしょう。【自分が囮になって袁術軍を引っ張ってくる】。追いつかれれば死ぬというのに、そんな胆力を持つ君主など、古今東西見たことはありませぬ」
「……」
「正直、殿の作戦を疑っていまして、次善策を考えていましたが、あなたの言うとおりに、事は進みました」
「第二陣が来ることは予想していなかった」
「殿が帰ってくる前に、我々で判断したのです。殿のご指示を聞けばよかった」
そういう処理になっているのか。
どちらにせよ、俺の指示なんだけど。
「殿は、恐るべき慧眼をお持ちだ。そして、その武。あなたにはこの乱世を統べる資格がおありかと思います」
「本当に買いかぶり過ぎだよ。大体、あれはたまたまだ」
「たまたまであのような真似は出来ません」
そりゃそうだけど……
彼女の言葉を聞くたびに、重く、何かが肩にのしかかってくる気がしている。
「では、殿はこの乱世を鎮めようとは思わないと?」
「そりゃ――まあ」
出来なければ、死ぬのだ。やる気は誰よりもあると言えた。郭図は軽く笑みを浮かべる。
「このわたくし、郭図もついております。張良や韓信とは言いませんが、どう低く見積もっても蕭何や陳平の実力がございましょう? 殿の重荷を、わたくしが半分担いで御覧に入れましょう」
「ぷっ」
――彼女は彼女なりに、俺を元気づけてくれているようだ。
まさか、あの郭図が冗談を言ってくれるなんて。
「何を笑っているんですか?」
むっとした郭図。いや、だって。
「いや、さすがに、蕭何や陳平はなあ」
と、俺が言葉を選んでいると、彼女は頬っぺたを赤くさせる。
「そうでしょうか? やはり、張良……」
「え?」
「え?」
「あ、い、いや、そ、その通りだと思う! うん!」
慌てて言い直したが、もう遅かった。
「――殿、正直におっしゃってください。あなたにとって、わたくしはどの程度の武将なのですか?」
かなり怖い目で見ている郭図。
「だ、大事な武将だと思っている」
「正直に、お答えください」
「郭図がいなかったら、実際、この【交趾】は失陥していたし。それは本当だぞ」
むーと睨んでいた郭図は、「まあ、良いです」と、追撃を諦めてくれた。
「嚢中の錐と申します。いずれ、殿にもお分かりいただけるでしょう」
郭図は、凄まじい自信家のようである。張良ね。まあ、そうなってくれると嬉しいが。
「先ほど申し上げたのは、全てわたくしの真実な思いです。その重き荷物、この非凡なる才能が必ずや支えましょう。ですが今は、どうかその身を、安んじてくださいませ」
と礼をし、執務室を出て行った。
なんだかどっと疲れたが、ちょっと元気をもらった気がする。
――そうだな。今日は、もう寝よう。
今日は、かなりリラックスして眠れそうだった。
【司馬炎が討ち死にしました】
朝。目覚めた直後に、とんでもないメッセージが頭の中に浮かんできた。
この世界最初の犠牲者が三国をまとめた勝利者だとはなんて皮肉だ。
そして、その事実は、劉禅や郭図たちも平然と死ぬということを示している。運が良かっただけなのだ。実際。
折角、ぐっすり眠ったのに……朝から鬱になる。
「裕也~、起きておるか~、朝じゃぞ~」
どんどんどん!
扉をたたく音に、物憂げな感情が吹き飛んだ。
劉禅だ。声でもわかるし、行動でもわかる。
彼女には、捕縛した程銀の説得に当たってもらっている。
その成果が現れたのだろうか?
