困った時は
呆気ないもんだった。
ヘタすりゃマティアスよりも弱い賊だった。
槍の投擲ですでにひとりはノックアウトされていたし、残りも手こずることはなかった。力任せの大振りを受け流して、がら空きの胴を鎧の上から、魔纏をかけた短剣で切り裂いた。鎧は叩き斬られ、ばっさりと肉は切れた。アーチェリーのような短い弓で最後のひとりが遠距離から攻撃してきたが、魔偽皮で矢が刺さる前に掴み取って、唖然としたところを叩けば終わった。
「手応えねーな」
あっさり勝つよりも、完膚なきまでに叩きのめされた方が全力を出せて面白い。まあ、それよかイアニス先輩みたいに素で実力が拮抗する相手とやった方が面白いが――あれ、もうこの発想って戦闘狂みたいになってねえ? 気のせいだよな? うん、きっとそうだ。
「あ……ぁ……」
短剣を鞘に納め、槍を拾い上げたところでまだ尻餅をついていた人を振り返る。
転んだ拍子に取れたのか、走っていた時は顔を隠していたフードが外れている。女だった。しかも、若い――というか、まだ大人じゃない。14、5歳? 学院での俺の同期と同じくらいに見える。
そして明らかに怯えていた。
この賊どもに追われてて、絶体絶命で駆けつけたのが白馬に跨がった王子様じゃなくて、こんがり日焼けしたお子様だもんな。色々と信じられないだろうし、引いちゃうのも頷ける。
「追われてんの?」
「そ、そうだけど……」
「じゃあ乗ってく?」
賊の乗ってた馬の手綱を集める。
こいつらが動けるようになってから、馬に跨がって追いかけられたら面倒だから連れていく。町に着きさえすれば金にも換えられるし。一石二鳥だ。
「それとも馬1頭あれば平気?」
手綱をひとつ、差し出してみる。
少女は地面に転がる賊どもを見てから、腰を上げた。
「の、乗せてもらえる……?」
「お安いご用だ」
何だかヒッチハイクで人を乗せる気分だ。
3頭の馬を引きながら、後ろに少女を乗せながら、少し急いでその場を離れていった。
「わたしはハンネ、あなたは?」
「レオンハルト。レオンでいいよ」
最初の数時間、ハンネは後ろを振り返っては連中が追ってこないかと心配をしていたようだった。だが日が暮れても現れず、ようやくほっとしたようだ。
「助けてくれてありがとう、レオン」
「偶然だけどな」
野宿の準備をしていたらハンネから口を利いてきた。さすがにほとんど何も知らないやつと無言っていうのは気不味かった。近場で枯れ枝なんかを持ってきて、さあ今日もがんばって摩擦で火を起こそうとしたら、ぽんと火を点けてくれたので助かった。魔法って便利だ。
そして、その火に安らぎを感じつつ、食事の支度をする。
「どこから来たんだ? 旅支度があるわけでもないのに、近くに町もないし」
「……近くに、奴隷商の館があって」
「奴隷商……」
察してしまう。
全身をすっぽりと覆っている、ボロ布。そう言えばずっと前にノーマン・ポートで、奴隷を引き連れたやつを見たことがあった。ボロ布1枚だけ被せるように着せて、その中は……確か、うーん。あん時は赤ん坊だったし、見過ごしたものの……。
いやでも、そういうことの前に、だ。
「俺の服じゃ、サイズ合わない……よな?」
「……あ、うん」
うん。
寒くないんだろうか。
そこまで寒い場所でも季節でもないにしろ。
「せめて、パンツくらい……?」
「い、いいよ……そんな、男の子のパンツなんて……」
「……んじゃ、いいけど」
ノーパンか。……ノーパン、なのか。
あのボロボロな布の下がノーパンかあ。
まあでも、俺のストライクゾーンはまだ上だしな。
あと2、3年。うん、俺の肉体も、この娘も、あと3年後で、このシチュエーションだったら、ちょっと男の本能が刺激されてたはずだ。俺のストライクゾーンの下限にそれで引っかかるだろう。
「ハンネはこれからどーすんの?」
「どう、しよう……」
焚き火で、塩漬けの肉を炙る。表面に浮かんできた脂がパチパチと音を立てる。
ハンネはそれを眺めながら暗い面持ちで呟いたきり、考え込んでしまう。
「故郷は?」
「田舎で、村の名前もないくらい……。
どこにあるのかも、もう、全然知らないから。
それに……奴隷狩りで、村は……村の皆も、もう……」
焼けた串焼きの肉を差し出すと、ハンネは受け取りはしたがすぐに食べなかった。気楽に何か言えるようなことでもない。
「カハール・ポートに行ってるんだけど、そこまで一緒に来る?」
「……いいの?」
「もちろん。ひとりじゃ暇になるし。
困った時は互いに助け合うもんだろ?」
紋切り型の言葉でもハンネは嫌な顔をしなかった。
それにしても、奴隷商――。
