奴隷と首輪
牢屋のような空間は俺しかいなかった。
個室なんて贅沢なこった、と強がっておくがあんまり広くない。じいさんの小屋より狭い。レヴェルト邸の客間にあったベッドをひとつ置いたら、もう足の踏み場がないくらいの狭さだ。とりあえず胡座をかいて座った。
明かりは檻の向こうの燭台で揺らめく炎のみだ。
さっぱり外の様子が分からない。地下室みたいなところにこの牢屋があるのかも知れない。
だが、奴隷狩りだとしたって普通、宿にまで乗り込んできて攫うのか?
それとも――ハンネを一度捕まえていた例の奴隷商が、俺がここにいるのを聞きつけて、わざわざ夜中に侵入してまで仕返しに捕まえてきたのか?
魔影を使って周囲を調べると、両脇の空間に点々と人の反応がある。俺と同じように捕まえられている奴隷かも知れない。
耳を潜めてみれば僅かにすすり泣いているような声が聞こえている。そして、魔影の思わぬ弱点を見つけてしまった。どうやら、石ころというのは魔力を通してくれないようで、魔影で察知できる範囲内なのに遮断されたように分からないところがある。
魔影の形を変えようにも15秒くらいしか持続できないから、通路の形に合わせて伸ばしていく間に時間切れになってしまう。現状、分かったのはこのフロアーはどうやら牢屋で、全部で20人程度の奴隷がいること。
「どうしたもんか……」
ぶっちゃけ、ただ出ていくだけならできる。
魔影を使えたんだから、魔鎧を使えば手錠くらいは引きちぎれる自信がある。檻だってアーティスティックに捩じ曲げてやれるだろう。だが、ここが奴隷商の――まあ倉庫みたいなものだとして、どれだけの人数がいるかが分からない。迂闊に出て行って返り討ちでは締まらない。
そう簡単にやられる自信はないが。
考えているとギィとどこかでドアの開く音がした。檻の方へ寄って覗き込むとひとりの男が歩いて来ていた。裸の上に毛皮のついた黒いジャケットを着た、人相の悪い男だった。そいつはまっすぐ俺の檻の前まで来た。
「よおーう、チビ」
「……よう」
口の右端に古傷がある。そのせいで口の一部が閉じられなくなっているようで、歯と歯茎が剥き出しだ。だがそいつは、俺を見るなり歯を見せるニタニタした笑顔をしたので、ちょっと右に口が長いやつに見える。充分、見た目はイカついものの。
「聞いたぜぇ〜? 俺の部下を綺麗に返り討ちにしてくれたんだろう?」
「お前の部下なんか知らねーよ」
「うちから逃げ出した奴隷の小娘を追ってたんだ。心当たりがねえか?」
「……ああ、あいつらか。馬くれてありがとよ」
「どおーういたしましてだ」
てことは、こいつが奴隷商の親玉か?
まあ、いかにもな悪人面だ。前に俺を奴隷にしようとしたボリスに引けを取らないな、こりゃ。
「んで? 俺みたいな子どもを裸にしてどうするつもり?
そういう趣味あんのかよ、きめーな。死ね」
「俺はねえさ。だが奴隷に服なんぞ必要ねえ」
「奴隷になった覚えはねーよ」
「じゃあ今、覚えろ。お前はもう奴隷だ」
身勝手なやつだ。
そいつは俺の檻の前でうんこ座りでしゃがんだ。
「ガキぃ、お前、腕っ節に自信があるんだろ?
なら従順にしてりゃあ、いい買い手がつくぞ?」
「生憎と誰かに飼われるつもりはねーよ」
「大人しくしねえってんなら、手足をもぐしかねえな」
「それで奴隷の価値があるのかよ?」
「ああ、男のガキに欲情する変態だって顧客にはいるんだぜ?」
「……やめろ、マジで。怖いだろ」
「じゃあ大人しくしろ」
「はいそうですかって言えるかよ。奴隷になんのも、ケツ穴掘られんのもごめんだ」
「ハッハァー、貴族のガキだと思ってたが随分と口の方は育ちが悪いんだな? 話しやすくていいぜ」
「そりゃどーも。ハンネはどうした? まさか、殺してねえよな?」
「ハンネぇ? ……ああ、逃げた小娘か? そんなら生きてるぜ?」
良かった。それなら一安心だ。
死んでたら、速攻で手錠引きちぎってこいつをぶちのめすとこだった。
「――まあ、お楽しみ中だけどなあ?」
下卑た笑みをそいつが浮かべ、俺を見下ろす。
「て、めえっ――!」
「反抗してみろ、小娘を殺す」
手錠を引きちぎろうとしたところで鋭い男の声が俺を制した。
「それと、貴族のお坊ちゃんに今さらいらねえ説明だが、お前の首についてるブツを忘れてねえか?」
「ああっ!?」
「ムリしてそいつを壊してみろ。
埋め込まれてる魔石が反応して、お前の首は胴体とおさらばだ」
「っ……」
「忘れてたってかあ? そいつを繋がれてる時点で、とうにお前は奴隷なんだよ」
首輪が、爆発?
