ガーゴイル
ポルチが出発の言葉と共にヒュッと口笛を鳴らし同時に手綱で指示を出す。
それに反応するようにワイバーンたちが勢いよく駆け出した。
スピードに乗ったところで一斉に翼を広げて二度三度と大きく羽ばたくと、一拍遅れて客車が宙に浮く。ワイバーンたちが羽ばたく毎にグイグイと引っ張られるのを感じる。
ワイバーンと客車は傾きながら大きく旋回して高度を上げていく。
やがて十分に高度を上げたところで安定した直線的な飛行へと切り替わった。
「やはりロストランド産はパワーが違うな、ポルチ!」
「あい。バラン様!」
そうらしい。オレにはよくわからないが。
上空から見下ろすロックランドはその名の通り大地の半分以上を岩が覆いつくし、その合間から背丈の低い草や低木が顔を見せる場所が多い。建物がないのでずいぶん狭く見えるがおそらく大田区程度はあるように思う。
領地のほぼ中央にある高台に屋敷があり、そこを中心に東部には岩場の狭間に渓谷があり川のほとりには背丈の低い草花が分布する。その先には小さな滝がありその周囲には背丈の高い草も生い茂っている。
西部は乾燥しており植物がほとんど見られない。植物が少ない理由は土壌に水分が少ないだけではない。この辺りは魔素の強いロックランド領内でもとくに高濃度の魔素が発生するため、ほとんどの植物はその強い魔素の影響を受けて生育が困難になっているらしい。地上の所々に人が出入りできる程度の穴が見られるが、バランの話では穴の中に住む者がいるらしい。
西部の中央よりやや北部よりには更に巨大な穴が地上にぽっかりと口を開けていた。ここにも魔宮が発生しているのかと思いきや、そうではなくただの大穴らしい。
北部は大きな岩山が中央にそびえ立ちその周辺を奇岩石群が囲む。上空から見ると奇岩石群の合間に大きく開いた魔宮の入口が見える。今日も兵士たちが見張りをしてる。魔宮がこの地区に発生してからは厳重警戒地区となっており、私設兵士が交代で見張りを続けている。
南部は屋敷から見ると岩場の間に背丈の低い草が生える地域が続き、その向こうに森と湖が見える。肥沃な土地の乏しいロックランドで唯一といえる緑が生い茂り野生生物の生息数が多い地区だ。
その森の上空を通っていた時に不思議な光景を目にした。
一羽の白い鳥を十羽ほどの黒い鳥があとを追うように飛んでいる。やがて追いついた黒い鳥たちは白い鳥をとり囲むように周りを飛びまわり、それぞれに鳴き声を上げている。何をしているのだろう。
気が付くと白い鳥は姿を消していた。いったいあれは何だったのか。
「バランさん、あの鳥の群れは何をしているんですかね?」
「あれは鳥ではなく野生のガーゴイルでございます。何やら気が立っている様子でございますね」
ということはさっき見た白いのもガーゴイルなのか。
何となく気になったオレがバランに下に降りることは可能かと問いかけると、バランは即座にポルチにその旨を伝える。領内のことを詳しく知るためには少しくらいは寄り道もいいだろう。着陸の指示を受けたワイバーンは旋回しながら徐々に高度を下げ、やがて森の入口付近へと着陸した。
客車から降りたオレは背の高い樹木が生い茂る森に目をやる。
下草が多く木の枝に遮られ陽が射さない森の奥は薄暗く見通しが悪い。
「バランさん、この森って入ってみても大丈夫ですか?」
「もちろんでございます。全てダン様の領地でございます」
「いや、そういう意味じゃなくて一人で入って危なくないかなぁ……て」
「殻魔装を纏われてますので問題ないかと思われます。この辺に生息する下級な魔物や野生動物では、殻魔装を纏われたダン様に傷ひとつ付けることは難しいはずでございます」
うわ。やっぱり魔物とか普通に生息してるわけね。
本当に大丈夫だろうか。
「ご心配でしたら、念のために『起動』した状態で入られたらいかがでしょう」
何を起動するのだ。殻魔装をつけていなければバランでなくても、オレの表情から簡単にそれが読み取れただろう。しかし、流石は先々代から使える執事だ。バランはすぐに起動の説明を始めた。
「殻魔装は本来、起動なしでもその防御性能や運動性能は損なわれません。ですが、起動することで本来の全性能を発揮いたします」
なるほど。殻魔装を起動するということか。
この状態でまだ全性能を発揮してないとは。
まさか起動したら巨大ロボットと合体でもするのか!?
