マティアスの一日の長
もう20年ほども昔だろうか。初めてレオンと出会い、あっさりと打ち負かされた時の衝撃が、屈辱が、いまだに記憶を探れば蘇る。僕も当時は子どもだった。幼かったものだ。世界は僕を中心に動き、何でもできるものだと信じきっていた。
……無論、そんなことはなかった。
レオンは不思議な魔法を使う。
いつからかロビンはその魔法の正体を知ったようだが、やはり僕には言わなかった。片言節句に、レオンが使っている魔法は、魔技というものだと知った。魔法ではないが、魔法に限りなく近い魔法。リュカも使っている。
魔技。
これがあるせいで、穴空きにも関わらずレオンは屈指の戦士になりえている。
だが、それと同じものを――しかも先ほどの会話からすれば、レオンよりも多くの魔技を扱えると言う。事実、レオンは相手の猛攻を捌くのに必死になっている。それでも防ぎきれずにいるようだ。魔技というものの厄介なところは、目に見えないというところにある。
予備動作のようなものを見抜いて対処をすることはできても、相手が何を繰り出すかが分かっていなければ対処法を見出せない。
「どうしたのさ、そんなものなのかいレオン!?」
シモンが剣を横薙ぎに振るった。距離はあるが、その距離を詰めて攻撃をすることはできる。武器のリーチを伸ばすのはレオンも使う技だ。レオンがニゲルコルヌを縦に構えて受けようとしたが、シモンの剣が振り切られたにも関わらず、何も手応えのようなものがなかったようだ。素早くシモンが剣を切り返す――フェイントだ。
「う、おおっ!?」
背を反らしてレオンは後ろに跳んだ。すでにシモンは床を蹴り、追撃に出ている。再び前を向いたレオンにシモンが剣を突き出していく。顔面狙いの突きをレオンは首を振って回避にかかる。いつリーチが伸びるか分からず、そして先端部から目に見えない矢のようなものを放つ魔技もある。それを警戒したのだろう。シモンはレオンの頭がなくなったところへ鋭い突きを放ち、そこから斜め下に薙ぎ払いにかかる。それをすくい上げるようにレオンはニゲルコルヌで受けて跳ね返そうとしたが、何かにつまづくようにレオンはいきなり姿勢を崩す。
無防備になった首へ、シモンが剣を振り落としていく。左手で床に手を突いてレオンは体を支えるが、遅い。
「レオン!」
エアブラストを放ち、レオンとシモンを同時に風で煽った。2人の間で爆発的に生じた風に吹き飛ばされてシモンの剣はレオンに届かないで済む。
「マティアス、ここは俺に――」
「僕に任せろ、レオン。見ていられない」
「ああっ?」
「いいか、キミは魔技を使う相手への対処が全くなっていない。僕が手本を見せてやる」
剣闘大会で、序列戦で、ジョアバナーサの神前競武祭で、ずっとレオンとは戦ってきた。その度、レオンだけが使う特異な魔法――いや魔技に対処するためのイメージトレーニングをして、ルールの上での勝利はもぎ取ってきた。負けたこともありはしたが、それは些細な問題だ。
「手本ってな、お前」
「キミが無様に負けては、エンセーラム王国の沽券に関わる。露払い程度、僕で充分だ。どいていろ」
剣を握る。先ほど受けた傷は痛むが、動けないほどではない。この程度の負傷はどうということはない。
「何だ、結局交替しちゃうのか……。まあいいけれどね。魔技さえあれば、魔法士相手でも屈服させられる」
「やってみるといい。が、僕はレオンほどバカじゃないぞ」
「おいこら」
どこか不満そうにシモンが目を細めた。重心を移動している。前へ出る。ダン、とシモンが踏み込む。同時にファイアボールを放つ。正面から3つ、別々の軌道を描きながら飛んだ火球のひとつをシモンは剣で叩き潰し、左手から放った不可視の矢で2発目を破壊して見せる。3つ目はかいくぐられる。
この程度はレオンもできる。
想定の範囲内。むしろ、レオンなら躍起になって3つとも叩き落としにきていただろうな。
「アクアスフィア!」
今度はアクアスフィア。ファイアボールでシモンの移動ルートは絞っている。ゆえに捕えることは難しくない。出現した水がシモンを中心に球を形成していく。シモンがとっさに剣を振りかぶって一気に振り下ろした。その直線上から逃れるように跳んで転がる。今の攻撃で水球ができあがる前にシモンは破った。まだ僕のアクアスフィアは改善の余地があるか。
