虎口
オレたちはそのままアルベラ園地でエントマ討伐を続けた。
討伐を始めて1時間ほど経過したところで最大の危機が訪れる。
少し前に倒したエントマの幼体が消え去った跡に残った魔生石を拾っていると、目の前の草むらが不自然に揺れる。即座に下がり身構えると案の定そこから魔物が姿を現す。
エントマの成体一匹と幼体一匹だ。
ロブストが戦斧を正面に構え、アジリスがナイフを持ってオレの前に出る。
戦闘が始まろうかというその時、再びすぐそばの茂みが大きく揺れる。そして、そこからエントマの成体一匹が姿を現した。このタイミングでかよと舌打ちをするオレたちをあざ笑うかのように、茂みの中から更に成体一匹と幼体二匹が姿を現した。
その直後にロブストが気迫と共に幼体一匹を両断したものの、オレたち三人は結果的に成体三匹と幼体二匹を同時に相手にするという最悪の事態と向き合うこととなった。
オレのインフィニティーバッグにはバランが用意してくれた回復薬の小瓶が三つ入っている。
しかし、人間界出身のオレにはそれがどれほどの効果を持つものなのかがわからない。
回復薬とは高級ドリンク剤を更に強力にしたような程度のものなのだろうか。
それとも、瀕死の重傷を負っても回復できるような万能薬なのだろうか。
一か八かなど有り得ない。これはゲームではなく現実なのだ。
そう考えると途端に鼓動が速くなるのを感じる。どうしたらいい。
「アジリス! ダン様をお守りしろ!」
「はい」
ロブストが覚悟を決めたように叫ぶ。それに答えるアジリス。
『防御力・小上昇』
『斬れ味開放』
魔法を唱え突進するロブストの足元に青白い魔法陣が浮かび上がる。そのまま勢いよく巨大な戦斧を振り下ろすが成体の一匹にスレスレでかわされた。戦斧はそのままの勢いで大地を浅くえぐり、勢いを殺すことなく遠心力で更に鋭さを増して振り向きざまに宙に舞う成体を真っ二つに斬り捨てる。
緑の液体が飛び散りエントマの成体の残骸が大地に転がり落ちる。
ロブストの勢いは止まらない。一切の躊躇なく近くに蠢く幼体に戦斧を振り下ろす。一瞬の後に緑の残骸と化したエントマがドロドロと溶けて消えていく。更に獣のような咆哮とともに宙に舞う成体に戦斧を振り上げるが、その一撃はわずかに脚先を払いのけるだけに留まる。
こうなるとどちらが襲われているのか、襲っているのかがよくわからなくなる。
不意に幼体が先端から吐き出した液体が戦いの流れを変える。
吐き出された液体に一瞬、気を取られた隙に成体がロブストに襲い掛かる。かろうじて戦斧で斬翅の攻撃を受け止めたロブストがよろめいたところへ、再び吐き出した幼体の液体がロブロスの顔面を捕える。
まずい。初討伐で戦闘経験のないオレにでもわかった。背筋に心地の悪い冷たさが走る。
もう一匹の成体がロブストの背後から襲い掛かる。
魔法を使いたくてもとっくに殻魔装は強制停止状態となている。
エントマの斬翅がロブストの鉄製の全身鎧に触れると、まるで金属同士を打ちつけるような激しい音が響き渡る。全身鎧の背面に残された荒々しい傷跡を見て斬翅の強度に驚愕する。
「アジリス、オレは大丈夫だ。ロブストを援護してやってくれ」
アジリスは一瞬、迷いを見せるが小さく頷く。
『高速移動』
両手にナイフを構えてアジリスが小声で魔法を唱える。
足元に浮かび上がる青白い魔法陣を置き去りにするかのような並外れた速度でアジリスが駆ける。
ロブストがエントマたちを分断するように闇雲に戦斧を振り回す。幼体が吐き出した液体でどちらかの目か、あるいは両方の目がよく見えていないのだろう。
アジリスは駆けながら成体の攻撃をかわし、そのままの勢いで幼体に襲い掛かり二本のナイフを同時に背中に突き立てた。即座にナイフを引き抜いて身をひるがえすと、一方の成体の前に身構えた。
ロブストとアジリスの目の前でそれぞれ一匹ずつ空中で静止する成体が、怒りを露わにするように大きく翅音を立てながら怒りの視線を向ける。
