アルベラの危機
オレとポルチがラインシャフトから仕入れてきた種芋と借りてきた馬用の鋤をワイバーンの客車から下ろしていると、ちょうど別の仕事でロックランドから2時間ほど南に進んだ所にあるアステルランド領へ向かっていたバランが戻ってきた。
バランに頼んだ仕事とはアルベラの苗木の市場調査である。とりあえず300ゲルドを手渡し『可能であればその場でいくつか仕入れてきて欲しい』と言って送り出した。
馬車の荷台に見たことのない植物の苗木が見える。
どうやらいくつかアルベラの苗木を仕入れることができたようだ。流石はバランだ。
ところが御者台に座るバランの表情が冴えない。何かあったのだろうか。
「ダン様、ただいま戻りました」
「お疲れ様でした。アルベラの苗木が手に入ったみたいですね」
「はい。手には入ったのですが────」
どうしたのだろうか。やはりバランの様子がおかしい。
見たところ数は少ないが苗木自体には問題はなさそうだが。
もしかして予想したよりもかなり高い仕入れだったのだろうか。
「オイラたちは岩石芋の種芋を150個仕入れてきたっス」
「ポルチの叔父のマヤンさんにいろいろ良くしてもらいまして。馬用の鋤まで貸してもらいました」
「おお。それは素晴らしい」
オレはバランの仕入れてきたアルベラの苗木を一つ持ち上げた。
黄緑色の大きな葉にわずかに黄色の斑が入る。
思ったよりも大きいバレーボールを思わせるボリュームの植物だ。
「この苗はいくらだったんですか?」
「10本で60ゲルドで仕入れることができました」
1本6ゲルドか。決して安くはないが、高級食材と言われるアルベラだけにもう少し高い価格を覚悟していたが少し拍子抜けだった。
「知り合いの苗木問屋がおりまして。いくらか安く仕入れることができたのでございますが、残念ながらオスの苗木が手に入りませんでした」
どうやら先程からバランの様子が冴えない理由らしい。
それにしてもオスの苗木とはどういう意味だ。
「苗木にオスとかメスとかあるんですか?」
「はい。実がなるのはメスの木だけでございます。もともとアルベラはメスに比べてオスの苗木が極端に少なく価値が高いのですが、困ったことにそのオスの苗木がまったく見付からないのです」
なるほど。ここにあるのは全てメスの苗木ということか。
「オスの苗木は何個あれば足りるんですか?」
「メス100本に対してオス1本がアルベラ栽培の基本だそうです」
「じゃあ、その1本すら手に入らないってことですか?」
「そうなのです。知り合いの苗木問屋に詳しく聞いたところによると、アルベラの苗木を食い荒らす魔物が発生しているらしいのです。そのため苗木の価格も高騰しております。この10本も本来なら70ゲルドは下らない苗木でございます。苗木不足となっている現在は、場合によっては100ゲルド以上の値をつける店もあるようです」
何てことだ。せっかく農園を始める準備が整いつつあるというのに、アルベラの苗木が魔物に食い荒らされているとは。バランが断念するほどだ。オレがラインシャフトでマヤンにいろいろ教えてもらっているうちに、アステルランドでかなり奔走してくれていたのだろう。
「じつは少々困ったことになりまして」
そう言ってバランが一枚の紙を差し出した。
『【至急】マッカル高原にてエントマが大量発生中。速やかな討伐を要請する。尚、討伐内容により報奨金を用意する アステルランド領主』
「アステルランド領主のアステルランド伯爵の一団と偶然、領内でお会いいたしまして。その際にこれを」
「アステルランド伯爵からですか?」
「はい。アステルランド領とはお父上の代より、何かと懇意にさせていただいていおります。私もアステルランド伯爵とは幾度かお会いさせていただいたことがございます」
たしかに領主ともなれば他の領主との交流も当然か。
「それでアステルランド伯爵から『近々ぜひお目に掛かりたい』とダン様にお伝えするようにと言使ってまいりまして……」