全部の奴隷がいたずらに傷つけられたり、慰めものにされるわけではないらしいがそれも全体から見ればごく一握りらしい。学院で法律を勉強させられたからほんのり覚えているが、人身売買はこの国だと合法なのだ。法を作り、利用する側は自らが奴隷になってしまうことなど露とも考えていないんだろう。胸くそ悪い話だ。
一度、奴隷として首輪を繋がれてしまえば、その時点で人ではなくなる。人間も、獣人も、エルフも、どんな種族だろうが、それは主の所有物であって、家畜や家財と同じ扱いだ。だから奴隷を盗めば、窃盗罪が適用もされる。奴隷の逃走は、ペットの逃走も同然。
ハンネに、まだ少しの幸運が残っていたとすれば話から察するに、まだ買われてはいなかった点だろう。もしも買い手がついていれば、ハンネと出会って保護してしまった時点で俺は彼女を略取していると見なされてしまう。面倒臭いことこの上ない。
手に入れてしまった馬を金に換えたら、ハンネにあげて、あとは自分でどうにかしてもらおう。
生憎と全ての困ってる人間を助けてやれるほどの力はないし、これは彼女の人生だ。俺は数日一緒にいて、せめて心細くないように、何でもないようにいてやれるくらいしかできない。
追っ手はなかった。たまに魔影を後方に使ってみたが、少なくとも範囲内にはそれらしいものはなかった。とは言え、せいぜい200平方メートル程度しか分からないが。
あとこの魔影はどうやら、誰かに気づかれるという恐れもないようだった。魔影を使いながら変な感じがしないかとか尋ねてみて発覚した。一方的に探知できるというのはちょっと便利そうだが、最大範囲が約200平方メートルで、最長持続時間が15秒程度では使いどころも考える必要がある。地道に練習して、体で馴らしていくしかないだろう。
「このご時世で一人旅なんて、レオンはすごいね」
「まーな」
「カハール・ポート……だっけ? 何をしに行くの?」
「ちょっと、おつかいで。その後に帰るんだけど」
「そっか……」
決してハンネは暗い女の子じゃないが、片言節句で声のトーンは落ちてしまう。それでも落ち込まんとしているのは分かって、気にしないようにした。
カハール・ポートへ到着したのは、ハンネと出くわしてから4日ほどしてからだった。
そこはノーマン・ポートよりも大きな町で、メルクロスと同じくらいの規模だ。傾斜のある町並みで、下っていけば港へ行ける。行き交う人や荷馬車の数もノーマン・ポートとは比べ物にならない。
だが、町に入ってすぐ、ノーマン・ポートほど平和な場所でないことは分かった。
少し路地へ入っただけでそこには浮浪者がいたし、スリだ盗みだ、と10分置きくらいには聞こえてくる。冒険者のような武装した人間もいるし、これみよがしに奴隷を引き連れた奴隷商もいた。
最初に奴隷商を見かけた時に、ハンネの顔が引きつったのを見逃さなかった。手を繋いでやるとハンネは我に返ったように俺を見てきた。大丈夫、と顔で伝える。こういう時は子どもで良かったと思う。ヘタに年がいってると、手を繋ぐ行為が親愛表現になりかねないが、子どもなら別に不思議に思われることもないはずだ。
普段なら安宿に泊まるところだが、少し高めの宿を選んだ。
安いところはセキュリティーも悪い。朝起きたら荷物が消えていた――なんてこともままあるらしい。幸いなことにまだ俺は被害に遭ったことがないが、ハンネを連れていることもあって安全策を取った。
ハンネの格好は奴隷と一目で分かってしまうものだったから、彼女の服は適当にそこらで俺が買ってきて着替えさせる。着替えてしまえば、立派な町娘にしか見えない。
「服までくれて……レオンの、路銀じゃないの? 大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫。これでも、ボンボンだから」
自分でボンボンと言うのもどうかと思うが、オルトは金持ちで、何かと金を余裕を持たせて渡してくれるから助かっている。後見人だし、親代わりみたいなもんだろうし、ボンボンってのも間違いじゃないだろう。
「用事が済めば、明日にはもう行っちゃうつもりだけど……どうする?」
先延ばしにできないことを改めてハンネに尋ねた。
すでにハンネを追いかけてきた連中から奪った馬3頭は銅貨5枚に換わっている。贅沢しなければ数日は余裕の額だ。俺は金にも困っていないし、譲るつもりでそっくりそのまま取ってある。
しかしハンネは困ったような笑みを作るのみで、答えられそうにはなかった。
「……とりあえず、観光するか。ハンネも見たいだろ?」
少しだけ強引にハンネを連れ、町へ繰り出すことにした。
見たことのないものを見れば気分も盛り上がる。そうすればどんなに些細でも希望を持てる。不良のレッテルを貼られてはいるが、騎士の卵としてエスコートしてやるかなんてガラでもないことも考えていた。