カハール・ポートはどんな町?
カハール・ポート。
バリオスという貴族が治める港町で、人と物の出入りに制限をかけずに自由な商売をさせているらしい。経済の仕組みなんて俺には分からないけど、結果的にそれが良いことに繋がるらしい。
のだが、どうもそれは悪いものまで誘き寄せてしまっているようだった。
治安の悪化だ。
表通りはまだ賑わいを見せている。だが子どもだけで歩いているのは見かけないし、女だって極力ひとりでは出歩かないようにと奨励する看板もあった。
そして横行する、スリ、ひったくり、食い逃げ。
路地を1本入れば、そこには浮浪者と孤児と娼婦。
何やらとんでもない町だった。
一応、観光スポットとして海を眺めるのに丁度良い塔なんかがあったが、ただそれだけで終わる。波打ち際でじいさんと見ていた海の方が、何だか綺麗に思えてしまう。
だがここはノーマン・ポートとは違って、漁業ではなく、交易の盛んな場所だ。
色々な場所から船に乗ってやって来た珍しい品が多く、それを見ているだけで2、3日なら時間を潰せそうなほどだった。舶来品はやはりロマンだろう。
どうやらこの国の王都ではガラス細工の品がブームだとかで、そういうものもここに運び込まれては露店に並べられたりしていた。けっこう曇ってはいるが味のあるものが多く、ハンネも光にかざしてみたりして熱心に見ていた。女の子はこういうの好きそうだ。
俺はガラスよか、飴玉ひとつ舐める方が嬉しいけど。
オルトの手紙は明日届けることにして、夕方になったので適当に食堂へ入った。やはり海の近くだから海産物だ。交易メインではあるが魚もちゃんと獲れている。久しぶりの海鮮料理に胸が躍った。
「こんなの初めて……」
「ハンネの田舎って、どんなとこだったの?」
出てきた貝料理に驚いていたハンネは、恐る恐る食べてから、カッと目を見開いた。気に入ったらしい。
「山の中だよ……むぐ……魚よりも、あむっ……お肉だったわ」
「……いっぱいお食べ」
「ふふっ、なあに、レオン。おじいさんみたいな言い方して」
「……じいさんに育てられたからかな」
実際は精神年齢によるものだろう。
何だかこう、夢中で食べる女の子には、いっぱい食べさせたくなる。
「食い逃げだあっ! そこのガキとっ捕まえろ!!」
メシを食ってたらいきなりそんな声がして振り返った。入口の方へ走っていく子ども。怒鳴った店主らしいオッサンの声で弾かれたように入口近くにいた男が立ちあがって立ち塞がる。
「はーなせっ、放せよっ!」
「おおっ、ありがとさん、お客さん! お礼に一品サービスするよ」
「いいってことよ。このガキどうすんだ?」
「ハッ、うちで食い逃げしようとしたんだ。奴隷商にでも渡してやりゃ、はした金でもこのガキが食った分は補填できるさ」
とても文明的な会話には聞こえない。
それにハンネが、奴隷商という言葉にまた顔に影を落とした。放せと騒ぎ立てる子どもの顔に、容赦ないパンチがぶち込まれると伸びてしまった。店主が引きずるようにして子どもを店の奥へ連れて行ってしまう。
「……あんまり、良いところじゃなさそうだね」
「そうだなあ……」
治安という意味なら、かなり悪い。悪すぎだ。
ここでハンネと別れるつもりだったが――どうにも不安になる。
そもそもどうして、こんなに浮浪者だの孤児だのが溢れ返ってるんだ。この町を治めてるバリオス卿は一体何をしてやがるんだ、って話にもなる。明日にでも会ったら、チクっと言ってやろうか?
食うだけ食うと、食い逃げでも警戒されてるのか店主の視線が鋭かった。ちゃんと金を払ってやると、にこやかな顔になったが今さらだ。そんなに食い逃げが嫌なら食券制にでもしちまえ。
宿に帰るとハンネは見るからに憂鬱になっていた。カマッテちゃんなものではないだろうが、ため息がやけに耳につく。これからここでやっていけるのかとか、そういう心配だろうか。一応、バリオス卿に会うということで明日着るための綺麗な服を出したところで、ベッドに座った。馬3頭分の銀貨が入った袋も持って。
「ハンネ」
「うん?」
「明日でバイバイだ」
「……そうね。色々とありがとう。
本当に助かったわ。レオンが助けてくれなかったら、どうなってたか分からない」
「俺も暇じゃなくて助かったから、言いっこなしだよ」
ちとキザか?