ロブストがエントマの翅音に反応する。不自由な視界を聴覚で補っているのだろうか。
先に動いたのはエントマの方だ。アジリスに襲い掛かった成体は攻撃をかわされるとそのまま通り過ぎて、今度は背後からロブストに襲い掛かった。さっき脚を何本か斬り落とされたヤツだ。
「ロブストさん後ろです!」
咄嗟に身の前に構えた戦斧でエントマの斬翅を受け止めると、気合い込めた力技でそれをはね返す。
魔物にも『恨み』や『仕返し』などという感情があるのだろうか。その成体は再びロブストに襲い掛かろうと、空中で体制を立て直すが、その瞬間をアジリスに狙われ斬り付けられ脚がまた数本落ちた。
別の成体がロブストの頭上を通過してアジリスに襲い掛かる。もともと身の軽いアジリスだが、魔法を使ったその動きには余裕すら感じる。これが『高速移動』の効果か。
直後にロブストがエントマの攻撃を再び戦斧で受け止めると、力任せにそのままエントマを地面に叩き付ける。そこへアジリスがすかさずナイフを突き立てた。エントマはバタバタと斬翅を動かしながらもがき苦しむが、やがてその動きが止まり溶け出して消えていく。
脚を斬り落とされたエントマの成体一匹だけが宙に取り残される。
『かなわない』なぜか物言わぬエントマの考えが目に見えるようだった。
オレらの上空を何度か旋回すると、その成体は林の向こうへと飛び去った。
討伐したどという感じは微塵もしない。
『助かった』それがその時の正直な感想だった。
「ロブストさん、大丈夫ですか?」
「左眼の視界がはっきりしませんが、防御魔法も展開しておりましたので大事はありません」
オレはすぐにバッグから回復薬を取り出してロブロスに手渡す。
『よろしいのでありますか?』遠慮しながらもそれを一息で飲み干すとロブストの眼はすぐに回復した。回復薬の効き目はなかなかのものだ。
オレは魔生石を拾いバッグにしまうと、背中を向けるロブストを見て思う。
たしかに鎧には傷が残っているものの体は何ともなさそうだ。だが、防御魔法を唱えていてあれほどの威力とは、エントマの斬り翅の威力とは本当に凄まじいものだ。もしも、オレがあれを相手にしなくてはいけない時はどうすればいい。ロブストのように受け止める自信はない。かと言ってアジリスのようにかわすのも無理だ。だったらオレには何ができるんだ。
「ダン様、大丈夫でありますか?」
「え? ああ。大丈夫です」
ぼんやりと考え込むオレにロブストが心配そうに声を掛ける。
魔生石もけっこう集まったことだし一旦戻って体勢を立て直すか。
オレたちは一旦、高原を下って陣地まで戻ることにした。
陣地付近には相変わらず多くの人だかりがあった。
討伐登録や換金の列だけではなく、パンや串に刺した焼肉のような食料やアイテム販売、武器の防具の簡易修理を請け負う者などの姿も見える。人が集まる場所には自然に様々な需要が産まれる。
そこはさながら小さな村のような賑わいだ。
早速、オレたちも列に並んで魔生石を換金してみることにする。
まったく活躍していないのにオレのインフィニティーバックから魔生石を取り出すことで、何も知らない者たちからするときっと一角の戦士に見えるに違いない。2時間ほどの討伐の結果、黄色の魔生石を6個、白色の魔生石を14個を手に入れた。換金所の前に一枚の紙が貼り出してある。
『換金内容は以下の通りとする アステルランド領主』
『赤色魔生石1個 200ゲルド』
『黄色魔生石1個 30ゲルド』
『白色魔生石1個 5ゲルド』
どうやら赤色の魔生石も存在するらしい。
オレの出した魔生石を換金してもらうと250ゲルドになった。
2時間で250ゲルドはまずまずの成果だ。もっともオレは何もしていないのだが。
「ダン様、再び討伐に向かいますか?」
「いや、今日はあくまで様子見ですからこのへんで街に戻りましょうか」
「わかりました。向こうに街の入り口まで送迎してくれる馬車があるようです」
「よし。じゃあそれを使いましょう」