父の代からの付き合いならば代替わりもしたことだし、きちんと会って挨拶をするのは当然だろう。良い関係を築いておくことはマイナスにはならないはずだ。バランの表情が冴えなかった理由はこのアステルランド伯爵からの言伝なのか。だとすればオレには何が問題なのかわからない。
「アステルランド伯爵は悪い方ではございませんが、性格が少しばかり極端なところがございまして」
「そうなんですか?」
「はい。恐らくロックランドからもエントマ討伐への参加をかなり強い口調で要請されるはずです。それはもう強制に近いかのように」
「そういう言い方はたしかに嫌ですけど、かなり困っているみたいですし討伐を手伝うべきでは?」
「たしかにダン様の仰る通りでございます。しかし、現在、当家には兵士が十名しかおらず、魔宮の警護も怠るわけにはいきません。とは言うものの追加で兵士を雇う余裕があるわけでもございませんし……」
なるほどそういうことか。
バランが心配していたのはアステルランドへ派遣する兵のことだ。
たしかにこのタイミングでの余計な出費は辛い。それもロックランドへの投資としてならまだしも他領土のためとなるとなおさらだ。バランが頭を抱えるのもうなずける。
それはおうと、そもそもエントマとはどんな魔物なのだろう。
オレは書棚から父の書きのこした魔物図鑑を取り出す。
『名称:エントマ(魔物)昆虫種』
『特徴:幼体時は巨大な緑色の幼虫を思わせる容姿をしており、先端より弱い酸を吐くことがある。体長一メートル程度。この酸で植物を溶かして食べる。成体となるとなると体長二メートルほどの黒緑色の甲虫を思わせる容姿となる。鎧のような硬い上翅の下に鋭い斬翅を隠し持つ』
体長二メートルの甲虫とかって昆虫採取どころか、昆虫に採取されるレベルだろ。
これはちょっとヤバイんじゃないか。本当にそんな化物をオレたちで討伐できるのか。
あれ、待てよ。
「この討伐依頼って既に近隣領土にも配られてるってことですかね?」
「そうでございますね。既に領内には近隣領土の討伐部隊や一攫千金を狙う腕に自身のある者たちが集まっているようでございます」
やはりそうか。これはいけるかもしれない。
「ちなみに書かれている『報奨金』は我々にも該当するんですかね?」
「はい。それは恐らくそうかと」
うん。悪くない。
「このエントマというのは強いんですか?」
「幼体であればグランドワームと大差はございません。ですが成体となると機動力も攻撃力も幼体の比ではございません。隠し持つ斬翅は鋭い剣のような斬れ味だと聞きます」
うーん、難しい。もしバランが『弱いです』とか『大したことございません』とはっきり言ってくれれば、すぐにでもオレの決断は下されるのだが。要はオレと非番の兵士二名で討伐班としてアステルランドへ向かえば良いのでは。人数が少ない点は領主であるオレ自らが討伐に出向くことで、とりあえずの礼は尽くすことになるはずだ。
しかし、逆に『成体は機動力も攻撃力も幼体の比ではない』とはっきり言われてしまうと、正直あまり乗り気がしない。と言うよりオレが行きたくない。だが、行かないで済む方法は仮病くらいしか思い付かない。そんな小学生のような方法が魔界で、しかも、伯爵にもなって通用するだろうか。
だが、オレの考えが正しければもしかするとアステルランド伯爵に礼をつくしつつ、いくらかの報奨金をゲット。更に上手くいけばプラスアルファもあり得る。
ようは何を目的とするかだ。『命を掛けてエントマを討伐』なんてする必要はない。
オレたちロックランド勢が討伐に加わったという既成事実があればいい。汚いやり方だが必ずしも最前線でなくても、頭数としての活躍方法もあるはずだ。ついでに『それなりの成果』があればいくらかの報奨金もちょうだいできる。
大きな功績を残す必要はない。ただ無事に生き残るのみ。
これならオレでもどうにかなるかもしれない。
あとは戦闘経験者の意見が欲しいところだ。
「バランさん、早速、明日にでもアステルランド伯爵にご挨拶に上がりましょう」
「ダン様、よろしいのですか?」
