膨らむ期待
「チェスターじいさん、久しぶりだなあ!」
「おお、久しぶりだの」
じいさんはノーマン・ポートに入ってもふらふらうろついてはくれず、まっすぐ漁港らしいところへ顔を出していた。出迎えたのはいかにも海の男といった具合の若者だ。――と、若者が俺を見る。
「じ、じいさん……それ、その子は?」
「んなもん後でいい。それよか、ちとこいつを買い取れ」
引きずってきた箱をじいさんが足で蹴るようにして若者の方へやる。
扱いが雑だ。若者は何も言えぬようで、渋い顔をしながら箱にくくられていたひもをほどいた。
「あぶ……?」
「ん、どうした、レオン? いつも見てるだろう」
いや、まあ、いつも見てるさ。
けど、ここに来るまでに何時間もあったし、そもそも今朝獲ったやつにしろ――
何で、カッチンコッチンに凍っちゃってるんだ。
しかも若者もカチコチの冷凍魚介にさっぱり驚いてない。
「うわ、じいさん、これは売れねえっていつも言ってるだろ。見た目が悪いからって買い手がねえんだよ」
「食うてみればうまいわ」
「いや、だから……まあいいか……。安く買い叩くけどな」
「さっさと金にせえ」
若者が文句を言ったのは、例のグロテスクフィッシュ。
目玉が10個以上もついているレアものだが、遭遇したくないやーつだ。しかし、どうしてカチコチなんだ。
じいさんが漁から戻ってきた時は確かに獲れたてぴちぴちだったはずなのに。
……謎だな。
でも、うん、いや……。
やっぱり、謎ってことにしておこう。
「チェスターじいさん、魔法で凍らせんのはいいけど、もうちょっと解凍しやすいようにしてくれよ」
「加減なんぞできるか、腐らんようにしてるだけだからいいだろう」
はい、そうですよね。
そうかそうか、このじいさんも魔法が使えて、たまにこうして売りにいく時に凍らせてるわけだ。
しっかし、何ちゃらかんちゃらよ、ほにゃららせよぉっ! みたいなのをするかと思えば、ミシェーラ姉ちゃんにしろ、じいさんにしろ、ぽんぽん勝手に使うんだな。
どれだけの金額になったかは分かんないが、箱の中にはそれなりの量が詰まっていた。安く買い叩くと宣言されたグロ魚も1匹しかなかったし、じいさんが若者に金を受け取ると袋の中でちゃらちゃらと鳴るくらいだった。
「そんでチェスターじいさん、その赤ん坊は何なんだ?」
「拾った」
「どこで?」
「海から流れてきおったわ。……この辺で、赤ん坊を捜してる貴族なんかはいたか?」
「いや、俺は聞いたことねえな……。でも、貴族って本当か?」
「名前だけは分かったんだが、家名はなくて困ってるとこだ」
ほんとに困ってたか?
「家名がないのに、名前だけ……って、捨てられたんじゃねえの?」
「やはりそうかの……。まあいい、またの」
じいさんは軽く言ってからそこを立ち去った。
いきなり町にいくなんて言い出してたから何かと思ったけど、探してくれてるのか。いいじいさんだ。
「のう、レオン」
「あぶ」
「……見つからんかったら、ワシが動けなくなった時に介護してもらうから頼むぞ」
おいじいさん、打算ありかよ。
笑おうとしたけどうまくは笑えなかった。
きゃっきゃと赤ん坊みたいに笑うのは、ちと恥ずかしいから。だがじいさんも冗談めかしているから、心は通じ合ってると思う。
それからじいさんは商店に立ち寄ったり、露店商から買い物をしたりしつつ、俺のことを尋ねて回ったが成果らしいものはなかった。
俺はそんなことよりかは町の様子を見る方が忙しかった。
町だけあって人が多い。
言っても何万人といるようなところじゃなさそうだが、石畳の道だとか、行き交う人々の格好だとか、建物の見た目だとか、そういうのがどれもこれも物珍しい。
その中でも目を惹いたのは頭に獣の耳をつけて、尻尾をふりふりしちゃってる人間の姿だ。
いわゆる、獣人ってやつなんだろうか。男も女も、老いたのも若いのもそれはいて、普通の人と同じように暮らしている。