まあいいさ、ガキの戯言として聞き流してもらおう。
背伸びしたいお年頃だとか思ってもらえりゃあそれでいい。
「んで、これ。ハンネを追ってた連中の乗ってた馬を売った金。
あれってハンネが呼び込んだようなもんだし、これはハンネにやるよ」
「えっ、い、いいよ、そんなの。
レオンにはいっぱい、助けてもらったのにこれ以上もらったって――」
「ちゃんとハンネのために使った分の金はここから抜いてあるから」
抜いたなんて嘘八百だが、こういう嘘なら咎められる必要はないだろう。
銀貨の入っている袋をハンネのベッドへ投げた。中の銀貨がぶつかり合う音がする。
「……やさしいね、レオン」
「ま……一応は貴族の端くれ、ってやつかな」
一応は、そうだよな。うん。
そんな意識は欠片も持ち合わせてないが方便だ。
「貴族かぁ……。貴族って、怖い人のイメージしかなかったけど」
「怖い人じゃなくて、バカな人だよ。バカ。アホ。マヌケ。
ほとんどが悪い意味のバカだけど、中にはいい意味でのバカもいるし……。
まあ基本的には信用ならねーけどなあ」
学院でさんざん、悪い意味でのバカ予備軍を見てきてるし。
俺が初めて見た――生家以外での貴族は獣人蔑視のヒステリックババアだったし。
「本当はちゃんと生計を立てる方法とか教えられたらいいんだろうけど……そこまでは俺できないから、ごめんな」
「謝る必要なんかないよ。……本当に、ありがとう」
「……じゃ、寝るから」
毛布を被った。
チャリ、チャリ、と銀貨を数える音がした。
こんなとこにハンネを残していくのは、少し気が引ける。
でも行きずりの同行者だ。可哀想だからって深入りすることはできない。そんなことをしていたら時間がなくなる。晩飯を食べに寄った食堂で見た子どもも、結果としては見捨てているのだから。
……しかし。
あんな子どもがぶん殴られて気絶させられて、奴隷にさせられるか。
思い出したらまた胸くそ悪くなってきた。でもさすがに、奴隷商をぶっ潰すってのは、色々と大変になりそうだし……。そうしたって俺には負いきれない責任が生じるだけだし。
そんなことを考えてる俺自身も嫌になってくるし……。
早く忘れよう。そうしよう。
クララの尻尾を思い出しながらもふもふな幸せを浮かべ、がんばって眠った。
バリオス卿の屋敷は町の高台に位置して、海を一望できるかなり良い立地にあった。一応、オルトの使者っていうことで襟を直したりしてからドアノッカーを叩いた。
「はい、どなたで……何か、御用でしょうか?」
出てきたのは年老いた男だった。屋敷の使用人だろう。
笑顔は、いらないか。オルトをマネして厳格に――やるのは年齢的にキツいな。礼儀正しく、がんばってみるか。
「オルトヴィーン・レヴェルトの使いで参りました。バリオス卿に手紙を届けるようにと」
「手紙……でございますか」
明らかに訝しんでいる目。
治安の良くない町だし、猜疑心も分かる。だが。
「これを」
俺には印籠ならぬ、レヴェルトの短剣がある。
それを見せると老人の目が僅かに大きくなった。
「確かに、レヴェルト家のものとお見受けしました。手紙はわたしが預かり、主にお届けいたしましょう」
「バリオス卿に手渡すようにと言われているので、会わせてもらうことはできませんか?」
「主は現在、この屋敷にはいらっしゃらないのです。
レヴェルト家の使いの者を待たせるのは失礼でしょう。ですから、わたしが――」
「手渡しをしろ、と言いつけられているものですから」
レヴェルトの短剣を懐へしまう。
老人はしばし考えたように顎へ手を添えていた。
「しかし、主がいつお戻りになるかは……」
「……だったら、しばらくここに滞在して待っていますので、お帰りになられてはご一報いただけますか。
泊まっている宿は……えーと、何だっけ。帆船とラッパをあしらった看板の」
「舟楽亭でしょうか」
「あ、多分それ。そんなだった、そんなだった」
「かしこまりました。主がお戻りになられたら舟楽亭へ使いを参らせます。
あなたのお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「レオンハルト・レヴェルト。……あ、ちゃんとしたレヴェルト家の人間じゃなくて、レヴェルト卿が後見人で、家名を借りてるだけだから勘違いはしないでお願いします」
ちゃんと誤解を与えないように説明をしておいてから、バリオス邸を後にした。
手渡ししろ、なんて言いつけられてる時点でちょっとは覚悟してたけど、見事に足止めコースだったか。
もうしばらくハンネと一緒にいて、どうにか食い扶持を確保できるように手伝ってみる……か?
うん、どうせ待ってるだけでやることはないし、そうしておこう。
宿に戻るとまだハンネはいた。チェックアウトまではまだ時間もある。ちゃんといてくれて良かった。
「ただいま、ハンネ」
「おかえり……早いね。てっきり、もう会えないかと」
「もうしばらくここに滞在することになっちゃって。
ハンネもこれからどうするか、まだ考えられてないだろうし……やれる範囲で手伝うから、一緒に考えようかなと」
「レオン……ありがとう」
堅苦しい服を脱ぎ捨てて、楽な旅歩きの服へ着替える。
本当なら漁師スタイルが一番楽だが、ある程度の身なりをしておけば、こういう治安の悪いところでは良い方向へ働くことがある。少なくとも盗みを働く孤児のようには見られない。
安宿ではないが泥棒に用心して貴重品は全て持つ。オルトから預かっている手紙や路銀、得物。
準備をしてからハンネに声をかけて、宿の女将に延泊を伝えてから出かけた。