ラインシャフト
途中で二度休憩を挟んで、ポルチの操縦するワイバーンはラインシャフトの入口ではなく牧草地に着陸した。こんな場所に降りて大丈夫なのかと周囲を気にしながら客車を降りると、遠くまで広がる緑の丘の上に大きな建物が見えるだけの広大な牧草地が広がっていた。
見たことのない動物たちが所々に小さな群れを作って草を食んでいる。流石は農業と畜産業だけで住民に安定した生活を提供している村だけはある。
『伯父さんを呼んでくるっス!』ワイバーンを近くの木に手際良く繋ぐと、ポルチが奥に見える大きな建物へ向けて駆け出した。
「ちょっと待てポルチ、オレも一緒に行こう。種芋の交渉に来たよそ者がその地の住民を呼びつけるというのは失礼だろう」
「そうっスかね? じゃあ、とりあえず行くっス」
ポルチにはオレが言っている意味は伝わらなかったようだ。
魔界には『礼を尽くす』という考え方は存在しないのだろうか。
牧草地の奥に見えた板張りの建物は厩舎のようだ。粗末な作りではあるがなかなかの大きさだ。これに比べれば屋敷のワイバーンや馬用の厩舎はまるで犬小屋だ。勝手を知るように厩舎へと入るポルチにオレも続く。
広い厩舎の中はいくつもの策で仕切られており、それぞれの部屋には餌を入れる桶と水の入った桶が設置されている。外に放牧されていたのがそうなのだろうか、動物たちの姿は見えない。
「おーい。マヤン伯父さん、いるっスかぁー!?」
よく見ると一番奥の策の中に全身に毛の生えた、大きな豚を思わせる生物の姿がある。下顎から小さな牙が突き出し、普通の豚に比べると鼻がずいぶんと長く耳が小さい。突然その生物の陰から声がした。
「お? ポルチか? ずいぶんデカくなったな!」
「あ、マヤン伯父さん。こんにちわっス!」
これがポルチの叔父か。マヤンはポルチとそっくりな小太りで背の低いオークだ。
違いと言えば体格がポルチよりいくらか良いことと、立派な顎鬚を生やしていることくらいだ。それよりこの小さなポルチを見て『ずいぶんデカくなった』とは。
「おひさしぶりっス。今日はうちのダン様と一緒に来たっス」
「おお。するとこちらが新しいロックランド伯爵でしたか。はるばるよくお越しいただき光栄です」
「突然お邪魔して申し訳ないです」
「いえいえ。甥のポルチが大変お世話になっております」
マヤンとポルチの決定的な違いが一つわかった。
マヤンには大人のちゃんとしてる感がある。
『じつはこのたび突然、お邪魔したのは岩石芋の種芋を────』途中まで言い掛けて気付いた。
村全体で農業や畜産業に取り組んでいるのであれば、マヤン個人に種芋の件を掛け合っても意味がないのでは。
「岩石芋の種芋をどうされるので?」
「い、いや、その────」
「種芋を譲ってほしいんスよ!」
あ、お前。何で先に勝手に。
「そうっスよね? ダン様?」
「そ、そうなんです。もし出来ればですが……いくらかお譲りいただければと」
「種芋をでございますか?」
マヤンが怪訝そうな表情を浮かべる。
突然こんな話を持ち出すのはやはりまずかったか。
「ロックランドの東部地区に予定地を準備してるんス」
「!?」
ポルチ、お前なんで勝手に話すんだよ!