あと地味に驚いたのは、首輪を鎖で繋がれたみすぼらしい格好の人間だ。
多分、恐らく――奴隷。そんなもんまであるのかと目を疑っていたら、じいさんは俺の頭を撫でてきた。
「あんまりじろじろ見ると因縁をつけられるから見るもんでないぞ」
とは言われたが、赤ん坊なのを良いことにじろじろ見ておいた。
引き連れているのは人身売買をしてる商人なのか、見るからに悪人オーラを放っていた。首輪の鎖をグイグイ引っ張って、奴隷がよろけようが倒れようがお構いなしに人混みを開けさせて歩いていくのだ。奴隷になっているのはまだ若い女の子で、転んだ拍子にワンピース――というより、頭からすっぽり被せられているだけの布の裾部分から大切なところが丸見えになっていた。下着さえ、なしらしい。
さすがに胸くそ悪い。赤ん坊じゃなきゃ、俺から突っかかってた。
でも現実として、俺は赤ん坊でしかないからじいさんに抱かれてそこを立ち去るほかなかった。
ノーマン・ポートに行って分かったことの中で、大きな収穫と言えばじいさんのことだろう。
じいさんの名前はチェスター。チェスターじいさん、なんて呼ばれて、けっこう親しまれていた。
漁港の若者もそうだったし、じいさんが顔を出す先ではほとんどがそんな感じで呼んでいた。ノーマン・ポートじゃちょっとした有名人だったのかも知れないが、知り合いのところにだけ顔を出していたのかも分からない。
で、じいさんはそれなりに腕が良い漁師らしい。
この世界の誰もが銛をぶん回せば巨大なカニを葬れるというわけじゃないっぽい。ちょっと安心する。
そしてじいさんは魔法も使える。
魚を凍らせるくらいしか使ってはいないみたいだが。てことは、ある程度、魔法は誰もが使えることになってるんだろう。俺も使えそうだと分かって楽しみが膨らむ。
物理的な収穫もあった。じいさんが俺にものを買ってくれちゃったのだ。
露店商をじいさんが覗いて、日用品を買い足していた時に俺は売られていた本を見つけた。必死になってじいさんの腕から転げ落ちる覚悟で手を伸ばしていたら、じいさんがこれが欲しいのかなんて言いながら手にした。
字は読めないが、幼児向きじゃなさそうだった。
それでも掴んで放さないでいたらじいさんが根負けしたように買ってくれたのだ。持つべきものはじいさんだろう。
「こんな本をどうして欲しいんだ……」
小屋へ戻ってきたじいさんとの食事が済むと、じいさんがそれを取り出した。
俺を膝に乗せ、本を開いて見せてくれる。読めない。読んでくれるのかと思ったら、じいさんはぽりぽりと頭をかいていた。
「…………ふうむ」
じいさんでも読みふけってしまうようなものなのかと思っていたら、パタンと本を閉じる。
「小難しくて読めん」
識字率はそんなに高くないのかも知れない。
せめてあの家だったら、きっと問題なく字なんて読めたんだろうが――漁師のじいさんに学業面まで求めるのは難しいらしい。だが俺が何度も本を開こうとしていると、じいさんは少しずつ文字を教えてくれるようになった。
小難しいから読めないだけで、少々は読めるのかも知れない。
もっとも、赤ん坊にそれを教えようとするのは多少無茶ってもんだろうが。
ま、そこは俺様だからがんばって勉強に励むとしよう。冷静になってみれば俺が入れられてたカゴに書かれてた名前は読めていたんだから、文字も読めるんだろう。
……でも、そう言えば俺をレオンハルトとは呼んだことないんだよな。
レオンって部分しか読めなかった可能性も、なきにしろあらず?
そう言えば俺のファミリーネームって何だっけか。
「……あぶ」
「こんなのやめて寝るか」
互いに頭を悩ませるようになって、文字の勉強を切り上げて寝た。
そうしてまた時間は経って、生家にいた時間よりもじいさんとともに過ごす時間の方が長くなっていった。