アステルランド
書斎で出発の準備を整えているとバランがやってきた。
『ダン様、こちらをお持ちください』そう言って小さな革袋を差し出す。
一見どこにでもありそうな革袋だ。
「これはインフィニティーバッグという魔法アイテムでございます。名前とは裏腹に無限ではございませんが、見た目からは想像できない容量の荷物をしまうことが可能でございます。重量は一定以上には増えませんので探索や討伐時に持ち歩くには大変に便利な品でございます」
これはすごい。バッグを空けるとたしかに外見より明らかに広い薄暗い空間に、水色の小瓶が三つと緑色の小瓶が一つ、束ねたロープ、それと白い包が三つ入っている。
「中にある水色の小瓶は回復薬でございます。おケガをされた際にはその液体を飲まれるか、もしくはケガをした個所にふりかけてお使いください。緑色の小瓶は解毒薬でございます。エントマは毒を持ってはおりませんが用心のために一つ用意させていただきました」
「ありがとうございます」
「それと何かと使うこともあるかと思いますのでロープと、あと白い包は糧食でございます」
「糧食?」
「はい。携帯用の食料でございます」
なるほど。やはりバランにお願いしたのは正解だ。
殻魔装の上から霞のローブを纏い、左手首に金色に輝く身代わりの腕輪を着けた。
腰からファイヤーブレードの鞘を下げ、バッグに二本の魔法の巻き物と一緒に念のために金の入った革袋も突っ込む。準備完了だ。
一階へ降りるとロブストの姿があった。
いつもの魔宮警護の際より念入りな装備なのが一目でわかる。
「ダン様、おはようございます。すでに出発の準備は整っております!」
「ロブストさん、おはよう」
ロブストの隣には見たことのない小柄な少年が立っている。
身なりからすると兵士のようだがあどけなさが残る。華奢で小柄なその体格はオレが言うのも何だがまったく強そうには見えない。もしかしてロブストが選んだ同行者なのだろうか。
人選は任せると言ってしまった以上、今更口を挟むわけにはいかないが少し不安だ。
「ダン様、この者が同行させていただくアジリスであります」
「はい。よろしくね、アジリスくん」
アジリスがわずかに目線オレに向け小さく会釈をする。
弱そうなうえに無愛想なヤツだ。
「こら、アジリス。ダン様にきちんと挨拶しないか! 申し訳ありません。悪いヤツではないのでありますが少しばかり人見知りが激しいところがありまして。ですが、腕はたしかなのでご安心ください」
アジリスはオレとロブストが存在しないかのようにもくもくと荷物を屋敷の外へと運び始めた。
まるで反抗期の中学生だな。本当にコイツは大丈夫なのか。
『あ、ダン様、おはようございまス!』屋敷の外ではポルチがバランの指示通りにワイバーンの客車に荷物を積み込んでいる。今回はまずアステルランド伯爵へ謁見するためにバランも同行する。
その後に、オレとロブストとアジリスの三人でマッカル高原へ討伐に向かう手はずだ。
屋敷の外れの方には深々と頭を下げるグロウスの姿も見える。肩の上にシロの姿もある。
今回は危ないのでシロは屋敷で留守番だ。グロウスにはオレが留守の間のシロの世話を頼んだ。世話と言っても食事や水はメルとリリイが用意してくれるので、グロウスの仕事は主に散歩や遊び相手だ。シロはオレ以外ではなぜかグロウスに一番懐いているようだ。
「「行ってらっしゃいませ」」
いつもは玄関ホールで見送りしてくれるメルとリリイが、珍しく玄関の外まで見送りに来てくれた。彼女たちなりにオレの初討伐に不安を感じているのだろうか。オレもできることなら討伐になど行かずに彼女たちと屋敷でイチャイチャしていたい。オレはけじめのわかる大人の男だ。
チャッチャと討伐を終わらせて、帰ってからイチャイチャだ。
四人で乗り込んだワイバーンの客車には圧迫感があった。
岩山のようなロブストの存在がそうさせているのは言うまでもない。
だが、二頭のワイバーンはそんな重量をまったく感じさせない、力強く滑らかな離陸でアステルランドへと向かった。
アステルランドはロックランドからワイバーンで南へ1時間ほどの距離にある領地だ。
肥沃な大地と気候に恵まれ農業と林業をはじめ、領内の東を流れるエタン河からの水産資源の利用や、最近では魔宮跡に見付かった鍾乳洞内から採れる鉱石の発掘にも力を入れている。
バランの話では父とアステルランド伯爵はときに食事をともにしながら、魔界の現状や将来についての議論を交わす親しい間柄だったらしい。魔素や魔物の研究分野に秀でた才能を持っていた父はアステルランドの産業規模拡大時に多いに貢献したのだそうだ。その見返りに食料生産に乏しいロックランドは、アステルランドから優先的に食料を仕入れる権利を有していた。
