怪しい噂
ハンネとともに町へ繰り出し、彼女の職探しを始めた。
それなりの数の従業員を抱えていそうな商店に飛び入りで頼んでみたり、賑わっている食堂で看板娘はいかが、と言ってみたり。だが、帰ってくる答えは決まって似たような文句だ。
『そんな余裕はない』
それでバッサリ。
浮浪者があぶれている時点で想像していたが、カハール・ポートには仕事がないのだ。
港の方なら何かあるかもと思ったが、交易がメインなので女のハンネでもやれそうな仕事はなかった。女性でも務められそうな仕事は枠がないという状態。ならば漁師だろう、と探して交渉してみても、やはりダメだった。
ほんとにバリオス卿は何をしてやがるんだ。
ノーマン・ポートなんかは皆、いい顔で汗を流してるのがほとんどだったのに。治めてるやつの腕の違いってやつなのか?
「見つからないね……」
「まあ、まだ探し始めて1日目だし、そんなもんだって」
前世での俺の友達なんか、早々に就活が決まったとはしゃいでいたやつがいた。だが、入ったところはブラックですぐに辞めてしまっていたものだ。焦ったって良いことがあるわけじゃない。じっくり、続く仕事を見つけてがんばればいいものだ。
……俺は高校出てからずっとフリーターでバンドばっかやってたけど。まあ、それは置いておこう。今はレオンハルトという人生を歩んでるんだ。あんまり前のことばかり持ち出さなくていいだろう。
一日中歩き回って探したが、やっぱり成果はなかった。
主に精神的な疲れを抱えて宿屋へ戻り、今日はそこで夕食をいただく。
「明日は見つかるかな?」
「明日は明日の風が吹くってもんだよ」
「どういう意味?」
「え? あー……明日っていうのは、今日とは違うことが起きるわけじゃないから、元気出そうぜって」
「そっか。明日は明日の風……いい言葉だね」
食事が終わってからも、宿屋の食堂でしばらくのんびりした。
騒がしすぎない、ほど良い他人の存在感ってのはいいと思う。今日、宿へ来たばかりと思しき旅人がうまそうに酒を飲むのが、腹をすかせて宿に帰ってきてガツガツと食っている様子が、何とも幸せに満ちあふれている。こういうささやかなものを見逃さなければ、案外、人生ってのは幸せに過ごせると思う。
「おや、綺麗に食べてくれたねえ。食器はもう下げちまうよ」
「あいよー」
女将が俺達の卓へ来て、すっかり片づいた皿を重ねる。
ふと、ちょいと気になって。
「ねえねえ、とっても綺麗なお姉さん」
「何だい、いきなり? お姉さんなんて年じゃないよ、あたしは」
「じゃあ綺麗なおばさま」
「はいはい。何ですか?」
「ここ、人手足りてる?」
「そりゃどうして?」
「いや、この……ハンネって言うんだけど、仕事探してるんだ。だからさ」
「レオンっ……そんな、ここでまで」
「ああ……そうかい。でもごめんねえ。
とても人を雇ってお金を渡せるほどの余裕はないんだよ」
ここもか。
ほっとしたような、少し残念なような、そういう微妙な面持ちで腰を浮かせかけていたハンネが座り直した。
「何でこんなに仕事ないの?」
「税金がここ数年でじわじわ上がってきててねえ……。どこも、それを納めるのに必死なのさ」
「……ふうん」
「サントル様はこんなことをする人じゃなかったんだけど……」
「サントル様?」
「この町の領主だよ。やさしい方だったのにどうしちゃったのか」
ああ、バリオスか。サントル・バリオスっていうのか。
女将は愚痴をこぼすようにバリオス卿のことを語ってくれた。
昔の――若かりしころのバリオス卿はよくカハール・ポートを遊び回っていたようだ。貴族だと言うのにふんぞり返ることもなくて、気さくで、町の若者とつるんでは悪戯にも精を出していたとか。そして、先代領主が亡くなったことで領主を継ぐことになる。最初こそ、少々の失敗はあったようだが領主としての気概には溢れていて、領民を家族のように思いながら政をしていた。
だが、ここ数年になってから急に取り立てる税を増やし始めて、今は昔の4倍近くもの税金を求めてきているらしい。生活が苦しいと陳情をしたこともあったようだが、意味もなく、税金を払えなくなった人が増えてきてからガラの悪い人間がカハール・ポートに出現をするようになった。
税の代わりに家を奪われ、路頭に迷わせられたところで奴隷にされて連れて行かれるのも珍しいことではなくなったそうだ。中には自分の身恋しさに家族を奴隷商へ差し出すような輩までいるらしい。しかし、そうしたところで家はなく、浮浪者に成り下がっているんだとか。
「何でも噂じゃあ、サントル様は病床で息子のビバール様が代行してるとかって聞いたけど……どうなんだろうねえ」
女将はそんな不穏な、怪しい噂話で締めくくった。
もしも本当にバリオス卿が病気だとしたら、昨日、俺が追い返されたのはどういうことだ。病気なら病気と言えば良いのに。何となく腑に落ちなかった。
「わたし……別の町で探そうかな、お仕事。
この町だと何だか、安心して暮らせない気がする……」
部屋へ引き上げてくると、ハンネはそんなことを呟いた。
それもひとつの手段だろう。ムリしてここで職を探す必要はない。
「それでもいいけど……そしたらハンネは、自分ひとりで探すことになる。
止めないし、そうしたいんなら応援もするけどさ、見知らぬ土地にひとりで行って、ひとりで仕事を探して暮らすって大変だと思うぞ?
