殻魔装
オレは頬杖をつきながら机の上に広げられた父の書いた魔物図鑑をじっと見つめる。
大学受験に失敗してそのままフリーターになった。
ある日突然あらわれたバランに父の遺産の説明を受けて書類にサインをした。
その後にバランと一緒に近所のファミレスへ向かい、従業員控室の扉から魔界へ。
どう考えてもファミレスの件から後が一気におかしい。
待てよ。もしかしてこれは全て夢なのでは。気が付くとファミレスの席にいて、じつは居眠りしてましたってオチか。そうかもしれない。それなら納得がいくのだが、いったいいつ目覚めるんだ……。
机の隅に置かれた紺色の書店の包に上に目をやる。
バランが母から預かった品だと言って置いていったもので、包の左上に『HAPPY BIRTHDAY』と書かれた金色のシールと赤色のリボンがついている。
テープをはがして包を開けると二冊の本が入っていた。
『三国志に学ぶ! 超リーダー力!』
『Let's 異国でナンパ! (初級編)』
たしかにリーダーなんだけどね。異国というか異世界というかね。
ツッコミどころ満載。タイトルから間違いなく母の選択なのがわかる。
この本を置いて部屋を出る前にバランは話の本題に入った。
「既にダン様には遺産相続の内容がこのお屋敷とロックランドの領土それと貨財であることはお伝えいたしましたが、その中の貨財についてご説明させていただきたくこの書斎にお越しいただきました」
そう言うとバランは壁際に置かれた本棚の本に触れる。
『ズズズ……』本棚が小さな音を立てながら横へずれると、その跡に奥の部屋へと続く入口が現れた。
「さあ、ダン様どうぞこちらへ」
隠し部屋か。オレはバランに言われるがままにその中へと入った。
奥まった場所に頑丈そうな扉が見える。
「ダン様、この部分に手を添えていただけますか?」
扉のすぐ横にある正方形の石版のようなものに手を添えた。
すると石版にぼんやりと手形が浮かび上がる。
その直後、頑丈そうな扉は音も立てずに扉が開いた。
扉の奥には小さな部屋がある。左手には書棚がありたくさんの書物と巻き物が。右手には装飾された木の小箱が二つと壁面にはいくつかの武器や杖が。そして、中央の突き当たりには頭部に二本の曲がりくねった角を生やし、たてがみを生やした獣人の悪魔を彷彿とさせる様相の置物が日本の鎧武者を彷彿とさせる状態で鎮座している。鎧と肉体が同化したかのような禍々しい姿はまるで魔界そのものを体現するかのような異様さを放つ。
バランはまず左手の書棚を指して説明をする。そこには先々代の祖父が残した魔導や魔界に関わる重要な書物と、先代の父が書き残した特別な魔物の資料。それと万が一に備えて蓄えてある魔法の巻き物がたくさん置いてある。
次に右手にある装飾された木の小箱を開けた。一方の小箱には革袋に入った金貨と銀貨が、もう一方には貴金属類が入っている。金貨と銀貨は箱の大きさにたいしてずいぶんと少なく感じる。壁に立てかけられた武器や杖もかなりの値打ちがあるものらしく、バランがその価値を興奮気味に説明するがオレにはいまいちピンとこない。
最後に中央の突き当たりに鎮座する不気味な置物に目をやる。声をつまらせてそれを見つめるバランの目に薄らと涙が浮かぶ。どういう意味の涙なのか。まったく想像がつかない。
「これは先代がダン様のためにお作りになられたものです」
「え!? オレのため?」
父さん、こんな気色の悪い置物をオレにどうしろと言うんだ。
「でも、これって……」
「これこそ先々代の魔法知識と先代の魔素研究の知と財と努力の結晶。最高峰の殻魔装でございます」
「殻魔装?」
「はい。選ばれし者だけが纏うことを許される最高位の魔装衣でございます!」
