炎の中で
魔影で木製のドア越しに向こうを確認した。
けっこう広い空間のようだ。下品な笑い声と、聞きたくない嬌声。それに時折、物が割れるような音がしてくる。
お楽しみの真っ最中ってわけか。反吐が出る。
武器はないから素手で戦わなくちゃならない。
そうなると問題はリーチだ。後ろに回られて首輪を爆破させられたらアウト。
魔偽皮で常に警戒し続けるとして、あとは囲まれないようにできるだけ一撃でひとりずつ仕留めて立ち回るしかない。
ハンネや他の奴隷にされている人を盾に取られたら、魔弾で速攻で撃ち抜く。今なら3秒程度で装填できる。それでも連射はできないが――人質に取れる立ち位置のやつを優先して排除して、できるだけ早い段階で安全を確保しときたいな。
連中が武器を持ち出してきたら、そいつを奪って利用させてもらおう。殴って仕留めるより、斬り殺しておいた方が確実に敵を減らせる。
……あんまり、殺しはしたくねえけど。
でも手加減してたら、やられる。あいつらはこれまでに何人もの人を殺すよりムゴいところへ落としてきたんだ。罪悪感を抱くような相手じゃない。そう、報いを受けるだけだ。この世界は命の価値が安いんだ。
イメージトレーニングを終えてから、息を吐き出して気持ちを落ち着ける。
もう一度、魔影を使ってドアの向こうを探る。居場所をおおよそに把握する。
地獄へ堕ちる時間だ、ゲスども。
ドアを蹴破り、魔鎧を使って走り出した。
女を囲んでいる奴隷商の輪は全部で4つ。近くにいた、下半身丸出しのやつの顔面へ拳を振り抜いた。取り押さえにくるが、魔偽皮で分かっている。触れさせないように、素早く肘鉄を側頭部へぶち入れる。投げ飛ばす。離れたところの野郎へ指を向ける。魔弾。そいつの頭が弾けとんだ。
まずはひとりの女を確保。
「そっちへ行ってろ!」
立ち上がらせて、押すように地下室へ続くドアの方へやった。
奴隷商どもの臨戦態勢が整ってしまっている。殺せ、首輪を爆破しろ、と言い合いながら俺に向かってくる。
「ガキだからって、舐めんじゃねえぞ」
数は多いが手こずりそうなやつはいない。
女を盾にしようとしたのを見つけ、魔弾をぶち込んでやると及び腰になるやつもいた。いちいちビビってくれるから魔弾後の魔技のインターバルを補える。酒瓶やジョッキ、煙草や灰皿の置かれているテーブルを持ち上げて、振り回すようにして投げ飛ばした。それで3人ほど巻き込んで倒す。
4人目の女を確保し、また地下室の方へ向かわせたところで、そちらへ向かう野郎を見つける。魔弾を放ったが、腹部を撃ち抜くだけで仕留めきれない。床を蹴って近づき、追い討ちに後頭部を蹴り飛ばした。
「下に逃げてろ!」
地下室へ続くドアの入口へ立ち塞がる。これで守れるだろう。
だが想定が甘かった。これでは囲まれる。首輪へ触れられたらアウトだ、油断するなよ、レオンハルト。
「――アーッハッハッハッ、こいつぁ愉快だなあっ!
お前ら一旦、止まれぇっ! そのままじゃあボコれやしねえよ!」
場違いな笑い声がした。
親玉だ。吹き抜けとなっているこのフロアーの上――二階部分にある欄干へ腕を乗せて見物していた。
「ほんっとーにぶっ殺しにきたのかあ?
面白えじゃねえかよ、小僧。嫌いじゃあねえぜ?」
「降りてこいよ、てめえをぶちのめしてやらあ」
中指を突き立てて見せるが親玉は笑ったままだ。
「まるで、奴隷の身分に落ちた姫様を救いにきた騎士様だなあ?
だがよう、小さな騎士坊や、お前のお友達はどこにいるか知ってるかあ?」
「ああ――?」
そう言えば4人の女の中にハンネがいなかった。
それに気がつくと親玉が、ニィィっと意地の悪い笑みを浮かべた。
そいつの後ろからハンネが連れて来られる。裸に剥かれ、全身に赤い、痛々しいアザを作っていた。目に入れたくもない汚い液体が彼女を汚している。
「っ――」
「そら、返してやるよ。用済みだ」
親玉が腕を振るって合図した。
ハンネを連れてきた部下どもが、欄干から持ち上げたハンネを落とす。
「放て」
「ハンネっ!!」
飛び出した瞬間、二階にいつの間にか配置されていた射手が一斉に矢を放っていた。俺と同じフロアにいる仲間の奴隷商どもが悲鳴を上げる。魔鎧は矢を弾けたが、ハンネは別だ。彼女に矢が刺されば、当たりどころが悪ければ死ぬ。矢の雨が彼女に触れぬ前にと、必死になって床を蹴った。飛びつくようにしてハンネを抱えて転がり込んだ。
「ハンネ、ハンネっ……大丈夫か?」
「……レオ、ン……」
頬には涙の跡があった。
顔も腫れていた。嫌な臭いが、彼女にこびりついている。
「もう大丈夫だから――」
「騎士ごっこは終わりだぜえ?」
俺とハンネの間に、小さな火がポンと浮かぶ。
それが急速に膨らんでいった。風を巻き込み、炎が膨れて――爆ぜる。
凄まじい爆発音がして吹き飛ばされた。
ハンネが炎に阻まれて俺から遠ざかっていく。伸ばした腕は何も掴めない。
「俺は奴隷の商売やる前はよ、荒事専門だったんだ。
まーだガキだがなかなか腕も立つしよう、ちょっくら俺と殺し合おうぜぇ〜?」
上から親玉が落ちてきた。長くて太い剣を振り落としながら。
その一撃で床が抜けて木片が舞う。ギラリと親玉の目が光ったかと思うと今度は長剣が横に振られる。腕でガードしたが強い痛みが奔って吹き飛ばされる。
「あー、そうそう。勇敢な、若い若い騎士様なんだし、名乗っておくかあ?
