恐れるものは
ベレニスと、彼女の率いたベレニス海賊団は強かった。
恐らくベレニスは風魔法を使って部下を統率していたんだろう。それこそ、スレッドコールなんかを使って部下に指示を届けていたと思われる。
試すように俺を誘ってきたのも時間稼ぎだったはずだ。
声を届けることで俺の居場所を報せて部下をかき集め、俺を圧倒する準備をしていた。
基本戦術は弓矢による飽和攻撃。それをベレニスが得意の風魔法で強化。あとは並以上には魔法を使える部下に、あらかじめ用意していたのだろう戦術を伝えてそれをハメる形に持っていった――というところだろう。
だが呆気なく、人は死ぬ。
どれだけ悪態を突くような口でも、口から血をごぼごぼと吐いて倒れて死ぬ。
ただ殺意を込められた眼差しだって、死ぬ間際には虚ろになって絶望に沈むように死ぬ。
100人か、200人か、あるいは300人かの部下を統率した女海賊も、仕留めたと油断して格好をつけて煙草を吸いながら死んだ。
俺の負傷は、終わってみれば軽微だ。
魔石をひとつ消耗したのは痛いが、まだ2つある。
海を泳いで血と、その臭いを落としてから宿に帰るころにはリュカはいびきをかいて寝ていた。シャツからめくれて出ていた腹に毛布をかけてやってから、椅子に座り込む。疲れた。体もそうだが、精神的にきてる。いちいちガタがきて嫌になりそうだが、慣れてしまう方が嫌な気がする。
人を殺してきたんだ。
そんなことに慣れたら――考えるのは、よしておく。
残るはフェオドール商会のみ。
フェオドールは向こうから近い内に来ると宣言していたが、そういう気配はない。
バリオス卿に手紙を届けた後で宿を変えたから足取りが掴まれていないのかも知れない。外出もあまりしていないから、俺を見つけられていないのか?
魔縛の練習に取りかかる。
最近になって気づいたことだが、ただ指先からちょろちょろと魔力を伸ばそうとするよりも、両手の指同士をくっつけて、その指の間に魔力を張るようなイメージの方がやりやすかった。手を放して引いていくことで、指の間の魔力が伸びて垂れ下がっていく。そんなイメージ。
これが途中で切れないように、けれど強靭に、細く、長く――。
床に鼻血がこぼれ落ちた。
鼻をすする。布の端切れを鼻に詰めて続ける。
「なに……してんのぉ……? ふわ、ああ……」
ようやく肩幅まで魔縛を伸ばせたころ、眠たげな声がした。リュカが目をこすって、眠そうな目で俺を見ている。
「魔技の練習」
「ふうん……」
こてんとベッドへ倒れるようにして、リュカはまた寝てしまった。
気づけばもう空が明るくなっていた。今日も晴れそうだ。
朝日を浴びれば体内時計がリセットされる――なんてどっかで聞いたことがあったが、かと言って眠気が劇的に吹き飛んだ経験はない。俺ももう眠い。もっと年を取らないと、どうもこういう体力は増えそうにない。
鼻に詰め物をしたまま、ベッドへ転がった。
瞼の裏に綿が詰まったような重さを感じる。目を閉じると、すぐに眠れた。
来客があったのは翌日の昼過ぎだった。ドアがノックされて、リュカにシーツを投げておいた。また外れてない首輪を誰かに見られるのは良くない。リュカはシーツを被ってすぐに隠れる。
魔影でドアの向こうの確認すると、2人だった。腰の剣の重さを確認しながら、ドアを開ける。
「レオンハルト・レヴェルト――だな」
磨かれた鎧に身を包んだ騎士が2人いた。
ひとりはとうもろこしの頭みたいにもじゃもじゃな髭を蓄えた男で、もうひとりはまだ若い――とは言え、この世界の成人から5年は経っていそうな20台になりかけ程度の男だ。
「そうだけど……騎士が何か用?」
「貴様、その口の利き方は何だ?」
若い方が腰の剣へ手をかける。
騎士ってのは人助けをする集まりじゃねえのかよ。
「ベレニス海賊団が何者かによってほぼ壊滅をさせられたと報告を聞いた。
そして、どうやらそれをやったのは、まだ若い――いや、幼い、槍を持った少年だったと」
「表彰でもしてくれんの? パス」
「ふざけるなっ!」
「おい、黙れ」
「ですがっ――」
「黙れと言っている」
髭もじゃ騎士がいきり立つ若者を黙らせてから、咳払いをした。
「もしも、少年、お前がやったのであれば罪に問われることになる」
「はあ? 何でだよ?」
「殺人は立派な罪状だ!」
黙らせられたのに、若い騎士が怒鳴った。髭もじゃにまた睨まれ、唇を結んで俺を睨んでくる。
「聴取させてもらう」
「…………」
嫌な展開だな。
もしかしたらビバールが裏で糸を引いてるのかも知れない。
そもそも、昨日のことなのにどうしてこうも早く騎士が駆けつける。転信板みたいなものがあっても、情報の伝達はこの世界じゃかなり遅れるはずのものだ。しかも俺がやったとまで睨んでいて。
怪しすぎる。
のこのことついて行くわけにはいかない。
あまり取りたくない手段だが、こういう時は遠慮なくやらせてもらおう。
「俺の後見人はオルトヴィーン・レヴェルトだぞ。
だってのに、俺が海賊をやっつけた? 人殺し? 裏取れてるんだろうな?
