学院へ帰ろう
「最低でも1日1回は歯を磨けよ。あと不潔にすんな、風呂はムリでも体をちゃんと拭け。俺が頼み込んでつけてもらった家庭教師の先生にも反抗的な態度取るんじゃねえぞ。あとできないのは認めるけど放り出すのもなし。教えた魔技は少しずつでも練習しろ。あとお前は普通の魔法も使えないわけじゃないんだから、ちょっとずつでも訓練しろ。適当でいいから剣とか振る練習もしろ。それとここに住まわせてもらうからって偉くなったとか勘違いするな。バリオス卿の言うこともよく聞け。むしろ屋敷の手伝いを率先してやれ。息抜きはほどほどに。悪戯もほどほどな。おかわりは2回まで。運動もちゃんとしろよ。なんなら毎日泳いでろ。それと1年に2通は俺に手紙を書け。内容はどうでもいいから、サボってません、って証明でな。俺も適当に暇見つけて返事書いてやるから。あとは——」
「もういいっ! 覚えきれないからっ!」
ついつい、言いつけるのが多くなった。
最初こそ指を折ってリュカは覚えようとしていたが、途中で諦めていた。仕方ねえやつめ。
「意外とやかましいんだな、レオンハルト」
バリオス卿にちくりと言われ、胸が痛む。
口やかましくなりたいわけじゃないが、何だか気がかりになって、ついつい言ってしまっただけだ。これが親心と言うやつなのか。
「お世話になりました、バリオス卿」
「こちらこそ……よくやってくれた、レオンハルト」
握手をする。すっかりバリオス卿は健康になった。
最初こそ顔色は悪いし、喋るのも辛そうだったが今では元気に街中を歩いて視察だの何だのもやっているらしい。
そして——俺も、ようやく怪我を治せた。
しかも回復魔法の恩恵にあやかって。自然治癒を待ちながら、ずっと練習した魔技は魔留。
俺が穴空き体質だから回復魔法が効かない、というのをよくよく考えてみて、もしかしたらどうにかなるかも知れないと思って目をつけた魔技だ。
魔法の中には魔技のように身体能力を高められる魔法がある。
魔留はその効果を魔技でさらに高めるというものだった。体内に魔力をあらかじめ浸透させておいて、そこに魔法をかけることで効力を増幅する——と説明書きから大まかに解釈した。
これが大当たりで、医者に回復魔法をかけてもらうまでは俺も半信半疑だったが、見事に効果が現れた。それでも、元々効果がなかった状態のものを引き上げる程度だから劇的に治るというわけではなかったが、治らないんじゃないかと危惧していた左肩はそれで気持ち悪いほどにくっついてしまった。回復魔法はすごいと身を持って体験してしまった。
それでも、魔留を覚えるまでにけっこうな時間がかかってしまって、カハール・ポートには長いこと滞在してしまった。
回復魔法で肩がくっついてもリハビリにも時間が必要だった。
で、どうにかこうにかリハビリにも励み、もう良いだろうと判断した。
リュカも魔鎧を完成させていて、緊張しながら首輪を外したが見事に成功してピンピンしていた。首輪の消えた自分の首を、その日はずっとさすりまくっていたほどだ。
そして出立の日を迎え、しばしの別れを済ませた。
「絶対待ってるから、約束守れよ!」
「分かったって。……バリオス卿、悪いけどこいつをお願いします」
「ああ、任されよう。これでキミとの貸し借りはなしだ」
「そんなに大きいものを貸してた覚えもないんですけどね……」
「謙遜を美徳にでもしているのか?」
「そりゃもう」
「ふふ、よく言う口だ」
馬へ跨がると、リュカが俺を見上げる目に気づいた。
「……忘れたら恨むからな」
「忘れねえって」
思いつきで、オルトの武器庫からもらってきた短剣を帯剣ベルトごと外した。
「これやるから、ちゃんと振り回す練習して待ってろよ」
「いいの?」
「俺にはまだあるし」
背中には槍と、フェオドールの長剣がある。
取り回しでは便利な短剣だったが、長物の扱いは慣れてるつもりだからなくなろうが問題はない。