どうやら身につけるもののようだ。
目を血走らせながら感情的に説明を続けるバランのテンションが少し怖い。
「これを纏われればダン様も魔素の影響を受けることなく、長時間でも自由に魔界の外の空気に触れることが可能となります」
「へえ。そうなんだ」
「このお屋敷の中は結界で守られておりますので魔素の影響は受けません。また、短時間であれば魔素の影響も軽微なものでございますし、体内に蓄積された魔素は微量であれば自然に少しずつ体外に排泄されるようになっております」
なるほど。魔素とはどことなく放射線にも似た要素がある物質のようだ。
目に見えないだけに厄介だが、やたらと恐れる必要はなさそうだ。
「よろしければ試しに纏われてみてはいかがでしょうか」
「え? 今?」
「はい。殻魔装の素晴らしさを実感するには纏われてみるのが早いかと」
「そうなの?」
「はい。ぜひ」
こういう時のバランは妙に押しが強い。熱意に負けて試しに殻魔装を着てみることにした。いったいどんな素材でできているのだろう。見た目は薄気味悪くかなりゴツイ感じだが、持ち上げてみるとその軽さに驚いた。
殻魔装は両足から首の付け根あたりまでの背中全体と、両腕から胴体の全面、そして頭の三つのパーツに分かれていた。
黒緑色のガウンを脱いで、まずはゆっくりと足部パーツをはいてみる。
かなり大きめの作りだと思ったが、はき終えると同時にパーツがオレのサイズに合わせて自然に収縮し肌に密着する。どういう仕組みなのかはわからないが、尾てい骨の辺りに位置する尻尾まで自分の意思で動かすことができる。
そのまま試しに歩いてみる。たしかにこれはすごい。まるで超薄手のタイツを一枚だけ着用しているかのような着心地で、動きに対する負荷はまったく感じない。
続いて腕部パーツを着てみる。足部分のパーツと同じようにかなり大きめだが、これも着終えると同時に自然に収縮し肌に密着した。まるで全身タイツ。いや、それ以上の着心地の良さだ。
最後に頭部パーツをかぶる。見た目はグロテスクだがかぶってしまえば自分の姿は見えない。頭部も自然に肌に密着すると、もはや何も身につけていないと錯覚するほどの視界の良さだ。暑くもなく寒くもない部屋を全裸で歩き回るような開放感だ。口を開けようとするとそれを瞬時に感知したように、自然に頭部の口部分が開いた。
「バランさん、これすごいよ!」
「そうでございましょう。お父上が私財の大半を費やして、ダン様の描かれた絵を元に魔界最高位の技師が作り上げた傑作でございます!」
私財の大半?
オレの絵?
「バランさん、その絵って?」
「この殻魔装はダン様が六歳の頃に描かれた絵を元に作られております」
六歳の頃に描いた絵?
何そのオレの記憶を試すかのような内容は。
『どうせ覚えてないだろうけど』というバランの心の声が聞こえてきそうだ。
「その絵を元に魔界の最高技術を持つ技師が、かの有名な魔界王グサインの全盛期を大胆にデザインに取り込んで斬新かつ荘厳な仕上がりにいたしました」
かの有名なとか言われても知らないし。
そもそも、これってオレの描いた絵のエッセンスは残ってないのでは。
たしかに覚えてないよ? まったくね。でも、六歳のオレが描いた絵を元にして、こんな禍々しいものが出来上がるわけがない。
めんどくさいので一切そのへんはツッコミなし。
オレは半獣の悪魔を彷彿とさせるかっこうのまま書斎を歩き回った。ものすごく体が軽い。試しに飛び上がるともう少しで天井にぶつかりそうになった。
「おお、お気をつけください。殻魔装を纏われている際には筋力、動体視力をはじめとする各運動性能が格段に上昇しております」
何このジャンプ力!?
