マルタとリュカ
エンセーラム王国。
ユベール様がウォークスとともに最近よく通われている、海の上に浮かぶ島国。ここへ来て3日が経って、少しずつ日々の生活に慣れてきた。
朝早くにリュカさんは起きて、礼拝堂の外へ出て雷神に祈りを捧げる。
けれどその祈祷は今まで見たことも聞いたこともないものだった。心身を捧ぐかのように、ただただ無心で剣を振るうという祈り。しかもその動きは一見止まっているんじゃないかと思うほどにゆっくりとしていて、けれどとても静かな力強さを感じさせるものだった。
それが済むと礼拝堂の掃除に取りかかり、礼拝堂でも今度は片膝をついての正式な祈祷を捧げる。
わたしもイグニアスへの祈りをしてから朝食の支度に取りかかり、リュカさんと一緒にいただく。
少しだけユベール様から聞いていたけれど、本当にリュカさんはたくさん食べる。1人前ではさっぱり足りないという様子で、簡単に5食分は平らげてしまう。あんまり料理は上手ではないけれど、それでも、おいしいおいしいとたくさん食べてくれると嬉しくなる。
雷神ソアは厳正と秩序の神。けれどその厳しさはやさしさの裏返しで、どうしてソアがリュカさんを神官にしたのか、一緒にいると何となく分かるような気がした。
神官は神事を執り行って、その際にいただくご寄付で生活をする。けれど狭い島なりに神事全てを執り行うのがリュカさんだけだから毎日忙しく、各島を奔走しているので見ていた限りではかなり多額のお金を稼いでいる。加えてエンセーラム王の右腕としても色々と仕事を任されていて、その収入もあるようだった。地下室には無造作にお金が貯め込まれていて、それを見た時はお話に出てくる海賊の宝の隠し場所かとも思ってしまった。
けれどこれらの稼ぎは、リュカさんの人柄によるものだ。
どれだけ忙しくても神事は全て定められた通りにきちんとこなすし、この国の人々とも暖かい関係を築いて頼られている。わたしの知っている神官は自分の信奉する神の教えを伝えるためにと鼻息を荒くする人が多かったから、ムリに教えつけようとはせずに言葉の節々で雷神の教えを持ち出して、噛み砕かれた言葉で説いている姿は新鮮だった。
それに雷神一色の十二柱神話の国になっているのかと思ったら、雷神以外の神についても知っている人はちゃんと知っていた。
これはリュカさんが数日に1度やっている十二柱神話の占いによるものらしく、占いに出てきた神様に親近感を抱いたりして興味を持ち、リュカさんが教えたという経緯があったらしい。
そのお陰なのか、リュカさんの仕事ぶりを近くで見学させてもらっていて、声をかけてもらって、イグニアスの神官ですと名乗ったら感心されることが多かった。
カスタルディ王国では聖竜信仰が盛んだったから、何だか久しぶりに神官だったって自覚が生まれてちょっと嬉しかった。
まだイグニアスにここへ――厳密にはこの国が指定されたわけではないけど――来ることを勧められた意味は分からないけど、居心地の良い国だというのは短い時間でよく分かった。住んでいる人の心があたたかいし、まだまだ興ったばかりで活気に満ち満ちている。
「この導きに感謝します、イグニアス」
就寝前の祈りを捧げて、床につく。
この国での暮らしは穏やかで、やさしい気持ちにしてくれる。
カスタルディ王国も良い国だったけれど、このエンセーラム王国もとっても良い国だった。
「なあ、マルタ……」
「はい?」
リュカさんがおずおずと尋ねてきたのは、朝食が済んだ後だった。リュカさんが魔法で水を出して、わたしが洗った食器を彼が拭いて水切り台に並べていく。背が低いわたしのために踏み台を用意してくださって、わたしはそれに乗って肩を並べる。
「イグニアスってさ……その……」
「何ですか?」
「こ……恋の啓示みたいなのって、できたよな……?」
「はい……。けれど必ずしも成就させるものではなくて、円満になるための助言程度のものですけれど」
「お願いしたいんだけど……」
「……リュカさんに?」
「…………うん」
面食らってしまった。まさか、リュカさんが――ううん、失礼だからやめておこう。ただちょっと、あまりそういうのは興味ない方だとばっかり……。
礼拝堂の裏にある生活スペースのお部屋で、小さいテーブルを挟んで向かい合った。いつもはここでリュカさんが占いをしている。けれど今日は、言ってしまえば恋占いだ。
「ではまず、相手のお顔を思い浮かべてください」
「……2人いるんだけど」
「えっ?」
「……2人」
またまた驚かされた。
別にリュカさんが恋するのはまだ、まだわかる。人はそういう生きものだから。けれど、複数人だったなんて。
「その……具体的に、どういうご相談かだけ、先にお教えてしてもらっても……?」
「……ちょっと難しくて……色々」
「色々……?」
「ひとりは、ディオニスメリアのお姫様で……」
「お、お姫様……」
「もうひとりは、ユーリエ学校で先生してるんだけど……」
「はあ……」
「2人ともシャノン教だし……お姫様だから、いっぱいお嫁さんいるとこにはいけないだろうとか……何かそういう……」
今分かった。
リュカさんは英雄とかって言われる人と同じようなタイプなんだ。
「ええと……それで、立場的に難しいお姫様と、もうおひとりの方と、両方を妻にお迎えしたくて、どうすればいいのか、という感じでしょうか?」
「うん……」
「と、とりあえず……じゃあ、始めますね」
ううーん、どうなるんだろう。
希望と導の神、イグニアスよ、リュカさんの恋はどうすれば良いように運ばれるのでしょうか。迷える哀れな人の子に、どうかお導きをください。
「…………」
ふっと、意識がどこかへ落ちるような、あるいは引っ張り上げられるような感覚がする。
イグニアスは天の上にいらっしゃる。そこまでわたしの意識が引き上げられていく。
〈――――〉
声が届く。
はっきりとはしないけれど、声はわたしの中に染み入るように届いて、遅れて脳内に浮かび上がる。
「……」
「どう……?」
ゆっくり目を開くと、リュカさんがわたしを不安そうに覗き込んでくる。
「その……」
「うん……」
何て、言えばいいんだろう。
「あまり、見込みはないそうです……」
「えっ」
「た、ただっ、それでも……リュカさんは大勢の人を愛することができるだけの器の持ち主らしいので、複数の奥様を持つのは充分可能だとかで……」
何の慰めになるかは分からないけれど。
「もしも、望みが断ち切られてしまった時は……周りに目を向けるといいそうです」
「周り?」
「あとリュカさんはその……強い運命の渦の中にいらっしゃるそうなので、気を強く持ってください」
「……う、うん」
けっこう不吉なことになってしまったけれど、それで終わった。
リュカさんだけでは大変そうだからと、この日からわたしもエンセーラム王国での結婚式や、進水式などを執り行うことにした。すでにわたしのことは知られていたようで、背が小さいのを不安視しつつも受け入れてくださった。
けれど、普通、こういう神事のお礼は金銭なのに、どうしてやたらたくさんの食べものをくれるんだろう。




