悪童伝説のはじまり
「――とまあ、そういうことになった」
「それでガルニくん……どうなったの?」
「今朝は迎えがなかったから、見限られただろうさ」
どこか清々しいようにマティアスくんは答える。
弟がお友達に見限られちゃった、っていうのに……ちょっと薄情じゃないのかな。
「いいの?」
「いい薬さ。まあ……本来の狙いとは違ってしまったが、感謝しているよ、ロビン」
「うん……それは、うん……」
いいのかなあ?
悩んでいるとマティアスくんが椅子を立つ。
「それじゃあ僕は、昨日のレオンとの手合わせで得たことを復習したいからこれで。
明日はいつもの時間に頼む」
「うん。がんばってね」
食堂をマティアスくんが出ていった。
本気でマティアスくんはレオンを倒そうとしている。2年の時に――不正はあったけれど、剣闘大会で5回戦まで突破したレオン。あれから4年が経っているんだから、今はもっと強くなっているはずだ。
4年生の時の剣闘大会では手を抜いて一回戦で自分から場外に落ちてたけど。
けれどレオンは強い。
それをもっとも身近に感じているのはマティアスくんのはずなのに、尚も挑もうとしている。
もしかしたら、レオンを倒しちゃうかも知れないとさえ思う。
レオンもマティアスくんも、立派な戦士だ。
心に秘めた信念のために力を振るう。2人とも、格好いい。決勝戦の舞台で2人が戦うところを見たい。どっちにも勝ってもらいたい。
でも、僕も――ただ眺めているだけではいたくない。
2人の友達として、僕も交じりたい。
あと1年しか皆で揃っていれる時間がないからこそ、ぶつかり合う機会はもう来ないのだから。
「カノヴァス、邪魔だよ」
聞き慣れた名前がして振り返ったら、突き飛ばされた男の子がいた。
尻餅をついて、突き飛ばしてきた相手を睨んだが、何も言わずに立ち上がって離れようとする。背中の丸まった、小さい後ろ姿。
小さいマティアスくんだ。
いや違う、多分――あの子が、マティアスくんの弟のガルニくんだ。
マティアスくんはまだ、立ち直るまで時間がいるって言ってた。
自分で立ち直れないと意味はないから手を差し伸べることもしないとも。
けれど、可哀想だ。
小さな背中を丸め込んで歩いている。あの気持ちは、ちょっと分かる。そう思ったら足は彼を追いかけていた。
「えっと……カノヴァス、くん?」
呼びかけるとガルニくんは振り返って、それから僕を見上げてぎょっとした。そんなに驚かれると、ちょっと心外だけど――背が伸びたし、身長差もあるから仕方ないのかな。
「な……だ、誰だ? 僕をカノヴァスの人間だと知って声をかけたんだな?」
この感じは知ってる。
ディオニスメリア王国の貴族だ。
「僕はロビン・コルトー。キミのお兄さんの、マティアスくんの友達なんだ」
「兄様の……? ふんっ、嘘をついて取り入ろうとしたってムダだ」
「嘘じゃないよ」
「兄様が獣人を友人にするはずない。
ま、けれどこの僕に声をかけてくるくらいだ、話くらいは聞いてやらないこともない」
……何だろう、この感じ。
やっぱり、ちょっと可哀想だったけど放置した方が良かったのかな?
いや、ダメだ。やっぱり可哀想だったし、間違ったことはしてないはずだ。
「何だか落ち込んでるみたいに見えたから。どうかしたの?」
「……別に? この僕が、落ち込む? そんなこと、あるはずがない」
でも動揺してるよ。
隠してるみたいだけど声がうわずってるのがよく分かる。
「キミ……この学院で、悪童って呼ばれてる人を知ってる?」
「っ……ま、まあ、し、しし、知らないことは、ない……」
昨日レオンにやられちゃったんだもんね……ワンパンで。
寮に帰ってきたレオンも、変な一年生に絡まれたからワンパンしといたって言ってたし。レオンのことだから、もうぽろっと忘れてるんだろうけど。
「レオンって言うんだけど、本当は悪童なんて呼ばれる悪い子じゃないんだよ」
「はあ? あれのどこが? どこからどう見ても、貴族なんかに見えやしないじゃないか。
だらしのない制服の着用と言い、あの口と目つきの悪さ、それに、この僕がどけと言ったのに、あいつは『てめーがどけ』なんて口汚い言葉を使ったんだ」
光景が目に浮かぶようだ。
きっとレオンの瞼は閉じかけだったんだろうなあ。ものすごく面倒臭がってる時の顔に違いない。
「本当はレオンに負けちゃって、悔しいでしょ?」
「は、はあっ!? 悔しくなんてない――いや負けてないっ! 不意打ちを食らっただけだ! 卑怯な手を使って、それで……!」
「でもレオン、1年生の時は毎日、同級生と喧嘩をしてたんだけど……ここ何年かはそれもなかったんだ。
皆がレオンに勝てないって思っちゃって、本当はレオンのこと良く思ってないんだろうけど……喧嘩も売られないくらいになっちゃって。
だからキミは、数年ぶりに悪童レオンに挑んだ、勇気のある戦士なんだよ」
「僕が……勇気のある、戦士……?」
「うん。だから悔しくってもいいし、落ち込んでもいいけど、胸を張ってもいいんだよ。
マティアスくんはね、学院の皆が勝てないって思ってる、目の上のたんこぶのレオンを剣闘大会と序列戦で倒して、序列第一位で卒業をするって誓ったんだ。
キミも、あんなにかっこいい立派なお兄さんがいるんだから、ただお兄さんを盾にするんじゃなくて、お兄さんを追いかけるつもりでいたらいいんじゃないかな……って、お節介だよね」
励ましたかっただけなのに、何を言っているんだろう。
レオンのこと悪く言っちゃってるし、これじゃあまるで悪の親玉みたいな口ぶりだ。ごめん、レオン。
「……そうだっ、その悪童と戦える上級生はいるのかっ?
