ミシェーラの戦い
「しゃべって」
「…………」
「ねえイザーク、しゃべって」
そう言えば昔、ロージャも同じようなことを言ってイザークを困らせていたような気がする。フィリアが学校にサフィラスを連れていっちゃって、ディーはつまらなくなってイザークにくっついて家までやって来たらしい。髪色はエノラと同じだけれどやっぱり親子みたいで、ディーは小さいころのレオンにもよく似た顔をしているように見える。
ねえねえ、と服を引っ張られながらイザークは今日も我が家のお庭を手入れしてくれている。数日前から、また花壇を拡張しているみたいで裏庭をたがやしている最中だ。料理人としてクラシアの屋敷に雇われたのに気がついたらお庭仕事や、屋敷の修繕まで手広くやってくれていたイザーク。実はああやって土をいじっているのが好きで趣味にしているんじゃないか、なんてマノンと笑い合ったこともある。
「ディー、イザークは喋らないのが美徳だからそっとしておいてあげたら?」
「びとくってなに?」
声をかけたらディーがこっちを振り返って、パタパタと走ってくる。
「うーん、ディーにはちょっと難しいかも知れないけど……美徳っていうのは、そうするのが良いことっていう感じかな」
「どうして?」
「どうしてって言われると、ちょっと困っちゃうけど」
どうして、何で、攻めはちょっと困らせられることが多い。
またディーはイザークの方に走っていって、途中で転んで、泣きかけたところでイザークに立ち上がらせられて、頭を撫でられて泣かずに済んだ。昔はイザーク若かったけど、今はすっかり……言っちゃ悪いかも知れないけどおじいさん手前だ。だけど変わっていないなー、なんて思う。寡黙というか無口で、でもお茶目さんで、やさしくて何でもできる。喋らないところがミステリアスで、ある種、魅力をかきたてているのかも知れない。
もうクラシアの屋敷からは解雇されて、レオンに雇用をされてるからわたしとは関係がなくなったはずなのにこうしてやって来るし。それとも王宮の庭じゃ飽き足らずに、園芸用の土地を求めてきてるとか? そう言えばあっちのお庭は立派だけど、こっちは立派さよりも色んなお花を植えたりしてて華やかさがあるような気がする。タイプの違うお庭を作ってるのかな。
しばらくイザークと、イザークのお手伝いを始めたディーを眺めていた。
不意にクラウスが泣き出して、一緒にラルフも泣き出しちゃって、泣き声に呼ばれるままお世話に向かう。お乳をあげるとすっかり目が覚めてしまったみたいで、テラスまで連れていった。イザークが作った木の玩具をあげると、それをしゃぶったり、持ったまま振ってみたり、好きずきに遊び始める。ディーがすぐに寄ってきて、クラウスとラルフを覗き込む。
「しっぽ……」
「あんまり触ると良くないんだって。だから、ちょっとだけだよ」
「うん」
まだ短いラルフの尻尾をそっとディーが突つく。尻尾を触られたラルフは驚いたような顔をして、動きがビクッと一瞬だけ止まる。それが面白いみたいで、ディーは夢中になってラルフの尻尾をさわさわする。ほほえましい。
ドン、とどこからか音がしたのはその時だった。
地面が揺らいだのを感じる。園芸用スコップを片手にイザークが立ち上がり、四方の空を仰ぎ見る。
「いまの、なに?」
「何の音だろうね……。地震とも違う感じだけど……」
イザークが水魔法で手を洗いながら引き返してきて、スコップを置いた。それから外していた剣を腰に佩いてヒップポケットから手袋をはめる。
「イザーク?」
「…………」
「どこいくの?」
呼びかけに返事はないが、代わりにイザークはディーの頭をぽんぽんと撫でた。そうしながらわたしに目配せし、小さく頷く。注いで目線がクラウスとラルフ、最後にディーへ向けられる。
