マティアスの戦い
「回復魔法まで扱えるなんて……ロビンは、本当に、良い魔法士になれる」
「そう、かな……?」
本来、回復魔法を何度も重ねがけするのは身体に良くないことと言う。
治癒力の促進効果が高まりすぎて、逆に体を蝕む危険性があるとのことだ。しかし状況が状況だから、ロビンには頼み込んで、この2日で10度以上もかけてもらった。
お陰で起き上がり、歩く程度ならどうにかできるほどにはなった。
「レオンの命が無事だったのは喜ばしいが――まさか、モールを始めとした教官まで複数人が関与していたとはな」
「うん……レオンも、すごく弱ってたし、傷も深かった。
朝になって起きたら元気みたいには見えたけど……試合をやったら、多分、もう……」
もうじき、レオンの5回戦の試合が始まる。
あいつは強い。優勝も狙えるのではないかと思えるほどに。だが――それはまたの機会、となってしまうだろう。
「ロビン、レオンに渡す魔石の準備はできたか?」
「うん。アクアスフィアと、スレッドコールと、ラウドスピーカー。
でも……うまく、いくのかな? もしも失敗しちゃったら……僕達って……」
「そうなったら僕が責任を持って、別の魔導学校を紹介する。
もしも王宮魔法士を目指すのなら、まずは我がカノヴァス家の魔法士からステップアップするといい」
「マティアスくん……」
「これは、正さねばならないことなんだ。小事の不安に怯えるよりも大事を見据えるべきだ」
ベッドから足を降ろす。痛みはするが動けぬほどではない。
縛りつけられた救護室に、もう用はない。僕は先に抜けて次の行動へ移らねばならない。
ロビンに頼んでおいたものも受け取った。レオンにも持たせた2種類の魔法を込めた魔石は宝石袋にちゃんと入っている。
「ロビン、今度こそしくじらない。だからキミも、キミの役目を果たしてくれ」
「……うん。じゃあ、行くね」
ロビンは食堂へ向かった。そこでレオンに魔石を渡して、僕の計画を伝える。
救護室を平然と横切っていく。僕に視線を寄越すのは敵じゃない。ましてベッドへ戻そうとするここの働き手でもない。
学院高層の男子貴族専用寮オーロルーチェ。
その秘密の空間へは階段脇の壁を2度、2度、4度で叩く。
隠された扉の向こうで錠前が開けられて、僕は開いた隙間へ入学時に父上からもらった青光の剣を刺し込む。
「あっがぁっ……!?」
「邪魔をさせてもらいましょう、先輩方」
その空間の壁には赤い布が貼られている。用意されている調度品はいずれも最高級品。手を引っ込めるのが遅れた哀れな先輩に剣を向け、腰を浮かせかけていた先輩方を睨み回した。
動けば斬る。
手負いの僕でも、不意打ちで利き手を深く斬られてうずくまる先輩ひとりの首へ一突き見舞う程度はできる。
「お前っ……!?」
「僕も賭けに参加させてもらおうと思いまして。
第2ブロックでこれから行われる、101番対321番の試合に……金貨はかさばるので、こいつを賭けようかと。金貨200枚程度の価値はあるでしょう」
懐から出した袋を投げた。
口を緩めておいたから、床へ宝石がいくつか転がる。
「賭けだあ? ……ああ、歓迎しよう、カノヴァス。
だが、そいつは全部ドブに捨てるようなもんだ。321番は来ないんだからな」
奥のソファーへ腰掛けていたのは6年のエンニオ・ダクルーズ。商人から成り上がったダクルーズ家の次男だったか。ゆったりと立ち上がり、僕が放った宝石をひとつずつ拾い上げては光に透かせたり、握って本物かどうかを確かめている。
彼のすぐ近くにはロビンを脅したファモーズと、僕を見事にのしてくださったギローがいる。
「言質は取りました。
321番は来ないで、101番が不戦勝となる、と。
では、一緒に観戦しましょうか。約束を違えれば仕方がありませんから、出るところを出ましょう」
「出るところ? どこへ出るんだよ、カノヴァス」
「あなた方にとっては、地獄なのでしょう。
ああそれと、僕はここに立ったままでけっこうです。
若輩の身ですから先輩方はどうぞ、ごゆるりと座ったままリラックスをしていてください」
あとは、レオンが勝利するだけでいい。
持ち込まれている転信板に次から次へと報告が浮かび上がる。失格まで、あと5分の報告。321番の――レオンの勝利に賭けた学生の方が多いとも。この空間にいる者は、僕とただひとりを除いて、全員がにやついている。笑えていないのは必死に手の痛みに堪えて、僕に命を握られている哀れな先輩だけだ。
「あん? おい、どういうことだっ!?」
あと2分というところで、その報告が転信板に浮かび上がった。
『321番がきた』
簡潔な知らせだ。
これで良い。よもやと思わなかったわけではないが、ほっとする。
『試合開始』
『101番優勢』
『321番反撃』
『互角』
・
・
・
転信板に浮かぶ文字に、先輩方は一喜一憂だ。
だが、空気が変わってきている。101番が負けるんじゃないか――そう、思い始めている。
『321番ダウン』
レオン、頼むぞ。
『321番魔法』
キミがいなければ、僕はここでニヤついて嗤っていたひとりだったんだ。
『アクアスフィアで101番拘束』
今から思い返せばゾッとする。
これほど醜悪な、見るに耐えない連中と同じだったとは忸怩たる思いだ。
『321番起き上がれず』
だがキミがあの日に僕からプライドを奪った。
惨めな、弱者の想いを味合わせた。だから、これまでの僕をかなぐり捨てたんだ。
キミが僕を変えてしまったのだから、最後まで、キミは僕を信じさせろ。
『321番立つ』
『321番――』
文字が、乱れた。
ぐしゃぐしゃに書きなぐられた意味のない線。そして――
『101番場外』
「どうなってるっ!? 何でこうなる!?」
「何でこうなるとは、どういう意味ですか? ダクルーズ先輩」
いきり立った彼に喋りかける。
彼はもうすでに、宝石と混ぜておいた魔石を確かめるため握っていた。綺麗にカットした、僕のお気に入りの品だ。魔石だとは思えない美しさだろう。凡百の宝石と思って、油断してあなたはすでに魔石を発動させているんだ。
「耳に入れた噂なんですが――モール教官が、レオンハルトを殺しにかかったとか」
「はかりやがったのか、てめえっ!?
