夜が明けたら
薄暗い森だった。
薮の背も高いし、密集した葉は日光を遮って暗くしてしまう。
「ファビオ、そこまでしっかり道を作る必要はない。
わたしにも道なき道を歩かせてくれ」
「ですがオルトヴィーン様……」
「日が暮れてしまうよ」
戦闘を歩くファビオは後続のオルトのために剣で飛び出ている枝葉を切り払い、薮も刈り、執拗に踏みしめながら歩いていた。歩みは遅い。
少し渋ったファビオだったが、オルトに言われては仕方がないのか、枝葉をバサバサと切り落とすのは変えずに、歩くペースを上げた。草の根を小動物なのか、魔物なのか分からないものが走ることもあった。ガサガサと薮が動くと即座にファビオは風の魔法を使って吹き飛ばしていた。吹き飛ばせずに向かってくるものがいると、即座に切り倒していた。
ペースアップをしてからは、順調だった。
「どれくらいで竜のところに着くの?」
「おおよそ2日といったところだ。ファビオ、ペースはどうだい?」
「順調です、オルトヴィーン様。
ですが明日からは斜面を登ることになりますので、本日より疲労が溜まるかと思われます」
夜になって開けたところで野宿ということになり、手際良く食事の支度を始めている。
前に俺と一緒にスタンフィールドへ向かっていたころよりも豪華なメシが出てきている気がする。これがご主人様への対応、ってやつか。一体どうやってこんな堅物を手懐けたのやら。
「こうして、屋根のないところで食事をするのはやはり良いものだ。
周囲からは何とも分からない魔物の鳴き声がして、地面を見れば何かの骨が落ちていて。
これは人か、魔物か、動物か――。触れれば皮膚のただれる植物に、樹木の上で獲物を待つ魔物。
このスリルが何とも興奮させてくれる。そうは思わないか、レオン」
「……そこまでスリル偏重での良さは感じない」
「ふふっ、そうかい?」
「外でメシってのはいいと思うけどさ。
……オルトって領主になる以外にやろうとしてたことないの?」
「領主になること以外? たくさんあったさ」
「例えば?」
「騎士として、権力の中枢まで潜り込んで国を丸ごと変えてしまおうだとか。
旅人となって世界を見て回るのも良かったかも知れないし、空に浮かぶ島を探してみたいと思う」
「国を変えるって……」
「まあ、これは今からでもやろうと思えばできるのかも知れないが……領民を巻き込みかねない。それは不本意だから、やめておくつもりだ。
ファビオとソルヤとヴィッキーを連れて、あとキミとも出会えていたなら、キミも交えて、色々と見て回りたいものだな。
風の吹くまま、気の向くまま、心が赴くように生きて、死にたいものだ」
メシを食ってからは後退で夜の番をすることになった。俺が先に寝かせてもらって、早起きをして交替。さっさと横になる。そこまで疲れてない。
明日か、明後日には竜とご対面か――。
オルトは雰囲気こそ緩いけど、覚悟が定まっている。
ファビオだって、もうずっとオルトのために死ぬことを当然と思ってるんだろう。
『必ず、オルトを生きて帰してくれ』
重いソルヤの言葉がのしかかる。
どこかで、何かの鳴き声がけたたましく響いた。
ファビオが言っていた通り、翌日は斜面をひたすらに上っていくこととなった。傾斜のキツいところは両手をつかないととても登れそうになかった。足を滑らせれば奈落に真っ逆さまになりそうな、危険なところも通った。
険しい道を無言で進んだ。
出くわした魔物もファビオだけでは手が回らなくなったようで、俺とオルトも武器を抜いた。
オルトは魔法士養成科にいただけあって、魔法を得意にしていた。火・水・風・土の4属性の魔法を偏りなく使う。
俺の見てきた限りだが、魔法士は得意な属性と苦手な属性を持ってて、全ての属性を同じだけに使いこなす学生はそういなかった。だが卒業生だけあるからか、それともオルトだからか、俺には何が得意で、何が苦手な属性かなど見透かせなかった。
「お手を煩わせてしまい申し訳ありません、オルトヴィーン様」
「気にしないでくれ、ファビオ。ただ歩くだけでは退屈というものだよ」
「本当は暴れたいだけじゃねえの?」
「万一に備えて、ファビオを温存しておきたいだけさ」
「温存?」
ふっと含んだ笑みを浮かべるのみで、オルトはそのことを答えなかった。
エルフだけあって、まだまだ隠している実力があるってことか? それとも竜から逃げるために少しでも力を残しておくってだけか? どっちもありそうだし、両方って線もありそうだ。
「この洞窟の先に竜はいたはずです」
日が暮れて、夜になってから洞窟の入口らしい小さな岩の隙間に着いた。
俺はまだ体が小さいからそこまででないが、ここへ入るには大人なら屈んで窮屈な思いをしなくちゃならないだろう。まさかここをずっと這って進むんじゃあるまいなと不安を抱く。
