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ノーリグレット!  作者: 田中一義
#7  竜とオルトと俺
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愚かな人の身でございますから



 オルトが抜いた短剣――アーバイン作のものだろう――は洞窟の中で引き抜かれると、その剣先から光を発して周囲を照らした。


「これはアーバインというソードスミスの作ったものでね」

「ファビオに聞いた」

「申し訳ありません、オルトヴィーン様」

「そうかい? まあいい、この短剣は光で道を照らしてくれるんだ」

「そんだけ?」

「ああ、それだけだ。便利だろう?

 魔物がいきなり飛び出してきても、そのまま振ればいい」


 何だか拍子抜けする効果だな。

 洞窟の中に魔物の気配はなかった。オルトが先頭を歩いて進んでいく。



 ピンと張りつめた静寂に、俺達の足音だけが響く。

 次第にその先から肌がビリと痺れるような、変なものを感じ始めた。


 いる。

 この先に、圧倒的な存在がいる。

 そう確信して、情けないことに膝が震えてくる。



 オルトの背を見る。まっすぐ伸びた背中。

 こいつはこの恐怖を感じちゃいないのか? こんなにビリビリきてるのに。


 後ろのファビオを振り返ると、いつにも増して険のある顔。

 こいつがこうなってるんだから、俺が感じてるのもひとりで勝手にビビってるわけじゃないだろう。



 やけに長く感じる一本道は、唐突に終わった。

 オルトの短剣の切っ先が僅かに一度大きく光ったかと思うと、その先に広い空間が待ち受けていた。



 ――不意に。

 ぞくりと、全身を無数の針が貫通したような粟が立った。


 その向こうにいた、竜がこちらを見ている。

 暗褐色のきめ細かなマーブル模様めいた目玉。瞳は縦に細長く、ギラリと光を反射する。


 射すくめられて動けなくなり、息が詰まる。

 突風が胸の内を吹き、それが記憶を一気に呼び覚ましていく。

 早回しした映画のダイジェストのように、それは一瞬で駆け抜けて頭から抜けて現実に引き戻される。




「古き世を知る偉大なる竜よ。

 拝謁に賜り、光栄の極みです」


 厳かにオルトが喋った。

 肩に腕を回されて押される。ファビオか。


 そうしてオルトに続いて、その竜の前へと歩みを進めていく。



「先日はあなたの眠りを妨げる愚か者がこちらへ足を踏み入れたと聞き及びました。

 わたしはオルトヴィーン・レヴェルト。

 この近辺一帯の人と、人の住まう場所を管理させていただいる者です」


 胸に手を当てて、ゆっくりとオルトが頭を下げた。

 ファビオの腕が俺にもそれをさせてきて、腰を曲げる。



「何用であるか、人間とエルフよ」


 竜が答える。

 顔を上げると首を持ち上げていた。


 口からは熱い吐息が漏れている。

 逆立っているかのような鱗で竜の全身は覆われている。

 耳のように頭の後ろへ2本の角が突き出ていた。それは長く、太く、鋭い。



「あなたの眠りを妨げたことを、お詫びに参りました」

「何をもって詫びるという?」

「あなたの望むままに用意するつもりでございます。

 人の立ち入れぬ場所を望むのであれば探しましょう。

 わたしどもは竜は酒を好むと伝えられていますので、それをお望みならば湖ほどの酒を用意します」

「殊勝なことだ」

「光栄です」



 乗るのか、蹴るのか。

 竜の言葉を待つ。耳が痛くなるほどの静寂が訪れる。


 汗が滲んでいる。

 暑さはないが、息苦しい。――これが、竜か。



「ではまず問いに答えよ」

「何なりと答えましょう」


 問い?

 ピラミッドを守るスフィンクスがごとく、ってか?



「先ほどの会話、よく聞こえていた。

 驕る人の何と愚かなことか、という話題であったな」


 そんな話、してたっけか?

 いや、したとしても昨日の夜の――?



『我々とは時間の感覚が違うんだ、竜というのは。

 1年や2年など、わたし達からすれば1、2時間程度なんだろう』


 オルトの言葉を思い出す。

 本当に、1日前のことがついさっきなのか、こいつからすれば。



「興の湧いた語らいであった。

 お前ら人間は何故、そうも他者と関わり合おうとする?」

「あなたのように強い種族ではないからでしょう」

「では何故生きる?

 弱ければ死ぬのみだ。

 徒党を組んでまで生きる意味は何だ?

