あたしは弱くない
「お、王妃様、その……信じてくださいとしか、言えなくて……」
「っ……けれどキメラと思しき魔物が上陸してしまっている」
「それは……はい……」
マルタと出くわしたのはベリル島の原生林を突っ切って、ユーリエ島へ渡ってすぐのことだった。すでに向こうで戦いのものと思われる炎が上がっているのが見えている。
「けれど……イグニアスがあの魔物よりも、脅威となる存在が動き出そうとしている……と」
灯火神イグニアスの啓示は無視できない。ましてその神官のマルタが言うのでは。しかしレオンハルトによればキメラはとても大きく、強い魔物らしい。現在の残存戦力で討てるかどうかは未知数だが、あたしには自信がある。
「王妃様、後で処断は何なりと受けますから……!」
「そこまで言うのなら、分かった。それで、一体どこへ行けばいい?」
「封印されし虚無の人形が戒めを破る……と。すみません、わたしには、何なのか……」
「封印されし――まさか、シオンが?」
だとしたら宰相官邸に移る前のロビンの家だ。キメラの現在地とは正反対に位置している。もし、キメラに戦力を集中してしまってシオンが本当に封印を破って出てきてしまったら、大惨事になりかねない。
「分かった。すぐに向かう。あなたは安全なところに――」
「いえっ、わたしも同行させてください」
「けれど……いくら神官であってもあなたはまだ、小さい」
「でも神官です。きっと足手まといにはなりませんから、連れていってください。お願いします」
2つに分けて結んでいる髪の毛を揺らしながらマルタが頭を下げてきた。
「……危なくなったら逃げること。いい?」
「はいっ、ありがとうございます、王妃様」
そう言えばあんまり、王妃様だなんて呼ばれたことなかった。ちょっとと言うか、かなりむず痒いものがある。立場は理解しているつもりではあるが、甘い汁だけすすっていられればいいから、あまり敬われても嬉しさはない。
「……まあいいか」
「どうかされましたか?」
「何でもない。大急ぎで行くからしっかり捕まって」
「へっ? ――わっ、お、おおお、王妃様っ!? お、おそ、恐れ多いっ……!?」
マルタを抱っこするように抱えて、海に飛び込む。土魔法で形成したボードを浮かべて着地して、それを魔法で滑らせて旧コルト―ハウスに向かう。即席でやってみたけど、この水滑りは意外といいかも知れない。今度、レオンハルトにでも教えてあげよう。
シオンは地下室に閉じ込めてある。
ロビンが地下室の入口に施した閉錠魔法。家の内部にはあたしがかけた空間停滞の魔法。さらにはリュカが雷神の紋による封印までしている。ここを内部から抜け出すのは至難の業といえる。少なくとも、手引きする者をなくしてここから出てくることはできないはずだ。
だが、手引きする者さえいれば脱出をすることは不可能ではない。
「テレス・テアスロニカ――様?」
そこにひとりの、まだ少年と言えそうな年頃の男性がいた。
痩身の、旅人風の格好をしていれど抜けきらない雰囲気のある子だ。
マルタが首を傾げながら呼びかけ、彼が驚いたように振り返る。テレス・テアスロニカ。テアスロニカ王国の王子様だ。ボコロッタで前回開催された百国会議にもやって来たとは聞いているし、それ以上のこともレオンハルトからは聞かされた。確かマルタはその時にカスタルディ王に連れられていたから、この王子の顔を覚えていたのだろう。
「……そこに近づいてはいけない」
「ああ……すみません。しかし聞いてください。今、そこから何か物音がしたんです。何事かと思いまして。僕は魔法士の卵なんです。見たところ、何かを封印されているようですが、何かあったのかも知れません」
「そんなっ……じゃあ、もうすでに――王妃様?」
息を飲んだマルタを腕で制して後ろへ下げさせる。
「あなたは何のために、ここへ? テアスロニカの王子」
「そ、ソロンのことでエンセーラム王に――」
「だったらあらかじめ、何かしらの連絡を寄越すのが筋というもの。そんなものは聞いていない」
「申し訳ありません、どうやら連絡がうまくいかなかったようで」
「ごまかすのは必要ない」