それ何て中学生の殺し合い小説の設定だよ。冗談じゃねえぞ。
「外さないで体よく逃げるか?
ムダムダ、誰かがお前の首の後ろへ手を回せば、それで起爆できるんだ。
誰かに大人しく、都合よく飼われでもしねえとどうにもならねえよ。お前は生かされてんだ。
どこへ逃げようが、その首輪を知ってるやつはいる。そいつはてめえが死ぬまで奴隷として縛り続ける」
そんなにヤバいもん、どこのどいつが作りやがった。
しかも量産までされてるってことなんだろ。業者見つけたらぶちのめさねえと気が済まねえな。
いや、そんなん後だ。
想定以上に状況が悪い。仮に脱出はできたとして、逃げる間に戦いは避けられない。
こいつの口ぶりじゃあ、誰でも首輪を起爆させられるって話だし、戦いの最中に首輪へ触れられたらその時点でアウトになる。まともに戦える想像がつかない。
「さーて、お前を買うのはどんなやつだろうなあ?
ガキが大好きなブタ貴族か、兵隊を欲してるどこぞの貴族か、ああー、一応ガキ好きのマダムもいたな。
これまでに30人はそのマダムにお前くらいのガキを売りつけてやったが、持っても3日くらいだとよ。もてあそばれて、むしゃぶりつくされて、すぐに死んじまうから頑丈なのがいいとか言ってたな。死んじまったガキは肉だけ出して、綿を詰めて人形にしてるみたいだぜ。趣味が悪いよなあ?
まあ金さえ払ってくれりゃあ、俺はお客様のご期待には添える真面目な商売やってんだけどよう」
「……んな世間話をしにきたのかよ?」
「あーあ、そうさ。上で今、部下どもがお楽しみ中でな、あんあんあんあんうるせーし、イカ臭くてたまらねえ」
「ぶっ殺す」
「死ぬ覚悟をしてからやってみろ」
煽るように、バア〜とバカにした顔をしてくる。
それから腰を上げると、横の牢屋から奴隷のひとりを出して連れて行ってしまう。見えたのは女だったが、やはり彼女も服さえ着せられていなかった。
首輪を外そうとしたら、爆発。
魔鎧で耐えられるならチャンスはある。
だが、魔鎧も万能じゃない。身体能力の向上は目を見張るが、どうも防御性能というのはそこまで頼りきりにはなれない。モールに魔鎧ごと斬られた経験もある。もし、あの剣と同等か、それ以上の威力を持った威力を持っていたら、即死を免れても――。
だが今もこの瞬間にハンネが犯されている。
怒りがたぎる。人間を物扱いの奴隷に変えて、自由を奪い、恐怖と痛みを与えて尊厳を踏み砕く。
少なくともここの奴隷商どもは、生かしておく意味がない。
どうする――?
首輪を爆破されるリスクを恐れて黙って見過ごすか?
いや、それはあり得ない。
何もしなければ俺はその内、出荷されるんだろう。
ずっとチャンスを待ち続けることになる。今度はじいさんが颯爽と助けに来てくれることもない。
だったらやることは、決まってる。
魔鎧を使い、手錠を引きちぎった。檻を両手で握り、力を込めてひん曲げようとするとバキンと音がして折れた。1本なくなっただけの隙間でも、俺の体ならすり抜けられた。
他の捕まっている人々の視線を感じながら、さっきの親玉が歩いていった方へ向かうとドアがあった。そこを開けると小さな空間。そして、上に階段が伸びている。丁度かけてあったボロ布を被って、とりあえず男の子の部分を隠す。
奴隷商退治の、始まりだ。