 徒党を組んでは他者と対立し、それで他者と関わる意味があるのか?」

「ふふ……」

「何がおかしい?」

「いえ、まさかこのような問いを与えられるとは思っていなかったものですから。

 ただ、そうですね。わたしが思うに、人はどこまでもいっても愚かなのですよ」

「では死しても問題あるまいな?」

「ご冗談を。

 愚かだからこそ、人は賢明に生きようとするのです。

 ただ根が愚かなものですから、その方法も決して最善ではなくなるのです。

 そして至らぬからこそ、至りたいと思うのです」


 竜が叩きつけてくるプレッシャーは、いまだ消えていない。

 それでもオルトはいつものようにのほほんと喋っている。



「業も欲も、深いものなのです、何ぶん愚かな人の身でございます」

「ならば死しても、構わぬまいな?」

「ええ、もちろん。

 ですがその時はこのオルトヴィーン・レヴェルト、

 竜殺しの伝説を再びこの世へもたらしましょう」



 ズシ、と重圧が身にかかる。

 オルトが引き抜いた短剣から、光が放たれる。


 背中しか俺には見えないが、オルトは笑っているような気がした。

 竜が顔を持ち上げ、大きな前足で体を持ち上げる。伏されていた体が持ち上がると、それは圧倒的なサイズだった。二階建ての立派な一軒屋には相当するだろう。――顔だけで。その頭だけで。



「愚かな人の身で、ございますから」



 オルトは、逃げようとしていない。

 交渉が決裂すれば撤退。そのはずだったのに、こいつは挑もうとしている。


 逃げろと体が叫ぶが、足が地面に縫いつけられたかのように持ち上げられない。

 ヘタな動きをすればそれだけで死ぬ。

 本能がそれでも叫ぶ。



 逃げろ、逃げろ、逃げろ、逃げろ、今すぐに逃げろ!




「フッ、ハッハッハッ、良かろう、良かろう」


 竜が嗤った。

 大きく見開かれた目が、開かれた口の中に並ぶ牙が、俺達を嗤う。



「もう良い。

 何でもするのであれば、我が眠るまで先ほどの話の続きをせよ。

 そしてまた我のうたた寝が覚めるまで、愚か者が近づかぬようにしておくが良い。

 また風で届ければ良い、臆することなく下がれ」



 ……はい?

 今、この竜は何て言ったんだ?



「寛大な措置に感謝いたします。

 それではごきげんよう、失礼いたします」


 また優雅に一礼をしてから、オルトがこっちを振り向いた。

 腹黒い――でも菩薩めいた笑みがあった。



 足が動く。

 まだ膝は笑うが、腹の底が震えるが、重圧は消えた。



「キミを連れてきて本当に良かったよ、レオン」


 静かにそう言ってオルトが歩いていく。

 俺もファビオも呆気に取られていたが、すぐにファビオが主の後を追っていく。



「……マジでか」


 そっと竜を見ると、口の端が僅かに持ち上げられた気がした。


「ここで語っても良い、許そう」

「……遠慮しときます……」


 そそくさと行こうとしたら、ズシンと揺れた。

 慌てて振り返ると、ニタニタと竜が笑っている。……いい性格してやがる、こいつ。



 長居しても弄ばれるだけだと踏んで、早足でオルトの背を追いかけた。

 暗い洞窟だったがオルトの短剣は光って居場所を教えてくれていた。竜の巣穴を出ると、嫌な、変な疲れがどっと湧いてきた。



「さて、じゃあ昨日の続きから……いや、剣闘大会のことを聞いてみたいな。

 折角キミへのご褒美を探していたのに、キミが色々と台無しにしたとかいう」


 昨日の夜、あの話を振ってきたのは。

 もしかして竜にも聞かせるためだったのか? だから俺を呼びつけてた?



「……性格悪いぞ、オルト」

「うん? 何のことだろうね。

 ファビオ、検討がつくかい?」

「わたしの口からは言えません」

「そうかい? お茶を淹れてくれ、ファビオ。ゆっくり話そうじゃないか」


 込み上げてくるものは態度に出して、ネチネチ言ってやった。

 それをオルトはほほえみながら聞き流し、ファビオが茶を淹れたところで、昨日の続きを促してきた。笑いながら話せるテンションではなかったが、その様子さえオルトは楽しんでいる。



 つくづく食えない男だと思い知らされ、竜退治はすることもなく終わった。

 危うく転信板での報告をオルトは忘れていたが、そこはファビオが口を挟んで確認したので、どこからか魔法をぶっ放されることもなかった。




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