真ん中に心で
「学院とやらはどうした? 海が恋しくて辞めたか?」
「んなわけねーだろ……。ちょっと用事があって抜けてきただけ。
で、時間ができたからじーじに顔を見せてやろうと思ったんだよ」
久しぶりにじいさんに叩き起こされ、朝の漁にも連れ出された。
それが済んでからメシを食べながらようやく、このじいさんは何しに来たみたいなことを言い出してきた。表面上は何でもねえとばかりだが、これは寂しがってやがったな。かわいいじいさんめ。
「また傷を増やしてるのか……」
「ん? まあ……それなりに、色々とな」
海に来たから、これまた久しぶりに半パン上裸という海の男スタイルになったが、そうなると体に刻まれている古傷がちらほら目につく。潮風をたっぷり浴びれる上裸だから余計だ。
「手紙読めた?」
「読めんわ、あんな長ったらしいもん」
「ひっでえ、時間作って書いたのに」
「だったらもっとマメに帰れ」
「ここまでくんのに、どんだけかかったと思ってんだよ」
このじいさんはディオニスメリアの地理ってもんを知らねえのか。
……知ってる範囲でしか知らなさそうか。じいさんだもんな、うん。
「あの獣人の娘っ子には会うてやったか?」
「ノーマン・ポートは素通り」
「そうか」
「早くじーじの顔見たくってさー」
「やかましいわ」
からかってやると顔を逸らされる。素直になれよ、じいさん。
なんて思いながらメシを食い終わると、おもむろにじいさんは銛――俺がここを出ていった時に交換した、かつて俺が愛用してた木製のものだ――を持って腰を上げた。
「さっさと食え、やるぞ」
「年なんだから交換な」
口にメシを詰め込んでから、銛を交換した。久しぶりに持つと、やけに軽い。じいさんも、俺がちゃんと持ってきた銛を振るとしっくりきたのか、ぶんぶんとちょっと派手に振り回し出した。
「前の俺とは思わないことだな、じーじ」
「何を言うとる……。前は手加減してやったんだ」
互いに銛を構えて、穂先をぶつけ合った。
「ああそうです、かっ!」
砂を蹴る。銛同士をぶつけ合う小手調べ。
じいさんの攻撃はやっぱり鋭い。学院の上級生と同じくらいには危ない。学院のレベルが高いのか、じいさんが異常なのか。でも、対応できる。
「じーじ、その程度っ!?」
「抜かせぃっ!」
足元へじいさんが銛を繰り出してきた。後ろへ下がるが、砂の下へ穂先が潜って激しく砂をかけてくる。砂かけという言葉では生易しい、面となって襲いかかる攻撃だ。しかも、目に入った――!
すかさず魔偽皮を使う。
頭狙いの横から来た一撃をどうにかやり過ごし、目をこすって開けると、すでに銛が投擲されていた。それを横から叩いて弾き、短く木製銛を持ちながらじいさんの懐へ潜り込む。
「おらぁっ!」
「ふんぬぅっ!」
俺が振るった銛をじいさんは上げた膝で受けた。
ビクともせずに、じいさんが俺の銛を掴んで盛り上げ、叩き落としてくる。達磨のように後ろへ転がって起き上がると、このアクティブなじいさんは徒手空拳で仕掛けてきた。俺も銛を手放して対応しようとしたら、それを拾って振ってくる。
「汚いぞ、じーじ!」
「汚いも何も、あるかぁっ!」
じいさんの突きで胸を打たれて吹っ飛ぶ。起き上がりかけた鼻先に銛を突きつけられた。
「ワシに勝とうとは10年早いわい」
「……おみそれしました」
平伏すると、快活にじいさんは笑った。
にしても、前よりこのじいさん強くなっちゃってねえ? 気のせい?
