晩餐
そろそろ約束の時間だ。オレたちは招待されたバルバス殿の居城へと向かう。
もちろん手土産用の赤茶色種のワイバーンの卵が入った箱を忘れてはいない。
城の周囲に設置された魔光灯が現像的な明かりをともしている。
「こちらはロックランド伯爵です。城主アステルランド伯爵との夕食のお約束に参上しました」
「お待ちしておりました。どうぞお通りください」
バランがそう伝えると木製の大きな門が重厚さを感じさせる音と共にゆっくりと開き、紋章の入った全身鎧を身につけた門番がオレたちを城の中へと案内してくれた。そのまま長い廊下を抜け、朝に案内された広間とは別の部屋へと案内される。
最初に目に入ったのはロックランドの食堂の二倍はある長いテーブルだ。天井まで絵画で飾られ、部屋の中にはゆったりとしたテンポの音楽が流れる。縮れた赤毛の長髪と赤毛の長い髭のバルバス殿が両腕を広げた歓迎の意を表しながら歩み寄る。
「おぉ! ロックランド卿、お待ちしておりましたぞ!」
満面の笑みでオレを迎え入れると二の腕のあたりをポンッとひとつ叩く。
本人は歓迎を意味して手を添えた程度のつもりなのだろうが、殻魔装を着ていなかったら間違いなく痛いと感じていたはずだ。父さんとの付き合いを考えても、額に刻まれる深い皺からも決して若いわけではないことはわかるがそのわりには力が強い。これだけの領地を納める立場であり、武道の鍛錬ばかりに時間を割いているなど考えられない。この力強さは種族的なものなのだろうか。それとも若い頃に相当な鍛錬を積んできたのだろうか。
「ダン様、ご準備されたものを────」
ぼんやりとそんなことを考えているとバランが小さな声で耳打ちをする。
そうだワイバーンの卵を渡すんだった。
「これは少しばかりですがお近付きの印です。どうぞお納めください」
「わざわざ手土産まで。中身が気になりますな。さっそく開けさせていただいても?」
「ええ。気に入っていただけると嬉しいのですが」
手渡した包を受け取るとバルバス殿が少年のような目を向けて問い掛ける。
目の前でいきなり手土産を開けるのか。さすがは外国人だな。いや、この場合はオレの方が外国人てことになるのか。渡したプレゼントを目の前で開けられるのがこんなに緊張するものだとは。喜んでもらえれば良いのだが。
「デリケートな物ですので優しく開けてあげてください」
お付きの者が箱を支えるとバルバス殿がわくわくした様子で包紙を開けながら、オレの言った『デリケートな物』という言葉から中身を想像するかのような表情を見せる。箱の蓋を開けると中には割れないように布に包まれた、薄茶色地に細かいこげ茶色の模様が入ったソフトボールほどの大きさの竜の卵が入っている。
「赤茶色種のワイバーンの卵です」
「ほう。それは素晴らしい。しかも赤茶色種とは、何と気の効いた手土産だ」
オレの説明にバルバス殿は眉を大袈裟に上げて驚く表情を見せた。
「証明書は入っておりませんが信頼のおける者に鑑定してもらいました」
「なるほど。お知り合いの鑑定師ですかな。まだお若いのにお父上に勝るとも劣らないセンスと才覚を感じますぞ」
「い、いえ。そんなことはありません。アステルランド伯爵、どうぞ今後も父の頃と同様のお付き合いをよろしくお願い致します」
卵はバランのチョイスだ。そんなに褒められてもどんな顔をして良いのか困る。
オレが頭を下げると共にバランとロブスト、アジリスが一斉に頭を下げる。
ポルチだけ一拍遅れて頭を下げたのに関しては、むしろよく頭を下げたと褒めるべきか。
「いやいや。こちらこそよろしくお願いしますぞ!」
そう言ってバルバス殿は自然な仕草でオレの手を両手でつかみ、握手をしながら豪快な笑い声を上げた。単純な動作に貫禄のようなものを感じる。彼からはいろいろと学ぶところが多そうだ。
一人に一人のメイドが付添い、立派なひじ掛けの付いた椅子席へと案内される。
メイドの数も兵士の数もロックランドとは比べ物にならない。
席に着くと間もなく三つの小さめのグラスと一つの大きなグラス。それと一緒に前菜の皿が運ばれる。
三つのグラスにはそれぞれ薄茶色、茶色、こげ茶色の液体が2センチほど入っている。大きなほうのグラスは無色で香りもしない。グラスが結露していることから中の液体が冷たいのがわかる。
皿には干したブロス貝を特製のソースで戻しスパイスが振りかけられたものに野菜が添えられていた。ブロス貝はエタン河の特産の二枚貝で、その濃厚なうま味から別名『うま味貝』とも呼ばれているほどだ。
「ロックランド卿、その三つのグラスの中身が何かご存じかな?」
「いえ、これは?」
