堆肥作り
翌朝、オレはバランの案内でポルチをひき連れて東部地区へと向かった。
今回は細かな地形までを見極めるために馬車を使って移動をする。
東部地区は北東にある近隣領土の山脈地帯まで続く深い渓谷が、南に向かって次第に低くなりながら地区の中央を縦断する。見ようによってはグランドキャニオンのミニチュア版を思わせ、もしここが観光地だったら人気のスポットだったに違いない。南部地区にほど近い渓谷の端にはロックランドで唯一の滝が流れ落ち、その周囲には背丈の高い草が茂っている。屋敷から見るとおよそ南東に位置するその滝の周囲以外には緑は少なく、屋敷に近付くにつれて一層と砂岩が目立つようになる。
当初、オレが農園の候補地として考えていた地域は二ヶ所あった。南部地区の森の周辺とこの滝の周辺だ。しかし、ポルチの『森には野生生物も魔物も多いっス』との意見を受けてこの滝の周辺の地域で農園を作ることに決定した。たしかにここなら南部地区に比べて野生生物や魔物に農園を荒らされたり、作業中に作業員が襲われるということもないだろう。しかも水場も近く農園を作るには良い条件がそろっている。
あえて南部地区に比べて劣る点を挙げるとすれば、土壌が南部地区ほど肥沃ではないことと農園にできる平地が少ないことだ。平地が少ない点に関しては今のところどうにでもできるが、土壌に養分が少ないのは農作物を育てるうえで欠点となる。近くに水場がありながらも滝の周辺以外に背丈の高い草が茂っていないのは土壌に養分が少なかったせいらしい。ところが土壌の養分補充に関してはまたしてもコイツが良いアドバイスをしてくれる。
「ワイバーンの堆肥を使うといいっスよ」
なるほど堆肥か。確かに人間界でもホームセンターなどで、牛の堆肥がビニール袋に入って売られているのを見かけたことがある。足りない養分を補充してやれば良いということか。ポルチの話ではワイバーンの堆肥にはかなり強力な効果が期待できるらしく、土壌の養分が少ない土地でもこれを施肥することで、植物が丈夫に育ち十分な収量が得られるのだそうだ。
実際に現地を見て歩くことで具体的なイメージができた。
目印を決めて持参したロープと歩測にて縦横100歩の正方形の実験園地の範囲を指定する。3メートル程度の間隔を開けて同じものをもう一つ。思った以上に綺麗な正方形を描くことができた。我ながら伊能忠敬もビックリの正確さだ。もちろんバランとポルチの手助けのおかげなのだが。
とりあえずこれで良し。こうして見るとけっこうな広さがある。オレの歩幅は約70センチなので約1.4アールの実験農園が二つできる予定だ。一方には岩石芋の種芋を、もう一方にはアルベラの苗木を定植する予定だ。
屋敷に帰ると殻魔装を脱いで休憩しながら、ポルチから簡単に堆肥作りのレクチャーを受ける。
人間界では一般的に堆肥に使用する動物性有機質には、牛や鶏などの糞が用いられることが多い。それは堆肥に用いる有機質には草食動物の糞が適しているからだ。雑食性や肉食性の動物の糞を使用した場合には、堆肥にするまでに余分な手間と時間が掛かり、その割に堆肥としての効果があまり高くないため効率が悪いのだ。
まず、厩舎で使っている古くなった敷草や枯葉と、刈り取った新鮮な草を細かく刻んで混ぜる。そこへ適度な水分と全体の三割ほどのワイバーンの糞を入れてよくかき混ぜ山盛りに積んでしばらく放置する。やがて積まれた糞と植物が内部から発酵してくる。十日おきにしっかりとかき混ぜて、再び発酵を促す作業を繰り返せば、約一ヶ月ほどでワイバーンの堆肥の完成となるらしい。
