譲れぬ想い
今から思い起こせば、もう大昔だ。
初めて俺が見た魔法はミシェーラ姉ちゃんがやっていた、火の玉のお手玉だ。
どっからどう見ても魔法だろうなと興味津々に眺めていたのに気を良くしたのか、張り切ってミシェーラ姉ちゃんは飽きもせずにずっと披露してくれた。
それから数年して、オレは魔法が使えないんだと発覚した。
絶望的にその才能がなくて、小指の先ほどの小さな火を0.2秒くらい出すのが精一杯で枕を濡らして眠った覚えがある。
学院に入って、フォーシェ先生と出会って研究につきあわせられた。
それで曲がりなりに、火の魔法を使えるようになったが、どうにも安定して発動させることはできなかった。
全ては俺が魔力欠乏症で、魔力変換器不全で、貧弱な魔力放出弁だったから。
せめて、どれかひとつならまだどうにかできたのかも知れないが、およそ魔法に関わる才能というか、身体的機能というか、そういう部分が壊滅的でどうにもなりゃあしなかった。火を自分で起こす時は摩擦で、水を飲みたきゃ誰かに溜めといてもらうか、自分で蒸留水を作ってやるしかない。暑くても手でぱたぱた顔を仰いで涼を取るしかできない。
文明の利器はなく、代わりに魔法があるこの世界じゃあ、俺は手足をもがれているような不便さを味わうほかなかった。
だが、今は――。
「そんな、欠陥だらけの身で……こんな世界に順応しているなんて、正気の沙汰じゃないとしか言えません……」
「何遍も言わせんじゃねえ。俺は好きなんだよ」
よろめきながらナターシャが起き上がる。
魔法に頼って、加護を制御して、身体能力は魔技で底上げして。
頭を使って武装したナターシャは、俺の前では素っ裸に剥かれたも同然だった。
「ですが、何百年という膨大な時を費やして……ようやくあと少しで、帰還する準備が整い始めたところです……。昨日今日、こんな世界へ迷い込んだあなたなどに、はばまれる筋合いはありません」
その努力は買ってやってもいい。
方法を選んでいれば、協力してやることもできたかも知れない。が、もうダメだ。
「てめえは傲慢になりすぎたんだよ。てめえさえ良けりゃあいいってか? そこかしこで誰彼構わず巻き込んで傷つけて、何がはばまれる筋合いはねえ、だ」
「しょせん、こんなところはまやかしも同然の、偽物でしょう……。それがどうなろうが――」
「それを傲慢だっつってんだ。汗水垂らして生きてんだよ。作物の不作豊作に一喜一憂してる。惚れた腫れたで騒がしくしてる。親兄弟亡くそうが懸命に働くやつがいる。てめえが目え逸らしてるだけで、よく知ってるようなことがこの世界でも起きてるんだ」
見た目が違うやつはいる。
常識を疑うような文化がある。
それでも、人が営みを繰り広げている。
当然のように泣いて、笑って、怒って、愚痴る人が暮らしている。
それを偽物呼ばわりするのは見ようとしていないだけだ。目を背けているだけだ。
「どんだけてめえがこの世界で暮らしてきたかは知らねえよ。
俺より長いこといながら、そんなことも分かってねえなんてかわいそうでしょうがねえ」
「かわいそう? 哀れむと……? あなたのようなクズが、このわたしをかわいそう?」
「おうおう、よくクズだって分かったなあ? だが、てめえの方が俺よかクズなんだよ。どころか、ヒスも同然じゃねえか」
いくら罵ったところで、何かが解決するものじゃない。
それでもこうして言葉を交わしているのは、やっぱりこいつが哀れだからだ。
「まあ、それも終わりだ。非文明的だの野蛮だの、んなこと考えねえで穏当にやってりゃあ、違う話をしたかったな」
ナターシャに近づく。
歯を食いしばりながら俺を睨み上げてくる。
「言い残すことは?」
「あなた程度の障害で、諦めるとでも?」
目の前に光が集束した。迷うことなく手を突っ込み、先ほどの要領で体内へ取り入れる。その間にナターシャが、転がっていたカルディアを掴み上げていた。カルディアが輝くと、ヒビ割れて砕け散り、その中にあった光がナターシャの中に入り込む。
「あなたさえ排除すればこの場はいい……!