「んじゃ、またな」
「おうっ!」
「バリオス卿、これで」
「ああ、気をつけて行きなさい」
馬の脇腹を踵で軽く蹴り、歩かせた。
並足で馬は歩き出す。
見上げた空はよく晴れていた。
カハール・ポートでは色々あった。ありすぎた。
レオンハルトの人生でも、前世まで含めた俺の記憶を遡っても濃密だった。
ハンネと出会って、彼女の職を探して。
力及ばずに、フェオドールに彼女を殺されて。
バリオス卿へ届けた手紙は、またしてもオルトにしてやられた結果で。
ベレニス海賊団へ乗り込んで、統率された海賊に苦戦しながら戦った。
フェオドール商会の火天フェオドールとの再度の殺し合いは、あまりにも苦しい戦いだった。
何十人か、何百人かを手にかけた。
数えられないほどの命を奪った実感というのはないが、人を殺した時の、鈍い割にすぐ消えた感触があったことは覚えている。むせるような血の臭いも知ってしまった。
だが悪いことばかりで終わったわけでもない。
バリオス卿は少しずつ、カハール・ポートを立て直して昔のような活気を取り戻そうとしている。
新たな産業を興し、浮浪者へ職を与えようとしている。簡単にいくことではないが、仕事にあぶれる人間を出すまいと采配を振るっている。
多くの孤児にも、救援の手を差し伸べると言っていた。遠慮なくリュカを使ってくれと頼んでおいたが——具体的なことは俺も聞いていない。バリオス卿ならうまくやってくれるだろう。
そしてリュカ。
生きるか死ぬかの賭けで、俺が首輪を外そうとした時にでくわした——食い逃げで奴隷商に渡されてしまった、少し頭の弱いバカ。だがリュカがいたから助かった側面もある。フェオドールとの死闘の後、そのまま寝ていたらどうなっていたかと少し考えたら、あまり良くない想像ばかりが浮かんできた。
それにバカで声がデカくて黙っててもうるさいようなやつだが、清々しい。
俺を見て、人助けをしているなんて言ってきたのも、何だか救われた心地がする。
だからって俺みたいになりたいと言うのは考えものだが——まあ仕方がないと割り切ろう。ただ俺がその時の気まぐれでリュカを拾っただけなのに、それを良い方向へ勘違いしただけ、なんて野暮なことは生涯黙っていよう。
それでリュカが助けられたのだと思っているなら、良しとする。
その気持ちさえ忘れなければ、リュカが抱いた夢の原動力になるはずだ。
俺も、学院を出た後のことを考えなきゃいけない——が。
「制服、買い替えたばっかなのに背え伸びて着れなくなってたらヘコむなあ……」
もう寄り道をするつもりはない。
まっすぐスタンフィールドまで帰って、70日か、80日か、それくらいはかかる。
帰れたころには年度末か、ヘタすりゃ新年度になるだろう。
早くロビンの尻尾をもふりたい。一晩、余すことなく堪能しながら幸せな夢を見て眠りたい。
そう思う一方で、この1年でロビンやマティアス、リアンがめちゃくちゃ大きくなってたらどうしようかとも思う。
あいつらは二次性徴真っ最中だから、背の伸び率が絶対に違う。もしもロビンが、あのかわいいロビンがものごっつくなってたら、尻尾をもふる気にもなれそうにない。マティアスがどこからどう見ても立派な大人になってたら――あ、そう言えばあいつら今年で成人迎える年齢なのか——ああ、やだやだ。
俺ばっかり取り残されてるような気がする。
いつか追いつくとは言え、まだまだ先のはずだ。あっという間に過ぎていくんだろうが、過ぎている間はあっという間ではないからもどかしい。
一刻も早くスタンフィールドへ戻るか――。
「よーし、こうなりゃ駆足だ! 進めぇぃっ!」
馬を走らせた。
跨がっていると前後に揺れを感じるが、力強く馬は走ってくれる。
「好きなだけ走れ、走りまくれ! でもってさっさと帰るぞー!」
竜退治から始まった、俺の1年はこの短い旅と一緒に終わった。