ロビンの決戦前夜
「おう、ロビン。おかえり」
「ただいま、レオン」
「リアンから聞いたけど、お疲れさん」
カスタルディ王国から帰ってきて一夜明け、ふらっとレオンが現れた。
日中、リアンはずっと仕事で国中をあっちこっちしたり、会議なんかに明け暮れていたりと忙しい。でもラルフにはおっぱいがいる。そこで昼間はミシェーラがクラウスくんと一緒にラルフの面倒も見てくれている。
その間、僕は家のことをしたり、魔法の研究をしたりとかなりのんびりした生活をしている。
生活のためにお金を稼いできているのはリアンという現状はあまり好ましくない。たまにレオンの――というか、このエンセーラム王国の用事で出かけることはあるけれど、それ以外ではさっぱり働いてもいない。男としてどうなんだろうかと思う。
「話の分かるやつだよなあ、ロベルタも……」
「あんな人を気軽に呼ぶレオンってすごいよね……」
「そうか?」
カスタルディ王国へ行き、どうにか交渉を済ませてきた。
幸いにもあらかじめリアンに指示されていた範囲内での譲歩で交渉は成立し、ワイバーン計6頭を借りられることになった。てっきりカスタルディ王国の偉い人との交渉になるかと思ったら、ロベルタ王本人が出てきてしまってしまった。
話は早かった。
とても早かった。
でもちょっと予想していなかったことに面食らってしまった。気疲れした。
「ま、とりあえず明日にゃあ決着だ……」
テラスの椅子へ腰掛けてレオンは足を組んだ。
「……ところで、レオン」
「ん?」
「何しにきたの?」
ただねぎらいに来ただけ、とはちょっと思えない。尋ねるとレオンはテーブルに乗せ、トントンと叩いていた指を止めた。少しだけ汗の匂いが濃くなる。
「ロビン」
「うん?」
「ナターシャはカルディアを使おうとしてる」
「……うん」
「でもってリュカの心臓は、カルディアになっちまった……そうだろ?」
「そうだね」
「戻せるか? 元に」
ハッキリとは答えられることじゃなかった。
まだまだカルディアについて分かっていることは少ない。
それに大抵のものごとにおいて、例えば簡単な工作を例に出してもそうだけれど、一度切ったりして継ぎ接ぎしたものを元に戻すという方法はない。一度でも木材を切ってしまえばノコギリを入れなかった状態に戻すことはできないし、一度、捌いた魚が息を吹き返すということもない。
「……まあ、そうだよな」
沈黙を汲み取ったレオンが気落ちした声を出す。
リュカの心臓は、抉り取られてカルディアになった。どうにか命は繋いであるものの、今の安定がいつ崩れるとも分からない。不死になったとしてもカルディアに何かがあれば……。
「答えは出せないよ、今の状態では……。可能性を探るという意味でも、分からないことが多すぎて」
「だよな……」
「ごめんね、レオン」
「いいんだけどさ……。ちょっとでも望みがあんならって思っただけ」
膝に手をつき、レオンは腰を上げる。
「魔法の学校の件だけど」
「あ、うん」
「フォーシェ先生が今年度いっぱいで騎士魔導学院を辞めて、こっち来るってさ。まだお前にちゃんと言ってなかったと思って」
「フォーシェ先生……くるの?」
「嫌かよ?」
「嫌じゃないけど、ほら……こう、必死さが滲み出る人だからさ?」
学院にいたころから、行き遅れを気にしていた。
失礼な予想だけどいまだに独り身なんじゃないかとも思っている。
エンセーラムにはまだ若くて未婚の人もたくさんいるだろうし、魔法を教えるという名目で若い子によだれを垂らすようなことになったらちょっと不安だ。この不安はレオンも分かってくれているのか、苦笑を隠さないでいた。
「まあ、うん……。でも心強いだろ? お前の先生でもあるんだし?」
「う、うーん……うん……」
フォーシェ先生は素晴らしい魔法士の先生ではあったけれど、ちょっと性格に難がありそうな気がする。普段はとってもいい人だけど――特定の事柄が絡んだりすると、とたんにすごく残念になるというか。
