サプライズ
『失礼いたします。お呼びでしょうか』ネグログリンツのステーキに舌堤を打っていると、部屋へ肩にアステルランドの紋章の入った全身鎧を身に着けた兵士が入ってきた。しかし、その鎧は衛兵たちが身に着けている鉄製のものとは違い黒褐色の鈍い輝きを放ち、鎧の上に青色のマントも纏っている。
ただの衛兵ではない。そうオレに思わせたのは鎧の色や青色のマントだけではない。男の纏う雰囲気だ。身長こそあまり高くはないが厚みのある、鎧の上からでも鍛え抜かれているのがわかる肉体をしている。茶色の瞳は強さと自信に満ち溢れながらも、あえてそれを内に抑え込んでいるような、そんな雰囲気を漂わせながら男はバルバス殿の元へと静かに歩み寄る。
ちょうど良いタイミングだ。今なら────。
『起動』
オレは心の中で念じると、思わずもれそうになる声を口元に運んだ水の入ったグラスで隠す。だが、念のためにすぐにバルバス殿の方へ視線を向けることは避け、ネグログリンツのステーキをもう一切れ口に運んだ。
「おぉ、グランプス。討伐のほうはどのへんまで進んでおる?」
「はい。農園の入り口は昨晩のうちに討伐完了し、今朝方からはそこへ陣を敷きました。その後に下の農園の討伐をほぼ完了しております」
「なるほど。良い頃合いだな。ロックランド卿もわざわざ応援に駆け付けてくれておる。そろそろ仕上げ時だろう。明日は儂も久しぶりに甲冑を着ようと思うのだが、どうだ?」
グランプスと呼ばれた兵士は視線だけをこちらに向けオレたちを確認すると小さく会釈し、すぐにバルバス殿に視線を戻した。もしかして殻魔装が起動しているのを見破られるのではないかと一瞬ハラハラしたが、どうやらそれはないようだ。
グランプスは何度も修羅場を潜り抜けてきた寡黙な戦士の面持ちをしている。バルバス殿の問い掛けに対し『よろしいかと思われます。ただ、上の農園では朱色のヤツが姿を見せたようですし、あまりご無理は────』そこまで言い掛けると何かを察したように口をつぐんだ。
いったいどうしたのだろう。思わず二人の方へ視線を向ける。
名称:バルバス
レベル:82
性別:♂
状態:良
種族:ドワーフ
職業:領主
魔法属性:槍技・統治
名称:グランプス
レベル:38
性別:♂
状態:良
種族:ドワーフ
職業:将軍
魔法属性:槍技
バルバスのレベルの高さに驚く。自ら討伐の場へ赴くと言い出すあたり、それなりに腕に自信があるということなのだろうとは思ったが、正直ここまでとは思っていなかった。それに『統治』という魔法は何だろう。名前からすると領主としての地位に役立つ魔法なのだろうか。
だが、レベルがそのまま強さに比例するとは限らないと思う。実際バランもレベルはかなり高いが戦闘向きではないようだし。そう考えるとこのレベルというのは何に対するものなのか今ひとつ意味がわからない。もしかするとオレが勝手にそうだと思い込んでいるだけで、強さの目安ではないのだろうか。
『グランプス。お前、儂を年寄り扱いしておるのか!?』その言葉で場の雰囲気が一遍した。
ポルチ以外の食事の手が一斉に止まった。
「いえ。ただ、エントマは幼体ならまだしも、成体が複数現れた場合は厄介な相手です。ましてや朱色のヤツまでもが姿を現したとあっては」
「朱色種などそう簡単に現れるものではなかろう。お前らの見間違いではないのか? そもそも儂がエントマごときに後れをとるとでも言うのか!?」
「いえ。しかし、父上」
「だまれ! グランプス、お前に槍を教えたのは儂だぞ!」
え。この二人って親子なのか。領主の父親と将軍の息子ってことか。
たしかにどちらもドワーフという種族だし、どことなく目元から鼻にかけての雰囲気が似ている。
ということは、これって親子喧嘩ということか。
「あのぉ、お話中に申し訳ありません。オレもたしかに討伐中に上の園地で変異体が現れて危険だから気をつけろって、よそのパーティーの方に言われました。きっとグランプスさんもアステルランド伯爵のことを思うあまりつい念のためにと。すいません。よけいなことを。でも、何かお二人似てますね。さすがは親子と言うか……」
バルバス殿とグランプスがポカンとオレを見つめる。
あれ。何かおかしなことを言っただろうか。すぐにバルバス殿が腹を抱えながら豪快な笑い声を上げると、横に立つグランプスの腕をガシガシと叩いた。グランプスもオレを見て申し訳なさそうに苦笑いを浮かべた。よくわからないがとりあえずオレも作り笑いを浮かべてみるが、殻魔装を纏っているので食事のために開いた口元しか見えない。
「ロックランド卿、これは息子のグランプスです」
「初めてお目に掛かります。グランプスと申します。アステルランドの将軍をしております」
バルバス殿に紹介されたグランプスが深々と頭を下げた。
