最後に笑えれば
「師匠ってさあ、どうして、こう……鍛えようとか思ったの? 強くなろう、みたいな」
「んー、何だろうな……」
改めて尋ねられると、ちょっと分からなくなる。
ミリアムがうるせーから稽古をつけてやった後のことだ。王宮裏の庭で軽くあしらってやり、寸止めで10回ほど叩きのめして終わりにしておいた。マノンが茶を淹れてきてくれ、庭にイザークがあつらえてくれたテーブルで飲んでいる。ちゃんと屋根もついているし、椅子も簡素ながら丈夫そうである。
冷たい飲み物がほしいと前に言ったことがあったからか、マノンが持ってきてくれた茶はアイスティーだった。何を抽出した茶なのかはちょっと分からないが、アイスティーには変わりない。冷たい茶なのだから。
「目的もなしに、普通そこまでなる?」
「いや……最初は、ただ魔法使いたかっただけなんだよな」
「魔法?」
「んでも、なーんかできなくて、その時は穴空きだとかってことも知らなかったからな。で、魔法が使えなくて、まあ……魔技とばったり出くわしたんだな」
魔法が使えないし、魔技でいいやと、字なんかを覚えるついでに読んでたんだよな。
そしたら忘れもしない、誘拐事件だ。魔手を一夜漬けでどうにかこうにか、かろうじて使えるようになって、それで逃げかけたけどダメで、危ういところをじいさんに助けられて。
「師匠ってさ」
「ん?」
「弱かったころあるの?」
「あるに決まってんだろ……。むしろ、けっこう多いぞ? ここぞで負けるんだよなあ……」
「ふうん……意外」
「ルールとかあるとムリ」
「それってどうなの、師匠? 野蛮人?」
「うるせっ」
快活にミリアムが笑った。小娘の分際で生意気な。
大体、場外で失格とか何を想定してるんだ、っつー話なのだ。戦いなんてのはどっちかが戦えなくなるまでやってこそだろう。勝つか負けるか、押し通すか諦めるか、意地をぶつけ合ってこそだ。それがつまんねえルールで負けになるって方がそもそもおかしい。別に殺すまでやれとまでは俺だって言わねえんだから。
「でも思うんだけど、師匠……」
「あん?」
汗のかいた焼きものの薄いコップでミリアムがアイスティーを飲んだ。それから、空になったそれを首に当てて涼を取る。ちょっと良さそうだな。
「師匠が穴空きじゃなかったら、どうなってたんだろうね。もしかしたら、普通に魔法士としての方が埋もれてたんじゃない?」
「ん?」
「だってただ簡単な魔法使うだけなら誰でもある程度できるよ? あ、穴空きじゃなかったらね? でも、ちゃんとした魔法士ってなると頭使わなきゃいけないでしょ、色々? そういうのって、なーんか師匠には向かなさそうっていうか……」
改めて言われると、確かにちょっと思えてくる。
魔法士ってのが何をどうやって意味不明なことをしてるかは分からないが、インテリな立場にいるのは分かる。本格的な魔法っていうのは学ぶものらしいのは確かだ。学者とかに近い立ち位置だろう。
だから騎士魔導学院では騎士養成科にも魔法を学ばせていたのだ。
多分、実用的という側面とともに、貴族ってやつの特別階級的な選民意識が働いて箔をつける手段にもなってたんだろう。魔法士ってのはそれくらいの存在なのだ。
そんなとこに穴空きのガキんちょを送り込んだオルトの腹黒さにまた何とも言えなくなるが。
「ま……そういうもんも全部ひっくるめて、結局これで良かったって思えりゃあいいよな」
「楽観的〜」
「それが秘訣だ」
「何の?」
「何でもだ」
茶を飲み干し、地面に置いておいたニゲルコルヌを持ち上げる。
「まっ、がんばれよ、小娘」
「小娘じゃありません〜」
背中にべーっとされたのが何となく分かった。
裏口から王宮に入り、ニゲルコルヌを自分の部屋にしまう。あんまり重すぎるもんで、ちょっと弱い壁なんかに立てかければぶっ壊してしまいかねないのだ。削りだしたブロック状の石を積み上げた、頑丈な壁に立てかけたニゲルコルヌを何となく見つめた。