「これこそアルベラ酒ですぞ。ぜひ一度、飲み比べをしていただきたいと思い、色の薄いものから順に、一年、五年、十年と熟成期間の違うものを用意いたした。さあ、まずは一年熟成のものから試してみてくだされ」
バルバス殿が手本を示すように一年熟成の薄茶色のアルベラ酒が入ったグラスを手に取り、中の液体が回るように数回グラスで円を描く。オレたちもその動きを真似てみる。琥珀色の液体がグラスの中でクルクルと回り、顔を少し近付けると強いアルコール特有の少し甘い香りが鼻をくすぐる。バルバス殿がグラスをオレに向けて掲げ乾杯の視線を送る。慌ててオレも同じ動作を繰り返し視線を送る。
バルバス殿がグラスを口に運ぶのを見て、オレも恐る恐るひと口含んでみる。じんわりと染みるアルコールの刺激が喉を抜けて胃に落ちるのを感じる。その後に口の中にはわずかな苦みと果実の爽やかな甘み、それと微かな花のような香りが広がる。
「いかがですかな? この一年熟成のアルベラ種は言うなれば青年期。若さとはそれだけで価値のあるもの。荒削りで失敗も多い。だが、それを補い余るだけのエネルギーに満ちている」
確認するようにそう呟くとバルバス殿はグラスに残る琥珀色の液体を一気に飲み干した。
今までに人間界で何度か飲んだことがある酒とは比べ物にならないアルコール度数を感じる。
「大きなグラスに入っているのは水です。良ければそちらを飲んで口と喉を休ませてくだされ」
そう言ってバルバス殿は水をひと口飲んだ。味を一度リセットするような感じなのだろうか。いずれにしろ酒に不慣れなオレにはありがたい。同じようにオレも水を飲んだ。冷たい水が喉を洗い流すかのように胃に流れ落ちる。水が冷たくて美味しい。まさか魔界にも冷蔵庫があるのか。
オレがグラスを置くのを見届けると、バルバス殿は二つ目の茶色い液体の入ったグラスを手にした。
一つ目と同じ手順で酒の色を眺め香りを確認した後に、ゆっくりとひと口含む。
一拍後に予想したのとは違った味が口の中に広がった。
一つ目のグラスよりもまろやかな気がする。アルコール度数が違うのだろうか。こちらの方が飲みやすく感じるが後から口に広がるアルコールの雰囲気はしっかりしている。それに一つ目に感じた果実のような爽やかな甘みにも変化があった。一つ目を甘酸っぱいリンゴの甘さとすれば、五年熟成の方はまるで完熟マンゴーのそれだ。濃厚なトロピカルフルーツの香りと甘さにわずかなほろ苦さを伴う液体が喉を抜けて内臓へと染みわたる。
「五年熟成になるとぐっと味が変わる。経験を積んで深みが増し、体力、気力ともに充実した壮年期を思わせる味でしょう。ロックランド卿はどちらがお好みですかな?」
「正直なところ酒にはあまり詳しくないのですが、五年熟成の方が飲みやすく感じました」
「素直なご意見ですな。自分の感じるがままに飲む。それが酒を一番美味しく飲む方法だと私も思っております」
自分の感じるがままに飲む。なるほど。それでいいのか。
考えてみれば当たり前のことか。美味しいかどうかなんて自分の感じ方次第だ。
人に美味しいのか不味いのかを訪ねて答えを出すなんておかしな話だ。
バルバス殿が人懐っこい笑みを浮かべながらブロス貝を一つ口に放り込む。眉を大きく吊り上げて目を見開き、オレの顔を覗き込みながら何度も頷く。美味しいからオレにも食べてみろという意味だろう。オレもそれを真似てブロス貝を一つ口に入れる。何とも言えない素晴らしい歯ごたえだ。アルベラ酒の甘さと芳醇な香りを塗り替えるように、ブロス貝のうま味とスパイスの香りが口に広がる。
これは美味い。酒の甘みが貝のうま味を引きたてているのだろうか。
横に視線を向けると皆が満足気な表情を浮かべている。端の席に座るポルチの皿には既に何も残っていない。ほんとコイツは。とりあえず見なかったことにしてバルバス殿に視線を戻し、微かな作り笑いを浮かべる。
『では、最後の一つを────』バルバス殿が十年熟成のこげ茶色の液体の入ったグラスを手にする。
一年熟成のものとは同じアルベラ酒とは思えないほどの見た目的な違いに加え、顔を近付けるとこれまでの二つとはずいぶんと違った芳香が漂う。
「これまでの二つとはちょっと違いますぞ。これは私が祝いの席のためにアルベラ酒造りの名人に特別に作らせたものなのです」
そう言ってバルバス殿は満足げに笑う。隣を見ると博識なバランですら驚いた表情を浮かべている。きっと一般の領民ならば生涯口にすることのない酒なのだろう。オレはその希少な酒をゆっくりと顔に近付ける。咄嗟に脳裏に浮かんだイメージは、高級なバニラアイスと腐りかけた葡萄とバラの花だ。すぐ後から焼きたてのパンを二つに割って中の匂いを胸いっぱいに吸い込んだような、香ばしくそれでいて微かな酸味を感じさせるイーストの香りが現れる。
