混血
『ところで矢筒は持ってるのかい?』フェズにそう聞かれたオレは返答に困る。
矢筒とは何だ。きっとオレの顔にはそう書いてったに違いない。
フェズは呆れたように半笑いで武器庫へ向かうと使い古した革製の入れ物を持ってきた。
「サービスだ。持っていきな。30本もの矢を手に持って歩く気だったのかい?」
なるほど。矢を持ち運ぶための筒状の入れ物か。
革製で矢の先端が当たる底の部分には外側からも頑丈に補強がされている。
「ありがとうございます。助かります」
「しつこいようだけど、呪いの武器を使うときは無理は禁物だよ」
「はい」
「ジルコやエレに会ったら、たまに顔出せってアタシが言ってたって伝えておくれ」
「わかりました」
フェズは店の中からいつまでも見送ってくれた。オレが通りの向こうから会釈をすると、フェズは戸口に立ち笑顔で手を振りながら『わからない事があったらいつでも来な!』と大きな声で叫んだ。
オレとバランは回復薬を買い求めてジルコたちに教えてもらった店へと向かった。
ジルコたちが教えてくれたのは道具屋が建ち並ぶ一画で、ひっそりと看板も出さずに商売をしているメオという腕利きの薬師だった。
じつは回復薬にもいくつかのランクがある。
オレがバランから受け取ったものは厳密には中位回復薬というものらしいのだが、一般的には回復薬とだけ呼ばれている。この他に下位回復薬と上位回復薬というものがある。その名の通り下位回復薬は中位回復薬に比べて回復力が低く、上位回復薬は中位回復薬の薬二倍以上の回復力があるレアな存在の回復薬である。
ちなみに一般的に家庭で使われているのが下位回復薬より効果の低い薬草だ。
その成分を抽出したものがベースとなり、そこに何種類かの植物性や動物性の成分を加え魔法で仕上げをすることで様々な回復薬が作られる。回復薬を購入する方法は三通りある。
一つ目は治療院で購入する方法。
治療院で売られているのは主に下位回復薬と中位回復薬だ。
回復薬はその場で治療にも使用されることがあるが、回復薬の購入だけが希望の場合は受付でその旨を伝える。これはフリーポイントでグロウスの治療のために訪れた治療院を含め、魔界のほとんどの治療院で同じシステムが採用されている。ただし、品質も安定し常時販売されている治療院での購入はかなり割高となる。
二つ目は街で定期的に開催される市で購入する方法だ。
基本的に三つの中ではこの方法が最も安く回復薬を手に入れることができる。ただし、市で購入することには弊害もある。市で売られるのはほとんどが下位回復薬なため中位回復薬や上位回復薬を買い求める場合には向かない。そのうえ、中には品質的にあまり良くないものも紛れている。
そして、三つ目がオレたちが選択した薬師のもとを訪れて購入する方法だ。
優秀な薬師のもとから回復薬を購入する利点は少なくない。全ての薬師が作れるというわけではないが、唯一、上位回復薬を購入する方法が薬師を訪れることだ。販売される回復薬の品質は薬師自身の能力によるところが大きく、腕の良い薬師が作った回復薬には高い価値がある。難点を上げるとすれば、一般的に一見での購入が難しいことや、大規模な作製をしないため一度に購入できる個数に制限があることだろう。
メオが住むのは一見すると物置にも見えなくないほどに古ぼけた平屋の建物だ。
看板も上がっていないその店の目印は、店先に寝そべった子牛ほどの大きさのある番犬だ。
全身がうねりの強い銀灰色の毛で覆われ、時折、海のように深い瑠璃色の瞳を瞼の隙間から覗かせ道行く者を静かに眺めてはまた閉じる。
首に付けられた革製の臙脂色の首輪以上に、喧騒な周囲の様子をさして気にも止めずにのんびりと寝そべって、何より近所の者たちに『フラン』と気軽に声を掛けられる様子が飼い犬であることを現していた。だが、その犬がただの番犬ではないことを知る者は少ない。
『ヘルハウンド』それがフランの正体だ。魔宮では中盤以降に多く姿を現す。獰猛な性格の四肢歩行種の魔物で、群れを成して迷宮を訪れる討伐者たちに襲い掛かる。牙を覗かせて唸る口角からは火の粉が漏れ、討伐者が隙を見せればすかさずその口から炎を吐き出す。そんな恐ろしい魔物が目の前でおとなしく寝そべっているなど誰が思うだろう。
それにフランは魔宮で見かけるヘルハウンドとは見た目も少し違っていた。体の大きさこそ個体差と言える程度の違いだが、通常のヘルハウンドとは体毛の色が明らかに違っている。ヘルハウンドは全身が闇を思わせる黒色で、瞳は燃え上がるような紅色をしている。店の前でのんびりと寝そべる姿だけでなく、見た目の違いが誰にもフランのことをヘルハウンドだと疑う余地を持たせない理由でもあった。