きっと僕と同い年くらいだ、ひとりくらいいるんだろう?」
「え? ……いた、かなあ? いれば目立つと思――あっ」
それって昨日の、姿変えの魔法を使ってたマティアスくんのこと?
「知ってるのか? 知ってるんだな、その反応!」
「うぇっ、ええ、ええと……し、知らない……ヨ?」
「嘘をつくな!」
「ほ、ほんとうにしらないなぁー。僕はちょっと用事があるからこの辺で――ひうっ!? 尻尾を握らないでぇっ!!!」
「うああっ!?」
思わず大声を出すとガルニくんはすくみ上がってしまった。
心なしか、小刻みに震えちゃってる……?
「あ、いや、驚かすつもりじゃ……獣人族の尻尾は大切なものだから、勝手に触っちゃダメなんだよ」
「は、はい……」
「じゃ、じゃあ……これで。サヨウナラ」
早足に歩いていく。しばらく背中に視線を感じた。
怖がらせちゃったかなあ? マティアスくんの弟だし、怖がられたくはないけど――
「ロビン、ガルニに一体何をした?」
次の日に、マティアスくんの特訓のために待ち合わせ場所へ行くと、いきなり詰め寄られた。
やっぱり良くないことをしちゃった……?
「ご、ごめんなさ――」
「いきなりガルニが、やる気を出したんだ。
しかも聞けばロビン、キミがガルニに何かしたそうじゃないか」
「……えっと?」
やる気を、出した?
それっていいことだよ、ね? あれ?
「何を話した?」
「……こ、心当たりが、ないです」
「変な誤解をされてる感じもあるんだ。
僕とレオンが何かを巡って争ってるだとか、その僕を英雄視している感じだとか……」
あれなのかな?
もしかしたら、ガルニくんはマティアスくんが姿変えの魔法を使っていたマティアスくんに気がついちゃって、僕が余計なことを言っちゃったせいで、学院の悪者みたいに思われてるレオンに勇敢に挑んでるみたいな風に受け取っちゃって、自分がワンパンで負けちゃったのに、ガルニくんが尊敬してるマティアスくんはけっこう互角に渡り合っていて……。
ううん、違うよね。
きっと、何かこう……うん、僕は、関係ない……よね?
その後、変な噂が流れているとリアンに教えてもらった。
ある、3人の学生達に関する噂話だった。
ひとりは勇者マティアス。悪逆非道の悪童に誅罰を下すために戦う、学院の英雄。
ひとりは悪童レオン。暴虐の限りを尽くして学院を影で支配していると言われる悪の権化。
そして、賢者ロビン。悪童レオンを唯一、御することのできる勇者マティアスの盟友。
マティアスくんは、その話に怪訝な顔をしていた。
レオンは、その話を聞くなりゲラゲラ笑い出した。
その後、この噂話を誰かが脚色して流布し、この学院を舞台に悪童レオンへ挑む勇敢な騎士と魔法士の一大叙事詩にまで成り上がっていった。
本当にレオンが悪者扱いだし、仲良しなのに僕とマティアスくんはレオンと敵対することになってるし、中には本物だと思い込んじゃうような人も出てくるし……。
僕はその話を聞いて、レオンってこんなに一部の人から恨みを買ってたんだなあって申し訳ない気持ちになりました。
でも作られたお話は何だかんだで手に汗握る、いいお話だった。
特に勇者マティアスが格好良かった。