俺を犯人だって決めつけて、話を聴かせろなんて言って、大丈夫なのかよ? なあ?」
オルトの名前は、すぐに効いた。
若い方の騎士が目を大きくし、あからさまにうろたえたのだ。
下手な横やりを入れられているんだから、オルトもこれくらいは許すだろう。潔白とは言えないが、悪党をぶちのめして罪に問われるなんてのはちゃんちゃらおかしいに決まってる。
「……血を見ずに済んだものを」
髭もじゃの騎士はそう言い、踵を返した。
若い騎士が慌ててその後ろをついていく。
嫌な予感を抱きながらドアを乱暴に閉めた。
「バレてるな、こりゃ……」
意味深に髭もじゃが言い残したことも引っかかる。血を見ずに済んだ、ってことはもう血を見るぞってことだろう。
俺の居場所が割れてる。ベレニス海賊団が壊滅したということも知られている。
ビバールが差し向けてきたことは想像に易い。
大方、海賊の残党がビバールのとこへ逃げ込んで発覚したんだろう。先にあの海賊船を沈めておけば良かった。いや、反省してる場合じゃない。
問題はビバールが、次に何をしてくるか、だ。
フェオドールを差し向けてくるのは間違いない。
ベレニスも俺のことを聞いていた風な言い草だったから、ビバールにも俺のことは知られているだろう。
でもどのタイミングで仕掛けてくる? 考えなしにフェオドールが街中や、宿で俺に襲いかかってくるとは思えない。いくらビバールでも派手なことになればフェオドールを庇えないだろうし、ただでさえカハール・ポートの人々は今の町の状況を快くは思っていないんだ。
どこかへ誘き出されたりするのか?
不利な場所に連れて行かれるのは嫌だが、かと言ってカハール・ポートが焼けるのも嫌だ。
「もう行った……?」
ぼそっと声がした。
「もういいぞ」
「ふぅ……」
被っていたシーツからリュカが顔を出す。
「レオンハルトって、何してんの?」
「……色々」
「色々って?」
「お前にゃ関係ねーの……」
居場所が知られた以上、襲撃を受ける可能性もあるが――。
となると、早いとこ首輪を外させてやらないと巻き込みかねないな。
「魔技は?」
「…………」
まだダメか。
しっかし、意外とできないもんなんだな。
やっぱ穴空きの俺とは違う感覚だったりするのか?
「魔力を動かすのが、よく分かんない」
「よく分かんないって……」
「どんなの?」
「……そうだ、じゃあ試しにちょっとお前の魔力を俺がもらってやるよ」
リュカに手を出させて、それを握る。
人から魔力をもらうのは随分と久しぶりだ。握った手から、リュカの魔力をもらう。こいつの魔力は――それなりに多いかも知れない。俺をかつて轢き殺したトラック並みはあるんじゃないか?
「うあっ……何か、変な感じす――鼻血っ!」
「おっと……垂れちゃった」
片手で垂れてきた鼻血をこする。
それからふと、思いついて魔纏の要領でリュカを覆ってみた。
「今、お前からもらった魔力で、お前を覆ってるんだぞ」
「あ、分かる」
「まあ、だからどうしたって感じだけど。何か変な感じあるか?」
「んー……手! 手にやってみて、魔手って、手に集めるんでしょ?」
「はいはい、っと」
リュカを覆った魔力を今度は、手を繋いでいない左手の方へ寄せていった。眉根を寄せながらリュカは目を瞑っている。
「もういいか?」
「ゆっくりやめて」
「……ゆっくり?」
ちょっと引っかかったが、ゆっくり手を放した。
――と、リュカが目を大きく開いて、唇をぎゅっと合わせる。その左手に、魔力がまだ留められて仄かに発光をしている。
「リュカっ?」
「ん、むむむ……ぬぐああっ! あーっ、もうムリぃっ!」
叫ぶとリュカの集めていた魔力が拡散して消える。
もしかしたら、これは進歩なのかも知れない。
「……今の要領で、もうちょっとやるか?」
「やる! すぐに覚えてやるから見てろよ、レオン!」
「俺が貧血になる前に覚えてくれよ……?」
一応、鼻にいつものように詰め物をしてからその練習法を始めた。
すると俺ほど上手にはいかないが、それとなくリュカは魔手を覚えてしまう。覆える魔力は薄いし、持続時間も短いが、魔手に成功してしまった。
「よぉっし、見てたかレオン!? へっへーん、すごいだろう!?」
尻尾がついてたらぶんぶん振られたんだろうな、という感想が出てくる。
ああ、尻尾成分が足りない。
ともあれ誉めておいた。
「次は魔鎧だな。魔手だけで外そうとするなよ、死ぬからな?」
早速リュカは魔鎧に取りかかったが、やはり手こずっていた。
そう言えば俺はどれくらいで魔鎧を覚えられたんだっけか。半年くらい、かかってたような――?
そこは考えないようにしておいた。