この物騒なご時世なんだし」
「……そう、だよね」
それか、じいさんみたいにここから離れたところで、自給自足をしながらひとりで暮らすか。
女の子がひとりでそうするのは難しく思えてしまうが――選択肢のひとつにはなるだろう。
「明日も探せばいいよ。
探してもダメなら、新しい場所を目指せばいい。
その気になればどこへ行ったって、どうにだって生きられる」
「レオンって……いくつ?」
「……何歳に見える?」
「何だか、話をしてると故郷にいた年上のお兄さんみたい」
「ふっふっふ……何を隠そう、俺は精神年齢は三十路過ぎの――」
「あははっ、冗談にしても納得しかけちゃうね」
冗談じゃないんだけどなー。
もうちょっと子どもらしくしとくか? うーん……。
「おやすみ、レオン」
「……おやすみ」
夜半過ぎ――変な物音がして、ふと目が覚めた。
ばたばたと布ずれする音。抵抗するような、息を断続的に吐く、くぐもった声。
「何だ――?」
俯せになっていた状態で、顔だけハイネのベッドを見る。
窓から差し込む月明かりが、それをはっきり照らしていた。
ハイネにマウントポジションを取って、体重をかけながら首を絞めている人の姿。
「何してやが――!?」
慌てて跳ね起きた時、何かで頭を強打されて暗転した――。
体が痛い。
変に首が苦しい。
顔を持ち上げようとし、頭に鈍痛が奔った。
「……んぅ……?」
頭に触れようとし、ガチャと音がした。腕が思い。手首が、重い。何でか、腰の後ろへ両手が回っている。薄く開いた目には硬くて冷たそうな石の敷き詰められた床が見えた。
「…………」
どういう、状況だ?
顎を引くと何かが当たる。首にも、何かがある。冷たいから、鉄の何かだろうか。輪だ。輪っかのようなものが俺の首にはめられている。まるで、首輪みたいな――あれ?
「え……?」
いも虫のように体を使い、腰を上げた。小さい子どもが悪戯で思わずカンチョー攻撃をしたくなるような姿勢だろう。そうして膝を立てて、体を起こす。狭い、石の敷き詰められた空間。振り返ると、鉄の棒が縦に何本も立てられ、向こうと隔てられた奇妙な壁――というか檻みたいなもの。
そして、何故か全裸。
いやんエッチ。
「……あれ?」
ふざけてる場合じゃないぞ。
これって何だか、何となーく、だけども。
「……何か、奴隷にされた気分」
重くてデカめの、でもそう簡単に外れなさそうな鉄の首輪。
恐らく背中の後ろに回されている両手首にも鉄の手錠めいたものがはめられているんだろう。
でもって全裸に剥かれてて、鉄格子が俺を閉じ込めていて。
よし、現実的に考えよう。
いくら奴隷関係のことで頭にきてたからって、変な夢を見ているだけだ。だって常識的に考えて、宿で寝ていたのに起きたらいきなり奴隷にされてるなんておかしいはずだ。そうだ、そうに違いない。
また明日もハンネの職探しをがんばろうと決めて寝たじゃないか。
それで、夜中に何となく目が覚めた気がして、ハンネが首を絞められてて、頭をぶん殴られたような感じがして、夢を見て――
夢じゃねえのか、これ。
レオンハルトくん、とうとう奴隷になっちゃったよ。