エントマが大量発生したのは農業地区の中心部で、主産品となるアルベラが集中的な被害を受けているらしい。
途中で休憩をはさみ、やがてアステルランドの街並みが見えてきた。
四方を緑豊かな自然に囲まれた、中規模都市の中央に特徴的な形の城が見える。
薄茶色のレンガ造りの外壁に、金色の装飾がなされた萌葱色の屋根。
ひと際存在感を放つその建物こそアステルランド伯爵の居城だ。
ワイバーンが街の入り口付近へとゆっくり着陸すると、兵士長のロブストが小さく安堵のため息を漏らした。グロウスといいロブストといい、体の大きなヤツらはどうしてこんなに快適なワイバーンが苦手なのだろうかと不思議に思う。
ポルチとワイバーンを待機させ、オレたちはバランの案内でアステルランド伯爵の居城へと向かった。
フリーポイントほどの活気はないものの、アステルランドの街の通りにも様々な店が建ち並び、石畳の道を馬車や貨車が行き来している。
さすがに街の通りに魔光灯は見られなかったが、アステルランド伯爵の居城周辺にはしっかりと設置されている。オレが感心しながら見上げていると『魔光灯はお父上の発明品でございます』と不意にバランが口にする。そうだったのか。それって人間界で言えば電球の発明くらいすごいこのなのでは。
それなのにどうしてロックランドには魔光灯が設置されていないのだろう。
『お父上はどちらかと言うと領土内の発展よりも、魔界全体の発展のための研究にご熱心でらしたので……』オレがひとり言のように口にすると、バランがまるで言い訳でもするかのように言い淀む。
ようするに父は研究の虫のような領主だったのだろう。
たしかに何時間でも熱心に難しそうな本を読んでいる父の姿が微かに記憶に残っている。
「こちらはロックランド伯爵。城主アステルランド伯爵にお目通り願いたい」
「ご案内いたします。どうぞお通りください」
肩にアステルランドの紋章の入った全身鎧を身につけた門番にバランが伝えると、大きな木製の扉が大きな音を立てて開かれた。外国の城に入るのは初めてだ。少しワクワクする。もっとも外国と言うより魔界なのだが。
大したチェックもなくオレたちは長い廊下を歩き続け、そのままアステルランド伯爵が待ちうける広間へと案内された。中央の大きな玉座に腰を掛けた赤毛の男が立ち上がる。
「おお。新しいロックランド卿ですな。よくぞお出で下さった!」
そう言って男は満面の笑みを浮かべて歩み寄り、丸太のような太い腕で力強くオレに抱き付いた。
これがアステルランド伯爵か。身長はオレよりも低いが体の厚みが半端じゃない。間違いなく胸囲はオレの倍以上あるはずだ。ウエストに関しては三倍以上だろう。
鼻と耳たぶが大きく、縮れた赤毛の長髪で同じ様に縮れた赤毛の長い髭を生やしている。
眉毛も瞳の色までも赤茶色だ。
「はじめまして。このたび父の跡を継ぎロックランドの領主となりました。亜門ダンと申します」
「アステルランド領主のバルバスだ。お父上とはよく魔界の将来を語り合いながら、一緒に酒を飲んだものだ!」
バルバス殿はそう言って豪快に笑った。
「さあ、まずはアルベラ酒でも呑もうではないか!」
アルベラで酒も造れるのか。
どんな酒なのか興味はあるが、これから討伐に向かうのに酔っ払うのはまずい。
「せっかくですがアステルランド伯爵、私たちはこれからマッカル高原へ向かおうと思っておりました」
「何と? それはもしかして────」
「はい。微力ながら我がロックランドも、エントマ討伐に加勢させていただきたいと」
バルバス殿はオレを足先から舐め上げるように見上げ、後ろに控えるロブストとアジリスに目をやると、納得したように何度も頷いた。
「まさかこちらから要請を出す前に来ていただけるとは。それも、ロックランド卿が自ら」
「微力ではありますが父の代からお付き合いのあるアステルランドの危機を知り、黙ってロックランドで指を加えているわけにはいきません」
「気に入った! その心意気、じつに気に入りましたぞ。せめて今夜はぜひこちらへお戻りになりゆっくりと夕食をされお泊りいただきたい。とっておきのアルベラ酒を準備しておきますぞ!」
「ありがとうございます」
よし。何とかこちらのペースで話を進めることができた。
あとは速やかにマッカル高原へ向かうのみ。
「ときにロックランド卿が身につけるそれは殻魔装ですかな?」
「え!?」
驚いた。まさかバルバス殿の口から殻魔装という言葉が出るとは。
完全に想定外の展開に思わず言葉につまった。部屋に入る前に殻魔装を起動させてバルバスの能力を見極めてやろうかとも思っていたが、余計なことをしなくて本当に良かった。
