バリオス卿の悩みの種
バリオス邸へ着くと、今日もあの老人が出迎えた。
「おや、お首のファッションはどうされたので?」
「飽きたから外しただけですが、何か?」
「……いえ。どうぞ。主がお待ちになられています」
レヴェルト邸ほど立派な屋敷ではなかった。
だが白塗りの壁と、青い小物で統一されていて爽やかで清潔な空間に仕上がっている。
案内されたのは大きな窓がある開放的な部屋だった。
雲ひとつない綺麗な青空と、キラキラと輝く海の青が水平線の向こうで調和している美しい光景が見られる。そこで少しだけ待たされると、ソルヤのスケッチで見た栗頭のバリオス卿が現れた。
病に伏しているという噂があったが、あながち的外れでもなさそうな顔色だった。気色が悪く、息をする度に風邪で喉がやられた人間のようにカヒュカヒュと音が鳴る。
「はじめまして、オルトヴィーン・レヴェルトの使いで参った、レオンハルトと申します」
「うむ……わしが、サントル・バリオスだ」
「レヴェルト卿より、あなたに直接手紙を渡すようにと仰せつかっています」
「ああ。……いや、その前に」
預かっていた手紙を取り出そうとすると、バリオス卿が手で制した。
それから部屋の入口に控えている使用人達へ目を向ける。
「お前達は部屋から出て、それぞれ仕事をしていろ」
「しかし、旦那様。お体が――」
「良い。下がれ」
断固とした口調でバリオス卿が言うと、使用人達は静かに部屋を出て行った。
そこでバリオス卿は杖を頼りにソファーへ腰掛けて、ふうと息を吐く。
「病にかかっていると噂を聞きましたけど」
「……市井の噂というのも、侮れぬものだ。手紙を、見せてくれるか」
「どうぞ」
閉ざされているドアへ目を向けてから、手紙を取り出して渡した。
封印を見てから、バリオス卿がそれを解く。広げられた手紙を、目だけを動かしてバリオス卿が読んでいく。それから、元あったように畳んだ。
「全く、レヴェルト卿には恐れ入る……」
「……手紙には、何と?」
「最近、悩みの種があってな。それを解決するのに、力を貸そうかと……見透かしたかのように手紙には書かれていた」
「悩みの種……」
「わしにはビバールという一人息子がいるのだが……あれは、とても御しきれぬ男になってしまった。
見ての通りで、わしはどうも意味の分からぬ病に蝕まれてしまっている……。
それからビバールはわしを補佐すると言い出し、少しずつ……このカハール・ポートの実権を手にし始めた。
今ではわしの声が届かぬようになってしまった」
本当に市井の噂ってのは侮れないな。
まんまじゃねえかよ。
「わしが気づいた時には、手遅れだった。病のせいで、こうして起き出すだけでも精一杯の身だ。
町には多くの奴隷商が入り込み、海賊までこの近辺に現れている始末だ……。
ビバールはやつらと手を組んでいる。この病とて、あやつがわしに毒でも盛っているのだろう。
使用人も……ほとんどがわしの言うことを聞かずにビバールに従っておる」
「奴隷商と海賊……」
「して、レオンハルト――と言ったな。
手紙には早急に対応したい、武力を伴う案件にはキミを使うようにと書かれていた」
「……何なりとどーぞ」
こういう展開か。
でも、今は好都合だ。
「早急に対応せねばならぬのは、ビバールの持つ武力を取り上げることだ。
端的に言おう。……ビバールと繋がりのある、大きな2つの勢力を壊滅させてはもらえるか?」
一体どんな書き方をしたら俺みたいなチビに、そんなことを任せようと思えるんだ。
「その2つの勢力というのは?」
「フェオドール商会という、奴隷売買を専門に行っている者どもだ。
火天フェオドールなる男が率いていて、こいつは昔は大盗賊として名を馳せた生粋の悪党だ」
「口の右側が避けてる、毛皮の男」
「知っているのか?」
「……ちょっと前に、そいつに奴隷にさせられかけまして」
「何だと?」
「個人的な恨みがあるから、そいつは間違いなく……仕留めます」
「ふむ……そうか、分かった。