思い返せば、こいつを手に入れてからもう10年くらいになる。けっこう無茶な使い方もしてきたと思うのに、少しも壊れそうな気配を見せない。穂先を見ても刃こぼれひとつ見当たらない。もともと、そこまで研磨されて鋭くなっていたわけではないし、切るという使い方をほとんどしてないせいかも知れない。手入れいらずでこれだけ保てるのはすごいもんだ。
が、柄に巻いているさらし布はもうけっこうボロい。面倒臭がって後回しにしまくっていたが、そろそろこいつは取り替えた方がいいかも知れない。
「おとうさん」
「んっ? どうした、ディー?」
一度は立てかけたニゲルコルヌを手にしたらディーが俺の部屋へ入ってきた。穂先に革のカバーをつけ、床に座ってニゲルコルヌの布を雑に剥ぎ取っていく。
「おねえちゃんが、サフィラスひとりじめする……」
「え? ああ……仕方ねえなあ、フィリアも」
この前の癇癪もサフィラスを一人占めしてかわいがるフィリアに怒ってやらかしたとは聞いている。さすがに王宮の一部をぶっ飛ばしちゃったのはディーにも思いがけないショックだったようで、目立って怒ろうとはしなくなった。だがその代わり、拗ねるというのを覚えてしまったようで口を尖らせて誰かのところへくるようになったようだ。
そしておもむろにディーは俺の膝の上に座ってくる。座椅子みたいにされて寄っかかられるが、全然重さは感じない。ぷにぷにほっぺを不満そうにぷくっと膨らませているのがかわいい。そっと指でつついてみたが、小さい手で指を掴んで止められた。じとっとした目を向けられるが、もう片手の指で首の後ろをくすぐってやると、身をよじりながらくすぐったそうに笑い出す。
「サフィラス返せってやらなかったのか?」
「うん、また……どーんってなっちゃうから……」
「そうか、偉いな、ディーは。偉いぞ〜、ほんっと、偉い。すげえ偉いぞ?」
「えへへ……」
ニゲルコルヌそっちのけで抱き締めながらくすぐったり撫でたりしまくると、ディーは身悶えしながらもまた笑う。フィリアはややわがままなところがあるが、ディーはけっこう大人しいし手がかからない。フィリアもかわいいんだけど、ディーも同じくらいにかわいくてたまらん。
単純かわいい。
素直かわいい。
いい子かわいい。
何かもうかわいい。
「んじゃあお父さんが遊んでやるから」
「ほんとう?」
「おう、もちろん」
て言うか、俺が遊んでもらいたい。
フィリアは遊んでくれないから、ディーしか俺と遊んでくれる相手はいないのだ。
「何して遊ぶ? レストに乗せてやろうか? 空の散歩とかやるか?」
「んー……」
「何でもいいぞ? うりうり」
柔らかくてうすいディーのほっぺをかるーくつまんでふにふにする。
何かもう、何だろうか。打ち粉がうっすらついてる大福みたいな、そういう柔らかさだと言えばいいんだろうか。ちょっと幸せを感じられる柔らかさである。
「おとうさん」
「何だ? 何する?」
「まほー、おしえて」
「えっ?」
「なんでもって……」
いやー、ちょっと俺は魔法とか使えないんだけども。
そんな、俺の服を掴みながらじっと見上げてきてもらいたくないんだけども。
「……いいか、ディー? 悪いことには、絶対使うんじゃないぞ?」
「うん」
「魔技って言ってな、普通の魔法じゃないんだけど……」
ちょっと危なさそうだから、魔手までは教えない。
が、外から魔力を引っ張って体の中へ取り込む感覚を教えてやった。そう言えば未来のフィリアはがっつり魔技を使っていたが、万一を考えて教えておいた方が良かったりするんだろうか。
でもリュカにしろ、未来のフィリアにしろ、魔技を使えるばかりに魔力容量が大きくなって、カルディアの元みたいに思われたりしたら無用な厄介の種にもなりそうだ。
「ディー、これは、内緒だぞ?」
「ないしょ?」
「男同士の、2人の秘密だ。いいな?」
「うん」
やっぱりディーはいい子である。
聞き分けがいいってすごい。
こんなにいい子なんだから、悪いことにもなりゃしないだろうと親バカながらに思う。
きっと魔技を教えたばっかりに――なんてことにはなりゃしない。途中でそんなことがあろうと、心を鬼にして俺がどうにかしてやる。それで最後に笑えれば、それで良しなのだ。