ゆっくりと口に含む。五年熟成より更に深い味わいが広がる。花のような香りや果物を思わせる爽やかさは姿を消し、代わりに蜂蜜を思わせる濃厚な甘さと、高級なナッツ入りのチョコレートケーキを思わせる芳醇なうま味。それと、樽の香りなのだろうか、幼いころに両親に連れて行ってもらった奥多摩の林の中ような香りが微かに感じられる。一年熟成のアルベラ酒とはまったくの別物。例えば、同じ麺類でありながらまったく違った美味さを持つうどんと蕎麦のようでもある。これが十年熟成か。
十年熟成のアルベラ酒を飲み干すと、すぐにサラダと魚料理が運ばれる。
サラダはアステルランド産の新鮮な野菜に、カルヤックというラクダを小さくしたような家畜の乳で作ったとチーズのソースが掛かっている。魚料理はグランスナップルと呼ばれる高級淡水魚の蒸し焼きだ。香草と一緒に、味噌を思わせるコクのあるタレがその上に掛けられている。
『お飲み物はいかがでしょうか?』オレの斜め後ろに控えていた、グラビア女優のような肉感的なボディーとは真逆の雰囲気を醸し出す、上品にまとめられたブロンドの髪のギャップが反則的なほどセクシーなメイドが尋ねる。
「ロックランド卿、食事には一年熟成のアルバラ酒を発泡水で割り、トレンカの果汁を垂らしたものが合いますぞ」
「では、それをお願いします」
「かしこまりました」
人間界の酒と言えばビールとチューハイくらいしか経験のないオレだが、魔界の酒はもっと知らない。とりあえずバルバス殿の提案通りに注文すると、セクシーなメイドはゆっくりと頭を上げて注文の酒を取りに向かう。メイドが頭を下げたときにとついつい二つ並んだ豊かな丘の谷間に目がいってしまう。だが仕方がない。だって男の子だもの。
グランスナップルは綺麗な淡水に住む肉食の白身魚だ。背ビレと胸ビレに鋭い棘があり、小魚や小型の甲殻類を骨や殻ごと噛み砕く強靭な顎と歯を持つ。体には帷子鱗と呼ばれる鎧のような硬い鱗を持つ。水辺に住む動物に襲われた際には硬い鱗で身を守り、鋭い棘で返り討ちにすることもしばしばあるという淡水の王者だ。
その身は魚でありながらどこか淡白な鶏肉のような風味を持つ。
煮て良し、焼いて良し、炒めて良し、蒸しても良し。料理方法を選ばない。
そのうえ軽くて丈夫な鱗は磨くと青黒い輝きを放つことから、防具の材料や装飾品にも使われる。
淡白なグランスナップルの身に香草のアクセントとコクのあるソースがよく合う。
そこへセクシーなブロンドのメイドによって運ばれてきた、冷たいアルべラ酒の発泡水割りを流し込む。アルベラ酒をそのまま飲むのとは違い、とてもスッキリとしていて飲みやすく食事の邪魔をしない味だ。酸味が食欲をそそる。トレンカとい果実の味だろうか。それにこのアルべラ酒はしっかりと冷えている。まさか本当に魔界にも冷蔵庫があるのか。
「このグランスナップルはアステルランドを流れるエタン河の上流で獲れたものです。じつは密かにこのグランスナップルの養殖をアステルランドの新たな産業にと考えておるところなのですよ」
この世界には養殖の技術もあるのか。それともバルバス殿が独自に編み出したものなのだろか。いずれにしても『密かに』と言いながらもオレにそれを打ち明けることで彼の信頼を感じる。それに旺盛なチャレンジ精神は領主としても見習うべきところが大きい。
「ところでエントマ討伐の方はいかがでしたかな? お怪我はありませんでしたかな?」
「はい。おかげでさまで。エントマの成体が同時に複数現れた際には手こずりましたが、一緒に戦ってくれた連れの者たちのおかげで何とか」
「ほう。たったの三人で成体を複数匹倒すとはなかなかの腕前ですな。討伐の方はどこまで進んでいるのであろうか────」
そう言うとバルバス殿の後ろに控える執事が速やかにバルバス殿の横に近寄る。バルバス殿が何かを伝えると執事は深々と頭を下げて部屋を後にした。
しばらくするとメイン料理のネグログリンツのステーキが運ばれてきた。
ネグログリンツは徹底的に血統を管理された食肉用の最高級家畜だ。馬を少し大きくしたような見た目で、体毛は黒かこげ茶色で、牛のような小さめの角がある。良血統のネグログリンツからは魔界でもトップクラスの高級食肉がとれる。
湯気の上がる熱々のネグログリンツのステーキを一切れ口に入れる。わずかな弾力の後に肉のうま味がジュワッと溢れ出す。高級和牛の旨味とブランド豚肉の脂の甘味を合わせ持つ、そんな味がほとんど噛まずに口の中いっぱいに広がり溶けていく。こんなに美味しい肉を食べたのは初めてだ。
来た甲斐があった。
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