王子は半歩たじろぐように下がった。
レオンハルトがナターシャの協力者として挙げていた者の中にテレス・テアスロニカという名はあった。ウクソラス王国の姫を手に入れるため、秘密裏にナターシャへ協力をし続けていたのだと。
「王妃様……?」
「あなたはナターシャの仲間だと知っている」
ナターシャの名を出した時に王子はわずかに動揺を見せた。隠し、押し殺そうとした。それは巧妙だったが僅かに瞳が揺れ動いていた。成人前後ほどの年齢にしては上手なものだが、そう大したことはない。
「な、何ですかいきなり……?」
「とぼけてもムダ。あたしが来なければこの封印からシオンを解き放って、こっそりと行方を暗ませていたに違いない。けれど思いがけず、あたしとマルタが来てしまったから、封印に何かがあったと騙って、確認のために解除させようとした」
ナターシャとの繋がりを知らなければ、あるいは騙されていたかも知れない。協力者のふりをして足を引っ張る。効率的で、悪質な手口だ。信頼を築けばこそ、それに騙されやすくなる。
王子は黙したが、もう取り繕うつもりはなくなったようだった。先端に大きな宝石のついたワンドを抜いて構えた。魔法士の卵、というのも恐らくは嘘だろう。ワンドを構えてあたしを射抜いた視線は緊張が入り交じれども、自信のないぺーぺー魔法士のものではない。
「バレてしまったのなら、口封じをさせてもらわなくてはなりません……」
「あなたが、あたしを?」
「ええ、そうですが」
「それはムリというもの。格の違いというものを味わうのみで終わる」
「やってみなくては分からないことです!」
ワンドを一振りすると強風が吹き荒れた。吹き飛ばされかけたマルタの手をつかんで引き留め、足で地面を踏み鳴らす。王子の足元から無数の土の槍が突き出される。死なないように急所は外すつもりだった。だが、地面から迫り出た瞬間にそれが砕かれて土塊となって飛び散る。――ナターシャと同種のバリア。何の魔法でやっているかも分からないが、相当に強力なものというのはハッキリしている。
「フレアウイング!」
「スプレッドコフィン」
続いて放たれたのは翼を持った炎の塊。鳥のように飛翔して対象を焼くというものだ。それを一匹ずつ、輝く棺の中に閉じ込め、炸裂をさせる。断続的に爆発音が響いて粉塵が舞い上がる。
「バインドチェーン」
大地の数箇所から鎖が伸びる。いまだもうもうと舞い上がっている粉塵の中へ突っ込んでいき、王子を引きずり出してきた。ワンドを振り上げようとした手首にさらに鎖が絡まり、締め上げて取りこぼさせる。さらに2本の鎖が追いつき、四肢を拘束をした。
「ぐっ……!」
「王妃様……すごい……こんな、あっという間に……」
「ここへあなたが来たという痕跡は残さないようにしているだろうから、このまま始末をしてしまっても闇に葬ってしまえる。けれどそうするにはまだ哀れみを抱いてしまうほどの年だから、然るべきように後で処断は下すことにする」
とにかく、間に合えた。
本当にマルタがいなかったら、今ごろこの封印が――
「遅いですよ……」
突如として雷鳴とともに激しい光が炸裂した。リュカの施していた、雷神の力による封印が破られる。建物が内側から崩れさって壊れ、両手に剣を持った人影がゆらりと姿を現す。あたしが到着するより早く、王子が封印に手を出していた――?
「そう……。だったら仕方がない。何にせよ、間に合わなかった事実は変わらない」
シオンが瓦礫の中に姿を見せる。
赤い瞳を光らせて出てきたシオンは両手に、リュカとマティアスの剣を持っていた。
「あなたは、殺害対象です」
「やれるのならば、やってみればいい」
言い返した瞬間にシオンが地を蹴った。身を引いた、その眼前で刃が横に振り切られていた。踏み込んでくる。その地面を局所的に陥落させて姿勢を崩させ、押し固めた土塊をシオンにぶつける。全身7箇所に土塊を受けてシオンが吹き飛ばされた。
「あたしは弱くない。その上で挑んできなさい」
剣士としての技量は認めるが、シオンはそれのみに特化をしている。魔法士のあたしを下すのは、彼にとっては難しすぎること。負ける道理はこちらにない。