俺様はフェオドール・ドレルム。これでも昔はよ、火天フェオドールとか呼ばれてちょいと有名だったんだぜ?」
二つ名や、異名。そういうのをつけられる人はいる。
だがそれは美名にせよ悪名にせよ、尊敬や畏怖によって呼ばれるものであると同時、そう呼ばれるにふさわしい実力を持った者という証明となる。
火天フェオドール。その名は知らぬがこいつは強い。
そう思わせられるだけの迫力と、自信に満ちあふれている。
「さあーてっ! 楽しい楽しい、殺し合いの時間とシャレこもうぜぇっ!!」
嬉々としてフェオドールが飛び出してきた。
爆炎が背後で爆ぜて煽られた。長剣をしゃがんでかいくぐるが、上手く受け身を取れずに転がる。
「オラオラ、その程度かよぉっ!?」
素早い切り返しでフェオドールは迫ってきた。重量もありそうな長剣を羽根のように軽く振るいながら猛攻を仕掛けてくる。だがその一撃は魔鎧をも切り裂いてくる。切り上げの一撃を見切ってかわしたのに、避けたはずの頬がぱっくりと割れて切れた。
「こい、つ――」
「ほらどーしたぁっ!? 殺すんだろ、俺をよぉっ!
遠慮しねーで殺しに来いよ、でなきゃつまんねえだろぉっ!?」
長いフェオドールの足が俺の腹部を捉えた。
これは耐えられる。だが、続く長剣の一撃を踏ん張ったせいで、すぐに避けられない。
「真剣、白刃取りぃっ!!」
魔偽皮で研ぎすました反射神経を使い、剣を両手で挟んで止めた。
そのまま折ろうとしたがフェオドールは満面の凶暴な笑みを浮かべ――突如、火炎が俺を包み込んだ。手を放せば斬られるが、動けなければ焼かれる。
「あああああああああ―――――――――――――――――っ!」
力を込めて長剣を叩き負った。
至近距離でフェオドールへ指を向ける。
魔弾を放つと同時、フェオドールは折られた剣を胸元へ――俺の指先を向けられたところへ引いた。長剣の鍔が弾け飛ぶ。魔弾を防がれた。魔弾を使ったせいで集めていた魔力は消え、魔鎧も魔偽皮も強制解除。緩和されていた炎の熱が容赦なく俺を焼いてきた直後に、衝撃が顔に叩きつけられてそこから吹き飛ばされた。
フェオドールに蹴られたのだと分かったのは、生身で壁へ背中からぶつかった後だ。
火の魔法のせいで、商館――そう呼称するよりも西部劇の酒場のような場所だが――が炎上している。すでにフェオドールの部下は逃げ出している。
「ここで打ち止めだなぁ……。
奴隷どもは好きにしていいぜ?
俺のアジトはここだけってえわけでもねえからな」
刃が折れ、鍔の砕け散った長剣をフェオドールが捨てた。
「次はもっと楽しめるようにしとけ。
武器を持ってこい。俺も愛用の得物を用意しといてやる。
また近い内にてめえのとこに顔を出してやっから、そん時に続きだ。
ああそれと名前も聞いといてやるよ、小僧。何て言う?」
「……レオンハルト」
「レオンハルトか、覚えておいてやる。あばよ」
火に照らされたフェオドールの笑みは不気味だった。
くるりと踵を返して悠々と歩いて出て行く。その背へ、指を向けたが燃え広がった炎がその姿を遮ってしまった。
酷く痛む体を引きずるようにして、ハンネを探す。
熱かった。燃え盛る炎は皮膚を焦がそうとしてくる。
「ハンネ! おい、ハンネっ! どこだよっ!?」
呼びかけながら探していると、火の向こうに倒れている彼女を見つけた。
駆け寄るが、酷い火傷を負っていた。顔の半分と首、胸元までが焼けただれてしまっている。目を背けたくなるほど酷い、醜い、火傷。
ハンネが俺を探すかのように手を上げる。
両膝をついて、その手を掴む。
「レ……オ、ン……?」
「ハンネ……そうだよ、俺だよ」
「あつい……よ……。なにも……みえない……。
わたし、ね……うれしかった、よ……。レオンに……あえて」
「いいから、逃げるぞ。ここにいたら――」
「もう……いいの」
「いいって、何がっ!? ふざけんなよ、弱気になんな、死んだら終わりだぞっ!?」
「だっ……て……つらいよ……。このまま、でも……。
もうだれも……親も、兄妹も……いないし……いたいし……あつくて、くるしい……。
楽に、なりたいの……。だから……レオン、ありがとうね……いままで」
掴んだハンネの手から、力が失われる。
焼けただれて潰れている目から、雫が流れ落ちて――ハンネは動かなくなった。
「ふざけんなよ……。なあ、ハンネ!
礼なんざいらねえんだよ、目え開けろ、開けてく――」
目の前に炎に包まれた梁が落ちてハンネを潰した。
ハンネの腕だけがそれから逃れたが、人の肉が焼ける気持ち悪い臭いがした。
梁が落ちた拍子に飛び散った燃える木片で、さらに周囲が燃え出す。
ハンネは、死んだ。
絶望の内に、失意の中に沈んだままに、彼女は死んでしまった。