奈落のレオン
「ぜええええいっ!」
その一撃は魔鎧をも切り裂いた。
防いだ左腕の肉が削がれるのを感じる。魔鎧がなければ両断は間違いなかった。
銛は置いてきてしまっている。それを試合で使うつもりでいたから、普段は学院で身につけている剣も持っていない。
そしてこの教官は、俺を殺す気でいる。
「クソったれ……!」
武器になりそうなものはない。魔鎧で防ぎきれないんじゃ、受け止めるのもできない。
一撃の威力も危険だが、それよりも恐ろしいのは剣速だ。放たれるのは一撃必殺の連続。背後は壁。逃げ道は、教官が塞ぐ通路のみ。だがその幅は狭く、剣のリーチ内。上を飛び越えようにも天井も低い。ぶつからないように配慮をすれば、剣に真下から切り裂かれる。
「楽に死ぬ気はないようだな」
「やすやすと死んでたまるかよ……」
魔鎧で覆う魔力を増やすか――ダメだ、それだと頭がパンクしたら殺される。
魔偽皮で回避に専念――いずれバテたらバッドエンド一直線。
魔手で、せめて両腕だけに魔力を固めて――他が疎かになって対応できなくなる。
どうする、どうすりゃいい。
考えろ、死ねるか。こんな外道に殺されてたまるか。
「もう、後ろはないぞ」
背にぶつかるものを感じた。
後ずさっていた? 無意識に? 俺が?
ほんっとうに――最悪だ。
油断されていない。魔技を見ているからか。
魔技は得体の知れないものに見えるだろう、いくつかの技術があるし、全てを晒してもいない。
全てを――そうだ、まだある。
打てる手はある。俺にはなけなしの才能と技術を振り絞った、あの魔法がある。
この袋小路で、俺はギリギリまで下がっている。放てば避けるだけのスペースはない。だが防がれたら終わる。
騎士の一撃は魔法さえも切り裂く。
模擬戦ではふざけ半分で言っていたが、仮にも教官に抜擢されている騎士ならばできるのかも知れない。
やるしかない。これに賭けるしか――。
大気から集めた魔力を、拡張しつつも広げる。擬似的な魔力放出弁を作る。
窺ってきている、今しかない。
「……死ね」
ダンと教官が踏み込んだ。
速い。
間に合うか――燃えろ、燃やし尽くせ。
あの剣が俺の腹を貫くよりも早く、火で、火を――
「っ――」
魔法が放てない。
何で、と思考が追いつかぬまま、拡張していた魔力を魔手の要領で腹に集めた。
剣がそこへ突き刺さり、教官が押し込んでくる。固めているはずの魔力がほつれていく。
背が抜けた。重力の手が俺を落とす。
教官の剣が脇腹を激しく刺し、引き裂く。熱い、あまりにも熱い痛み。
腹を守った魔力は剣から俺を守っていたが、突き込んでくる勢いに壁が耐えきれなかった。その先は、空洞。奈落。ぶち抜かれた壁の瓦礫とともに、真っ逆さまに落ちる。
俺を見下ろした教官の顔に、影が差していた。
体が冷えている。
その寒気でうっすら目を開ける。
「あっ……う、ぐ……」
途端に腹へ痛みが奔った。
手で傷口を押さえる。大丈夫、腸まで飛び出しちゃいない。ただ、痛い……痛くて、熱いだけだ。でも体はひどく寒い。
体の半分が、水に浸っている。
水たまりのようなところへ、横向きに寝そべっている。体を起こそうとすると酷い痛みがして、一息ではいけなかった。どうにか尻をついて起こす。上を仰ぐ。ほんの僅かな、前世で打ちひしがれながら見上げた星のように微かな光が見える。あそこから落ちたんだろうか。
酷く暗い。それでも明かりはあった。
仄かに光っている。蛍光塗料よりも淡い、グリーンの光。何なのかは分からないが、それが地面と思しきところで小さな光源となっている。
先走ったのがマズかった。
もしかしたらマティアスなら、教官まで絡んできていることも看破したかも知れない。
ロビンが内偵調査をして戻ってくれば、教官まで賭博に噛んでいたことを掴めたかも知れない。
バカなことをした。
あの教官は、何て名前なのか。いや、名前なんかいいか。ここで、くたばるかも知れないのに。
「……………」
体がつらい。
動くのも億劫だ。
痛むし、寒いし、ぼうっとする。
あそこも最下層に近かったのに、さらに下があったなんて思わなかった。俺はどれだけ気を失ってたんだ。3時間ぽっちか、6時間か、半日か、それとも。何にせよ、あんなところへ人は来ない。俺が落ちた穴なんて発見されない。自力でここから這い上がれなきゃ、死ぬ。
気合いだ。
根性で乗り切れ、俺。
ふうっと息を吐き出しながら、膝を押さえ、どうにか立つ。大丈夫、傷は浅い。漫画版の、某中学生の殺し合い漫画に出てくるスーパーハッカーみたいに、腸がはみ出してるわけじゃない。
どん底から這い上がってこそのスター街道。
そう思えばこんな状況、さんざん生前に味わってきてたじゃないか。そう、大丈夫だ。
一歩踏み出す度に傷が痛む。できるだけ振動を体に伝えないようにしようとしたら、足を交差させずに、摺り足をするような歩き方になった。じりじりと、とにかく歩き出す。壁は、やけに冷たい岩だ。岩肌ってやつか。指先が冷えてしょうがない。
ダメだ、力が入らない。腹も減ってる。
弱気になるな、ネガティブイメージは捨てろ。
こういう時は、歌だ。
何がいい、何を歌おう。
今の気分は何だ?