オレたちは一人1ゲルドの送迎馬車を使い街へ戻ることにした。
街の入り口で馬車から降りるとバランとポルチが待機する宿屋へと向かう。
『金脈の宿』バルバス殿がバランとポルチに用意してくれた宿屋の名前だ。
さほど大きくはないが手入れの行き届いた雰囲気の良い宿屋だ。宿屋の主人によればかつてアステルランド近郊は砂金採りで賑わった時期がある。その時に住み付いた者や金脈を掘り当て財をなした者の末裔たちが住みつきやがて街になった。それがアステルランドの始まりだ。この宿屋の名前はそこから付けたのだそうだ。
宿屋の一階は昼過ぎまで食堂で、日が暮れる時刻には酒場となる。オレたちはカウンターでバランとポルチを呼び出してもらい合流すると、一階の食堂で少し遅い昼食をとることにした。
「ダン様、お疲れ様でした。ご無事で何よりでございます」
「ロブストとアジリスのおかげです」
「いえ。ダン様の初討伐はご立派でありました。記念すべき初討伐に同行させていただき私もアジリスもたいへん光栄であります」
ただの足手まといでしかなかったのにそう言われると逆に恐縮だ。
とりあえず無事に戻ってこれたのは良かった。
「さあ、昼飯にしよう。遠慮せず好きなものを注文してくれ」
「はい。食べるっス!」
なぜかポルチが張り切って返事をする。まあ、いいか。
とりあえずメニュー表代わりの板を見るがよくわからない。
よく考えると店で食事をするのは初めてだ。
「なあ、ポルチ、お前もう何にするか決まったのか?」
「ガルニの丸焼き定食にするっス。大盛りにするっス」
「ガルニってのは何だ?」
「丸々と太った鳥っス。甘辛いタレを塗った丸焼きっス」
鳥の照焼きのようなものか。何だかやたらと食欲をそそるな。
他の皆は何にするのだろうか。
「皆は何にするか決まりましたか?」
「私はエリクシスと根菜のスープにパンをいただこうと思います」
バランはスープとパンか。エリクシスってのはたしかロックランドを出発するときに食べた穀類だ。
魔界にも普通に根菜はあるんだな。
「私はブルーレッグの煮込み料理の定食をいただきたいと思います」
ロブストはブルーレッグか。
ブルーレッグは知っている。しかも煮込み料理も捨てがたいな。
「ボクは……バブルスナッグのグリント炒めを」
アジリスがボソボソと呟く。炒め料理なのはわかったが。
バブルスナッグもグリントもまったくイメージが沸かない。
まあ、オレが食うわけじゃないからいいか。それよりオレは何にしようか。
朝がアレだったうえに初めての討伐で緊張したせいか異様に腹が減った。ガッツリ食いたい。
「腹が減ったので何か肉料理をガッツリいきたいんですけど、オススメとかありますか?」
三人がそれぞれに『アレが良いのでは』とか『やっぱり肉料理ならこれでは』などと意見を出し合い、オレにオススメのメニューを考えてくれている。四人じゃないのはアジリスが頷いているだけで意見を出していないからだ。
その時、オレたちの座るテーブルの横を、何とも深みのある香りを漂わせる皿を持った店員が通り過ぎた。あの料理はなんだ。一瞬、見えた皿の中には高級なビーフシチューを思わせるこげ茶色のソースの中に、照りのある肉塊と大きめに切られた野菜がゴロゴロと盛り付けられていた。
『あれは────』思わず口にしたオレの視線を追うように、皆が皿の運ばれたテーブルに目をやる。
「ラプトルタスクのアルベラ酒煮っスね」
皿の中身が見えたわけではないだろうがポルチが自信を持って言い切った。
その後に『匂いでわかるっス』とも言っていた。たしかに何とも言えない美味そうな匂いだ。
「オレはそれにします」
全員の注文が決まった。店員を呼んで注文を伝える。
不思議なもので飯のことを考えたら更に腹が減ってきた。
「ダン様、あの者はたしか────」
ロブストが離れた席のテーブルに視線を向けた。
あれは……。
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