じいさんと義理の孫とのほほえましい――と思っておく――触れ合いが終わったところで、ノーマン・ポートへ行ってくると告げた。ついでにおつかいを頼まれた。魚を売っぱらってからの買い物。
昔と何も変わっていないかのような気楽さでノーマン・ポートへ向かった。
「おお、レオン? 帰ってきてたのか?」
「ちょっとだけな。これ買い取って」
「スタンフィールド……だっけか? 遠いんだろう? どんなとこだ」
漁港のあんちゃんA――ことバットも大して変わったように見えない。まあ、子どもの数年と大人の数年じゃあ、見た目の変化なんてそうそうないだろう。
相変わらず隙あらばぼったくろうとするバットに釘を刺しつつ――これがほんとの釘バッ……やめておこう――銅貨51枚を手に入れると、クララを探して歩き回ってみた。ちょっとした顔見知りにも出くわしたりして、世間話にも興じたりしてみた。
前はぶらぶらしてると、向こうから見つけてくれたが……さすがに、都合良くは出くわさないか。クララの家に直接行こうかとも考えたが、それでもふらせろなんて言うのは正しく変態になってしまうだろう。獣人族の感覚的に。
クララはきっと小さくてそういう行為と知らなかったんだろうが、そろそろ、そういうのを暗黙の内に分かってきているかも知れない。俺にはそういう下心は一切ないのにたまったもんじゃない。いや、でも俺も知らないふりをしていれば……? いやいやいやいや、さすがにゲスいな、それは。
どうしたもんかと考えながら、いつか、道行く人に本を読んでもらおうといつも待機していた噴水に座る。
クララに会ったらもふりたい。ロビンの尻尾もいいが、クララのはまた別の良さがある。何と言っても、あの毛のボリューム。最高にふわもこだ。これ何て柔軟剤、ってくらいにほわほわだ。ふわふわタイムを満喫できる。だが、変態と思われてしまうのもむなしい。親戚のちっちゃい子に嫌われるのと同じくらいのショックを受けそうだ。
いっそのこと会わずにおけば、このもふもふ欲求を沈静化できるのか。
会ってもふれないんじゃあ生殺しだ。獣人族連続痴漢事件なんてもんを起こしちゃって、スタンフィールドに伝わったら十中八九、俺のせいだろうと疑われる。何で世の中はこれほどもふもふに無関心なんだ。俺がおかしいわけじゃない。頭のおかしいやつは、自分が正常だとか思い込んでるらしいけど、そういうのを差し引いたって俺は異常じゃない。うん。
「やっぱり、会うか……? でもなあ……いや……うーん……」
悩んでも答えが出ない。
とりあえず日が暮れるまで待って、それでもクララと出会えなければ今日のところは退散しよう。
そう決めた時、噴水広場に丸い耳と、丸いちょこんとした尻尾の――クマみたいな獣人の男の子が来た。ああいうのもいつかもふってみたい。あんまり今の俺と変わらないくらいの年だろうな、なんてぼけっと見てたらまるでその子と待ち合わせでもしていたかのように、キツネな尻尾を揺らす女の子が――クララが現れる。
タイミング良すぎるだろうとか思って腰を浮かせかけると、クララがクマな男の子の方へ走っていく。
クマな男の子も、クララに手を振る。
…………。
何だろう、この気持ち。
そりゃ、そうだよな。
クララにだって友達はいよう。
ちょっと引っ込み思案で大人しい女の子だけど、まあ、うん。ぼっちなはずもない。
男の子の友達がいて何がおかしい。むしろ、それが自然だろう。良いことだ、友達がいるっていうのは。
なのに。
ほんとに、何この気持ち。
ものすごく、クララとクマな男の子を見てると胸がざわつく。
何を親しげに手なんか繋いどる。何を楽しそうにお喋りしてやがる。
何を俺はまるで嫉妬してるみたいに眺めてる。
嫉妬? これが嫉妬か? まるで、じゃなくて、まさしく、嫉妬中? ジェラシーファイアーめらめらってのがこの気持ちなのか? いや違う、そういうんじゃない。違うんだ、もっとこう、そういう下心じゃないんだ。むしろ真心だ。下に心があって恋なら、真ん中に心で愛なんだ。でも性愛じゃないんだ。
これは――そう、親愛。親心だ。
うちの娘をやれるか、とついつい娘の幸せを考えながらも反対しちゃうような親心なんだ。
ミシェーラ姉ちゃんにもしかして気があるんじゃないかとかマティアスを疑った時にむくりと鎌首をもたげたのと、ほぼほぼ同じような気持ちなんだ。
でも悲しいかな、俺にはクララがどんな友達を作ろうが反対する権利なんかない。
楽しそうに笑っているんなら、それでいいじゃないか。俺は本人が良いと思っているのなら、よほどじゃなければ容認する理解のあるタイプなんだ。だから、さよならバイバイ、俺の――
「レオンハルト?」
「え? うっ、おおおおおおっ!? ビビったぁ、近いって!」
呼ばれたかと思って顔をあげたら、目の前にクララの顔があった。危うく噴水の水の中へ落ちそうになるかと思うくらい仰け反ってしまう。
「レオンハルトっ!」
「あ、ちょっ、クララっ……待て待て、後ろがっ――」
ちょっとだけバランスを崩してたのに、クララが抱きついてくる。ぐらりと体が――いや、これ、うん。
噴水に落ちた。
水浸しになりながら水面から顔を出す。濡れてくしゃくしゃになりつつ、クララの尻尾がぱしゃぱしゃと揺れていた。
「久しぶり……クララ」
とりあえず、尻尾が乾くまではもふれないな。