オレは恐る恐るマヤンの顔を覗き込む。
「なるほど。既にそこまでご準備されているのであれば」
「よろしいのですか!?」
「ええ。ラインシャフトは村全体が五つの地区に分かれており、この地区の産業は私に権限が一任されております。ロックランドには栽培に適した土地がほとんどないだろうと思っておりましたが、そこまで準備されているのであれば余計な危惧だったようですな」
ありがたい。話のわかる相手で助かった。
どうやらマヤンはこの村でもかなりの権限を有する立場のようだ。
ロックランドの土壌事情まで把握しているなら話は早い。
「じつは栽培予定地としている東部地区よりも南部地区の方が土壌が肥沃で栽培に適しているようなのですが、南部地区には野生動物や魔物が住む森が近くにあるもので」
「たしかに野生動物や魔物が多い地域での栽培はトラブルが伴ないやすいでしょうな」
「はい。ポルチのアドバイスのおかげでいろいろと助かっております」
「ほお。そう言っていただけると伯父としても嬉しい限りです」
マヤンが種芋を譲ることを快諾してくれて助かった。
これは甥であるポルチの奉公先からの申し出ということも大きいだろう。
しかも、何気にコイツが暴走した結果が良い方向に進んだとも言える。
「ところでその動物は何というのですか?」
「ああ。これはラプトルタスクです。この個体は仔を身ごもっておりまして」
これがラプトルタスクか。串に刺さった焼肉の状態でしか見たことがなかったが、名前の印象からもう少しゴツイ見た目を想像していた。こうして見るとなかなか愛嬌のある動物だ。
「マヤン伯父さんは家畜の繁殖もしてるんスよ」
なるほど。ただ食肉用として出荷するのではなく繁殖させて頭数も増やしているのか。
もしかすると繁殖用の個体も販売しているのだろうか。魔界のように肉屋の店先に生体が並ぶ世界では、繁殖用に仕入れるのと食肉用に仕入れるのとの間にどんな差があるのかオレにはまったく想像がつかない。
「肉屋に並ぶ生体と、繁殖用の成体とでは何か違いがあるものなのですか?」
「ええ。種の違いです」
「種?」
オレが聞き返すとマヤンはゆっくりと厩舎の裏手の扉へと向かい外を指さす。
「あの大きな木の下にいる少し濃い毛色のラプトルタスクがご覧になれますか?」
「はい。ずいぶんと体格が良いですね」
「あれが繁殖用の『種』です」
なるほど。馬で言うところの種牡馬。豚で言うところの種牡豚か。
さしずめ種牡ラプトルタスクとでも呼ぶべきか。
確かに見るからに他の個体に比べて立派で毛並みも良さそうだ。
「ラプトルタスクの肉質は主に父系から引き継がれます。母親からは毛質や毛色などの外見の特徴を受け継ぐことが多いため、ラプトルタスクの繁殖では『種』が重要となるのです」
「するとあの父親の種を引き継いだ子供が繁殖用になるのですか?」
「もちろん全てではありません。産まれた個体を見極め、その中でも優秀なものが次世代の繁殖用として育てられるのです」
ロックランドには広い牧草地帯がないため牧場経営には縁がなさそうだが、ラプトルタスクの繁殖もなかなか奥が深く面白そうだ。もっといろいろ牧場の話を聞いてみたいが、そろそろ話を本題に戻そう。
「ところで岩石芋の種芋の件なのですが────」
「そうでした。どれくらいご用意すればよろしいでしょうか?」
いったいどれくらい必要なのだろう。
マヤンに問い掛けられて今更ながら慌てて考える。
仕方がない。素直にそのまま伝えよう。
「約1.4アールの農園に必要なぶん欲しいのですが、いくらくらいあれば良いでしょうか?」
マヤンがブツブツと呟きながら計算する。
「150個もあれば十分でしょう。植える際には一つを半分に切って使うので、それだけあれば300個の種芋を植えることになります」
「なるほど150個ですか。それでおいくらになりますか?」
「本来の卸値は2キロで5ゲルドですので、1個約1ゲルドとなります。150個では150ゲルドになりますが、ポルチがいつもお世話になっておりますので特別に130ゲルドでいかがでしょうか?」
思っていたよりだいぶ安い価格だ。
ありがたくその金額で種芋を譲り受けることにした。
『あともう一つお願いが』オレはずうずうしくも間髪空けずに話を続ける。
「じつは農作業自体が初めてなもので。できれば簡単に農園での作業や道具の使い方などをご教授いただけないかと」
「それはそうでしょう。農作業をされる領主様など聞いたことがございません」
マヤンが豪快に笑う。そういうものらしい。
たしかにオレのイメージでも領主というのは金持ちで、自分の手はほとんど汚さない生活をしているような気がする。しかし、ロックランドにはその『金』がない。近い将来に破たんしようかという自らの領土の経済状態を省みず、豪華で高尚な暮らしを貫けるほどオレは豪傑ではない。
オレたちはマヤンの案内で厩舎の裏手にある農園へと向かった。