俺はベッドから起き上がり、ドアを開けた。
「劉禅、どうした? 程銀を説得できたのか?」
「うむ。裕也よ。今日は天気もいいから外に遊びに行くのじゃ」
期待していた答えとは違うことに、俺はまず驚く。
「いや、あのな、劉禅。程銀の説得は?」
「見よ、裕也!」
と、彼女は皮袋を俺に見せる。
「この中にはのう、料理人が精魂込めて作り上げた肉まんが入っておる!」
「……だから?」
「分からぬのか!? この肉まんを食べるには、すなわち最高の食べ方をせねばなるまい!」
「うん。分かった。昼にでも食べてくれ。で、劉禅、仕事を――」
「肉まんの最高の食べ方、それは、外で食べることじゃ!」
「安っぽい答えだな、おい」
「ということで、行くぞ、裕也よ」
「いや――だから。ていうか、何で俺を連れて行く!?」
と、俺の体は劉禅に引きずられていく。体に力が入らないので、本当に、引きずられるままだ。
季節は夏真っ盛りになりつつある。
はっきり言って、凄まじく熱い。まあ、赤道に近いし。
人だかりも、どちらかというと肌の色が褐色なのが多い。その熱気に応じてか、【交趾】の街も活気づいていた。
もうこの前の戦争などなかったかのような賑わいだ。
「熱いのう……」
片手をうちわ代わりにして、顔を扇ぐ劉禅。
「おお、太守様じゃ……」
「太守様ー! お加減はいかがですか?」
「今新鮮な魚が手に入ったので、食べていきませんかー?」
住民が俺を認めて、声をかけてくれる。その声に、俺は愛想笑いで応える。
隣に歩く劉禅に小声で話す。
「どこへ連れて行くんだ?」
「すぐそこじゃ。ほれ」
と、指さした先は、点心を売っているお店だ。店の中から、もくもくと湯気が立ち上っている。軒先にベンチのような木造の長椅子があり、そこに劉禅は座った。
「ここで食べるのじゃ」
「こ、ここで?」
「ふむ。食べ比べと参ろうではないか」
どうやら肉まんをさらに食べるらしいぞ、彼女。
俺が呆れていると、彼女は早速皮袋から肉まんを取り出し、ぱくりと一口。
「ああ……なんという芳醇な旨味じゃ。すばらしい仕事がなされておるのう」
「……」
視線を感じ、後ろを振り向く。
そこには、弁髪のこの店の店主が、腕を組んで立っていた。
そりゃそうだ。自分のお店の売り物以外を持ち込んで、店先で食べているのだから。店主からしてみれば、喧嘩を売られていると思われて仕方ない。
「す、すいません。肉まんを二個下さい。あと、お茶を」
慌てて注文すると、
「蒸したてを頼むぞ! 店主!」
遠慮という言葉がその頭にないのか、お前は!
そうこうしている内に劉禅はぺろりと一個を平らげた。
「どうじゃ、裕也? 元気が出たか?」
もう一個肉まんを取り出して、彼女は話しかけてきた。
「元気?」
「うむ! 食欲不振はな、こうしてお天道さまの下で、うまそうな匂いを嗅いでいたら自然と治ってくる!」
あー……なるほど。彼女も、郭図同様、俺を心配しての行動のようだった。
確かに、あちこちにある肉を焼くにおい、ご飯を炊くにおいなどが、ここにはある。
でも、普通に、元気づけてくれないか。頼むから。
――まあ、朝の憂鬱な気分は、確かにどこかへ行ったけど。
俺は、この悩みのなさそうな子に、尋ねてみることにした。郭図と同じ質問を。
「劉禅は、怖くないのか?」
あんぐりと口を開けて肉まんにかぶりつこうとした劉禅は、それをひっこめて、尋ね返してきた。
「何がじゃ?」
「人を殺すのがさ」
「怖いぞ。殺すのも、殺されるのもな」
即答で彼女は答えた。
「じゃが、やらなきゃやられる。母上も言うておった。この世は弱肉強食とな」
「阿斗の母親……えっと、劉備玄徳か……」
すぐ向かいの饅頭屋で、兄弟が喧嘩をしているのが見えた。
どうやら、饅頭の取り合いをしているようである。仲良く分ければいいのに。と内心思いながら、劉禅の話を聞く。
「うむ! しかし母上はまた言うておった。死んだ者の為に、その死を無駄にしてはいけないと。殺した者の為に、何が何でも生きて、大願を成就せねばならないとな」
筵売りから皇帝にまで上り詰めた劉備の言いそうなことだ。だが、その皇帝となるためには、かなり遠回りをした人生を送っていた。
それが劉備玄徳の魅力であり、関羽や張飛、趙雲、諸葛亮孔明が集まってきた理由なのだろう。
だが、劉備の人生は黄巾討伐から戦いの人生であり、曹操まではいかないが、数多くの戦を経験していた。当然、殺した人間もかなりの数に上るのではないか。
劉備は、その死んでいった人間を尊いものとして扱ったのだ。
それを聞くと、劉表の所にいた時の髀肉の嘆も考え深いものがある。
「大志を抱く、ということか」
あの饅頭を取り合っていた兄弟の下へ、体格のある子供がやってきて、饅頭の入った袋を奪い取った。
わんわんと泣き出す兄弟。
「……そうか」
俺にも、そういった……例えば『乱世を鎮めたい』とか『人が安心して暮らす世を作りたい』といった志を抱けば、この罪悪感から逃れられるかもしれない。
「しかしのう。阿斗はそうは思わぬのじゃ」
え?
