灯火神イグニアスの神官
特にこれといった、ナターシャに関連しているであろう事件は起きていない。
ここ最近の日課と言えばカスタルディでもらってきたワイバーンの卵のお守りである。気候がカスタルディよりもあったかいもんだから、毛布を巻いておくだけでオーケーだとユベールには教わっていた。
それでも放置するだけで大丈夫かと心配になるもんで、朝夕に卵の様子を見に行くのだ。
それと、何かとユベールがやって来る。戦略魔法の時はソロンを送ってやってくれと頼んで言って国外にいたから免れていてくれたが、度々、やって来る。
ウォークスの散歩には丁度いい距離感だとか何とか言っている。と言うか、あまりよそへワイバーンへ行くと敵対行動のように取られかねないから、移動可能距離がめちゃくちゃ長いのに引き換えて実際に行ける場所は少なかったらしい。そこでワイバーンが飛んでようが別に気にしない、このエンセーラム王国だ。しかも行き放題。ちょっとご近所さんのところに遊んでくる、みたいな感覚でユベールは遠慮なしに来るようになっていた。
「……何か、動いた気がする」
「うごいた?」
「ほら、触ってみろ、ディー」
毛布に包んである卵。ディーの小さい手を取って卵に触らせる。
と、パッと顔を輝かせて俺を見てくる。
「うごいたっ」
「もうすぐ生まれるかもな」
「なまえは?」
「名前? あー、どうすっかな……。何がいい?」
「わかんなぁい」
「分かんない? そっか、分かんねえよなあ」
フィリアと違ってディーは普通に俺と遊んでくれる。フィリアもかわいいが、ディーもまたかわいい。ほっぺとかぷにぷにだし。控えめに言って天使だ。
ちなみに。
未来じゃあディーのかわいさのあまり、とんでもないことをしていたフィリアだが――ディーが元気になると興味をなくしたように、またこそっと悪戯なんかをしかけてはほくそ笑んでいる。本当にあれが未来のあのフィリアになったんだろうかと、正直、疑問を抱いている。別に仲が悪いわけじゃないが……。
まあ、いっか。
「あ、レオンハルト様、ここにいらっしゃったんですね」
「おう、どうした、マノン?」
「リュカ様がいらっしゃいましたよ」
「あいよ。ディー、遊んでこい」
王宮前の広場。そこに設けられている噴水のところにリュカは座り、フィリアと遊んでいた。未来フィリアが言っていたように、リュカを本当の父親だと誤認しているんだろうか。
「……リュカ」
「あ、レオン。フィリア、またね」
「……むっ」
睨んできてもフィリアはかわいいなあ。
「どうしたんだ?」
「……あのさあ、レオン」
「ん?」
「シルヴィアに……ちょっと色々相談してるじゃん?」
「ああ、それが? 進展あったか?」
「いい加減アタックしろとか言われた……」
「お、おう……」
それで俺んとこに相談かよ。
まあリュカが身を固めればフィリアが大きくなってから、リュカに恋心を抱かなくなりそうで大賛成だ。いっそのこと、一刻も早く身を固めてもらってリュカにはリュカの家庭があって、恋人になんか絶対に馴れないんだ刷り込みをしたいくらいである。
「どうしよう……?」
「自分で考えろ、ちったあ」
「シルヴィアは、近くにいるからいいけど……リーズってなかなか会えないし……」
「言い訳か?」
「言い訳じゃないって」
「んじゃあシルヴィアでいいじゃんよ」
「でもさあ……」
でも、だって。
ほんっとにこいつはこういうのに関しちゃあ優柔不断だ。
「うだうだしてんなって、お前はこういうのばっかり……」
「……だってダメって言われたら、ヤじゃん」
「……そりゃ分かるけど」