『あの店でございましょうか?』バランが一軒の古ぼけた小さな建物を指さした。
ジルコが教えてくれた道具屋が建ち並ぶ一画に大きな銀灰色の犬が寝そべる看板のない建物が見える。
たしかあの犬の名前はフランだ。ジルコはその犬の名前をオレに教えてくれたのと一緒にボロボロの布切れをくれた。『その布切れをかざしながらフランの名前を呼ぶ者しかその扉を通れない』そうジルコは教えてくれた。
「フラン。フランさーん、フランくんかな?」
オレは殻魔装の中で引きつった笑みを浮かべながらフランの名前を呼んで、ボロボロの布切れを指でつまんでヒラつかせながら犬に近付いた。
万が一、人違いならぬ犬違いだったら。いや、これだけ大きな犬をオレはこれまでに見たことがない。それに外見もジルコの話した内容に合致している。でも、そもそもジルコのいたずらだったら。ジルコはいいヤツだ。いくら酒の席とはいえそんな冗談は言わないはずだ。たぶん。
犬との距離が縮まるにつれ色々な考えが頭に浮かぶ。
オレの存在に気付いたフランが大きな頭をもたげ瑠璃色の瞳でコチラを凝視する。
その距離およそ五歩。フランがその気になればひと跳びでオレに襲い掛かれる距離だ。
フランに妙な緊張を与えてはいけないと思いながらも、なかなか次の一歩が踏み出せない。
中途半端に宙に浮いた足がフラフラと揺れる。
その刹那、フランがスッと立ち上がり扉の前から退いた。ジルコの言った通りだ。
オレとバランは恐る恐るフランの横を通り扉を開いた。
「ごめんくださーい」
あまり広くない部屋の中に棚がいくつもあり、鉢植えの植物が何種類も並べられている。乾燥した植物が縄に結ばれて干され、ビンに詰められた乾燥済の植物や鉱物、生物の干物や骨なども見える。
「はいはい。どなたかなぁ?」
部屋の奥からしがれた男の声がした。ジルコに教えてもらった薬師のメオだろう。
「こんにちは。メオさんの回復薬を譲っていただきにきました」
「おお。そうでしたか。どうぞそちらへお掛けください」
髪も髭も真っ白で地味な茶色のローブを着た老人が、散らかったテーブルの横にある椅子を指して席を勧める。それから老人はゆっくりとした動作でオレとバランにお茶を沸かして出し、自らもお茶の入った器を目の前に置き、ゆっくりと向かい合った席に腰を下ろした。
「回復薬をいくつかお譲りいただきたいのですが、お値段はいくらほどでしょうか?」
「あるにはあるのですが、あヤツは近所へ買い物に出掛けておりますが、すぐに戻ると思いますので少しだけ待っていただけますかな」
老人の話し方からすると彼自身がメオではないようだ。
かなりヨボヨボに見えるが彼は誰なのだろう。
メオの父親か。もしくはメオが老婆だとすれば旦那という可能性もあるか。
『起動』
「うっ!」「熱っ!」
暇潰しに老人の情報でも盗み見てやろうかと殻魔装を起動させたが、起動時の尿道と肛門を襲う違和感で飲み掛けていた熱々のお茶が器からいきなり口の中に大量に流れ込んだ。まるでお笑い番組のような自虐的な凡ミスだ。
名称:────
レベル:201
性別:♂
状態:良好
種族:魔族
職業:魔物調教師
魔法属性:調教・調剤
思った通り名前は表示されなかった。つまりこの老人はメオではない。
それよりレベルの高さに驚く。これまで目にした中では断トツに高いレベルだ。
しかも、老人は調教と調剤という二つの魔法を持っていた。
どちらも初めて目にする魔法属性だ。『職業』が『魔物調教師』なだけに『調教』はそれに関する魔法だと思われる。調剤の方は名前からすると薬関係の魔法か。もしかしてやはりこの老人自身がメオなのでは。いや、それはないはずだ。もしそうなら『名称』にその名前が表示されるはずだ。
うかつに殻魔装を起動したのはまずかったか。オレは密かに背筋に冷たいものを感じる。
こう見えてかなりヤバイ老人なのではなかろうか。レベル200を超え、二つの魔法属性を持つ存在。
もしかするとこの思考すらも読みとられている可能性がある。
『ただいま帰りました!』元気な声と同時に入口の扉が勢いよく開いた。
少年とも少女ともつかない猫のような顔つきの大きな瞳の子供が部屋へ入ってきた。
名称:メオ
レベル:13
性別:♂
状態:良好
種族:獣人族
職業:薬師
魔法属性:錬金術
メオだ。と言うことは彼がジルコの言っていた腕の良い薬師なのか。まだ子供ではないか。
目の前に立つのは小学生か、せいぜい中学生程度にしか見えない獣人族の子供だ。
どういうわけか同じ獣人族でもロブストとはまったく見た目が異なる。