「はじめまして。ロックランドのダンと申します。それと今夜は連れの者たちもお招きいただきました。まだ父から領土を引き継いだばかりの新米領主ですが、どうぞよろしくお願いします」
オレも自己紹介をして頭を下げる。
それに合わせてポルチ以外のの者たちが一斉に頭を下げ、一拍遅れてポルチも頭を下げた。
『では父上、明朝、お迎えに上がらせていただきます。ただ、陣は下の農園にお構えくださいますよう────』そう言うとグランプスは深々と頭を下げた。バルバス殿は満足気に頷くと、すぐに執事に翌朝の準備を整えておくようにと指示をする。
「せっかくのお食事中に失礼いたしました。ごゆっくりとお食事をお楽しみください」
そう言ってグランプスが再び頭を下げた。最初は取っつき難そうな雰囲気のヤツだと思ったが案外そうでもないのかも知れない。
グランプスが折れる形で話はまとまった。
下の農園の討伐はほぼ完了したと言っていた。バルバス殿自身も腕に自信があるようだし多数の衛兵が周囲の守り固めることだろう。ド素人のオレですら何とか生還できたのだから問題ないだろう。
『それではロックランド伯爵、明日またお会い致しましょう』オレに向けて再び会釈をした後にグランプスは部屋を後にした。もしかするとこれから再び討伐の指揮にあたるのだろうか。父親が健在だというのは右も左もわからずに領主になったオレにとっては羨ましい限りだが、父親が元気過ぎるグランプスにとってはそれはそれで悩みの種なのかも知れない。
そんなことを考えているうちに、オレたちの目の前には既にデザートの皿とカップに入った深いこげ茶色の液体が運ばれていた。デザートの皿にはこげ茶色の塊にクリームが添えられて、白色の皿を彩るように紅色のソースで模様が描かれていた。これはまさか。胸が高鳴る。オレはこげ茶色の塊の端をフォークで切り取り口へと運んだ。
チョコレートケーキだ。今度は一緒にクリームをつけて口へと運ぶ。
濃厚な甘さの中にわずかな塩味とほろ苦さ。それをまろやかにするクリームと、スッキリとした酸味が食欲をそそるベリーのソース。間違いない。完璧なチョコレートケーキが目の前にある。まさか魔界でこれほど美味しいチョコレートケーキに出会えるとは。
魔界の食事は口に合うし美味しいものが多いとは感じていた。だが、正直なところスイーツに関しては人間界に比べてずいぶんと質素な印象が否めない。しかし、ある場所にはちゃんと一流の味が存在するのだ。オレはその瞬間に別の何かに気付く。先程からまさかとは思っていたが『ある場所にはある』のだとすれば、隣に置かれたこの深いこげ茶色の液体はまさか。
オレは大きくなる期待を無理やり押し殺しながら、そっとカップに指を掛けゆっくりと口元へと運んだ。この香りは。いや、待て。香りは一緒だが別の飲み物の可能性はまだ否定できない。早まって期待してはそのあとの落胆もそのぶん大きなものとなる。しかし、この香りは紛れもなくアレの香りだ。
口に含んだ液体からは懐かしい苦みと一緒に酸味とわずかな甘味が広がった。
喉へと流れ落ちた後に残るこの余韻。間違いない。コーヒーだ。本物のコーヒーが目の前にある。
チョコレートケーキだけでなく、魔界にはコーヒーも存在するのか。
「こ、これは────」
「人間界からいらしたロックランド卿ならばすぐにおわかりになられたであろう。お察しの通り。人間界から取り寄せた本物のコーヒーですぞ」
人間界から取り寄せた。そんなことができるのか。オレの顔には間違いなく驚愕の表情が浮かんでいたに違いない。オレを驚かせるための趣向だったのだろう。サプライズに成功したバルバス殿はそんなオレの表情を見つめながら満足気に微笑んだ。
それにしても久しぶりのコーヒーは本当に美味い。こんなことを言ってはバルバス殿に怒られそうだが、今日の料理の中で最も感動したのがこのコーヒーだ。楽しみにしていたアルベラ酒以上の大きな感動とインパクトを感じた。
「失礼ですが、人間界からコーヒーをこちらへ持ち込むことなどが可能なのでしょうか?」
「特別なルートでの仕入れなのですよ。もちろん基本的に自由に人間界とこちらを簡単に行き来することは出来ませんぞ。そのための特別なルートですからな」
バルバス殿は満足気に眉をつり上げて少年のような悪戯っぽい笑みを浮かべた。
ある程度の地位の者だけに許されるような特殊なルートでも存在するのだろうか。でも、それならばオレにも許されるはずだ。もしかすると密輸的なものなのだろうか。いずれにしても魔界では高価な飲み物に違いない。羨ましい限りだ。これについては後々しっかりと調べる必要がある。ただ、少なからず魔界でもコーヒーが飲めるということがわかっただけで大きな収穫だ。
大満足で食事を終えると皆でバルバス殿に礼を述べた。本当に美味しい食事だった。
金脈の宿に部屋を用意してもらっているバランとポルチを城の出口で待つ馬車まで見送る。
いつのまにかポルチが小さな包みを持っていることに気付く。