何が、何を、歌えば――いいんだっけ?
歌なんて、役立つはずもねえのに。
いつもそうだ。俺はいつだって、夢しか見ちゃいなかった。
そのくせ目につく現実が嫌いで、歌に溢れる夢に、夢を見てたんだ。
あんまりにも単純にできてる精神構造のせいで、歌に縋ってただけだ。
嫌なものから目を逸らすように歌って、逃避の手段として音楽に浸って、それでバカな夢を掲げてさ。
何がロックだよ。
俺みたいのが、どうにかなるはずもないんだ……。
何かに蹴躓いて、倒れ込んだ。悶絶する痛みが、駆け巡る。
痛い。痛い。寒い。痛い。痛いんだよ、バカ野郎。死ね、痛いんだっての。
このまま諦めれば楽になんのか? 諦めて今度こそちゃんと死んだら、もう、この痛みも、ずっと捨てられなかったものも、それがあったことさえ分からなくなって、何もなくなって、こうして考えている、俺そのものも無になって、夢も見れない暗闇に閉ざされて、死んで……。
でも消えるのは、怖い。
死んだらどうなるんだ。誰も教えちゃくれないし、観測された試しもない。
また不可思議な世界で、赤ん坊からやり直すってか?
それが普通だったら世の中のガキ全員が、このレオンハルトくんみたいにクソ生意気なガキんちょだらけだ。
ありえねえよ。
もう一回なんてない。
痛いのは嫌だけど、死ぬのも嫌だから、行くんだ。
どこかに行って、この暗闇が終わる場所を探すんだ。
そうすりゃどうにかなる。
きっと、どうにかこうにかなるから、今は歯を食いしばれ。臆病者に選ぶ権利なんてねえんだ。
夢中で、進んだ。どこかに出口があると思い込んで進んだ。
どこからか死がやって来るんじゃないかという不安に駆られながら這った。
やがて、行き止まりにぶつかった。
壁に沿って進んでも、すぐにまた別の壁へぶつかった。
終わった。
今度こそ、終わった。
上半身を支えていた肘の力が抜ける。
湿気がある。
地面はぬかるんでいて、気持ちが悪い。
せめて、仰向けになりたかった。
これが最後だと言い聞かせて、引きつりながら痛みを訴える脇腹を押さえながらごろんと寝返りを打つ。
その先に――月が浮いていた。
「……空」
眩しいと思った。月だ。月が見える。
ここは終わりだ。長かった地下洞窟の、最終地点。
右も左も正面も壁なのに、上だけぽかりと空間があって空が見えている。
闇が切り払われた。
我が物顔で夜空に浮かぶ月。
息を吸うと、おいしい気がした。
淀んだ空気じゃない。外気がここには流れ込んでいる。
月を見ると、それまでずっと感じていたものがふっと消えた。
まずは寮へ帰ろう。ロビンの尻尾をもふって、寝よう。泥まみれで、嫌がるかも知れないけど構うもんか。俺には癒しが必要だ。
力を込める。壁に手をつきながら体を起こして、最後の段差を、上がる。
外へ出る。岩山の麓。スタンフィールドの裏側だ。吹いた風が心地よい。
俺は、生きてる。
月が、星が、いつもの三割増で輝いている。
足を引きずって寮を目指した。
寝静まった寮の玄関をくぐり、部屋を目指す。ドアを開ける。
「ロビーン……」
呼ぶと、二段ベッドの上からバネ仕掛けのように布団が跳ね上がった。
俺を見たロビンが硬直していた。それから二段ベッド用の梯子も使わずに飛び降りる。
「レオン、どうしたのっ? 急にいなくなって、それで……!」
「とりあえず……もふ、らせて……」
立ってるのも限界で、危ういところをロビンに抱きとめられた。
腕だけ回して尻尾をさわさわすると、いつも通りの最高の手触りだ。
それを堪能する内に、今度こそ意識が消えた。