「どうやって起動するんですか?」
「そのまま『起動』と強く念じるだけでございます」
『起動』 「ぬぴっ!」
思わず変な声が出のにはわけがある。
頭部に静電気のようなものを感じると、次の瞬間に息子と尻に強烈な違和感を覚えたからだ。何かが尿道と肛門に入り込んできた。
殻魔装が密着しているので逃げることができない。
突然、視界内に白色で『正常起動』文字が浮かび上がる。
何が起こった。オレは咄嗟に涙目でバランの方を見た。
名称:バランドルズ
レベル:121
性別:♂
状態:良好
種族:魔族
職業:執事
魔法属性:視覚認識
これはいったい。バランの情報?
その隣で不思議そうにオレを見つめるポルチに目を向ける。
名称:ポルチ
レベル:17
性別:♂
状態:空腹
種族:オーク
職業:使用人
魔法属性:食餌
名称:不明
レベル:8
性別:♂
状態:良好
種族:ワイバーン
職業:────
魔法属性:移動
名称:不明
レベル:7
性別:♀
状態:良好
種族:ワイバーン
職業:────
魔法属性:移動
ポルチと同時に視界に入ったワイバーンたちの情報までもが瞬時に表示される。
こいつらオスとメスだったのか。もしかするとつがいなのか?
それよりポルチの『状態』の『空腹』と、『魔法属性』の『食餌』って。
何だそれ。
「バランさんって魔族だったんですか?」
「はい。魔族は魔界で最も多い種族でございます。どうやら殻魔装が上手く起動したようでございますね」
「魔族ってことは悪魔ということですか?」
バランは苦笑いを浮かべながら続ける。
「正確には『悪魔』というものは存在いたしません」
「え? そうなんですか?」
「ダン様がおっしゃる悪魔とは人間をたぶらかしたり蹂躙するような者のことでございましょう」
「えっと、まあ……はい」
「それは、天界族が人間に植えつけた魔族の虚偽の概念でございます。天界族は人間の心の操作にとても長けた種族でございます。そういう意味では人間の言う悪魔とは我々、魔族を指している事になるとも言えるのでございますが」
天界族というのがオレたちの言う天使ということになるのか。
その天界族が人間の心理操作で魔族をオレらがイメージする悪魔という存在に仕立て上げたと言うことか。にわかには信じがたいがバランがオレに嘘をつくとも思えない。ただ、その説明だとまるで天界族こそが邪悪な存在に思えるのだが。
そんなことがあり得るのだろうか。
「さあ、ダン様。まずはその他の殻魔装の操作方法をお伝えいたしましょう」
「ああ。はい。お願いします」
何か無理やり話題を変えられた感があるが。
気のせいだろうか。
「殻魔装の起動を終了する際には『停止』と念じてください。ただし、停止すれば次に起動できるまでしばらく時間がかかります」
「なるほど」
「それと大切な注意点がございます。殻魔装が連続で起動できるのは日中で一時間程度でございます」
「一時間を過ぎるとどうなるんですか?」
「自動的に停止いたします」
便利だが一時間で停止するのはいただけないな。
いずれにしてもこの防御性能と運動性能があればなんとかなるだろう。
「その他にもいろいろな機能がございます。例えば『状態表示』と念じれば自らの状態を確認できますし、『位置表示』で自分の現在地がわかります」
「なるほど」
「それと『魔法』と念じれば現在お使いになれる魔法が表示されるはずです」
魔法まで使えるのか!?