「とりあえず魔法の学校はお前とフォーシェ先生でしばらーく、うまいことやってってもらうことになっから。予算云々その他もろもろは、リアンと相談してくれ」
ぽんと肩を叩かれる。
頷くとレオンの手が僕の肩から落ち、ごくごく自然に尻尾へ伸びていく。それを途中で捕まえて、持ち上げておく。
「…………」
「…………」
言いたいことは、分かってくれてるだろうか。
分かった上でそれでも動いてしまうこの手がいけないんだろうか。
「レオン?」
「ちょびっとだけ――」
「めっ」
「ハイ」
レオンらしい。
けどいい加減にしてもらいたい気持ちもある。
「ミシェーラ、ありがとう」
「ううん、いいよ、これくらい」
ラルフをマティアスくんのお家まで迎えに来た。ラルフはクラウスくんと一緒になって日陰でよく眠っていた。奇しくも同じ日に生まれて、色んな事情から今のところはほぼ毎日、一緒に過ごして育っている2人だ。いつどこで何があるかは分からないけれど、子どもの内はこのまま仲良く育ってくれたらいいなとも思っている。
「クラウスがラルフの尻尾じいって見ててね、掴もうとしたんだけど掴めなくてって、何かかわいいことしてたよ」
「そっか……」
しばらくお喋りしているとラルフとクラウスくんが目を覚ました。
ラルフとクラウスくんは仰向けに寝そべったまま互いの顔をじっと見つめ合う。何か通じ合っているようなものがありそうな気もするけれど、ラルフが先に顔を逸らして、くりくりの目を動かす。
「ラルフ、帰ろう。クラウスくんとミシェーラに、ばいばいって」
ラルフを抱き上げて、小さな手を取ってそれをそっと振らせる。でも顔は明後日の方を見ていて気にもしていないようだ。
「クラウス、ラルフが帰っちゃうって」
ミシェーラも我が子を抱き上げたが、クラウスくんはかわいらしい欠伸をひとつするのみだった。
小さい子は見ているだけで何だか幸せになれてしまう。
僕もミシェーラも小さく笑いながらまた明日と言い合って、帰ることにした。
生活するために働いているのは、今はリアンだけ。本当は僕が働いてリアンがお家にいてラルフの面倒を見てくれるのが1番いいんだと思うけど、うまくいってない。けど魔法の学校を作るようになればちゃんと僕も半分無職みたいな状態から抜け出せる。
そうしたら――ラルフにちゃんと父親としての背中を見せられるようになるはず。
「おかえりなさい、ロビン。ラルフも」
「今日、早いね」
家へ帰るとリアンが先に帰ってきていた。すでに夕食の香りが漂ってきていてそれで気がついてはいたが、やっぱりリアンだった。玄関まで出迎えてくれ、ラルフを僕から受け取ってあやし始める。
「明日が明日ですし、早めに済ませてしまいました」
「そっか」
「ロビンも万端ですか?」
「……うん」
明日。
ナターシャを討ちに行く。
あまりそのことは意識せずに過ごしたつもりだった。放置することのできない相手であって、生かしておけば未来が危ういのだというのは分かっている。
今さら征伐に疑問はない。
だが、ふとよぎってしまう想像にためらってしまう。
もしも命を落としてしまったら、もうラルフの成長を見守ることができない。リアンが命を落としてしまったらちゃんとラルフを育てられるか。僕とリアンが、揃って死んでしまいでもしたら。こんな想像が働くのはこれまでになかったことだ。僕はラルフを、リアンを、この家族を守らなくちゃいけない。
戦って勝つしかない。
それはこれまでも、今も、変わらないことのはずなのに嫌な重圧を感じる。
「ロビン、どうかしました?」
「ううん……何でも」
守るべきものがあるというのは、弱みだろうか。
命のやり取りをする中で、自分の命を惜しんだら弱くなってしまうんだろうか。
まだその答えは分からない。
ただ、また死にかけるような目には遭いたくない。
ラルフが生まれた日のような、あの絶望感だけはごめんなのだ。