広大な農園に点々と作業をする者たちの姿が見える。
この見える範囲全てがマヤンが管理している地区なのだそうだ。
どう考えても今のロックランドよりラインシャフトのほうが裕福そうだ。
「あの左手の手前の園地ではちょうどこれから植え付け作業をするための準備をしているところです。先を行く者が堆肥をまき、その後を続く者が土を起こします」
象を思わせる重量感のある水牛のような長い角の生えた動物に、土を起こす農機具を牽かせて一気に地面を耕しながら進んでいる。オレの目は列車の様なものすごい迫力で進むその動物に釘付けだ。土煙と共に、あっと言う間にどんどん大地が耕かされていく。
「マヤンさん、あの土を起こしている動物は?」
「あれはブレネロです。スピードはさほどありませんが、重量物を運ぶ際にはなかなか重宝する使役動物です。農作業だけでなく大人数を一気に輸送する際にも使われております」
ブレネロか。まるで生きてる重機だ。
たしかにあんなのがいれば農園作業も一気にはかどりそうだ。
「あのブレネロもこちらで繁殖をされているのですか?」
「ええ。ただブレネロは繁殖の成功率が低くなかなか上手くいきませんが」
オレの触手が反応する。あれ欲しい。あれがいればロックランドの農園作業も実験農園だけでなく、今後さらに農園を広げていく際にも活躍すること間違いなしだ。
「不躾な質問ですがブレネロの相場はいくらほどなのでしょうか?」
「そうですね。だいたいラプトルタスクの五倍ほどでしょうか」
「……なるほど」
いや。ぜんぜん『なるほど』ではない。そもそもオレはラプトルタスクがいくらなのか知らない。ただフリーポイントの肉屋でバランが聞いてくれた相場は1キロで5ゲルドだった。一頭で買うのと比べて切り分けたものを買うのではかなり割高になるのは当然だろう。
仮に切り分けた価格で考えるとすれば、あの体重100キロ以上のラプトルタスクは単純に500ゲルド以上になる。ましてや繁殖用となればもっと高値になることだろう。その五倍ということは、2500ゲルドは下らないはずだ。今のロックランドにはそんな余裕はない。
「ロックランド伯爵のお屋敷にも馬がいるのでは?」
「はい。たしか馬車用に二頭」
「馬車馬をお使いになるのは勿体ないでしょうが、1.4アール程度であれば馬に鋤を付けて起こせば問題ないかと思われますが?」
なるほど。そういう方法があったか。
今のロックランドの規模であれば無理してブレネロを購入する必要はないのか。
「もしよろしければ少し年代物ですが、馬用の鋤が納屋に入っていたはずなのでお使いください」
「ありがたい! ぜひお借りしたいです」
「おお。もうこんな時間かロックランド伯爵ご一緒に食事はいかがでしょうか? もちろんこんな村ですので気の効いたものなど出せそうにありまえんが」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
マヤンにご馳走になった食事は素朴だが素材の美味さを生かした美味しいものだった。
とくに岩石芋を使ったべイクドポテトは思わずお代わりをいただいてしまった。
「ロックランド伯爵は面白いお方ですね」
「そ、そうですか?」
「ええ。失礼ですが、どこか伯爵然とされておらず親しみがわきます」
素直に嬉しかった。領主になってまだ数日のオレに領主の貫禄のようなものが備わっているはずがないが、『伯爵然としていない』というのは本来であれば領主失格を意味する言葉になるだろう。でも、親しみがまったくわかない領主だと言われるよりは、親しみがわくと言われる方が嬉しい。ましてや屈託のない笑みを浮かべながら話すマヤンの言葉であればなおさらだ。
この後に納屋から鋤を運ぶ際に、鍬に似た道具や草刈りに使う大鎌などの使い方も教えてもらった。岩石芋の種芋選びも一緒に手伝わせてもらった。てっきり種芋用の芋があるのかと思っていたが、そうではなく形状の良い良い状態で成長したものを選別して使うらしい。ついでに岩石芋の植え方と育て方の注意点などをきっちりレクチャーしてもらった。
「種芋150個です。どうぞお持つください」
「ありがとうございます。お約束の130ゲルドです。大変お世話になりました」
マヤンのおかげでいろいろと助かった。馬用の鋤は流石にワイバーンの客車には入らず客車の屋根の上に括り付けることになった。
「マヤンさん、本当にいろいろとお世話になりました」
「いえいえ。私で力になれることがあればいつでもお知らせください。それと────」
マヤンが作業帽を手に持ち深々と頭を上げる。
「ポルチのことをよろしくお願いします」
帰りの客車の中で外の景色を眺めているとなぜか何度もその姿が思い出された。
「なあ、ポルチ。マヤンさん、良い人だな」
「はい。そうっス!」
読んでいただきありがとうございます。
『感想』『レビュー』いただけると励みになります。