もう一方は海賊だ。ベレニス海賊団。このカハール・ポートから近い……あそこの小さな島が見えるか?」
「……あの、少し霞んでる?」
「そうだ。あの孤島を今はアジトとしている。
首領のベレニスは女だが、その統率能力と実力は女だからと油断はできぬものだ」
「フェオドール商会と、ベレニス海賊団……。肝心のビバールっていうのは?」
「それは……わしが始末をつけさせる。
屋敷の者は信用がならぬのでな、すまないが手紙を出してもらいたい」
「……届けるんじゃない、ですよね?」
「ああ、出すだけで良い。懐に用意をしてきたのだ。これから手紙を書くから、必ずや、出してくれ」
バリオス卿はそう言って上着の隠しから紙と羽根ペンとインクを出した。
カハール・ポートへの不信感はバリオス卿への不信感に直結していたがそれは消えた。女将が言っていた通りの人物像だ。
「何日も待たせてしまっていると思うが……」
「ん? ええ、まあ」
「……すまなかった。待たせている間にフェオドール商会にまで関わってしまっていたとは」
「病気で?」
「ああ……。ビバールは、他に兄妹がいたが、もう亡くしている。
たったひとりだけ、残ってしまい、わしは甘やかすばかりで、ろくに見てやることもできず、目を曇らせていた……。
よもや、このようなことをしてくるとは、思ってもいなかったのだ」
「…………」
「キミは今、王立騎士魔導学院に籍を置いているのだったな。
あそこは何かと……貴族の悪習がこびりついてしまっている。さぞや息苦しいだろう」
「まあ……でも、全員が悪いやつじゃないんで」
「手紙にキミのことも書かれていた。レヴェルト卿とは、彼が領主になる前から交流を持っていた。
今では多少は落ち着いているのだろうが、実に、痛快な少年であったよ。
キミがレヴェルト卿に次に会った時は、この老いぼれがどれだけ感謝していたか、大袈裟に話してもらいたい」
「まだ何も解決できてないのに、気が早いんじゃないですか?」
「……それもそうだ。済まぬが、聞き流してくれ」
しばらくして何通かの手紙をバリオス卿は書き上げた。カハール・ポートと、この周辺ではすでにビバールが強い影響力を持っているが、領主の座にはまだバリオス卿がいる。
こういう時にこそ貴族同士のコネクションを使ってビバールを追い詰めるのだとか。
「自分の、もうひとりしかいない子どもなのに、いいのか?」
「仕方があるまい。……わたしは、この町と、ここに住まう民を守る義務がある。
脅かすものあらば、実の子であれ、蛮族であれ、災害であれ、王であれ、必要なものを切り捨てて守るのだ」
大切なものを切り捨ててまで何かを守ることは、英断と言えるだろう。
だが、俺はそれを素直に賞賛することはできそうにない。
バリオス卿からはフェオドール商会とベレニス海賊団のことを詳細に聞いてから、手紙を預かってバリオス邸を出た。
尾行するやつがいないかと魔影を使うと、案の定引っかかった。2人だけだ。あらかじめ、バリオス卿に言い含められていた。ビバールはまだバリオス卿だけが持つ力を警戒している。カハール・ポートの実権を握れど、彼が築き上げてきた繋がりは断ち切れないし、それを突きつけられれば立場が危うくなる。そう理解しているからこそ、救援を求める書状は脅威なのだと。
あえて人のいない海の近くまで誘い出すと、見るからにカタギではない連中だった。
「フェオドール商会か?」
「……だったら何だ?」
「フェオドールの野郎に伝えとけよ、首洗って待ってろって」
「ここで死ぬのにかあ?」
「ああ、そうだったな。――お前ら死ぬんだから、伝言も頼めねえや」
ひとりは首を刺し貫いて、もうひとりは脇腹から胸までを切り裂いた。
血を払って、死体は海に捨てた。すぐに血の臭いを嗅ぎつけた海の魔物がやって来て、食われて消えた。
報いだ。
死のうが、それが正しい末路だ。
返り血をマントで隠してから、今度こそ尾行がないことを確認して手紙を出した。