計画が先延ばしになってでも、確実にここで葬り去るまでのことです!」
ナターシャが突っ込んできて、受け止める。魔鎧は素の身体能力を底上げするものだ。鍛えているようにはとても見えないナターシャでは、俺を圧倒するだけの力を発揮することはできない――はずなのに、押された。組み合った手を上から押し込まれ、膝をつくと振り回されて飛ばされる。よろめいてからナターシャはまた、足元に転がったカルディアを掴んで同じように取り込む。
「カルディアで、力を上げてるのか!?」
「カルディアとは高密度の魔力と生命力の塊! このエネルギーさえあれば、しょせんは命ひとつの人間など叩き潰せる!」
未来でナターシャを仕留めた時も、最期にカルディアを手にしようとしていた。これが切り札だったんだ。魔法を使うでも、加護を使うでもなく、カルディアで高めたエネルギーとやらで劇的に増大させた身体能力で叩き潰しにくるつもりだ。
「クソっ……!」
まずは獲物だ。アーバインの銛じゃあ不安がある。強度こそ命のニゲルコルヌを手に取りに走る。背後に何かがぶつかる。息を詰まらせる、骨を砕きにくるような重くて硬い衝撃――魔弾か。前のめりに転げながら壁にぶっ刺さっていたニゲルコルヌのところに辿り着き、それを引き抜く。魔纏をかけながらナターシャに向き合うが、リュカの足をやった溶解液が向かってきている。魔弾で散らすと、それは目くらましでナターシャが迫ってきていた。
「どうして理解できないっ!? 何故分からない!? あなたも郷愁はあるはずだ、だから食事を変えた! 歌を歌った! わたしは、ただ帰りたいだけなのに、邪魔をする言われがどこにあるっ!?」
「こっちが言い飽きるほど言ってんだろうが! お前のやり方が気に食わねえんだよっ!」
ニゲルコルヌを叩き落とすが、それを難なく片手でナターシャは受け止めた。柄を握られて引っ張られる。いつも俺が魔鎧でやってることだ。力任せの強引すぎる戦い方。ただそれだけで暴れ回ればどうにでもなる、抗えぬ圧倒的な力。振り回されて、床へ、天井へ、何度もバウンドさせられながら打ちつけられる。
「舐めんな――!」
どんだけ力で押したとしても、マティアスはそれを技で打ち破りにきた。
だったら俺にもできるはずだ。魔技を駆使したシモンだってあいつは倒した。
天井へ叩きつけられた時、片手でそこを捕まえた。握力と腕力で天井にひっつき、ニゲルコルヌを短く持って振り下ろす。だがそれさえ、ナターシャは無造作に掴んで止めてきた。体ごと使って回転し、ナターシャの腕を捻り上げにかかるがニゲルコルヌを握った手を緩められて空回りしてしまう。目が回ったところで、ニゲルコルヌごと床に叩きつけられた。仰向けにされたところで、腹を思いきり踏みつけられる。内臓が潰れたかと思う、強烈なスタンピング。いや、何かやられたかも知れない。食道から血が上ってきて、痛みに食いしばっていた口ではなく鼻から吹き出た。
「逆らうな、目障りなことをするな、消えてしまえ! 死んでしまえええええっ!」
甲高い声で叫びながらナターシャがまた足を上げる。
次は、やられる。だが目の前が霞む。腹は熱く、今まで感じたことのない気持ち悪さと苦痛が全身を支配する。
「アクアサーキュラー!」
踏み下ろされようとしたナターシャの足に、円盤状の水がぶつかった。ズダンと激しい音がして俺の横に踏み外される。
「やっぱり僕がいないとダメだな、レオン」
「お待たせ、レオン」
「いいタイミング……だぜ……」
血走っているだろうナターシャの目が、マティアスとロビンへ向けられた。