植物の植え付け作業をする数日前に農園の全体に施肥し土とよく混ぜ合わせる。更に養分を多く必要とする植物の場合は、植え付けの際に再びワイバーンの堆肥を植え付ける個所に混ぜ込むことで高い効果が期待できるらしい。
ちなみにワイバーンをを含む飛竜種のほとんどは雑食性らしいのだが、ワイバーンの体内にある特殊な細菌の働きのおかげで発酵の進行が早くなるようだ。これはワイバーンが好んで食する特定の植物に腸内にいる細菌を活性化させる作用があるためだ。通常の堆肥が出来あがるまでに約三ヶ月近くかかる工程を、ワイバーンの糞なら約一ヶ月程度で仕上げることが可能となる。そのうえその他の草食動物の糞で作った堆肥に比べて植物の発育に効果的な養分が多いらしい。
ポルチが『オイラの糞で作った堆肥なら、たぶんワイバーンの糞を使った堆肥の十倍は効果があるっスよ!』などと自慢げに話していたが、面倒なので『そうか』と軽く聞き流しておいた。
すぐにでも農園作りを始めて一日でも早い収穫をと思っていたのに、堆肥作りだけで一ヶ月も掛かってしまうとは思わぬ誤算だ。どうやらオレは農園作りと食物の栽培を安易に考えていたようだ。
万能と思われたワイバーンの堆肥にも思わぬ落とし穴があることを、この後、殻魔装を着て試しにワイバーンの糞を集めるために厩舎の掃除を手伝いに行った際に思い知ることになる。
「おい、ポルチ何だこの目にしみる臭いは!?」
「え? 何かしみるっスか?」
屋敷から少し離れた場所にあるワイバーンの厩舎の周辺には、揮発する酢酸を思わせる鼻をつく強烈な臭いが充満していた。臭いの元は片方のワイバーンの部屋だ。
ダメだ。まともに目を開けると涙が止まらない。
「こっちのワイバーンの部屋だけ、やたらと臭うぞ!」
「そうっスか? あ、もしかしたらメスのワイバーンの発情臭っスかね?」
「発情臭? コイツ発情期なのか?」
「そうっス。ワイバーンの発情期は年に三回で個体差はあるっスが、期間はだいたい三日くらいで終わるっス。その間は尿に独特な発情臭がするっス。ちょうどコイツは三日目なんでちょっと臭いが強いかもしれないっスね」
お前にはこの臭いが『ちょっと』のレベルなのか。『発情期は操縦が難しいんすスねぇ』などと言いながら何食わぬ顔で厩舎の掃除をしている。
オレは耐えかねて建物の陰に非難する。
こんな臭いを年間に三回も経験するのか。ワイバーンの厩務作業とは何て厳しいんだ。
意外とどうにかなりそうだと高を括っていたワイバーンの堆肥作りは、予想外の形で出鼻をくじかれてしまった。
厩舎の裏手には使い古した敷草と一緒にワイバーンの糞が積み上げてあった。不思議なことにその糞の山自体からは大した臭いは感じない。発情臭のせいで鼻が麻痺しているのだろうか。
「あ、ウンゴ茸がいっぱい生えてるっスね。帰りに採ってエッセンさんに持ってかえるっス!」
よく見ると積み上げたワイバーンの糞に立派なキノコが生えている。
ウンゴ茸と言うのか。ワイバーンのウンコの上に生えるウンゴ茸。
「これは美味いっスよ」
「食えるのか!?」
そう言ってポルチはキノコを一つ採ってクチャクチャと音を立てながら頬張る。
コイツ洗わないでそのまま食った。
オレは目の前で糞の山からもぎたてのキノコを生で美味そうに食うポルチを眺め、自分が魔界にいることを改めて実感していた。
あれ。表面にキノコが生えてたってことは、これってもしかして自然に堆肥化が進んでるんじゃないのか。古くなった敷き草と一緒にワイバーンの糞を盛り上げておいたことで、内部で自然に発酵が進み完全ではないにしろ、堆肥作りの工程に近い状態になっているのではないだろうか。これに枯葉や細かく刻んだ草などを混ぜれば、最初から作るよりかなりの時間短縮になるのでは。
「なあ、ポルチ。このワイバーンの糞の山にはよくキノコが生えるのか?」