「入口こそ狭いですが、少し進めば中には大空洞が広がっています」
「学院を思い出しそうだ」
「ずっと狭くないなら良かった……」
「レオンなら余裕だろう?」
「ひとりで行かせるつもりかよ?」
「ふふっ、それはそれかも知れないね」
「帰るぞ」
「止めはしないけれど帰り道が分かるかい?」
「…………」
「食事にしよう。眠り、明日の朝に竜と会おう」
オルトはそう言って、送信用の転信板を出した。
でも、けっこう歩いてきたはずだ。
「繋がるのか、それ?」
「ちょっとした小技を使えば、距離を伸ばせるんだ」
「小技?」
「内緒だよ、レオン。
この技が広がってしまうと大変なことになる」
まあでも、そうでなきゃ持ってくるはずもないか。
オルトが石板に文字を書いている。書いたそばから文字は滲むようにして消えていってしまう。そうして、受信の転信板に同じようにして浮かび上がる。
「竜に謝るってさ、ただ言葉でごめんなさいって言って済むのか?」
「落としどころがあるのなら、竜と相談させてもらうつもりだ。
酒を寄越せと言うのなら、酒を寄越す。生贄の人を寄越せと言うのなら、そうするほかない」
「その場で死んで詫びろとか言われたら?」
「……さて、どうしたものかね。交渉が決裂してしまいかねない」
「どうするか教えろよ……。何か不安になってくる」
「何か企みがあるとして、自分だけでどうにかするつもりのことを話すかい?」
「は? そりゃ、話す――だろ?」
「いや、キミのようなタイプは話さないだろうね」
言い争うのはやめておいた。
ファビオが今日も食事を用意している。これが最後の晩餐にならなきゃいい。
自分だけでできることをする時に、そのことを話すかどうか。
オルトの問いかけにぼんやり考える。話すと思う。いや、思うけど、そうしてきたか?
例えば3歳の時にベニータとボリスという人攫いに捕まった時。
クララを庇って逃げようとした。だが、クララに何か説明をしただろうか? 合図で火を出せとか言った気はしたが、どこにどうやれとかまでは考えてもいなかったし、お陰で無惨にライターほどの小さな火を消された気がする。
去年の剣闘大会でも、俺にオッズを偏らせるために活躍を見せろとマティアスに指示された4回戦で独断先行しようとした。連中がやっていたことをやり返して、降参をさせずになぶって、向こうから喧嘩を売らせようとした。だが俺に牙を剥いたのは想定していなかった、教官のモールだった。
ひとりでやろうとしたから、そういう目に遭った。ただ普通に倒すだけだったならモールもあの時は手を出しては来なかっただろう。
自分でできることをやろうとして、痛い目に遭ってきた。
じゃあオルトもそうなるのか? 目だけで見ると、オルトは転信板でずっとメッセージを送っている。
オルトは表面上はのほほんとしてるが、中身は過激だ。
それに俺も気づかない内に俺を懐柔してたり、扱いづらそうなファビオを心酔させて従えてもいる。そういう手腕を持っている。
陳腐でありふれた発想しか出てこない俺には想像も及ばない知識を有している。
竜を相手にしてそれが通じるんだろうか?
ファビオと違って、ソルヤは服従していれど思考放棄とも取れるほどオルトの言いなりになっているようには思えない。そのソルヤが念入りに、俺にオルトのことを頼んできた。あの重さは、これだったのか?
「レオン、キミの話を聞かせてくれ」
「ん? ああ……今?」
「そうさ、今だ。
キミがこの国の貴族の子弟が山ほど集まる、騎士魔導学院で見て、聞いて、感じたこと。
そしてキミがそれに対してどんなことをしてきたのか、教えてくれ」
馬車での移動中も振ってこなかった話。それを竜の目と鼻の先で話せとは。
最期にバカ笑いでもしてから死のうとでもいう腹づもりなのか。それともようやく、ここへ来て暇が生まれたということなのか。
「カルヴァスって知ってる?」
「ああ。レヴェルト領から南西、商業の盛んな大きな街を治める由緒正しき貴族だ」
「そこの長男のマティアスってのがいるんだけど、入学初日に喧嘩吹っかけてきてさ」
「ふふ、その姿が目に浮かぶようだよ」
ファビオが食事を用意している間に、入学からの出来事をひとつずつ語った。売られては買い叩く喧嘩の数々や、嫌がらせへの報復。それをオルトは目を細めて楽しげに聞いてくれる。
食事ができても、それを食べながら笑いながら食べた。何度かファビオは顔をしかめていたが、オルトが無邪気に腹を抱えて笑っていると何も言えないようだった。
またオルトも、学院にいた時の、まだ俺が聞いていない武勇伝を披露してくれた。痛快なやり口があったし、思わずひっでえやつだと噴き出してしまうエピソードもあった。
楽しい夜だった。
だが、まだ話半分というところで、ファビオが明日に差し支えるとオルトに進言して語らいは終わった。
夜が明けたら、竜に会いにいく。