「まあ、何とかなるでしょ」
その夜、オレは夕食後に兵士長のロブストを書斎へと呼び出した。
トントントン。『ロブストです。お呼びでしょうか』ノックのあとにその姿を見ずにも岩山のような巨体が想像できるような無骨な重低音の声が響く。
「忙しいところすみません。ロブストさんにちょっとご相談がありまして」
「そ、相談でありますか?」
バランもいないオレひとりの書斎に呼び出され、相談を持ち掛けられたロブストの顔に当惑の表情が浮かぶ。その顔には『相談事であれば私ではなくバランにするべきでは?』と書いてあるかのようだ。
言いたいことはわかるが今回はそうはいかない。
当惑した様子のロブストを椅子に座らせるとオレもその隣の席に掛ける。
今回の計画には彼の働きが肝となる。そのためには彼に納得してもらわなくては。
「じつは先日、アステルランド伯爵からぜひ近々ぜひお会いしたいという話をいただいたいます」
「ほお。そうでありますか。もしやその際の護衛をというお話でありますか?」
「ああ。それもあるんですけど、どうやら討伐依頼が出てるらしいんです」
「アステルランドからでありますか?」
オレはバランから預かった依頼書を机の上へ前へ差し出す。
「アステルランド領内でエントマという魔物が大量発しているようなんです」
「たしかにそのように書かれてあります。エントマは幼体であれば何匹かまとまって現れてもさほど大したことはありませんが、成体となると少々骨が折れる魔物であります」
思ったとおりロブストはエントマとの戦闘経験があるようだ。
それなら話は早い。
「アステルランドとは父の代からの付き合いらしいので、できれば我々も討伐に加勢したいと思うのですが。いかがですか?」
「なるほど。それはもっともなお話ですが、恐れながらロックランドにはそのための兵力が……」
「三人で行こうと思います。私と優秀な兵士二名の精鋭部隊です」
たったの三人をあえて『精鋭部隊』と呼ぶことで選び抜かれた感を強調する。
オレはともかくあとの二人には存分に活躍してもらわないといけないので、そういう意味では精鋭部隊と言えなくもない。ただ、二人を『部隊』と呼べるかはかなり微妙だが。もちろんその精鋭の一人がロブストなのは言うまでもない。
「たったの三人でありますか!?」
「はい。ロブストさんが言うように今のロックランドには、他領地のために余分な兵士を雇うような余裕はないので。かと言って『兵士がいないので行けません』というのは、いかにも礼を欠いた対応かと。どう思います?」
「それはたしかに」
「ですよね。そこでオレ自らが討伐に出向くことで誠意を見せるというわけです」
ロブストが大きく頷きながら『なるほど』と呟く。
よし。いい展開だ。
「ただ、オレは戦闘の素人です。できるだけ邪魔をしないように心がけたいとは思いますが万が一の時には、ロブストさんのお力を借りたいと言うわけです。オレが無事に帰還できるかはロブストさん次第です」
「それは身にあまる光栄であります。この身に代えてもダン様をお守りいたします。ちなみに、もう一名の同行者はこちらで選出させていただいてよろしいでしょうか?」
「はい。ぜひお願いします」
ロブストの強さは殻魔装の起動時でもどれくらいのものなのか正確にはわからない。
ただ、数値だけでは現しきれないビリビリとした空気を纏っているのを感じる。日々の戦闘の中で研ぎ澄まされた兵士特有の闘気のようなものなのだろうか。ロブストのそれは他の兵士とは桁が違っているような気がする。
「それで出発のご予定は?」
「明日の朝食後のつもりです」
「あ、明日でございますか!?」
「急で悪いんですけど、何か既にアステルランド領内にたくさん人が集まってるらしいんで。できるだけそのどさくさに紛れたいと思いまして。何とかお願いできますかね?」
「わ、わかりました!」
ロブストを部屋の外まで見送ったオレはすぐにバランを呼んだ。
さて、オレも急いで討伐の準備をしなければ。
読んでいただきありがとうございます。