少年誌のヒーローレベルだ。見た目は完全に悪役だが。
バランも目を輝かせながらオレを見つめている。
「ダン様、せっかくですのでそのまま領内をご覧になられてはいかがでしょうか。殻魔装を纏われていれば魔素の影響を受けることもございませんし」
「あ、いいですね!」
「かしこまりました。早速、準備いたします」
バランは『そう言えば』と出がけに母からの預かり物だと言って机の上に本屋の包みを置くと、嬉しそうに足早に部屋をあとにした。
オレは椅子に座り父の書いた魔物図鑑をぼんやりと見つめる。
父は何を思ってオレにロックランドを相続したのだろうか。何を思って私財の大半も使ってこの殻魔装を作ったのだろうか。今のオレにはまったく想像もつかない。
拳を握ると掌にはそれなりの感触が伝わる。まるで薄手のゴム手袋でも着けているかのようだ。オレはその拳で自分の胸を叩いてみる。感触はあるが痛みは感じない。
殻魔装はオレのような生身の人間の体を守ってくれるだけでなく、高性能な防具であると同時に医療や介護に使用されるパワーアシストスーツを飛躍的に進歩させたような機能を兼ね揃えている。バランが力説したくなるのも無理はない。
「ダン様、ワイバーンの準備が整いました」
「ワイバーン?」
「どうぞ、こちらでございます」
案内されるがままに禍々しい格好のまま屋敷の外へ向かう。
正面の扉を出てすぐの場所に土色の肌をした、小太りで背の低い男が立っていた。
「おはようございまっス、ダン様!」
「こちらは使用人のポルチでございます」
バランに紹介されると小太りな男が帽子を取って深々と頭を下げた。
鼻がつぶれたように低く、額に小さな角が二本ある。
耳が大きく垂れ下がり、茶色の瞳の中には山羊のような楕円の瞳孔が見える。
西遊記の猪八戒をディフォルメしつつ小さな角を生やし、リアルな仕上げをすることで不気味さを醸し出した人間以外の生物という感じだ。
「ポルチはオーク族でございます。オーク族は魔界ではごく一般的な種族で、ポルチの他にも兵士の中にも何名かオーク族がおります」
初めてオークを見て固まるオレに助け船を出すようにバランが説明をした。
そうだ。ここは魔界だ。そういう意味ではポルチの見た目はバランよりも魔界のイメージに合う。人間の子供くらいの身長でぽっちゃり体型のポルチが、ニタニタとへつらうように笑みを浮かべながらオレを見上げる。
口を開けると下顎から小さな牙が覗く。
見ようによってはキモ可愛いと言えるのだろうか。
いや、キモイというより怖可愛いと言うべきか。
ポルチの案内で通りを進んだオレは更に驚愕の物体を目にする。
翼の生えた紫色のドラゴンだ。それが二匹。
客車部分に縦列で、馬車馬のように連結されて地面に座っている。
「いかがでございますか、ダン様。ロストランド産のワイバーンでございます。それも希少種の紫色種が二匹」
バランが目を輝かせながら自慢げにワイバーンを紹介した。
たしかにワイバーンにはかなり驚いた。ゲームや映画でしか目にすることのないはずの怪物が目の前に二匹もいるのだ。驚かないわけがない。希少種というからには価値があるのだろうが、バランの自慢ポイントは初めてワイバーンを目にするオレにはまったくピンとこない。
「それではダン様、ワイバーンにお乗りになる前に念のために殻魔装の起動方法をお知らせいたします」
ワイバーンにビビりながら艶やかな黒色の客車に乗り込もうとすると、窓ガラスに映り込んだ自分の禍々しい姿に一瞬ビクッとなった。そうだ。殻魔装を着てたんだった。あまりの着心地の自然さにすっかり忘れていた。今のオレの姿に比べればポルチなど可愛いものだ。案外ポルチがへつらった笑みを浮かべていたのも、オレが領主だというだけでなくこの見た目のせいもあるのかもしれないな。
ポルチは丁寧に扉を閉めるとそそくさと御者台にかけ上がり手綱を握った。
見た目によらず動きは素早いようだ。
「ダン様、バラン様、ベルトはお締めになられたっスか?」
ゴーグルをかけたポルチが御者台から振り向いてオレたちに問いかける。
慌てて座席を確認すると革製のベルトが取り付けられている。
それで腰あたりを固定した。
準備が整ったことをポルチに伝えると、手綱の合図に反応するように二匹のワイバーンが立ち上がる。
立ち上がるとサラブレッドと同じかやや大きいくらいか。
準備運動をするようにワイバーンたちがゆっくりと翼を広げ首を小刻みに上下させる。翼を広げるとその大きさは何倍にも感じられ一気に迫力が増す。
馬車馬と違い縦列に連結されているのはこの大きな翼が邪魔になるからだろう。
「それでは出発するっスよ!」
読んでいただき本当にありがとうございます。




