ロビンの里帰り
「大丈夫、リアン?」
「平気ですよ。しかし、レストがいてくれて良かったですね」
「うん。レオンも快く貸してくれたし」
わたし達は今、ヴェッカスターム大陸南部の大森林の上空をレストに乗って飛んでいる。ロビンが集落の仲間にラルフを見せに行きたいと希望し、家族3人で向かっている最中だ。どこまでも緑の地平線が広がっている。かつてはここを歩いて旅したものだが、レストに乗っていると本当に楽で速い。
ロビンの腕の中でラルフがぐずり始めた。手綱を片腕に絡ませたまま、ロビンがあやそうとしたら、レストが鳴いた。それから緩やかに飛んだまま上り下がりし始める。ラルフはすぐにそれでぐずるのをやめて泣きやんでしまう。
「……ワイバーンは、本当に賢いものですね」
「だね……」
まさか、赤ん坊をあやすことさえできてしまうとは。
誉めるように鱗の合間を指でカリカリとかいてやるとレストは今度は嬉しそうに鳴いて加速した。
金狼族の集落に着いたのは日暮れ前だった。
レストに跨がったまま集落の中央に降りると、すぐに大勢の金狼族に囲まれた。すでに匂いで来ることを悟っていたようで、いつかここへロビンの里帰りにつきあって訪れた時と同様の歓待をロビンが受けていた。
「ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
「まさか……あなたがロビンの……。こちらこそ、どうぞ、よろしくお願いします」
そして懐かしいロビンの実家へ行き、ご挨拶をした。ロビンのお母上はもう老齢に差し掛かっていたし、いつかの時のように小さな子どもたちはいなく、静かなものだった。
わたしの義父となるクルト氏は族長の座をロビンの兄にあたる次兄へ譲ったらしく、今はたまに狩りへ行く他は集落内で相談役として活躍をしているらしい。顔を合わせるのはレオンの結婚式以来だが、何となく気勢が削げている穏やかな老人に見えた。
「まだ子どもはあの子だけなの?」
「ええ、まあ……」
「そう、けれど仕方ないわね、種族が違えばできづらいというようだし……」
ラルフは今、ロビンとクルト氏に連れられて集落中に紹介されている。そこでよくよく匂いを覚えてもらうのが習わし――らしい。レオンや、レオンの子どもたちが見たら涎を垂らして羨ましがるんだろうな、というような光景がそこかしこで繰り広げられるのだ。具体的に言うと顔を近づけて、執拗なほどに匂いを嗅ぐ。そして自分の匂いを覚えさせるためにラルフを抱き締めたり、顔と顔を近づけて鼻の頭を擦り合ったりするのだ。見ていると不思議な光景だが、なるほど、文化の違いというのは面白い。
彼らは仲間意識がとても強いが、こうしたコミュニケーションで培っていくんだろう。
ついでにわたしの匂いも覚えてもらったらどうかとロビンには言われたが、ラルフがそうされているのを見て遠慮してしまった。寂しい言い方だったかも知れないが、ここにはあまり来ないだろうからと丁重に辞退しておいた。
ロビンの大勢いる兄弟は末っ子が今、12歳だとかで、本来はまだ早いのだが優秀だったらしく、すでに別の獣人の集落に丁度、務めを果たしに行ってしまったらしい。それぞれもう結婚をしていたり、他の集落で戦士として務めをまっとうしていて、バラバラだそうだが、新たな族長となったという次兄は当然ながら集落に戻っていて、今は狩りに出ているということだ。やはりロビンの兄弟の全員の名前を覚えた方がいいんだろうかとやや不安になったが、そういう話題は出てこなかった。顔も知らない人の名前を覚えるのは、やや大変そうだ。
お義母様と一緒に夕食の支度をし終えるころにロビン達は戻ってきた。マティアスが食事を分けようとして手ごとがぶっと噛まれていたり、年長の兄としてロビンが小さかった弟や妹の世話を焼いていた、賑やかな食卓はない。しかし、ロビンとクルト氏はすっかりもう打ち解けられているようで、和やかな食事だった。
