負け犬ロビンは次を望む
「――ロビン、後で卑怯だなどとは言わないでくれ。
全力で勝ちにいく。キミをひとりの強大な戦士として認めるからこそだ」
構えの合図で剣を抜いたマティアスくんは、そう言った。
僕を戦士として認める。
その言葉は緊張になって尻尾の先まで駆け巡ったけれど、嬉しくもあった。
「分かった」
アーバインの剣を構える。
僕とマティアスくんの持つ、この剣達は兄弟剣だ。
僕らが手にしてから、ずっと助け合ってきた。
こうして剣を向き合う機会は今までになかったことだけれど、いつもよりも力が漲っている。
もしかしたら剣を通じて、僕らの闘志が伝わり、互いに高め合っているのかも知れない。
「始めぇっ!!」
教官の、開始の声。
それが言い始まるかどうかという絶妙なタイミングで、マティアスくんは動いていた。
顔が、手足が、全身が重い水に囚われる。
アクアスフィア――凄まじい発動速度だ。しかも綻びが感じられない、完璧の完成度。
マティアスくんが剣を振り下ろしていた。
かろうじてアーバインの剣で受けると、衝撃が加わってアクアスフィアが弾け飛ぶ。あえて、崩壊をさせたのだ。指向性を持たせる形で僕を弾き出すために。さらに風魔法が続き、舞台のヘリまで吹き飛ばされる。
剣を突き立てて、そのまま落とされる前に体を止めた。
水と風の魔法のせいで鼻が利かなくなっていた。視界にマティアスくんの足を見て、顔を上げるとそこへ衝撃がぶつかってきた。
頭から場外へ転がり落ちる。
天井を仰ぎ見ながら、僕はそこまでのやり取りを反芻する。
考える余裕さえ与えてもらえなかったほど、ムダもないし、細かな隙もなかった戦い。負けたという実感さえもまだ追いついてこない。
「試合終了、勝者、マティアス・カノヴァス!」
本当に、これで終わり――?
まるで理不尽な夢を見ているかのような感覚だった。でも、僕は場外に落ちた。
「ロビン、悪いな」
ステージ上からマティアスくんが手を差し出してくる。
体を起こし、その手を掴むと引っ張ってくれて立ち上がる。
「真っ向勝負だと、キミに確実に勝つのが難しかった」
「うん……何か、釈然としないけど……それだけ警戒してくれたんだもんね」
これが始まる前に言っていたことだったんだ。
全力で勝ちにいく――戦うことではなく、勝利を取りにいった。
僕はされるがままで、それはどこかで甘い気持ちがあったからだ。
勝つことに貪欲にならないで、マティアスくんと鎬を削ることを楽しみにもしていた。その意識の差が、こういう形になった。
マティアスくんが不意に、観客席を見た。
何かと思ったら、剣を上げてある一点へ向ける。その先には、レオン。
お行儀悪く欄干に座り、手には樽ジョッキを持って呆然としている。ああいう顔はちょっと珍しい。
「レオン、キミとは戦って勝つ」
小さな声でマティアスくんはそう呟いた。
僕らの試合の後は、レオンの番だったけど見なかった。
きっとレオンなら勝って決勝戦に進む。そう思ったし、ひとりになりたかった。
負けた。
負けたと言うより、勝負をしてもらえなかった。
それが何だか寂しくて、胸がもやもやしてしまった。
目的地も定めずに学院を歩いた。
マティアスくんは序列戦で第一位になって、騎士団入団前に数年の猶予をもらうつもりでいる。閉ざされた騎士団という社会に行く前に、もっと色々なことを見て、聞いて、体験したいのだと。
騎士が守るべき庶民の、ありのままの生活の様子も市井に交じって見たいとも言っていた。
立派な志だ。
僕もここへ来ると決める前、お師匠様に外を見てきなさいと言われた。
それが人を成長させてくれる。