一体、何をした、モール教官は、あいつを仕留めたって言ったんだ!」
愚か者め。
うろたえて僕を睨むのに必死すぎて、転信板へ目が向いていないぞ。
『喋るな』
『喋るなダクルーズ』
『筒抜けになってる』
『ダクルーズの口を塞げ!!』
「ダクルーズ先輩、楽しかったですか?
賭博を運営しておきながら、影で真摯に望む選手に八百長を持ちかけたのは。
このオーロルーチェの隠し部屋で、秘密の悪企みをしている気分はいかがでした?
手の平の上で、ころころと番狂わせを起こしていくのは快感だったのでしょうか?」
「黙れ、カノヴァス!」
「ロビン・コルトー。
イレーヌ・ヒンメル。
アントニーノ・パッシ。
エルンスト・ヒルトゥネン。
ヴィルヨ・イソラ。
ラミ・リューミーネンス。
彼ら、彼女らは、友人を、在学中の家族を盾に、あなた達に八百長をしろと迫られた」
救護室で話をして、協力を漕ぎ着けた味方の――そして八百長を強要されて被害者の名を告げる。この場にいる僕以外の全てが、顔をアネモネのように赤く染め上げる。もっとも、花ほど綺麗な顔ではない。そこへ止まるのは薄汚いベンジョバエが似合いだろう。
「黙れ、カノヴァス、こっちにはバックがついてるんだ!
この学院にいる限り、お前が何を暴こうが変わることはないんだよっ!」
「ああ、教官達ですか。
ところで、試合の様子を伝えてくれるお仲間を気にかけたらどうですか?」
「はあっ――?」
振り返ったダグルーズ先輩が転信板を見て固まる。
もうしばらく前から、必死に書き手の方は指示を出していたが、生憎と見られていないのでは意味がない。まあ僕があまりにもこいつらとは顔の作りが違って美麗だから、男とて釘付けになるのは仕方がないだろう。
『逃げろ』
『モース逃げた』
『筒抜け黙れ』
『学院中 証拠の声 広がってる』
次々と転信板に浮かぶ文字に先輩達は目が釘付けだ。
「頼みの綱の教官に泣きつかれてはいかがでしょう?
彼らはもう何年も、何十年も、剣闘大会の度にこうして小遣い稼ぎをしてきたんでしょうから」
「カノヴァァアアアアス!!」
「っ――!?」
ダグルーズが腰の剣を抜きながら迫ってくる。
とっさに青光の剣を向けてしまってから、一番近くの危険因子の鎖を外した失態に気づいた。風の魔法が僕を吹き飛ばして背中に衝撃。反動で倒れかけたところへダグルーズが剣を腰溜めに構えながら体当たりしてくる。
反撃が――できない。
全身がバラバラになるかのような痛みと衝撃で、動けない。剣が迫る。貫かれ――
「悪事はそこまでだ!」
ギャリィィ、と金属音が鳴ってダグルーズの剣が宙を舞った。
エジット教官が剣を振るうとダグルーズが秘密の空間に吹き飛ばされる。
「っ……ぅ……え、じっ……きょう……か――」
「カノヴァス、そこで休んでいろ。そしてよくやった。あとは、我々に任せろ」
抵抗は虚しく、そこにいた先輩は全てエジット教官に叩きのめされた。
ほんの数十秒という短い時間で、動けぬほどに痛めつけてしまっていた。
『たすけて』
『たすけてどこにいけばいい』
『つかまる』
『退学になる』
『だから嫌だった』
転信板に助けてと次々と文字が浮かび上がっていたが、それは不意に途絶えた。
あとは、レオンとロビンだ。
あの2人がうまくやってくれれば終わりにできる。
それまではまだ、悠長に寝ているわけにはいかないんだ。