それに『職業』は『薬師』となっているものの、『魔法属性』が『調剤』ではなく『錬金術』となっている。これも初めて見る。本当にこんな幼い子が腕利きの薬師だというのか。
「お客ですか?」
「ああ。お前の回復薬が欲しいそうだ」
「師匠が入れたのですか?」
「いや、ご自分たちで入ってこられた」
メオは扉の方を振り返り『よくフランが入れたなぁ……』と小声で呟やくと、オレたちの前を素通りして奥の部屋へ向かう。おもむろに背負っていた袋を下ろして中から食料を取り出して片付けはじめた。
全て片付け終えるとメオは甕から柄杓で水を一杯くんで器に入れると一気に飲み干した。
『ぷはーっ!』大きく息を吐き出して器を置くと、メオは老人の隣に腰を掛けた。
「それで、ボクの回復薬が欲しいのはどっち?」
メオがオレとバランの顔を交互に見る。
「売っていただけますか?」
「まあ、フランが入れたんならしょうがないよね。アンタなの?」
「はい。オレはダン。こっちは連れのバランです」
お礼と同時に自己紹介をした。
少しでも怪しい者ではないということをアピールして印象を良くしたい。
「ボクは薬師のメオ。こちらが師匠のネヴィス様」
オレとバランがネヴィスと紹介された老人に会釈する。
「あれ? もしかしてうちの師匠のこと知らないの?」
「え?」
突然の問い掛けにオレは何と答えて良いのか困惑する。
この老人を見たのは今日が初めてだ。知るはずがない。
「魔獣使いのグラン・ネヴィス。 聞いたことくらいあるでしょ!?」
困った。まったくない。オレが正直にそう口にしようかと思った矢先にバランが口を開く。
『おぉ。まさかあなた様が!?』その口調から恐らく有名人であろうことが予想できる。
バランはかなり驚いた様子で、このような場所でお会いできるとはとか言っている。
「これ、メオおよしなさい。客人はお前の回復薬を求めてこられたのですよ」
ここはオレも話を合わせるべきかと迷っているとネヴィスがメオを諭す。
『魔獣使い』の件を否定していない部分はスルーして良いのだろうか。
「ダン様、どうやらこちらのネヴィス殿は、かつて天界との大戦のおりにご活躍された十三英雄と呼ばれる方々のおひとりでございます」
「十三英雄……ですか?」
「はい。魔獣使いのグラン・ネヴィス殿と言えば、お一人で魔物の大群を従えて天界との大戦で最前線で戦われた伝説の英雄でございます」
「そうなんですか?」
オレの反応を見たメオの顔色が変わった。
「アンタそれ本気で言ってるの?」
「申し訳ございません、メオ様。ダン様は人間界から来られたばかりで魔界の事情にはいささか────」
バランがすかさずオレの失言をフォローをする。
メオの反応でオレは自らの失敗にようやく気付いた。
さすがに伝説の英雄と呼ばれる自らの師匠を知らないと言われるのは許せなかったのだろう。
「え!? 人間界? アンタ、人間界から来た人間なの?」
「は、はい……」
どう答えるのかが正解なのかまったくわからない。
とりあえずここは正直にありのままを話すしかない。
「それって人間界産まれの人間って意味だよね!?」
「そ、そうですね」
メオのテンションの意味がよくわからないがずいぶんと興味を示しているのは間違いない。
もしかして今の言い方だと魔界産まれの人間もいるってことなのだろうか。
たしか父さんは魔素の吸収を抑制するために仮面をつけてたってバランが言ってた。でも、肖像画の祖父は何もつけていなかった。むしろあの青白い肌はどちらかと言うと魔族のそれに似てる気もする。
「バランさん、オレの祖父って純血の人間ですかね?」
「いえ、祖父君は人間と魔族の混血でらっしゃいます。同じように混血でいらした祖母君との間にお産まれになったのがお父上でらっしゃいます」
「てことは魔界にも人間っているんですか?」
「はい。多くはございませんが」
サラッと言われたがかなり驚いた。
「同じように混血でも父は魔素への耐性が低かったんですね」
「そうでございます。そして、お父上と静子様の間にお産まれになったダン様も、残念ながらお父上と同じ体質でございました」
本当に残念そうにバランはうつむいて落胆の表情を見せた。
いや、そんなに残念がられても。
あれ。ちょっと待って。
混血の祖父と祖母の間に産まれた父。父と母の間に産まれたオレ。
え! オレって純血の人間じゃないの!?
読んでいただきありがとうございます。
登場キャラクターの名前を途中から間違えていたことに気付き訂正しました。
他にもお気付きの点があればお知らせいただければ幸いです。