「気をつけてね?」
こくりと頷いてからイザークが走っていく。
「あ、イザークまって!」
「ディーはこっちおいで!」
「えっ? なんで?」
イザークを追いかけて走っていこうとしたディーを呼び止めた。近くまで行って手を取って、テラスに戻る。
「いいから、ディーはここにいてね。何かあったら、クラウスとラルフのこと守ってあげて」
今日はマティアスも、レオンも、リアンも、ロビンも、リュカも、全員で出かけている。昨夜、ガシュフォースを込めてほしいとマティアスに魔石を差し出されたことも記憶に新しい。5人で揃ってどこかへ出かけるのが気まぐれのはずがない。
蚊帳の外に置かれていたって、何かと、誰かと戦っているというのは分かる。
クラウスが産まれた日のことも、そう簡単に忘れられる出来事じゃない。また、何かがこの国に訪れているのかも知れない。
今わたしにできるのは子ども達をここで守ってあげること。
誰かいれば頼んで駆けつけたい気持ちはあるけど、そう都合良く――
「ミシェーラ様、ディートハルト様〜! いらっしゃいますかぁ〜!?」
「マノンっ?」
いいタイミングだ。
屋敷を回り込んできてマノンがテラスの方へ顔を出した。
「はあ、良かった……。ディートハルト様がお昼をどうするのかと思って来てたら、イザークさんとすれ違って大急ぎで行けみたいなジェスチャーをされたので……」
「マノン、王宮は、いなくても今大丈夫?」
「は、はい。皆さん、いらっしゃいませんし……特別急ぐようなことは――」
「じゃあ、ここお願いね!」
「えっ? ど、どういうことですか?」
「ディーとクラウスとラルフのこと、お願いね。一応、防御結界は張っておくから、ここから離れないようにして」
戸惑うマノンにお願いをして、家の中へ入る。
玄関に飾っておいた短杖を手にする。近衛侍女を拝命した時、お父様からいただいた杖。やっぱり魔法を使う時は振り回すものがあった方が気分が良くなる。外へ出てから屋敷の周辺に防御結界を張る。
魔法を学んだのは身を立てるためじゃない。
いつか家庭を持った時に、家族をちゃんと守れるようになるためだった。それはきっと、今なんだ。
マティアスが、レオンが、今もどこかできっと戦っている。
だったらちゃんと帰ってきた時に迎えてあげられるように、わたしが家を、島を、守らなくちゃいけない。
走る度、スカートの裾が足にぶつかる。
風がぶつかってくる。空を見ながら、どこで何が起きているのかを探ろうとしたら、すぐに分かった。南東方面。ユーリエ学校の方だ。
遠い。
早く行きたいけど、水夫を見つけようにも連れていってもらうだけで危険が生じるかも知れないし――と思っていたら空をはばたく力強い音が聞こえた。レストはレオンと一緒にどこか行っているはずなのに。見上げると影がかかる。
銀色のワイバーン。確か、そう言えばマティアスに聞いたけどカスタルディっていう国の王子様がよく遊びに来てるとか、何とか。
「おーい!!」
手を振って、スレッドコールも使って上空に声を届ける。
空中でぐるりと体を回してワイバーンが滞空したかと思うと、すーっと空から降りてくる。その背に乗っているのは男の子。この子がカスタルディの王子様なのか。ディオニスメリアの王城に出入りしていたことはあるけれど、何だか雰囲気は王族というよりも戦士に近いものを感じる。
「どうした?」
「あっち、行こうとしてるんでしょ? 一緒に乗せていって」
「は? ……いや、ダメだ。女性を連れていくなんて――」
「お邪魔しまーす」
「勝手にウォークスに乗らないでくれ!」
「大丈夫、大丈夫。邪魔にはならないから安心して。ウォークスって言うんだね、よろしくね」
ワイバーン――ウォークスを撫でて声をかけると、翼が広げられた。