「そうっスね。雨の後とかけこう生えるっスね」
近くから飛んできたキノコの菌がこのワイバーンの糞の山の上に落ちたのだろう。
雨により適度な水分が補充されキノコが育ち、古くなった敷草とワイバーンの糞が適度に混じり合って栄養分となっているのだろう。
「ポルチ、もしかしてこの糞の山を使えば、一ヶ月も掛からないで堆肥が作れるんじゃないか?」
「なるほど。そうかもっスね。じゃあ、早速これに細かくした落葉とか混ぜてかき混ぜて、寝かせて様子を見てみるっス」
この日の午後はグロウスとバランにも手伝ってもらい、糞の山を南部地区の滝の近くへと運んだ。
まさかオレも魔界にきて領主になって、そのうえワイバーンの糞の山を運ぶことになろうとは、数週間前まではその欠片すら予想できなかった。
ワイバーンの糞の山を掘る作業には少なからず抵抗を感じた。ところがワイバーンの糞自体があまり臭わないこともあり10分も経たずに作業には慣れた。魔界で暮らすことにすら徐々に慣れつつある。
大抵のことは時間の経過と共に慣れるものなのだと、妙に何かを悟るような思いがした。
ワイバーンの糞を全て運び終えたら周辺の枯草や落葉を拾い、滝の周辺に分布する背丈の高い草の刈り取り作業を行った。
拾い集めた枯草と刈り取った草は更に細かく砕く。慣れない作業はけっこう大変だったが、途中から非番の兵士たちも手伝ってくれたおかげで予想以上にはかどり、その日のうちに大きな堆肥の山が二つ完成した。あとはこれを更に熟成させて十日ほどでかき混ぜて、もう再び山積みにして熟成を繰り返す。
作業をしていて気付いたがロックランドには厩舎で使っているスコップが何本かあるだけで、農園作の作業をするために必要な道具が足りない。この後、実際に農作物の世話をするのにスコップだけで全ての工程をこなせるとは到底思えない。
今後のことを考えるとどこかで農機具の購入も検討する必要がありそうだ。
翌日は朝からワイバーンでの出発準備してもらい、ロックランドから少し離れた北西にあるラインシャフトという農村へと向かった。岩石芋の種芋を仕入れるためだ。ラインシャフトはポルチの出身地でもあり、親戚が大きな農園と牧場を営んでいる。
ポルチの話ではその農園では大量の岩石芋を栽培しているらしく、親戚に掛けあえばいくらか安く岩石芋の種芋を仕入れることが可能だろうということだった。
ちなみにバランには別の仕事を頼んでいるので、今回はオレとポルチだけでラインシャフトに向かう。留守番のグロウスと非番の兵士たちには、川から農作物にやる水をくみ上げるための水くみ場を作ってもらっている。
だがオレが今回ラインシャフトへ行くのは種芋を仕入れるためだけではない。
ラインシャフトはロックランドの北西に位置する農業や牧畜が盛んな村だ。それ以外にこれと言った特徴のない村だが、ロックランドとは違い肥沃な大地が広がるこの村は、村民たちが共同で作業を行い近隣の街へ農作物や畜産物を出荷することで皆が安定した生活を送ることができている。
ポルチから聞く話ではラインシャフトでは、村民が一体となって農業や畜産業に取り組んでいるらしい。その収益で安定した生活をおくる共同体の成功例として参考にさせてもらいたいと思っていた。そして、農作業をしたことのないオレにとってはラインシャフトで実際の農作業を目にしてあわよくば体験してみたいという思いもあった。農業体験だけでなくその作業に必要となる知識や農機具について学ぶこともできるはずだ。
成功者の良い点を真似るのは成功者へ近付くための第一歩。のはず。
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