食事中に義兄に当たる新族長もいらっしゃって挨拶をした。顔立ちはよく似ていたが、何となく目が吊り上がり気味でロビンにはあるやさしげな雰囲気があまりなかった。
クルト氏に似ている印象だ。しかし、そのクルト氏は――頑固親父も孫には弱い、の法則が当てはまっているようでラルフにはめろめろになっていた。ラルフには戦士の務めを果たさせろと言って、適齢期になったら集落に寄越せだとか、むしろ立派な戦士に育てるべく、預けろだとかむちゃくちゃを言い出していた。ロビンがなだめてくれたが。
「ごめんね、リアン……。あんまり落ち着けなかったでしょ?」
「いえ、そんなことはありませんよ」
夜になり、わたし達は客間の一室で眠ることとなった。ラルフはクルト氏が寝かしつけてしまったので別室だ。何人もの子どもを育ててきた、いわば子育てのエキスパートだからとそのままお願いしている。何だか2人きりになるのは久しぶりな気がした。
「……前にここへ戻ってきた時は、リアンをまた連れてくるなんて考えられなかったなあ」
「ふふ、わたしもですよ」
「あと父さんがあんなにラルフのこと気に入るっていうのも……」
「どこの頑固な男も、孫には弱いということなのでしょう」
「そうかも」
少しおかしそうにロビンがくすくすと笑う。
「でも戦士の務めをラルフには果たさせろとか、横暴だよ……」
「ラルフがそう望むならわたしとしてはいいですが」
「まあ……僕もちょっとは、気がかりになってたことだしって思うけど、ラルフにはラルフの生き方もあると思うし……。ベリル島で狩りとか教えてあげたいなって思うんだ」
「いいですねえ。わたしも狩猟はたしなんでいましたし。ロビンには到底及びませんが……」
そもそも鼻で獲物を見つけて捕捉して追い回すなんて、獣人以外にはできないだろう。それに無尽蔵じゃないかと錯覚させられる体力や、どんな悪路でも猛スピードで疾走し続けられる脚力などもマネしろと言われてもそうそうできることじゃない。
ロビンに出会うまではわたしもなかなか狩りに自信は持っていたが、上には上がいるものだ。この金狼族の集落にはロビン以上の狩人がごろごろいるのだから。
「明日らへん、わたしもここの皆さんの狩りに同行させてもらったりできませんかね?」
「えっ?」
「何か?」
「いや……言えば大丈夫だろうけど……あ、でもリアンならできちゃうのかな?」
「ふふふ……あなたがそうしろと仰るなら、1番の大物を仕留めてくることもやぶさかではありませんよ?」
「ほんとにできちゃいそうなところがなあ……」
おや、ちょっとしたジョークのつもりだったのに鵜呑みにされている。
並んで横たわったまま、肘をつきながら体を起こしてロビンを向いた。すぐにロビンが気づいて目を向けてくる。
「……どうかした?」
「いえ……何となく見ていたいなと」
片手でロビンの耳へ手を伸ばし、触らせてもらうとくすぐったそうに身をよじった。ラルフの耳に比べると硬い気がする。ラルフはまだ小さいからだろうか。ぱたん、ぱたん、とロビンの尻尾が軽く床を叩く音がする。
「ラルフが生まれてくれて良かったですね。わたし達はあまり、子どもには恵まれない気がします」
「そんなことないと思うけど……」
「そんな気がするんです。それに、妊娠中は何かと体が重くて重くて……。少なくともわたしが宰相として全てをやり遂げるまでは、ちょっと遠慮したいです」
「仕事好きだね……」
「やりがいがありすぎまして」
今度はロビンの方から、わたしに触れてきた。
かと思うと横向きになったまま抱き寄せられる。ロビンの香りがする。ずるいなと思う。あれだけやさしい気性をしておいて、ロビンの体は逞しくて弱ってしまう。
「リアン、愛してる」
「わたしも愛してますよ、ロビン」
ロビンの腕の中で静かにした。
やがてロビンの寝息が聞こえてきて、気がついたらわたしも眠りに落ちていた。