「そんな魔法でどうにかなるって言うのかい!?」
剣の切っ先が向けられ、さらに横っ飛びに避けた。僕のいたところへ次々と破壊痕が刻まれて、激しい音が断続的に響く。弧を描くように走る。易々と硬く塗り固められている床を破壊している。その威力は相当のものだろう。
「単調だな!」
「なめないで欲しいね!」
シモンが一度、足で床を踏み鳴らした。
ロックヴァイスを僕の足元から斜め前へ突き出すように発動すると、やはり床から例の目に見えぬ矢が射出された。岩棘がそれで破壊される。弾けた破片の中を一気に突っ切り、シモンに迫る。その目が見開かれた。
「はあああああっ!」
「ぐうっ!?」
金属音が鳴る。やはり魔技で増強されている身体能力は健在のようだ。しかし、レオンほどではない。鍛え方が足りない。押し切ることはできないがこちらが強く押し込めば、相手はねじ伏せようとしてさらに力を込めてくる。呼吸を読み、その瞬間を見計らって身を引く。
「なっ――」
「キミの弱点は魔技に頼りきっているという点だな」
斜め前へ身を滑り込ませながら、一気にシモンの胴を切り裂いてすれ違う。倒れ込みそうになったのを踏みとどまって、腰を捻りながらシモンは剣を振るってきた。だがその動作は大きく、洗練とはかけ離れた悪足掻きだ。稚拙とさえ言える。
それを払うのは、雑作もない。
無造作に剣を打ち降ろしてシモンの反撃を弾く。
弾かれた反動でシモンは左手の指を立てて振るってくるが、それはいきなりあらぬ方向へ吹き飛ばされて肘の下からもげた。レオンだ。余計なことをする――とは言わないでおこう。
「そっちだって、何でもかんでも魔法に頼ってるくせに、どうして僕が――!!」
必死の形相になる。
哀れな男だ。
シモンに何があったかはどうでもいい。穴空きとして、どれだけ惨めな日々を過ごしてきたのかも知るつもりはない。その鬱屈を理解しようとも思わない。
だが。
「そんなことは知らん。僕の前に立ちはだかったことを後悔しておけ」
「あああああああああああっ!!」
見開かれ、血走った目に僕の顔が映っている。
相変わらずの美青年だ。美の女神であるミシェーラを娶っただけはある、誰より美しい僕の顔。だが、いかんな。今のこの瞳は冷酷に見られそうだ。
振り下ろした剣がシモンの首を刎ね飛ばす。
骨に引っかかったが、粉砕しながら一気に斬った。
首を失った体はどうと横たわり、離れたところで頭が落ちる。
だくだくと流れ出る血がすぐに小さな赤い池となった。剣についた血を払い飛ばし、鞘へ納める。もし、この男が魔技だけに頼らずに自己鍛錬をしていたら、もっと手強かったのだろう。
「……お前、強いな?」
今さら、確認をするようにレオンが言ってきた。
「少なくともキミよりはな」
「あん?」
「キミが苦戦していた相手を、僕はスマートに下したんだ。当然の帰結だ」
「認めねえ、絶対に認めねえ」
「ふっ、負け惜しみか。まあ心の広い僕は聞いてやらないことはない。だが事実は変わらんぞ」
「事実じゃねえって言ってんだよ」
「ハハハ、好きに吼えるがいい、負け犬」
「こんにゃろう……」
この勝利はレオンと幾度となく本気で剣を交えてきたからこそのものだろう。
鼻を高くして王立騎士魔導学院に入学し、肥大していた自惚れによるプライドを粉々に砕かれたから、レオンに勝利することを渇望した。その経験値による賜物だ。
あのままレオンと出会わずにいたら、僕はこうならずにいたと思う。
これほど強くなることは叶わなかっただろうと確信している。
「なあ、レオン」
「何だよ、先へ行くぞ」
「キミが友で良かったと思う」
「あ?」
奥にあった扉へ歩き出していたレオンが、足を止めて僕を振り返る。
「今の僕があるのはキミのお陰だろう」
「何だよ、いきなり……? 気色悪いな」
「ふっ……そうだな、確かに気色悪い。だがレオン。そう思ったんだ」
「…………あっそ。まあ、俺もお前には多少は助けられてるからな」
「多少じゃないだろう、そこは」
「うるせえ。つかバカにしすぎなんだよ、お前は俺のことを」
「事実だ」
「いいや、事実じゃないね」
気を取り直して歩き出す。
レオンの背を叩くと、叩き返された。