呆れてくるのをこらえつつ、王宮を回り込んで裏庭の方へと移動していく。イザークが綺麗に整えてくれているすげえ立派な庭だ。いつの間にかレストの小屋みたいなもんまで建てられちゃったりしてて、しかもこれがイザークが建てたんだろうが――この島で最初に暮らしていた小屋よりも立派でデカかったりする。しかもちゃんと、この小屋でくつろいでいたりするんだからすごい。
「あーあ……どうしよ……?」
「当たって砕けてこいって」
「砕けるの?」
「心意気の問題だ」
雑草をむしったリュカがおもむろにレストへ差し出すと、ついばんで食った。草から肉から何でもレストは食べる。その辺に生えてるもんなのに、レストが嘴でリュカを軽く突ついて次を催促し、リュカがまた足元から草をむしる。
レストは自分でついばめるとこにあるはずなのにリュカをせっつくし、リュカはリュカで際限ないのにあげてるしで、こいつらはバカなんだろうか? 百歩譲ってレストはまあ許すとしたって、リュカ……。
特に何も言わずに見守っておいた。
と、レストが不意に上を見て翼を広げかけた。つられて俺とリュカも天を仰げば空の片隅からもう見慣れたシルエットが近づいてくる。ユベールとウォークスだ。
「レオンハルト王、また来た」
「おう、またか」
「まただ」
ほんとに遠慮なしにユベールはやって来る。ふとそこで、気がつく。ユベールがウォークスから降りると後ろに小さいのが乗っていた。
「お、お久しぶりでございます、エンセーラム王……」
確か百国会議の時に協力してくれた、何とかって神様の神官の少女だ。神さんの名前も、この子の名前もさっぱり思い出せない。えーと、何だっけな。
「誰? レオン?」
「紹介する」
お、ありがたい流れ。
「カスタルディ王国で面倒を見ていた、灯火神イグニアスの神官マルタだ」
「イグニアスの神官で、第七階梯のマルタです。お、お願いします……」
「イグニアスの、神官?」
そうそう、イグニアス。マルタ。
お目にかかった神官はジョアバナーサのオッサンと、リュカと、マルタで3人目だ。ちっこいのに、第七か。リュカって最低限の階梯なんだったっけ。
「んでもって、どうして神官がここに? つか……面倒を、見ていた?」
「ああ。元々マルタはふらっとカスタルディに、行商人にくっついてきたんだけどイグニアスの啓示とかで留まった方がいい……みたいなことを言われたらしくて、いたんだ。それで、今度は海に囲まれた島国に行けって啓示があったみたいだから、乗せてきた」
「あの……エンセーラム王」
ユベールの説明を引き継いでから、おずおずとマルタが俺の顔色をうかがって話しかけてくる。
「この国にいさせていただけませんか?」
「いいぞ」
「あ、ありがとうございます。……神官としてできることは、何でもさせていただきますので」
「だとさ、リュカ」
「何?」
「ん? お前の仕事が取られやしねえのかなー……ってだけ」
ちょっとからかうと、リュカはむっとした。
「別に競うようなことじゃないし、エンセーラムの皆はけっこう雷神のこと信奉してくれてるし」
「リュカ……様? あなたが、リュカ様ですか?」
「そうだけど?」
「……あ、あの、リュカ様。突然ですけれど……その……」
何やらマルタがもじもじとし始める。
ユベールが小さなその肩をそっと叩いてから頷いた。何だ?
「い、一緒に寝させてください……!」
顔を真っ赤にしながらマルタが言う。
ユベールがいきなり噴き出したのは想定外のことをマルタが言ったからなのか? 俺は何かもうフリーズするしかできないんだけど。
「いいよ」
「あ、ありがとうございます!」
「おいこらリュカああああああっ!?」
「うわ、な、何だよっ!?」
「ま、マルタっ、そうじゃないだろう!? 何をいきなり言ってるんだ!? ね、寝るって……それはつまり……その……!」
慌てふためく俺達をレストとウォークスはよく分かっていなさそうな顔で見ていた。