「ポルチ、それは何だ?」
「夜食っス」
「はぁ? どうしたんだ?」
「もらったっス。メイドさんから」
マジか。コイツいつのまに。
帰り際に何かゴニョゴニョしてるとは思ったんだが。まさか夜食までもらっていたとは。
明日の朝に金脈の宿で落ち会う約束をしてバランたちと別れた。オレのクロスボウも金脈の宿に置いて来た。それに明日はヴェルミットの店にロブストたちの鎧と武器を受け取りに行かなくてはいけない。
今日の討伐は短時間の様子見だったが、明日はバルバス殿も農園へ赴くらしい。いよいよ本番だ。
オレも新しい武器を手に入れた。まだ実戦での経験がないだけに不安は残るが、それは今日の様子見でも一緒のことだった。実戦で慣れるしかない。
「ロックランド卿、今夜はご満足いただけただろうか?」
「はい。とても美味しい食事でした。コーヒーにも驚かされましたし」
バルバス殿が満足気に微笑む。
「本来であれば夜通しお父上の話で語り明かしたいところだが、明日はロックランド卿も討伐へ向かわれるでしょうし、儂も久々に甲冑に腕を通します。今夜はゆっくりと休むとしましょう」
「はい。明日は邪魔にならないように精一杯がんばります!」
「ロックランド卿、蟲掃除などがんばるべきものではありませんぞ。言わば狩りゲームのようなものです。どちらが大きな鹿を仕留めたか、どちらが多く獲物を仕留めたか。そのようなもの。肩に力を入れ過ぎては倒せるものにも後れを取りますぞ」
「なるほど。そういうものですか」
バルバス殿がわざと面白おかしい動作を交えて説明した。オレの緊張を解すつもりでしてくれたのだろう。さすがに狩り感覚でエントマと対峙するのはオレには無理だが、たしかに無駄に緊張し過ぎては本来の戦いもできないだろう。彼には魔界でのロックランド伯爵としての父さんの話をいろいろと聞きたいし、できれば領主としてのアドバイスもいろいろ欲しい。討伐が終了したらいうれゆっくりと話がしたい。
「ロックランド卿の宿泊される客室は特別製です。部屋内であれば魔素の影響が抑制されるような細工がほどこされております。お父上がここを訪れた際にはいつもその部屋に宿泊され、夜通し二人であれこれと魔界の将来や新しい技術やアイディアについて話し明かしたものだ」
「そうなんですか。オレもぜひ一度、アステルランド伯爵にゆっくりと父の話や領主としての心構えをご教授いただければ幸いです」
「ご教授などそんな大層なものではないが。ぜひ、一度ゆっくりと」
「はい。ありがとうございます。おやすみなさい」
その後にメイドに案内された客室は、まるで一流高級ホテルのスイートルームのような豪華さだった。ある意味、本日二度目のサプライズだ。すぐ隣の部屋にロブストとアジリスが入った時にそちらも覗いたが、この部屋よりはだいぶ小さいようだ。恐らくバルバス殿が『特別製』と言うように内装に魔素の抑制だけでなく、いろいろな面で最上級の造りになっているのだろう。テーブルの上には綺麗な花が花瓶に生けられ、皿に盛られたフルーツとアルベラ酒が用意されている。
とりあえず殻魔装を外してリビングのソファーの上に乗せて置く。
殻魔装は着たままでも決して不快感のない素晴らしい作りになってはいるが、さすがに一日中ずっと着たままだと脱いだ時に多少の開放感を感じたのは確かだ。オレはパンツ一丁で部屋の中を散策する。
まずは浴室。広い。ロックランドの浴室より広い。客室でこの広さということはバルバス殿が使っている浴室はプール並みなのか。大きな寝室の中央には天蓋つきのダブルベッドを横に三つ並べた大きさの巨大なベッドが置かれている。これいったい何人用なの。そんな大勢でベッドの上で何をするというのだ。まったくけしからん。
入口の覗き窓から廊下を見ると、何故か部屋のすぐ外にはメイドが待機していた。あれはオレのために待機してくれている気がするのだが気のせいだろうか。それともチップでも渡して帰すべきなのか、それとも『もう下がっていただいてけっこうです』とか声を掛けるべきなのか。高級ホテルとは無縁な生活をしていたオレにはどうするべきかまったく想像がつかない。まったくわからない。こんなときにバランがいれば。
とりあえっず部屋の中を見て周る。まずは寝室。広い。天蓋つきのダブルベッドを横に三つ並べた大きさのベッドが置かれている。いったい何人用なの。そんな大勢でベッドの上で何をするというのだ。まったくけしからん。
浴室はロックランドより広い。客室でこの広さということはバルバス殿が使っている浴室はプール並みなのか。もしかして、部屋の外に待機しているメイドさんはお背中お流しします的なヤツか。いや、そんなはずはない。でも、もしかして、いや────。
オレは悶々としながら、出家僧になったつもりで頭から水をかぶり、ベッドに潜って頭からシーツをかぶって眠りについた。
読んでいただきありがとうございます。