「殻魔装をご存じなのですか?」
「おお。やはりそうでしたか! お父上が生前に話しておられました。魔界の一般的な魔装衣とは一線を画す特別な魔装衣を息子のために作っていると。たしかその名が殻魔装であったと。それで、どのような物なのですか?」
バルバス殿は殻魔装の詳しい内容までは知らないようだ。
ここはあまりややこしいことは言わないほうが得策だろう。
「じつは私もまだよくわからない部分が多いのですが、どうやら一般的な魔装衣に比べて軽量なうえに耐久力もかなり高いようです」
「なるほど。たしかに魔装衣とは一般的に魔導師などが身につけるもの。特別な魔法効果が付与されているものでもなければ耐久力のほどは知れておるでしょう。じつに興味深い」
「父には感謝しております」
バルバス殿が異様に殻魔装に興味を示している。
ややこしい事になる前に、ここは早めに失礼したほうが良さそうだ。
「それではアステルランド伯爵、我々は早速マッカル高原へ向かい、エントマ討伐に加わってまいります」
「ご助力、感謝いたします。すぐに馬車を準備させましょう」
「ありがとうございます」
「それでは夜に再びお会いするのを楽しみにしておりますぞ。ご武運を!」
ワイバーンのために城の厩舎の一角を借してもらえるこことなった。
バランとポルチには控室として城下町のバルバス殿の息が掛かった宿屋の一室が与えられた。
オレとロブストとアジリスは荷物をまとめると、アステルランドの馬車でマッカル高原へと向かった。
マッカル高原は城下町を抜け30分ほど南西に進んだ場所にある。高原一帯にはアルベラの園地が広がる。つまりその一帯にエントマが大量発生しているということだ。
高原の入口にアステルランド領の旗を掲げる陣が張られ、周辺には各領地から集まった大勢の兵士たちや周辺領土から集まった賞金稼ぎたちの姿が見える。オレたちもこのどさくさに紛れて討伐に加わることにする。
ところで報奨金はどのように支払われるのだろうか。
まさか倒した魔物を一匹ずつここまで引きずって来るわけにもいかないだろう。
疑問に思いながらアステルランド領の陣を眺めていると、端の方に二つの列が出来ているのに気付く。
あれは何の列だろうか。
列の最後尾の者に話を聞いてみると一方は討伐に参加する者の名簿登録の列で、もう一方は報奨金を受け取る列だという。ちょうどいい。オレは報奨金を受け取る列を、周囲の目を気にしながらそれとなく観察した。
列に並ぶ者たちは一様に袋を手にしている。
その中の何名かが袋の中から輝く結晶のようなものを出しているのが見える。
あれはいったい何だ。
「ロブストさん、あの人たちが手にしている輝く結晶のようなものは何だろう?」
「ああ。あれは魔生石であります」
「魔生石?」
以前にバランが言っていた魔光灯の原料となる魔鉱石と同じ様なものか。
「魔鉱石とは違うんですか?」
「はい。魔鉱石は高濃度の魔素を含む鉱石の一種でありますが、魔生石は魔物の体内で生成される魔物の体液と魔素が混じり合って結晶化したものであります」
なるほど。それを換金所で金と交換するわけか。
オレたちはとりあえず討伐に参加する者たちの列に並び名簿登録を済ませる。
「さて、これで準備万端だ。まずはどこへ行こうか?」
「この道を真っ直ぐに進めば、アルベラ園地に続いているそうであります」
ロブストが細い道の先を指さす。
ここでずっと時間を潰してるだけってのもまずいよな。
あとで換金所の書類に目を通せば、まったく換金していないことがすぐにばれる。
「よし。とりあえず様子を見に行ってみますか」
「わかりました。では私が先頭を歩きます。ダン様は私の後を、殿はアジリスが務めます」
細い道の両端には背丈の高い草や林が続く。
ロブストが身の丈ほどの巨大な戦斧を構え周囲を警戒しながら先頭を歩く。
オレはその後ろを少しビビりながらロブストの腕の隙間から前を覗きこむように歩く。
アジリスは両手に包丁ほどの短いナイフを握り気軽な足取りで歩く。
アルベラ園地まではけっこうな距離がありそうだ。
最後尾を歩くアジリスはまるで散歩でもしているかのようだ。
たしかにコイツ弱そうだけど、オレより後ろ歩くのって部下としてどうよ。
まあオレもロブストの陰だから十分安全だろうけど。コイツの余裕がちょっと気に入らん。
『ダン様!』突然、アジリスがオレの名前を呼ぶ。
やばっ、オレもしかして心の声が漏れてたとか。
て言うか、コイツの声はじめて聞いた。
その刹那、林の中から巨大な芋虫のような魔物が姿を現した。
エントマとの初遭遇だ。
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