マティアスのけじめ
ダンスパーティーが終わってから、やけにフォーシェ先生は元気になっている。もうすでに数ヶ月が経とうとしているのに関わらず。
いまだにある魔法の授業の度に研究室へ来るのは相変わらずだが、フォーシェ先生のゼミに参加しているロビンともよく顔を合わせるようになっている。で、ロビンの前でやたらにフォーシェ先生はアピールをしている。
「やっぱり、たまには潤いがいるのよねえ……。
若い子っていいわよね。あ、安心してちょうだい、レオン。
あなたは若いって言っても、まだまだ発達途上で、単なる研究の協力者以上とは見てないから」
「それはそれでどーよ」
「あなたが、あと6つくらい年を取れば、丁度いいのにね。丁度。6つくらい、年上だったら」
「…………」
これはいわゆるセクハラというやつではあるまいか。
6つ、6歳、6年という単語を口にし続けながらフォーシェ先生は、いそいそと研究の手伝いをさせられているロビンへ視線を送りまくっている。ロビンは尻尾に隠しきれない緊張を見せている。
あんたは同情で誘われたんだから、あんまりがっつくなって……。
と言ったらぶっ飛ばされそうだし、研究とかこつけたお仕置きを受けそうだからやめておく。
本当に色々と残念な人だなあ、と思います。
「はぁーぁ、どっかにいないかしらねえ? 丁度いいくらいの、男の子とか……」
「ゼミって、どうやって移ればいいんだろう……?」
「コルトーくんっ!? 何て言ったの、逃がさないわよっ!」
「どっちの意味で?」
「そりゃあもう、色々――って、もう言わせるんじゃありません、レオンったら」
「どこに相談すればいいんだろう……」
「ロビン、安心しろ。最悪、サボればいいさ」
「そっか!」
「単位あげないわよ」
「…………」
「パワハラのセクハラだな」
かわいそうに、ロビン。
だが、時に善意は思わぬ形で牙を剥くものさ。ひとつ大人になったな。
「ま、冗談はこれくらいとして……コルトーくん、計測お願い」
「はい」
「いっそ、全部冗談だったら良かったのにな」
「冗談で誘ったのにね」
「何か言ったかしら?」
素知らぬ顔して、今日も何やらデータを取られる。
カルテのように取られた記録をフォーシェ先生は見直し、ロビンが計測したものを加え、眺めている。ロビンも一緒に見て、あれこれと言い合ってはいるが俺にはさっぱり分からない。
「何だか……おかしいのよねえ」
「そうですね……」
そんな会話を交わしてから、2人が俺を振り返って見てくる。
「何?」
「コルトーくん、説明してあげて」
「あ、はい……。えっと、レオン、毎回、レオンの魔力容量を計測して記録してるんだけど、年々、少しずつ数値が下がってきてるんだ」
「……ふむ?」
「えっとね……穴空きの、穴が広がってるって言えばいいかな?」
「……へえ」
「実感はないかしら?」
「さっぱり」
「加齢とともに広がってしまうものなのかしら……?」
「もし、このままその穴が広がり続けたらどうなんの?」
「……どうなるんですか?」
「そうね……。前に、あなたの魔力欠乏症の症状の度合いを、4って言ったでしょう?」
「かなり昔だな……」
「5になるわ」
「……5って、確か」
「完璧に魔力を流しちゃう状態よ。こうなると、最悪……」
「最悪?」
「死ぬわね」
ロビンが、えっという顔をしていた。
俺は――どんな顔をしてるか分からないが、何か唐突でついていけない。
「何で、死ぬの?」
「最悪のケースよ。絶対にそうなるわけじゃないわ。
ただ、生き物には多かれ少なかれ、魔力があるものなのよ。
どうして生き物にだけ備わっているかはまだ分からないんだけれど、何か理由はあるはずよ。
だって生物にはムダな機能なんてほとんど備わっていないんですもの」
「ふむ……」
「だけど、それが失われる――。
心臓がなければ全身に血を送るという機能がなくなって死んでしまうでしょう?