オレの中二魂に火がつくのを感じる。
『魔法』
魔法:魔法の矢
おお。表示された。
でも、一つしか出ない。やり方が違うのか。
「魔法の矢と出ました」
「本来、魔法は時間をかけて習得するものなのでございますが、その魔法だけは先々代の偉大な魔法技術を取り入れ、最初から殻魔装自体に組み込まれております」
会ったこともない祖父の魔法。少し不思議な気がするが今の自分があるのは祖先がいたからだ。そう思うと何か壮大なものを感じる。
「魔法の矢はその名の通り、掌から魔法の矢を放つ攻撃魔法でございます」
高い防御性能と運動性能に加えて魔法。
これならバランのいう通り大丈夫だろう。
『位置表示』
念じると視界内に自分の現在地と周囲の地形が表示される。
森は南北にのびた歪な楕円状になっている。北側のはずれに青色で表示されているのがオレの現在地だ。近くにある四つの白色のバランとポルチとワイバーンたちの表示で確認できる。これなら迷うことはない。
「じゃあ、ちょっと森の中を散策してきます」
「かしこまりました。どうぞお気をつけて行ってらっしゃいませ。私どもはここでお待ちいたしております」
下草をかき分けながら森を進む。有名な海外の国立公園を彷彿とさせる直径が一メートルを超える巨木の森の中は、わずかに届く木漏れ日が赤銅色の樹皮を照らし何とも言えない味わいのある雰囲気を醸し出している。
よく見ると下草にまじって綺麗な花や実のなる植物も生えており、見たことのない羽虫が舞い、栗鼠に似た小動物が木の枝の上からこちらの様子をうかがう。むせ返るような緑の香りが気持ちが良い。ここが日本なら人気のハイキングポイントになっていたことだろう。
しばらく進むと森の奥の方から動物たちの甲高い鳴き声が聞こえてきた。
この泣き声は聞き覚えがある。さっき森の上空で見かけた野生のガーゴイルたちだ。オレは速度を上げてさらに歩を進めた。
木々の間から全身が真っ黒の尻尾の長い子猿に蝙蝠の羽を生やしたような生物が、地面に群がって荒々しくキーキーと甲高い声を上げているのが見えた。
ガーゴイルだ。時折、飛び上がり羽をばたつかせては同じ場所へと降り立つ。
何をやっているのだろう。
近付くとその中の一匹がオレの方を見て、ギギギッとけたたましく仲間に警戒を促す声を上げた。その一匹が口元や手の先から緑色の液体を滴らせながら近くの木の上に飛び上がると、すぐに周りにいたカーゴイルたちが一斉に飛び上がった。
ガーゴイルたちが去ったあとには緑色に濡れた小さな塊が横たわっていた。
近付いて見るとそれは仲間たちに酷く傷付けられて、息も絶え絶えで横たわる緑色に染まったガーゴイルの子供だった。この緑色の液体はガーゴイルの血液なのだろう。うつぶせに丸まった体を優しく抱き上げると顔と腹の辺りに白い毛が見える。きっと森の上空で一瞬だけ目にした白いガーゴイルだ。
仲間たちにここまで攻撃されるのには何か訳があるのだろうが、これではあまりに惨すぎる。放っておけばこのままなぶり殺しにされるのは明らかだ。見捨てることはできない。オレは緑色に染まったガーゴイルを抱きかかえたまま『位置表示』を頼りにバランたちのもとへと急いだ。
傷ついたガーゴイルを抱きかかえ背中を向けて歩き出した途端に、オレの周りを真っ黒なガーゴイルたちがキーキーと甲高い声で威嚇しながら飛びまわる。
あまりにも目障りだったので試しに左手を突き出して『魔法の矢』と念じてみた。そのとたんに掌から輝く魔法の矢が放たれる。もちろんこちらも威嚇のつもりだ。
それが偶然にも近くの木の太い枝に命中してヘし折れると、そのままガサガサと大きな音を立てて林の中へと落下した。気が付くとその音に驚いたガーゴイルたちは蜘蛛の子を散らすように逃げ去り姿を消していた。
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