旅は楽しいことばかりではないけれど、たくさんのことを得て大きく成長するための糧になると。
実際、僕も故郷にいただけじゃ分からなかったことをたくさん知った。
ディオニスメリアの貴族は怖い人ばかりで、獣人を見れば酷いことをしてくるとばかり思っていた。だけどレオンは僕と友達になってくれた。マティアスくんも、知り合って間もない僕のために――僕を蔑んだ人に怒ってくれた。
言葉でしか知らなかった誇りというものを、2人に教えてもらえた。
お師匠様よりもすごい魔法士の先生がいて、色々なことを教えてもらえたし、入学前よりも魔法への興味を持つようになった。スタンフィールドに来る商人から珍しい品物を見せてもらうと、たくさんのすごいものがあった。知れば知るほどに、もっとすごいものがあるんだろうと期待が膨らむこともあった。
学院に来て、本当に良かったと思う。
だけどそれはレオンや、マティアスくんや、リアン、それにミシェーラや、フォーシェ先生のような、色々な人がいたからだ。
皆、すごい人ばかりだ。
だから僕も、同じようになりたいと思っている。
剣闘大会へ出たことだって、競い合うことでもっと分かることがあると思ったからだった。
でも、負けた。
勝つことを目的にしていたわけじゃない。
それは確かなことだけど――やっぱり、悔しいのかも知れない。
マティアスくんを責めるのはお門違いにしたって、もっともっと僕が強かったら、ああもあっさりやられることがなかったと思う。悠長に楽しもうと思っていたから、対応に遅れて、こんなにももやつくんだ。
階段に腰かけて座り込む。
試合の盛り上がりは、さすがに届かない。
序列戦。
準決勝まで残ったから選抜されるのは確実だと思う。
今度こそ、序列戦で戦って勝とう。
ここで仕方ないと諦めるのは簡単だけど、望めば次はあるのだから。
「ただいま」
「おう、おかえり、レオン」
魔法の練習をしてから寮に帰ると、もうすっかり夜更けになっていた。
レオンはベッドで仰向けになっていたが、まだ寝るつもりはなかったみたいですぐに体を起こした。
「……負けちゃった」
「見てた」
「明日は決勝戦だね」
「それと3位決定戦だろ?」
あ、忘れてた。
そう言えばあったんだっけ。
「珍しく落ち込んだか?」
「えっ……そ、そんなこと、ないけど……」
「尻尾は素直なんだよ」
「うっ……」
レオンがベッドから足を降ろした。
今日もいっぱい、尻尾を触ってくるんだろうなあ。ちょっと憂鬱。
ほら、僕に近寄ってくる。
でも今日の僕は負け犬だから、これを糧に――
「アクアスフィアと、あと、あの風の魔法。込めてくれよ」
レオンが魔石を取り出して、僕へ差し出した。
「えっ……?」
「同じこと、マティアスにやり返してやろうと思って。
悪くねえ考えだろ? あいつがお前にやったことを、やり返すんだから文句は言えねえし」
「レオン……」
「やっぱさ、もっと派手にやり合ってもらわないと見に行った意味がねえし?
ちょっとマティアスに灸を据えてやらねえとダメだと思って。お前の仇討ちだ」
ほら、と魔石を僕へ押しつけてレオンが頭の後ろで手を組んだ。
「あのスカした面にガツンと一発、見舞ってやらねえとな」
「……うん、じゃあお願い、レオン。マティアスくんをやっつけて」
「任しとけ」
幸せだと思う。
こんな友達に恵まれたことを。
明日はレオンを応援しよう。
散々、特訓につき合ってあげたのにあんなことするんだから仕返ししたっていいと思う。
「絶対、勝ってね」
「じゃあ、今日は2時間コースで――」
「お預けです。尻尾断ちも願掛けだよ」
ちょっとコンディションは落ちちゃうかも知れないけど――いいよね?