魔力が全くなくなってしまうことで失われる機能があって、その影響次第では命を落としかねないというだけの話よ。
生きるために必要だから備わっているのに、それがなくなってしまうんですもの」
「何となくは分かる」
「でもそうなった人をわたしは見たことがないから、どうなるかなんて分からないわ。
それに数値が落ちてるとは言っても、そこまで大きく下がっているわけではないから、すぐにどうこうなってしまうものでもないはずなの。
ただ……もしも、ということがある、っていう可能性の話よ」
それにしたって、最悪死ぬとか言われるとちょっと気分は盛り下がる。
授業時間終了を告げる鐘が鳴り、慣れ親しんだ丸椅子を立った。
「まあ、あなたは魔技があるから特別なのかも知れないけどね」
5年生ともなると、授業時間がかなり減る。週に6コマ程度で、あとは自由な時間だ。
魔法士養成科は所属する研究室の手伝いをしたり、ひたすら自習をしていたりと割と勤勉な姿勢が目立つ。
が、騎士養成科と言えば自己研鑽に励むように、という有り難いお言葉には従わないで遊びほうけているのが多い。数少ない授業もサボる姿が多い。
遊び場と言えば、賭場だ。
その日の酒代を博打で稼ごうとしたり、イカサマを吹っかけながら豪遊し、バレてボコボコにされたり——なんていうのも日常茶飯事。
俺もそんな暇を持て余すひとりで、気ままにリュートを鳴らしたり、カホンを量産しては旅の楽士に無償で渡して普及してくれと頼んだり、気が合えば一緒に即興で演奏したりと好きにやらせてもらっている。
そんな有り余った時間を利用して、授業もサボって実家に帰るようなやつもいる。
このくらいになると卒業後のことなんかで、家族と話し合うなんてやつもいるようで、マティアスもそんなひとりだった。
「レオン、待たせてもらっていたぞ……」
「なーにを暗い顔してんだ?」
寮へ帰ると、我が物顔でマティアスが居座っていた。
ロビンが使っている机に腰掛け、何やら疲れた顔だ。マティアスの実家がある、カノヴァス領はそれなりに遠い。けっこう遠い。レヴェルト領とは隣り合っているというわけではないが、意外と近い距離にあるのだ。
「父上に、今後のことを相談してきた」
「……そんで?」
「勝手なことをするならば、今後カノヴァスを名乗らせることはない——と言われたよ」
「勘当か」
「一応言っておくが、キミが考える以上に……これは重いことなんだ。
受け入れれば自由と引き換えに、貴族ではなくなり、もう騎士団へ入ることさえも叶わなくなる。
僕はずっと放浪をしたいというわけでもないのに、そんなのはごめんだ」
「ふうん……?」
ま、確かにそれは、ちとやりすぎな措置って感じもするな。
ちょっと時間の猶予をもらいたいだけだ、ってのに。
「それでどうすんだよ? 諦めたのか? それとも勘当されてまで旅に出るって?」
「父上に約束をしていただいた」
「……約束?」
「ああ。卒業までに、序列戦で1位となる。
それだけの箔があれば、数年の放浪をしても騎士団へ入ってやっていけるだろうと僕から提示した」
なるほど。
確かにこの学院の序列戦1位ってのは、超エリートコースだって言うしな。
そんだけの功績があればちょっとくらいのワガママは許されるっていう寸法になるわけか。
「そこでだ、レオン。……いや、レオンハルト」
「あん? わざと負けろって?」
「そんなバカげたことを僕が言うと思っているのか?」
「別に俺はいいけどな……。本気でやってるわけじゃねえし」
「僕と本気で戦え」
「……は?」
「来年度の剣闘大会、そして序列戦。
キミが本気を出さずに、のらりくらりと参加して、どこかで脱落をして優勝しても、それに価値はない。
本気のキミを倒し、もしくは本気でキミが戦って負けた相手を下して、僕は序列第一位の座に就く」
「いや、俺がいなくたって——」
「これは僕なりのけじめなんだ、レオンハルト。
キミに大恥をかかされて学院生活が始まった。
だから卒業前の序列戦で、手も足も出なかったキミと正々堂々戦い、勝利する。
そして僕は父上との取り決め通りに数年の自由を得て、見聞を広げ、いずれ騎士団に入り、領主となる。
それがこのマティアス・カノヴァスの誓いだ。
……手を抜けば、キミとは友人の縁を切らせてもらう」
よっぽど、本気らしい。
なかなか男前なことを言うようになったじゃないか、こいつも。
「……俺に負けて、お前の自由が潰えても恨むなよ」
「恨むとて己の弱さのみだ」
ところどころが固くなっている、ボロついたマティアスの手を握った。
「約束だぞ、レオンハルト」
言い残してマティアスは自分の寮へ帰っていく。
本気で勝負か。しかも、途中での手抜きまで許さないときた。
布で包んで壁に立て掛けてある、フェオドールの長剣へ目を向けた。