劉禅が席を立ち、泣いている兄弟の下へと行く。そして、皮袋に入った肉まんを差し出した。
「いいの、お姉ちゃん?」
「うむ! 兄弟仲良く食べるのじゃぞ!」
「……ありがとうお姉ちゃん!」
泣いていた兄弟はにっこり笑って、立ち去って行った。
戻ってきて、お店の中を覗く劉禅。
「うーむ、まだかのう。蒸したてはうまいのじゃが、こうして待たされるのはのう」
いやいやちょっとまてお前。
「劉禅、さっき、何を言った?」
「食い意地が張っているわけじゃないぞ? 今日は本当にお腹が空いてのう」
「今更だよ、それ! ていうか、さっき! 自分は劉備の言うことに賛成できないことを口に出したろう?」
「ん? おお、そのことか?」
ほっぺたをかいて、彼女は難しそうな顔をしながら答える。
「母上は、傑物じゃ。人にはない、大器をその身に秘めておる。じゃが、そういった人にない物を、阿斗は持ってはおらぬ」
「――」
「ああいう考えは、非凡な人間だけしか持ってはならぬものじゃと思う。普通の人間が、そのような考えを抱けば、自分も周りも不幸にすると思うのじゃ」
ぐさりと刺さる言葉だ。
オール1のステータス抜きに自分が非凡かと問われれば、絶対にNOだ。
「阿斗のような者は、のんびりと暮らす方がお似合いなのじゃ」
「――じゃあ、何で俺の所に来たんだ?」
ふとした疑問が反射的に出てきた。
「ん? ああ、それは、じゃな――」
なんだか口をもごもごとして、明後日の方向を向く劉禅。言いたくないのか?
その時、ようやくにしてお茶と肉まんが運ばれてくる。
「おお、待っておったぞ」
誤魔化すように、彼女は肉まんを頬張る。
……まあ、良いけどな。
ふう、と息をついた。
俺は俺でしかない。
劉備にも曹操にもなれない。
しかし、殺さなければ、殺される世界にいるのだ。
――正直、現代人がいていい世界じゃないよな。実際。
立派な志なんて、持っていない。正直に言えば、この世界のことなんてどうだっていい。
でも、生き残りたい。
「俺って、結構、傲慢だよなあ」
ため息とともに出てきた言葉を、劉禅が笑い飛ばした。
「何を言う。人はみな、傲慢よ。母上たちの方がおかしいのじゃ」
はっはっは、と。
安楽公だな。本当、マジで。いろんな意味で。
結局のところ、この罪悪感が晴れることはない。
いや、違う。
罪悪感を晴らそうというのが間違いなのだ。
俺はゲームの世界では、君主。死ねばゲームオーバー。ゲームオーバーはおそらく、死だ。
だから、生き続ける限り、更に人を殺していくことになる。
それから逃げようと思うから、おかしいことになるのだ。
俺は自身の手元に渡された肉まんを見る。
食うか食われるか。生き残り続けるには、食う側に回らなければいけない。結局のところ、答えはずいぶん前から掲示されていたのだった。
がぶり。
肉汁が、口の中に溢れる。久しぶりの食事らしい食事。噛むたびに至福が訪れる。
ごくん。
胃の中に収める。けれども、だ。
俺は、殺人鬼にはならない。
人の死を辱しめたり、喜んで殺するようなことはしない。
あくまで、自分が生きるために、人を殺す。
だから、許しは請えないし、請わない。
だけど、絶対、救える人間がいたら、救う。
仲間が窮地に陥ったら助けに必ず行く。
あくまで、俺という力の及ぶ範囲内だけだけど……それだけは、俺の中での一線だ。越えてはいけないラインだ。
それでようやく。すとん、と何かが胸に落ちてきた。
「どうじゃ、ここの肉まん? うまかろう?」
となりの劉禅が、満面の笑みで尋ねてきた。
その答えを、俺は頬を掻いて――それだけにしておいた。